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黒髪のグロンダイル わたしたちはふたつでひとつのツバサ  作者: ひさち
第二章 前世回想「深淵の黒鶴」編 ダイジェスト「氷の王子様」は「囚われの姫巫女」
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さよならを隠して踊る

 その時が訪れた。


 シャンデリアの光が瞬き、広間の空気がしんと張り詰める。私は茉凜の手を握り、ゆっくりと中心へと進んだ。


「ねえ? これから、なにをするの?」


 声がかすかに震え、視線が周囲をさまよう。肩が小さく揺れた。


「何って? こういう時の定番は決まってるだろう」


 軽く笑って告げると、茉凜の顔から血の気が引いていく。


「まさか……」


 怯えの色が瞳に浮かぶ。その様子が愛おしくて、思わず笑みが漏れそうになった。


「その、まさかなんだが?」


 息が喉でひとつ転び、肩の力が抜ける前に指先だけが固まってしまう。


「えーっ……!?」


 幼さの残る声が響き、場が柔らかく揺れる。私は彼女の手を離し、静かに一礼した。


「というわけで――お姫様、私と一曲踊っていただけませんか?」


 沈黙がひとつ落ち、シャンデリアの光だけが天井で細かく揺れた。


「まじで……?」


「大真面目に言っている」


 広間が一層静まり返り、シャンデリアの光だけが瞬いていた。茉凜の肩が固まり、吐息が浅くなる。


 私はそっと囁いた。


「大丈夫だ、茉凜。ただ俺を見ていればいい。この俺がすべてリードする。任せておけ」


 その言葉に、彼女は目を閉じて深く息を吸った。


「弓鶴くんって、そうやっていつもわたしをびっくりさせるんだ……。仕方がないな、やってみるか」


 小さな笑みが戻り、瞳に光が宿る。再び重なった手のぬくもりを確かめながら、私たちは光の中心で一歩を踏み出した。


◇◇◇


 広間に柔らかな旋律が流れる。茉凜の手が私の右手に重なり、指先から体温がじんわり伝わった。


 左腕には力がなく、かすかな震えがある。私はそれを包み込むように導き、足元の不安を感じさせぬよう支えた。ヒールの踵が床をかすめるたび、小さな音が響き、彼女は一瞬バランスを崩しそうになる。そのたびに私はさりげなく回し、安心を取り戻させた。


 ぎこちなかったステップが、少しずつ滑らかに変わっていく。肩の力が抜け、呼吸が整っていくのが伝わる。霧が晴れるように、彼女の動きに光が差していった。


「大丈夫、ゆっくりいこう」


 耳元に声を落とすと、茉凜は驚いたように瞳を見開き、すぐに視線を合わせた。そこに混じる緊張と信頼が、私の胸を温かくする。思わず微笑みが返った。


 やがて彼女の手が背に添えられる。その温もりが広がり、目が合うたびに沈黙の中で言葉にならないものが生まれる。吐息と鼓動が重なり合い、二人の動きはひとつになった。


 旋律に合わせて舞ううちに、茉凜の笑顔に自信の色が差していく。その輝きは、光を受けた宝石のように鮮やかで、私の心を照らした。


 外のざわめきは遠のき、広間に残るのは音楽と二人の呼吸だけ。今はただ、その瞬間を踊り続けていた。


 曲が静かに終わりを告げ、私たちの動きも自然に止まる。次の瞬間、広間いっぱいに拍手が広がった。


 音の渦に包まれながらも、茉凜の手のぬくもりはまだ掌に残っている。その感触が名残惜しく、胸の奥に淡い痛みを残した。


 視線を交わすと、茉凜は笑っていた。私も微笑み返す。互いに言葉はなかったけれど、この時間が特別であることは明らかだった。


 拍手が続く中、胸の奥で切なさがせり上がる。――ただ特別な瞬間を共有しただけだ、と自分に言い聞かせながらも、心のどこかでそれ以上を望んでしまう自分がいる。茉凜もまた、アキラとの間にある協定を思い出しているかもしれない。その後ろめたさが、静かな影のように忍び寄ってきた。


 けれど今日は違う。祝宴の魔法に包まれた今だけは、現実の枠を越えていい。完全に影を振り払うことはできなくても、このひとときだけは、何も考えたくなかった。


 ふと横を見ると、アキラが拍手をしながらこちらを見ていた。柔らかな笑みが浮かんでいる。その瞳の奥に、他の誰とも違う思いを抱えているのを私は知っている。私の行く末を、彼女だけは理解しているのだから。


 それでも、その笑顔は私を責めることなく、ただ見守ってくれていた。その優しさに、ほんのわずか救われた気がする。


――これでいい。


 私たちはただ、ひとときの魔法を享受しただけなのだから。


 茉凜が大きく息を吐き出し、肩の力を抜いた。張りつめた糸がふっとほどけたようで、胸の奥に愛おしさが広がった。


「はーっ、しんどかった。もう緊張してどうしようもなかったよ」


 率直な言葉に、私は微笑んで返した。


「よく頑張ったな。とてもいいダンスだったぞ」


 けれど茉凜は自信なさげに視線を伏せる。


「そうかな? わたし、ぜんぜんだめだった。弓鶴くんがカバーしてくれなかったら、どうしようもなかったよ」


 小さな声に、自然と優しい言葉がこぼれた。


「気にすることはない。ダンスは二人で作るものだから、お互いに補い合って一つになる。それでいいんだ」


 その言葉に、茉凜はふっと顔を上げ、少し照れた笑みを浮かべた。


「私たちの“黒鶴”みたいに?」


 胸の奥まで響く問いかけに、私は考え込むようにしながら答えた。


「そうかもしれないな」


 茉凜は嬉しそうに目を細め、声を落とす。


「ふふ……そういえば、劇でもわたしたちってダンスしたよね?」


 あの舞台の記憶が甦る。私はヒロインのメイヴィス、彼女は主人公ウォルター。二人だけの特別な時間を共有する場面――切なくも美しい瞬間だった。今夜のダンスに重なるその記憶に、胸の奥が静かに疼いた。


「だが、俺がヒロインで、お前が主人公だったのが、どうにも納得いかなかった」


 冗談めかして言うと、茉凜はくすりと笑う。


「それで、今日はそのリベンジってわけ?」


 言い切ると、胸の奥の熱が少しだけ照れに変わった。


「まあ、そんなところだ。騎士や王子が主人公なら、俺がやるべきだろう。だから、今夜は茉凜にヒロインになってもらった」


 唇の端に笑いが走る。


「もう、まだそんなことにこだわってるの?」


 からかうような声に、軽く笑って返す。


「そうだ。男はそういうところにこだわるものなんだ」


 男の威厳を保つための小さな嘘。けれど茉凜は受け流すように微笑み、瞳を輝かせながら言った。


「でも……わたし、嬉しいな。弓鶴くん、素敵な時間をありがとう。今夜の思い出は、きっと一生の宝物になる……」


◇◇◇


 私たちのダンスが終わると、会場はさらに賑やかさを増していった。鮮やかなライトが天井を彩り、企画されたゲームに笑い声が重なる。茉凜はその輪の中心で、子どものように無邪気な笑顔を弾ませていた。時間が、一瞬止まったみたいだった。


 私は少し離れて見守る。彼女の笑い声が届き、自然と頬がゆるむ。


 背後に気配。振り返ると、給仕に紛れて藤堂さん。気配は薄いのに、表情は硬い。その不釣り合いが、胸の奥をざわつかせた。


「正体不明の人物が接近してきている。暗がりで顔までは確認できないが、性別は男性。和装に剣を携えている。数は一名だ」


 背筋を冷たいものが走る。


「たった一人?」


 息が浅くなるのを、意識的に整えた。


「ああ、屋敷へと繋がるルートを真っ直ぐ進行している。まるで自分の存在を誇示するかのようだ」


 平静な声の端に、薄い緊張。


「そんなふざけた真似をする奴は……」


 脳裏で名を探り、ひとつに収束する。


「曽良木……新十郎か」


 藤堂さんが小さく息を吐く。


「おそらくな。だが、たった一人で何をしに来たのか?」


 答えは出ない。不安だけが広がる。


「何にせよ、招かれざる客だ。地下への退避誘導の準備をお願いします。それから、俺にもインカムを」


 冷たい金属が掌に落ち、事態の重みが手の内で確かな形になる。


 視線を広間へ戻す。茉凜は笑っていた。幸福そのものの笑顔。伝えるべきか唇が開きかけて、閉じる。今夜の魔法を、壊したくはない。


 息をひとつ飲み、私は洸人とアキラのもとへ駆けた。


「二人共、急な話だが聞いてほしい。屋敷に曽良木が迫っている」


 照明の熱が背に薄く貼りつく。


「あいつか……。また来るなんて、本当にしつこい奴だね。それもこんな時に……」


 アキラが唇を歪め、苛立ちが刃のように滲む。


「なぜこのタイミングで現れたのか、全くの謎だ。我々に対して何かを示したいのか、それともただの嫌がらせか……」


 洸人はメガネのブリッジを押し上げ、冷静に言葉を継いだ。その横顔に、私も心を引き締める。


「とにかく、招待客たちの安全確保が最優先だ。いつでも地下施設に避難させられるよう準備は整えてある。曽良木は俺たちで食い止めるしかあるまい。この屋敷に一歩たりとも立ち入らせるわけにはいかない」


 言い切った声が、自分自身への号令になる。


「灯子、このことは皆には内緒で頼む。僕は行くよ」


 洸人の声は穏やかで、底に固い決意。


「わかった。気をつけてね」


 灯子は静かに頷き、真っ直ぐに洸人を見つめた。視線のやり取りだけで満ちる信頼。二人の絆が、思っていた以上に確かだと悟る。


 目立たぬよう広間を離れる。だが背に軽い足音。振り返れば、茉凜が不安をたたえた顔でこちらを追っていた。


「どうしたの? 三人でどこへ行くの?」


 声がわずかに震える。


「何でもない。三人でちょっと相談したいことがあって、場所を変えたかっただけだ」


 できる限り軽く返す。だが、その瞳は受け入れない。


「こんな時に?」


 胸がわずかに揺れる。導き手の勘を、軽んじるわけにはいかない。


「大したことじゃない。お前はパーティーの主役なんだから、戻れ」


 急かす響きに、自分でも気づく。


「でも、なんだか嫌な感じがするの……」


 眉が寄り、唇がかすかに噛まれる。


「まったく、お前は心配性だな」


 笑みをつくり、声を和らげる。


「何も起こりはしないさ。それに、その万が一のために俺たちがいる。安心しろ」


 瞳はなお揺れていたが、彼女はそれ以上言わなかった。


「すぐに戻るから」


 安心の形だけを置く。


「うん、約束だよ」


「ああ、約束だ」


 その約束を胸に刻み、私たちは広間とは反対の正門へ向かった。


「茉凜ちゃんが居なくて大丈夫なのかい?」


 洸人の懸念は正しい。黒鶴は彼女がいて安定する。


「問題ない。お前たち二人で、あいつ一人くらい圧倒するには十分過ぎる」


 足音が石床で小さく弾む。


「けどさ、あいつは場裏の有効半径が半端ない。何をしでかすか予想もつかないよ」


 アキラの声が低く落ちる。


「それも問題ない。たとえあいつが屋敷の下の地盤を揺るがそうとしたところで───」


 大地が低く唸った。腹の底を揺らす重低音。木々がばきばきと折れ、岩が砕ける音が空気を裂く。


「藤堂さん?」


 インカムへ呼びかける。返答はすぐだ。


『曽良木の仕業で間違いない。奴はルートを変えて、屋敷の背後の崖を崩したようだ。崖側のセンサーとカメラがすべてやられた』


「会場の様子はどうですか?」


『騒然としている。もう、ほとんど制御が効かないな』


「くそっ!」


 拳が固く握られる。無防備な人々を恐怖に晒す――それが奴の狙いだ。


「何としても奴を止める!」


 胸の鼓動が早鐘を打つ。


「待て、こちらから打って出るなんて無謀すぎる。それこそ敵の罠に飛び込むようなものだぞ?」


 洸人の制止が鋭い。


「そうよ。弓鶴くん、冷静になって!」


 アキラの声が必死に響く。喉の熱を押し下げ、思考を無理やり冷やす。


「そうだな。これは陽動に過ぎない。奴のことだ、きっと正門からやって来るに違いない」


 怒りは消えない。だが、曽良木なら堂々と正門を選ぶ。


「俺は、必ず茉凜を守る」


 言葉が胸の奥で何度も反響し、決意に固まっていく。洸人とアキラの表情もまた、静かな刃のように引き締まった。

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