見守る眼差し
カテリーナとシンシアによって、それまで重く垂れ込めていた閉塞が、春先の風に裾を撫でられるみたいにほどけた。長い不安の日々、ただ待つしかなかった私には、彼女たちの到来が細い希望の光になり、強張った心をゆっくり解いていく。
部屋に漂う静かな緊張の中、それは暗がりで迷う足元に伸びる一本の光の糸のようだった。混迷の渦に呑まれかけた私へ、そっと進路を示す確かな指針。窓硝子を撫でる冷気と、衣擦れの音が、言葉の重さを際立たせる。
カテリーナは静かに口を開く。だが、その声は室内の空気をきりりと締める強さを帯びていた。
「さて、あんたがこれから謁見する王様についての情報だ。
現王の名はロイドフェリク。五年前に即位したけれど、実際にはそれ以前から皇太子として国の舵を握っていた。でも、その性格と言ったら……狭量で、融通が利かないことで有名でね。先代の王と比べられるたびに、それが余計に浮き彫りになる」
淡々とした調子が、絹を裂くみたいに胸へ届く。言葉の奥に、この国の現実へ向けられた長い諦念が薄く沈んでいた。
「短気で、目先の利益や体面ばかりを気にしている。それがどれだけ国政を歪ませているかなんて、想像に難くないわ。そして――肝心の国家運営に至っては、宰相にほとんど丸投げといっていい。自分の権威と影響力だけを保とうとして、実務を他人任せにしているのさ」
彼女は一瞬だけ目を伏せる。まぶたの陰に、冷静な観察者の光がかすかに揺れ、言葉へさらに骨を通す。
「要するに、一番上に立つ者が無能かつ無責任。それをいいことに、欲深い連中が好き放題というわけよ」
唇の端に浮いた微笑は皮肉に見えたが、そこには哀れみの温度も混ざる。輪郭はいっそう鮮明になる。
「堅実な治世なんて名目は立派だけれど、実際には息が詰まるような堅苦しい政策ばかり。先代の王が築いた柔軟で穏やかな国の良さは、もうすっかり失われてしまったよ。規制は厳しくなる一方、租税も上がるばかり。市場の出店許可すら貴族や役人への賄賂次第だなんて……歯止めなんて、もうどこにもないわ」
指先に伝う木机の冷え。その冷えが、そのまま現実の温度として掌に染みた。
脇で聞いていたシンシアは、そっと顔を伏せる。肩がわずかに震え、抑えた息が浅く揺れた。言葉より雄弁な、その小さな動き。
「ローベルトの旦那がいくら軍で尽力したって、貴族派が幅を利かせてるようじゃ、根本的な解決にはならないだろうね」
視線を落としたまま、カテリーナは続ける。声の芯は静かだが、重みが床板に沈んだ。
「だからって、平民派を率いてクーデターなんて強硬手段に出たところで、列強の干渉を招く危険がある。穏便に政権移行を図るには、王族の中から新たな象徴を立てるしかないわけだ。
ところが貴族たちは皆、宰相の側についてるからね。その壁を崩すには、相当の覚悟と策と、何らかのでかい力、あるいはきっかけが必要になる」
重苦しい気配が一度、部屋の隅に溜まる。けれど彼女の声には、ごく薄い救いが潜んでいた。導こうとする意志の温度が、肌に触れる。
「……この国に来て、毎日が楽しかった。でも、私ったら表向きの豊かさと華やかさにしか目が行ってなくて、その裏に潜む闇なんて、全然見えていなかったんだね……」
私の吐く息が白くほどける。自分の浅さが、喉の奥で少し軋んだ。
「そう言いなさんな。問題意識は大事だけれど、あんたが思い悩むことじゃない」
低く、乾いた慰め。叱咤と労りのあいだの温度で、胸の強張りが少し緩む。
「でも……私はこの国が好き。だって、母さまの故郷なんだから。同じ空や海を見て、同じ風を浴びて、それを強く感じた。だから、他人事では済まされない」
窓外の明るみがわずかに増し、薄雲の向こうで陽が動いた気配がする。
「あんたは優しいね」
短いひと言が、温度を持って沈み、心の内壁をやわらかく打つ。
「でも、私は王族でもないし、象徴なんかにはなれやしない。でも、もしそんな人が現れたなら……なんだっていいから、力になりたい。私一人は小さいけれど、シンシアが言ったみたいに、それは無駄ではないと思うから」
「ええ、そうね。それがあんたのいいところだわ」
カテリーナは薄く笑い、のぞき込むように私の顔を見た。視線に含まれた頼もしさが、背筋のこわばりを溶かす。
「私たちは私たちにできることをやるしかない。あんたは、差し当たり、まずは王と様との謁見だね。覚悟はできているかい?」
肺の奥まで空気を満たし、頷く。自分を奮い立たせる言葉が、胸の内で静かに形になる。
「もちろんよ。私は真正面から向き合うつもり。正々堂々とね」
「それでこそ、あんただ。私は何も心配してないよ。やりたいようにやりな」
ひと言ごとに、笑みの気配が混じる。軽さではなく、信頼の温度。
「ありがとう、カテリーナ」
声に感謝がにじむ。指先から肩へ、熱がゆっくり広がった。
「あなたが陰でどれだけ支えてくれたか、私は全てを知らないけれど、それでも……本当に助けられたわ。感謝してる」
彼女は肩をすくめ、照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「そんなの、どうだっていいってことさ。私はただの情報屋だ。その役回りをこなしただけだからね」
少しだけ声が低くなる。
「あんたも、自分にしかできない役回りをきっちりやればいい。簡単なことじゃないけど、あんたならきっとできる」
言葉の芯の確かさに、頬がゆるむ。
「ふふ、そうね」
ふと、彼の顔が脳裏に射す。
「ところで、ヴィルは今どうしてるのかしら? 一言お礼を言いたかったのに」
カテリーナは目を細め、いたずらを隠すように口元を引き結んだ。
「さてね。そいつは私も知らないよ。なにせ、あれから一度も家に戻ってないんだからね」
わざとらしい溜息。
「ほんと、ミツルを一人っきりにして、どこに雲隠れしてるのやら」
「そう……なの?」
思わず眉が寄る。期待とは違う答えに、胸の温度がわずかに揺れた。
「まあ、あいつのことだ。きっとどこからか、あんたのことを窺ってるに違いない」
「窺ってる……? ここを? ええっ? 嘘でしょ?」
胸の奥がそわそわと落ち着かない。言葉が浮いて、足元の感覚が少し遠のく。
「馬鹿か、あんたは。どこの変質者だってんだよ。覗き見なんてできるわけないじゃん」
「あ……」
「そういう意味じゃないよ。どうせあいつのことだ、どこかしらに紛れ込んでるに決まってるさ。あるいは、ローベルトの旦那と結託して、何か企んでるかもね」
「そうか……」
彼の名を胸の内で反芻する。今どこで何をしているのか、わからない。けれど、どこかで見守っているという確信に近い感覚が、揺れていた心をゆっくり落ち着かせた。
不器用な言葉も、背に宿る静かな温さも、私にとっては特別だ。叱る手前で止まる優しさ、強要せず、選ぶ自由を私に残す眼差し。それらがどれほど力になるか、身に沁みて知っている。
――これって、奇跡に近いのかもしれない。
茉凛との出会いを奇跡と呼べたのは、彼女が私の孤独を埋め、私を私のままにしてくれたから。そして今、ヴィルへ向かう感情の温度が、それと響き合っていると気づく。
恋とも友情とも言い切れない、もっと根源に近いもの。存在するだけで支えになり、歩幅を整えてくれる光。
彼がいる。それが私の道を照らす、小さくて確かな灯りだ。どれほど不安が押し寄せても、その灯りを頼りに、私は何度でも立ち上がれる。
――ありがとう、ヴィル。
心の中で小さく告げ、深く息を吸う。肺の奥が冷たく満たされ、背筋がひとつ伸びた。胸に新しい覚悟の形が生まれるのを確かめながら、私は次の一歩へ足を向けた。
ミツルの心理分析
性格
ミツルは、一見すると冷静で内向的な印象を与えるものの、内面では感受性が強く、繊細な感情を抱えている少女です。彼女は幼い頃から孤独感に苛まれており、それを補うために他者とのつながりを非常に大切にしています。また、自分の置かれた状況や責任に対して非常に真面目で、強い意志を持ちながらも、自分の弱さや葛藤を正直に受け止める柔軟さもあります。
彼女の性格には「謙虚さ」と「思慮深さ」が根付いており、自分一人の力ではどうにもならない状況に対しても、他者との協力をいとわない姿勢を持っています。反面、自分に対する過剰な責任感が時に重荷となり、他者に頼ることをためらう傾向も見受けられます。
精神年齢
ミツルの精神年齢は実年齢よりも高く、特に前世の記憶が影響しているため、彼女の思考や価値観は成熟しています。しかし、それは彼女の中にある「少女としての純粋さ」を失わせるものではなく、内に秘めた幼さや脆さが場面によって垣間見えます。このアンバランスさが、彼女の心理描写において独特の魅力を生み出しています。前世の経験による大人びた一面と、今生での無邪気さや夢見がちな側面が共存しており、これが彼女の成長物語の核ともいえるでしょう。
嗜好
ミツルは美しいものや穏やかな時間を好む傾向があります。自然の中に身を置くことや、母の故郷で感じた風景などが、彼女にとっての安らぎをもたらすものとなっています。また、文化や芸術にも興味を示す部分があり、人間関係では相手の内面にある真摯さや優しさに強く惹かれる傾向があります。
同時に、彼女は実利的な選択肢にも抵抗がなく、合理的な判断を下す場面では、情よりも理を優先する一面も持ち合わせています。これは、彼女が「生き抜くための冷静さ」を身につけていることの証です。
好きなタイプ
ミツルが好む人物像は、彼女の「孤独を和らげ、安心感を与えてくれる存在」です。具体的には、ヴィルや茉凛のように、彼女を無条件に受け入れつつ、自分の意思を尊重し、そっと支えてくれる人がその典型と言えるでしょう。また、彼女は言葉だけでなく行動で示される誠実さに強く惹かれます。相手の生き方や信念が彼女の心を動かし、内面的な強さや柔らかな優しさを持つ人が特に魅力的に映るのです。
総評
ミツルは、自分自身の孤独や不安に正直であると同時に、それを乗り越えようとする強さを持っています。彼女の性格や精神的な成長は、他者との関わりによって大きく影響を受け、その中で「特別な存在」に対する深い感謝と信頼を育んでいきます。彼女の物語は、そうした人間関係を通じて自己を確立し、前に進む姿を描くものであり、その心理は非常に多層的で豊かなものです。