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黒髪のグロンダイル わたしたちはふたつでひとつのツバサ  作者: ひさち
第二章 前世回想「深淵の黒鶴」編 ダイジェスト「氷の王子様」は「囚われの姫巫女」
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戦うための力

「来いっ! 黒鶴っ!!」


 心の深い淵から絞り出された叫びが、闇の底を揺らがすように響いた。その刹那、黒鶴は私の内なる声に応え、心の堤防を壊し、感情が一気に溢れ出す。理性は次第に薄れ、闇が私を抱きしめるように覆いかぶさり、視界を柔らかな黒で包みこんでいく。


 足元の感覚が消え、意識は宙に投げ出されたように不安定に揺らめく。喉の奥が固まり、呼吸が途切れそうになる。心中で怒りと憎しみが激しく沸き立ち、その熱が理性を焦がしていく。


 色とりどりの感情が次々と湧き上がり、私を飲み込み、鋭く揺さぶった。その奔流は、私の最も深いところまで達し、理性を繋ぎとめていた糸を一本一本断ち切りはじめた。感情の波に翻弄され、何かが壊れる前触れに喉が圧され、息が詰まる。


 次の瞬間、世界が不自然なほど鮮明に映り始める。だが、それは私が深淵の闇に溶けていく前触れだった。冷たい汗が背筋を伝い、心はすでに私のものではない。何者かが私を支配しようとしている気配が、ひしひしと伝わってくる。


 抗おうとしても、感情の激流に振り回され、もがけばもがくほど、より深い闇の底へ引きずり込まれていく感覚が広がるばかりだった。


 だが、そのとき、指先にごく微かな温もりを感じた。それは、荒れ狂う感情の中で唯一現実へと繋がる糸のようだった。その温もりはただの感覚ではない。茉凛の強い願い、私を救いたいと願う一途な思いが、形を持って私に触れたのだ。


 彼女の思いが、溺れかけていた私を優しく包み込み、渦にのまれそうな心を支えてくれる。何度もその温もりに触れるたび、私は自分を取り戻し、感情の嵐が少しずつ鎮まっていくのを感じた。茉凛の存在が、崩れかけた私の心を癒し、深い闇の中に淡い光を灯してくれる。その光は、見失いかけた自分自身を再び呼び戻してくれるのだ。


 今、私は手を伸ばし、闇の底からその光を掴む。


 戦う力を得るには、「場裏」を手に入れねばならない。それが、私たちの未来を切り開く鍵。しかし、その一歩を踏み出せば、もう以前の私には戻れないかもしれない。その予感が、私を冷ややかに締めつける。場裏の力はあまりにも圧倒的で、それに飲み込まれ、自分を見失う懸念が頭をよぎる。この力で誰かを傷つけ、彼女を悲しませてしまったら。その思いが、私の足をすくませる。


 喉が渇き、私は立ち尽くす。霧が立ちこめたように未来が霞み、葛藤が心を渦巻いている。前へ進めば、過去の私には戻れない。そんな予感に背中が冷える中、彼女の温もりと願いが、私をかろうじて支え続けていた。


 それでも、心の奥底で私は震えていた。


 この一歩を踏み出せば、もう以前の自分には戻れないのではないか。その考えが、冷たい鎖のように私を縛りつけていた。圧倒的な場裏の力は、いつか私をのみ込み、自己を見失わせてしまうのではないか。さらに怖かったのは、その力で誰かを傷つけてしまうこと。もし茉凛を悲しませ、彼女を苦めてしまったらどうしよう。そう考えた途端、私は硬く地面に根を張った木のように身動きが取れなくなった。


 震えるだけの私。進むべき未来は、霧が立ちこめてまるで見通しが立たない。今、ここで前へ踏み出せば、過去の自分は消え失せる。冷えた風が肌を撫で、私の足をすくませていた。


 その時、背後からふわりと温かな気配が、私に触れた。茉凛が、静かに、そっと私を抱きしめてくれた。


 彼女の髪から漂う優しい香りが、私の荒れた感覚を柔らかく包み込む。耳元で、かすかな衣擦れの音がした。彼女の温もりは、凍てついた私の心をゆっくり溶かし、背筋に緩やかな温度が沁みていく。


「大丈夫、怖くないよ。わたしがここにいるから。一緒に行こう。ね?」


 彼女の言葉は、暗闇に沈みかけた私の心に、一筋の光をもたらしてくれた。そのささやきと抱擁に、私はどれほど救われただろう。彼女がそばにいるという事実が、押しつぶされそうだった心に、小さな勇気の芽を育て始める。


 私たちが共に歩む道は、濃い闇の中にもかすかな光が差し始めている。彼女の手が私の手に重なった瞬間、私は決意を固めた。彼女と一緒ならば、越えられないものはないと、信じることができた。


 そして、私たちは手を繋いだまま、闇の底へとそっと手を伸ばす。その瞬間、視界が真っ白な光で満たされ、私はゆっくりと瞼を閉じる。


 震えはまだ、指先に残っている。それでも彼女の温もりと共に、新たな未来へと踏み出す覚悟を固めていた。


◇◇


 次に目を開けたとき、私を包んでいたのは、懐かしくも穏やかな情景だった。


 柔らかな陽の光が畳敷きの部屋に差し込む。窓辺には緑豊かな森が見え、微かな葉擦れの音と、緑の香りが鼻腔に満ちている。ここは、私が幼い頃を過ごした山奥の静かな家。私は畳の上に座り込み、目の前に置かれた一枚の、真っ白な画用紙を見つめていた。


 その純白の紙は、私の心の内面を映し出すかのように静かで清らかだ。心の奥から、何かを描きたいという衝動が、ほんのりと湧き起こるのを感じる。私はそっと赤色のクレヨンを手に取り、紙の上を滑らせた。


 クレヨンの赤が、白い紙の上に燃えるように広がる。鮮やかな赤は生きた炎のように息づき、舞い上がる炎のイメージが私の中で鮮明になっていく。燃やせ、燃やせ、と言わんばかりに、すべてを飲み込み、断ち切るような熱が、紙の上で踊っているようだった。


「なぜこんなものを描いているんだろう……」


 心の片隅でそう思いながらも、これこそが今の私が求める光景なのだと、胸の奥で確信が湧いてくる。


 そのとき、背後から優しい声が耳元に届いた。


《それがあなたの望みなのね? なら、その願いを叶えてあげる。それが、私たちの繋がりの証だから》


 その声は、茉凛のものでもなければ、母さまの声でもなかった。誰なのか確かめたくて振り返ると、そこには虹色に揺らめく、まばゆい光があった。私を包みこむように、優しく輝いている。


《あなたは、心のままに願えばいい。私たちが、その願いを受けて、それを形にしてあげる》


 その囁きは、私の内側にそっと染み渡った。光が心を照らし、長く押し込めていた感情を一つ一つほどいていく。


 私は静かに目を閉じ、光の中で自然に理解が浮かび上がるのを感じた。驚くほどシンプルで、なぜこれまで気づかなかったのか不思議なくらい。


 すべては、今、この瞬間に集約され、穏やかに私を受け止めてくれる。光がほどけるたび、仕組みが皮膚に浸みるようにわかった。

 ――これは、ただの仕組みだ。確率論でもなければ、物理法則でもない。ただ、願いが形になるという、単純な仕組み。


 精霊子の集積が、意思を持つ“疑似的な精霊体”を生む。

 それが私の心の声を受け取り、力に変えて「場裏」を編む。


 場裏は私の願望を、確かな形として現実に刻む。ただそれだけのこと。

 私の心の奥深くにある想いが、そのまま世界に溶け込み、形を持つ。


 これこそが場裏――事象干渉領域の真髄。


 私はこの仕組みを理解し、これからの道を見据えることができた。その先にはまだ影が落ちる。だが、手にした光が確かに心を照らしていた。


◇◇


「いくぞ! アキラ、下がれっ!!」


 私が力を込めて呼びかけると、明は素早く後退し、私たちの背後へと身を引く。


 瞬間、私が思い描いたイメージが一気に展開され、巨大な白い領域が私たちを包み込んだ。それは、曽良木の場裏を優に上回る百メートルの聖域。私自身の内面が、白い糸を紡いで作り上げた静かな世界だった。


 その圧倒的な光景を前に、曽良木の顔から血の気が失せ、蒼白さが浮かぶ。


 次の瞬間、紅蓮の炎が私たちと曽良木の間に立ち上がる。――静寂が一瞬、耳を塞いだ。揺らめく炎は、私の心の奥底に潜む情熱が、そのまま外界へとあふれ出たかのようだ。炎の壁は生きているかのように熱を放ち、激しく燃え盛る。


 私の中にあった迷いは今、この炎に溶けている。


 彼女と共に進む道を選び、己の意志を形にしたこの瞬間、静かな決意が炎に宿り、私たちの未来を照らす光となっていた。


 その向こうで、曽良木が怯えたような叫びを上げている声が、かすかに耳に届いた。


 燃え盛る炎の輝きに目を奪われながら、全身は奇妙な興奮と高揚感で満たされていく。破壊の衝動に身を委ねるように、強烈な力が私を包み込み、熱い奔流が体内を駆け巡る。


 この力は本来、私が持つべきものでないと知っていながら、その圧倒的な力に酔いそうな自分がいる。その事実に、複雑な思いにこめかみが痛んだ。


 それでも、私は力を得たという事実にわずかな安堵を感じていた。どんな敵でも退け、私が守りたい茉凛を守ることができる。それが、この力にしがみつくための唯一の理由だった。


◇◇


 炎が徐々に鎮まり、視界がクリアになると、そこに曽良木の姿は消えていた。焦げた大地の匂いだけが残り、彼が逃れたことを悟る。張り詰めていた緊張がふっと和らぎ、ため息が自然と唇からこぼれた。


 視線を横にずらすと、茉凛がそばに立っている。彼女の顔には柔らかな微笑が浮かんでいた。――静寂の中、その微笑みだけがやけに鮮やかだった。私の心にほのかな温もりが広がる。


「よかった、弓鶴くん。わたしにもなんとなくわかったよ。あなたが描いているものが」


 彼女の優しいまなざしと声に、頬がわずかに熱を帯びる。私の心を見抜いているようで、少し恥ずかしい気持ちが湧く。それでも、ずっと守るべき存在だと思っていた茉凛が、今は一緒に戦うために手を取り合えていることが嬉しかった。


 その束の間の安堵は、明の冷ややかな視線によって消えかける。彼女の言葉は刃物のように鋭く、私の心に突き刺さった。


「今のは流儀赤ね……。なんとなく分かってたけど、あの時あなたは、あたしの流儀も取り込んでたんだね」


「ああ、そうだ……」


 黒鶴の真の力。それは相手の流儀を取り込み、複合的に扱える強大な能力だ。それを自覚し、私は背筋に冷たいものを感じた。この強さは人に向けて使いたくない。自分自身を見失うほどの力で、もし茉凛を傷つけてしまったら。震える手を見つめながら、明が強い決意を込めて言い放つ。


「弓鶴くん、あたしは絶対にあなたを死なせない。死なせてたまるもんか。それに、あたしはまだ諦めてないからね……」


 返す言葉を、私は喉の奥で飲み込んだ。風が、彼女の髪を揺らして通り過ぎていく。彼女が抱く弓鶴への思いが強く響く。彼女の願いを無視できない。でも、私にとっての茉凛が、明にとっては“お荷物”に見えるという現実が苦い感覚となって残る。明の思いを踏みにじることに、申し訳なさと自責の念が広がる。


 明が立ち去っていく背中を見送る。ふと、隣に立つ茉凜の温もりを感じた。私の心には二つの感情が絡み合っていた。茉凜とのつながりから生まれた喜びと、明の言葉に触発された不安。


 その糸を解けぬまま、彼女の歩調に合わせて足を運んだ――。

このシーンは、感情の激しさ、力の覚醒、そして他者との関係の複雑さを掘り下げており、主人公の内面的な葛藤と成長を描く上で非常に重要な部分となっています。


感情の嵐と深淵の表現

 主人公は、「黒鶴」という強大な力を発動させるために、心の奥底から引き絞った叫びを上げます。この力の発動によって、主人公の感情が溢れ出し、理性が薄れていく様子が描かれています。感情の波が激しく、恐怖や怒りが交錯する中で、主人公は自分を見失いかけている状態が表現されています。


真凜の役割と心理的支え

 言うまでもなく、真凜の存在が主人公にとって重要な心理的支えとなっています。闇の中で感じた微かな温もりや、彼女の優しい言葉と抱擁が、主人公の心を救う重要な要素となっています。真凜の存在は、主人公が自身の恐怖や不安を乗り越える助けとなり、彼女との繋がりが主人公にとっての希望と安心感を提供しています。


力の覚醒とその代償

 主人公が「場裏」を手に入れる過程で、自身の力の圧倒的な拡張性に気づきます。この力があれば、どんな敵でも倒せる一方で、その力の行使によって誰かを傷つけてしまう恐れがあると感じています。この矛盾した感情が主人公の心の中で葛藤を生んでおり、力の使用に対する恐怖と責任感が描かれています。


明との関係と葛藤

 明との関係が主人公にとって複雑な感情を生んでいます。明は主人公の力に対して冷静に分析し、その力の拡張性に対する警告を発しています。主人公は明の言葉に対する感謝と、自責の念を感じながら、彼女との関係が今後どのように展開するのかに不安を抱いています。明の強い決意と主人公に対する感情が交錯し、主人公の心に二重の感情をもたらしています。


内面的な解放と理解

 シーンの終わりに、主人公は自身の心の奥深くに潜む願いを理解し、それが精霊たちとの繋がりによって形となることを悟ります。

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