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封じられた剣と、溶けない氷

 砂地の上に冷えた朝の光が射し、ふたりの足元にまだ解けぬ薄氷の結晶が微かにきらめく。


 周囲を取り囲む騎士たちは固唾を呑み、私は柵のそばで息を詰めたまま視線を外せない。ヴォルフ――私と同じく未来から来たヴィルの意識を宿す彼――とステファンの“稽古”は、すでに表の訓練を越えつつある。


 ふたりは木剣を握りしめ、静かに間合いを測る。はじめは探るように、先端同士を軽く触れ合わせる牽制が続いた。だがステファンが一度踏み込み、ヴォルフがそれを捌くたび、はじける乾いた打音が砂へ転がるように散り、朝の冷気が胸へ刺さる。弾かれた木肌の樹脂がふっと甘く匂い、打音の間が一拍ずつ詰むにつれ、自分の呼気が浅くなる。


「なにゆえ探り合いなど。ステファンめ、全力でと言いながら小手先ばかりとは」


 木剣の余韻が砂に沈む。隣の司令官がぽつりと漏らし、私はその意味を問いただせず胸を押さえる。


 そう。ヴォルフは、まだ“ヴィルの剣”を出していない。剣は人を語る。抜けば、立ち姿の素性まで滲む。


 “元の時代”で振るった雷光の剣――その片鱗を、私は身をもって知っている。人の域を越えた速さと一撃の重さは、私が展開した最強の風の護り、場裏・白「白屏障エア・バスティオン」さえ容易に裂いた。


 雷の如き速さと重さ、その上で状況に即応する柔らかさ――それが私の知る“剣士”ヴィル・ブルフォード。


――そう、彼は本質的に騎士という枠に収まらない人。


◇◇◇


 あのころの私は、まだ「ヴィル」という男をうまく掴めていなかった。自らを「放浪のしがない剣士」と称し、ふざけた言葉で人を煙に巻きながら、不意に鋭い洞察を覗かせる――何ともつかみどころのない存在。


 黒髪のグロンダイルを訪ねた理由も思いつきだけではない。かつて父さと固い絆を結んだ彼は、私と剣を交えたのち「亡き友の娘を護る」と言ってくれた。行方知れずの母を探す旅にも、唐突で、しかし自然な口調で同行を申し出た。


 行き先もわからず独りだった私は、彼のおかげで前へ進めた。

 彼は私の稽古を見てくれ、人としての歩き方を示し、魔獣との戦いでは最も信頼できる前衛だった。気楽に酒や食事を共にする相手でもあった。


 戦場では一瞬のためらいもなく剣を抜き、雷の速さで懐へ踏み込む。突進力と正確な一撃は目が追いつく前に勝負を決め、稲妻に斬られたように敵が崩れる光景を、私は幾度も見た。


 しかも速いだけではない。魔獣ごとに異なる【魔石】の位置を熟知し、最小の動きで仕留める突き所を的確に教えてくれた。その教えに、私は何度も命を拾われた。


 飄々として見えて、実は仲間を深く案じる優しさと責任感を持つ人――守られるだけではなく、ひとりの人間として受け止められている手応えが、誇りと安堵を同時に連れてきた。


 けれど当時の私は十二歳の体で、前世を抱えた“大人の自意識”もが同居するややこしい状態だった。


 年齢にして三十以上離れていても、子ども扱いはされたくない。いつか対等に並んで剣を振るいたい――「いつか大人になる自分」を強く夢見て、背伸びを続けていた。


 やがて私は離宮に引き取られ、彼は王家の聖剣を貸与され、護衛の騎士としてそばにいることになった。


 時が経てば自然に大人になり、肩を並べられる――そう信じていたのに、運命は別の形で動いた。“意識と記憶”――魂だけが時間遡行する、私自身にも飲み込み切れない出来事が起きたのだ。


 気づけば私は「メービス」という女王の姿で、二十歳近い容貌を持ち、彼は“ヴォルフ殿下”と呼ばれる二十代前半の青年。かつての年齢差は消え、この世界で私と彼は“夫婦”という設定になっていた。


 唐突すぎる変化に、戸惑いは想像以上だった。


 「いつか追いつきたい」という願いは、私の意識の中ではつい最近のこと。それなのに、強制的に大人の身体を与えられてしまった。


 尊敬と憧れは、はっきりとした異性への意識へと変わる。自分でも持て余すほどに。

 それでもメービスとしての立場と、ヴォルフ殿下との関係を思えば、いつまでも戸惑ってはいられない。私はこの国を護る女王で、彼は王族としての責を負う。


 もしあのころ、もっと素直に甘え、子どもらしい私を見せていれば違う心持ちでいられただろうか。けれどそれをしなかったからこそ、彼は私を仲間として、対等な相棒として扱ってくれたのだと思う。


 あの信頼は私にとってかけがえない宝。姿や立場がどう変わっても、絆は失われないと信じている。


 実際、今の私はメービスとして立っている。


 始祖デルワーズに端を発する巫女特有の因子のせいで、メービスは十二歳の私がそのまま成長したような造作だ。

 私は彼女の生きた記憶を持たないまま、王家を背負う只中にいる。突然現れた“大人になった私”を、彼とてどう受け止めればいいか戸惑っているに違いない。


◇◇◇


 先ほどの軽い打ち合いののち、木剣は再び離れる。ステファンは鋼色の瞳を細め、呼吸を整えながらヴォルフの出方を窺う。張りつめた空気に、私は思わず口を噤んだ。


「――いよいよ、因縁の再現か……」


 司令官の独り言に、私ははっと振り向く。


「因縁、とは……?」


 司令官は、耳を疑う言葉を続けた。


「かようなこと、本来はお伝えすべきではございませぬが……

 実は――かつて陛下が、聖剣探索の旅にお出ましになる直前のこと。護衛を務める随行騎士を選定するため、王立騎士団内で選抜戦が行われたのです。その決勝戦で刃を交えたのが……他ならぬ、あのヴォルフ殿下とステファンにございます」


 驚きに目を見開く。あの静謐なステファンがヴォルフに敵意を覗かせる理由が、やっと結びつく。決勝で対峙し、勝者はヴォルフだったのだ。


「なるほど。そういうことでしたか……」


 私の呟きに被せるように、ステファンが苦々しい笑みを浮かべる。木剣を構え直し、じりじりと間合いを詰める。


「さすがは、“リーディス最強の騎士”と謳われただけのことはある。その美しい太刀筋、攻めの流れ――かつてのあなたと寸分違わない。……いや、あの魔族大戦を経て、むしろ荒々しさを増したかもしれませんね」


「……お前だって、悪くない。長き騎士団の歴史が積み上げてきた“正統”の剣技――たしかに、お前の動きには、それがしっかりと染みついている」


 ヴォルフの低い声が響き、ステファンの眉がわずかに動く。口の端に、挑む色。


「それは――あなたとて同じこと。ヴォルフ・レッテンビヒラー。騎士団指南役、アンドレアス・レッテンビヒラー男爵のご子息にして、随行騎士選抜戦の勝者。その剣技は、我々騎士が理想とする“完成形”だと、今も語り継がれております」


 だがヴォルフはどこか腑に落ちない様子で首をひねる。


「……ほう。そいつはすごい。しかし、おかしいな。俺の軍務記録には、選抜戦なんて記述は見当たらなかったが?」


「はぐらかすおつもりですか? 先ほども、私の顔も名前も――まるでご存じないといったご様子でしたが……。

 かつてのあなたは、もっと毅然としておられた。それでいて、決して優しさを失わない、“理想の騎士”であらせられたはずです。なのに今は、騎士団をまるで愚弄するような言動ばかり。――いったい、どういうおつもりですか?」


 静かな語気のまま放たれた疑念に、ヴォルフは木剣を軽く握り直し、視線を少しそらす。


「――そうか。……そいつは、すまなかった。

 だが、俺は“現実”を口にしただけだ。あいにく――熱意や理想だけでは、魔獣にも魔族にも通用しない。俺は、地獄みたいな戦場で戦ってきた。仲間が手負いになり、血を流しながら倒れていくのを、嫌というほど見てきた。 

 だからな……口先の綺麗ごとは、通じないと思っている」


「……あなたは、その“現実”を目の当たりにしたことで――“変わって”しまわれた、ということなのですね?」


 見えない火花が散る。ステファンの横顔を見つめると、胸がちくりと痛む。


 私は、メービスではなく、未来から来た“ミツル”。そして彼もまた、“ヴォルフ”ではなく――“ヴィル”の意識を宿している。私たちは、上書きされた存在。

 だからこそ、ステファンには見えない。かつて“ヴィルが見た地獄”は、彼の瞳には、何ひとつ映らない。


 柵にかけた手が、無意識に唇の痛みを呼ぶほど強くなる。


 たしかに、ヴィルの挑発は、ステファンが言う「昔の人格者」とは乖離している。その矛盾こそが、ふたりの因縁を複雑にしているのだろう。


「……殿下、ステファン。続けていただいてよろしいですか? 皆が見守っております」


 司令官の毅然とした声。ふたりは距離を詰め、木剣を構え直す。ステファンが深く息をして、一気に踏み込んだ――。


 踏み込みのたび砂が小さく鳴り、靴底が薄氷をさらう。強い打撃が木剣同士を震わせるたび、肋の内側で拍がひとつ外れ、柵を握る指先が白む。


 荒々しい動作と怒気が渦を巻き、騎士たちは肩をこわばらせて見つめ合う。


 私は柵に縋るようにして、その光景を見守る。


 ――ヴィルは正体を暴かれぬよう、あえて“本気の剣”を封じている。騎士団で身につけた正統剣技で応じている。


 それでも隙らしい隙を見せずステファンを翻弄する姿は、私の知る“ヴィル”とも、彼らが語る“ヴォルフ”とも違う――より冷徹な剣士に見えた。


 やがて大きく息を吐いたステファンが、木剣を胸の高さへ構え直し、静かに言い放つ。


「――やっと身体が温まりました。では、そろそろ本気でいかせていただきます。お覚悟はよろしいか、ヴォルフ殿下」


 ヴォルフは唇の端をわずかに吊り上げ、木剣を軽く回して応じる。


「よかろう。……見せてみるがいい」


 周囲の騎士たちが一斉に息を呑む。舌の裏に薄い鉄の味が滲み、喉が乾く。私はごくりと嚥下し、柵を握る手に力を込める。

 ここから先は探り合いではない――抑えていたものを解き放つ、猛攻の応酬になるかもしれない。


 ステファンは静かに目を閉じ、ひとつ深く息を吸い込む。瞳を開いたときには、礼儀を越えた純粋な闘志が宿っていた。


「貴殿もご存じでしょう、リーディス騎士団に連綿と受け継がれてきた“神槍連斬しんそうれんざん”……。本来は槍の奥義を剣術へ応用した、連撃の極みと呼ばれる剣技です」


 言葉の余白を断ち切るように、ステファンが一瞬で間合いを詰め、鋭い連撃を繰り出す。


 斬り上げ、横薙ぎ、踏み込み突き――連鎖する動きが滑らかに繋がり、止まらぬ水流のように攻めが重なる。左足の送りで体重を抜き、槍譜の間合いを剣へ写す。


 剣の軌道がいくつもの曲線を描き、視界を切り裂くようにヴォルフを狙う――「神槍連斬」の名に恥じぬ鮮やかな連続剣技。


 私は息を詰めた。まさに騎士団の伝統として守り抜かれた剣技――完成された流れだ。


 だが、そのすべてはヴォルフの不可思議な動きにいなされていく。彼が一歩退けば斬撃は空を切り、もう一歩踏み込めば、くるりと身を翻すようにかわされる。


 そのたびヴォルフは木剣を回転させ、剣筋を外へそらす。手首を内へ半寸返し、刃の腹で受け、右足母趾球を軸に半歩だけ回す。斬筋は円の外縁へ逃げていく。


「……あれは……!」


 胸の奥で息を呑み、柵を掴む手に自然と力がこもる。


 ヴォルフの回転剣技は滑らかで巧妙だ。円の内と外を自在に行き来し、ステファンの猛攻をそらしていくさまは、冷たい優美を纏った舞踏のように見えた。

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