表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒髪のグロンダイル わたしたちはふたつでひとつのツバサ  作者: ひさち
第二章 前世回想「深淵の黒鶴」編 ダイジェスト「氷の王子様」は「囚われの姫巫女」
41/747

サプライズの幕が上がる前に

 誕生日の朝。台所に出汁と湯気の匂い。私はコーヒーをひと口、頭が覚めていく。


 額をこすりながらアキラが現れる。ボタンは掛け違い、リボンは斜め。直したい衝動を抑え、言葉だけを選ぶ。


「アキラ、ボタンが……それと、リボンもちゃんとしろ」


「ごめん、寝坊しちゃったんだ」


 素直な頷きに、胸の奥があたたかくなる。朝食は三人。虎洞寺の叔父様は「睡眠は移動中に補えるから問題ない」とだけ。湯気と小さな笑い声。私はその温度を噛みしめた。


 ◇◇


 昼。木陰に秋の風。洸人と灯子が並ぶ。


「じゃあ、うちの部室に来ない? 昼はまず誰も来ないし、ちょうどいいと思うよ」


「でも、私たち演劇部の部員じゃないし、そんなことして大丈夫なの?」


「大丈夫だよ」


「だって、みんなもうほとんど部員みたいなものだし!」


「こら、勝手に部員扱いするな。大方既成事実を積み重ねて、俺たちを引き込もうという腹積もりではないのか?」


「ふふっ」


「そりゃあ、今回の公演の出来がすごく評判良くて、みんな期待してるんだもん。特に、弓鶴くん、あ・な・た」


「ふん、二度と女の役なんて御免だ」


「もっとも、カッコいい男の役でも用意してくれるのなら、引き受けてやってもいいがな」


「あ、男の子の役か……」


「そういえば、高岸さんが企画中の話で、女の子が男の子に転生してしまうっていうアイデアがあるって言ってたよ!」


「お前な……まったく頭が痛い……。高岸に言っといてくれ。なんでそんな偏った趣味に走る話ばかり考えるんだって。俺はそんなもの絶対やらん」


 笑い声だけが軽く跳ねた。私は胸のざわめきを押し隠す。


 ◇◇


 放課後。ロータリーに藤堂さんの車。窓外を見つめる茉凜の横顔は少し沈む。誕生日の沈黙を気にしているのかもしれない。私は計画の最終確認を心で反芻した。


「ん、どうしたの?」


「あ、な、なんでもない」


 帰宅。佐藤さんへ「準備完了」とだけ送る。夕陽の廊下を台車で進み、木製の衣装ケースを茉凜の部屋へ。


「はーい、どなたですか?」


「俺だ。入ってもいいか?」


「えっ、えっ!」


「ど、どうぞ……」


 制服のままの茉凜。指先が落ち着かない。


「茉凜、ちょっといいか?」


「うん、いいけど……どうしたの、その大きな箱?」


「なに、驚くようなことじゃない」


「これって……何が入ってるの?」


「開けてみて」


 新しい布の匂い。ドレス、アクセサリー、シューズが光を返す。


「これ……わたしのために?」


「そうだ。今日はお前の誕生日だろ? 特別な日だから、これを着てもらいたいんだ」


「でも……こんなに豪華なもの、本当にわたしに似合うのかな」


「似合うさ、間違いない」


 茉凜はドレスを広げたまま黙っていた。細い指が布地をなぞり、視線は床に落ちる。わずかな翳りが胸をざわつかせる。


「どうした? まだ、何か気になることでもあるのか?」


 肩が小さく揺れた。


「……やっぱり不安しかないよ」


 演劇の衣装合わせの強引さを思い出し、口元が緩む。


「……まだそんなことを言うか。これはお前にとって逃れられない義務だと思え。ふふふ……」


 観念の吐息。


「うーん……わかったわよ。着ます、着ます」


 私は段取りを告げる。


「それと、着替えやもろもろの段取りは、特別な魔法が使える方々を呼んでいる」


「魔法?」


「佐藤さん、入ってください」


 扉が静かに開き、三人の女性が入る。化粧品のかすかな匂い、ピンケースの金属音。


「彼女たちが、お前にささやかな魔法をかけてくれる。一晩の素敵な魔法をな」


 意地悪な思いつきは胸に仕舞い、頭を下げる。


「では、あとはお願いします。俺も準備しないといけませんので、これで……」


 自室で黒のタキシードに手を伸ばす。私は脇役。ネクタイを結ぶ指が少し硬い。遠くのざわめきが鼓膜に触れる。スマホに「準備完了」。浅く息を整え、彼女の部屋へ。


「入りますね」


 扉を開けた瞬間、息が止まる。窓辺の茉凜。夕陽が輪郭を縁取り、生地が光を透かす。髪の飾りは星屑のように瞬き、ナチュラルなメイクが透明感を引き立てる。肩の白が静かに光り、重ねたスカートがさら、と鳴った。


「あ、あの……」


 胸の鼓動が戻る。


「どうだ、魔法はお気に召したかな?」


 視線が泳ぎ、小さな頷きが落ちる。


「うん……でも、こんなに素敵なドレス、わたしなんかが着て、ほんとにいいの?」


 私は首を横に振り、一歩だけ近づく。


「何を言ってるんだ。茉凜だからこそ、このドレスが輝く。これはお前が持っている本当の魅力を引き出す、ささやかな魔法にすぎない」


 胸に反響するのは、あの言葉――『わたしは、弓鶴くんが持っている、本当の輝きをちゃんと知ってるから』。見透かされる怖さと、救われる安堵が同時に残る。


 意味を悟ったのだろう。茉凜は目を丸くし、やがて照れた笑みにほどけた。その笑顔に、張り詰めていたものが音もなく解けていった。


 私たちのやり取りを遠巻きに見ていた佐藤さんが、何かに気づいたように声を上げた。


「それでは私はこれで。急ぎませんと!!」


 いつも冷静な彼女が珍しく慌てて部屋を出ようとする。背筋が一瞬だけ緊張に走り、衣擦れの音が小さく響いた。


「佐藤さん、ありがとうございました」


 私が声をかけると、振り返った彼女は右手を上げてガッツポーズを作り、口元に笑みを浮かべた。その仕草は「大成功です」と言わんばかりで、見送る背中が軽やかに揺れていた。


 彼女には柚羽の家で暮らしていた頃から長く支えられてきた。影で守られていたことを思うと、胸の奥が静かに熱を帯びた。


 やがて私と茉凜は窓辺の椅子に並んで腰を下ろした。パーティーのざわめきが遠くで揺れ、ガラスに夜の灯りが淡く映っている。


 茉凜がため息をつき、頬を少し膨らませた。


「まったく予想外だよ。まさか、こんなびっくりドッキリが待ってるなんて……」


 驚きに目を丸くする表情が幼くて愛らしい。


「ドッキリじゃない。サプライズと言ってほしいな」


 私が微笑むと、茉凜はむすっとした顔で両手を膝に置き、指先を不安げにいじった。


「わからなくはないけど、ちょっとひどくない? みんなして、なーんにも言わないんだからさ」


 膝の上の指がくるくると動き、視線は少し泳いでいた。その様子に笑みがこぼれる。


「悪かったとは思うが、こうでもしなきゃ、お前のことだ、『誕生日なんて気にしないでー』とか言い出しかねんだろう?」


「まあ……なんとなくはわかってたけど、ここまでとは思わなかったよ……。

 でも、これから先、いろいろ大変になるでしょ? そんな浮かれた気分で、いいのかなーって……」


 言葉の端に影が落ち、細めた瞳が揺れていた。


「それは違うぞ。こういう時だからこそなんだ」


「……どうして?」


 首をかしげた前髪がふわりと揺れる。


「この先、どんな危険が待ち構えているか、予想もつかないからな。だからこそ、茉凜の誕生日をちゃんとした形でお祝いしたかったんだ」


 沈黙が落ち、彼女は小さく唇を噛んだ。


「でも、さすがにここまでしなくてもいいんじゃない?」


「そんなことはない。これは日頃からの茉凜への感謝の気持ちでもあるんだ」


「感謝だなんて……大げさだよ」


 眉をひそめ、困惑したように目を揺らす。


「いいや、茉凜が『ここにいてくれること』がすべてだ」


 視線を合わせて告げると、彼女は一瞬驚いた顔をし、頬を赤らめて目を伏せた。膝の上で指先がぎゅっと結ばれる。


「もちろん、俺だけじゃないぞ。みんながそう思ってる」


「みんな……?」


「そうだ。屋敷の人たちはもちろん。洸人も、アキラもだ」


 言葉を重ねると、茉凜は小さく笑った。その笑顔は、内に潜む不安を少しずつ溶かしていくようだった。


「だいたい、お前は抜けてるくせに、変に気を遣おうとするからな。だから、こういう回りくどい手を使うしかなかったんだ」


「抜けてるって……やっぱり、弓鶴くんはひどいや」


 むすっとした声色に、私の心も和らぐ。


「けど……」


 彼女は視線を落とし、ほんの一拍おいてから微笑んだ。


「うれしいよ……弓鶴くん」


 その一言に瞳が光り、胸の奥まで温もりが広がった。


「……そうだ、肝心なことを言い忘れていた」


「なに?」


 私は素直に告げた。


「茉凜、とても綺麗だ。素敵だよ」


「うえーっ……!?」


 彼女は変な声を上げ、耳まで真っ赤にして口をパクパクさせた。慌てて髪をかき上げる仕草が無防備で、ますます可笑しかった。


「そんな、急に恥ずかしいこと言わないで。もうっ……。今日の弓鶴くん、ちょっと変じゃない?」


 視線が泳ぎ、頬の赤みが濃くなる。


「そうか? まあ、お前にかけられた魔法が、俺にも伝染ったのかもしれないな」


 自分でも驚くほど自然に口をついた。


「あ……」


 茉凜が小さく口を開け、言いかけて閉じる。指先で髪をかき上げる仕草に、言葉にならない気持ちが透けていた。


「ううん、ありがとう……」


 その一言で十分だった。静かに心に触れ、温かさが深く満ちていく。


 窓の外には夜の帳が降り、冷えた空気がガラスを震わせていた。


「さて、そろそろ参りましょうか、『お姫様』」


 立ち上がって手を差し出すと、茉凜は小さく頷き、指を重ねてきた。柔らかな温もりが伝わり、胸の鼓動が静かに高鳴った。


 誰もいない廊下に二人の靴音。茉凜のヒールが石床に小さく跳ね、握る手にわずかな強張り。私は指を返し、力を添えた。


 視線はいつもより高く、揺れる。足元の不安を隠す顔に、心の中だけで囁く――大丈夫、私がいる。


 指先に応えるように微笑み、肩の緊張がほどける。私の胸にも静かな勇気が戻った。


「自信を持って、背筋を伸ばして前を向け。ゆっくりと、慎重に。自分のペースで進んでいけばいい」


「うん……」


 頷いた茉凜の歩は、次第に落ち着きを取り戻す。


 喉奥に押し込んだ言葉がある。


――やっぱり、茉凜が好き。


 声にはしない。迫る別れを思えば、笑顔を曇らせたくない。


「今日は特別な日だ。もうすぐ舞台の幕が上がる」


 笑って告げると、瞳が明るく揺れた。今だけは心を隠し、この瞬間を楽しむと決める。手を強く握り、並んで進む。


 廊下を抜けると、吹き抜けの光とシャンデリア。空気が一変する。


 茉凜の目が見開かれ、握る手に震えが移った。


 階段の先には整然と立つ生徒たち。低いざわめきと期待の眼差し。

 奥には洸人と灯子、そしてアキラ。洸人は礼服で硬く、灯子は灰色のドレスで静かに立ち、アキラは真紅のドレスで笑い、その瞳の奥に小さな翳り。


 視線が一斉に茉凜へ集まる。空気が張る。


 左手が微かに震え、彼女は口元を押さえた。


「うそでしょ……こんなの……」


 静寂。ついで小さな拍手が弾け、波紋のように広がる。祝福が空間を満たす。


「ほら、いつまでぼーっとしてるんだ? 笑顔だ、笑顔!」


 はっと瞬き、頬を赤らめて微笑む。


「びっくりしたな、もう……」


 私の顔を確かめ、さらに和む。


「さあ、お姫様、参りましょうか。私がサポートいたしますので、お客様に笑顔をお願いしますね」


 手を導く。茉凜は頷き、ゆっくり階段へ。


 ヒールが石段に触れるたび、小さな音。私は見えないところで歩幅を合わせ、足元を守る。


 照明に照らされた笑顔は、宝石より柔らかく輝く。


 階下から祝福の声が重なる。「お誕生日おめでとう!」


 茉凜は「うふへへへ」と笑い、場の空気がさらに緩む。


――変な笑い方。せっかくの素敵な格好が台無しじゃない。


 それでも、無邪気さは幸福を広げる。私の胸にも温かな灯がともる。


 やがて、私は集まった人々へ声を響かせた。


「皆さん、今日は加茂野茉凜の特別な日を一緒に祝ってくださり、心から感謝いたします。さあ、パーティーの始まりです。どうぞ会場へ!」


 その瞬間、茉凜は本当に舞台の中心に立つお姫様のように、強い存在感を放っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ