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馬車の闇に響く黒き翼の啼き声

「ふっ……どうした? さっきの威勢はどこへ行った?」


 髭面の口端がいら立ちに小さく歪む。私は視線だけを浮かべ、まぶたの陰で気配を読む。返せば合図になる。沈黙で間合いを凍らせるしかない。


「そちらこそ。私を並みの魔術師と思わないことね。炎や水だけにこだわる必要はないの。複数の属性を同時に扱える──それが私の真髄なんだから」


 息を細く吐き、足裏へ意識を落とす。車輪の真下にひろがる“地”の重みが、板越しに掌へじんと伝わる。〈場裏・赤〉に注いでいた集中をわずかに解き、掌の“殻”へ残効だけ封じ、能動は〈場裏・黄〉へ切り替える。見える層は二重でも、動かすのは黄だけ。火は殻の奥で眠らせる。


 同時運用は負荷を跳ね上げる。だが、この一手なしに解はない。


「場裏・黄、地棘突グラウンドスパイク……」


 名を落とすと、床下で地がわずかにざわめく。外では馬が嘶き、幌の向こうで御者の怒声が裂ける。男たちの目が戸惑いで揺れ――瞬きの間に消えた。


 どすん。底から突き上げる衝撃。車輪が跳ね、湿った板がきしむ。油と埃の匂いが立ち、二人の足首が固く止まる。


 私は背中で木箱の角を受け、重心だけを滑らせて揺れを逃す。本気で刺せば岩柱が床を貫く。喉の奥で乾く未来図を奥歯で砕き、圧を均して“逃がし道”を確保する。


「お、おい……今、何しやがった!?」


 髭面の声が震え、痩せは汗ばむ掌で短剣の柄を握り直す。狭い箱は揺さぶられ、私の掌には火の脈。攻勢の合図を、恐れが押し殺している。


 突き上げの重圧がわずかに引き、夜の静けさが戻る――表面だけ。〈場裏・黄〉はまだ床下で息を潜める。呼吸を薄く整え、次の脈をいつでも解ける位置で止める。幌布が寒風で擦れ、金具が乾いた音で応える。


「おい、答えろ。お前一体何をした……!?」


 髭面の喉は乾き、擦れる。痩せは突きを狙いながら、足場の揺れに腰が落ちる。大柄は“それだけは渡さない”と言わんばかりに鞘を両腕で抱き、額に粒の汗を浮かべた。


 床下の振動が深く太くなり、冷えが板を這い上がる。三人の呼吸が空気を重くする。


「怖いの? 私だって、こんな乱暴な手段は取りたくないわ。あなたたちが素直に諦めて、その剣を返してくれるなら……何も起こらずに済むのだけどね」


 落とした声に、二人の頬がこわばる。地鳴りをようやく現実として呑み込み始めた顔だ。〈場裏・黄〉は大味で強い――曽良木新十郎の流儀。本気で突かせば、馬車は転げる。


――リスクは承知。


 茉凜を取り戻す。それが今の私のすべて。


 御者が異変に気づいたのか、速度が落ちる気配。止まる前に、決める。〈場裏・赤〉は胸で火種に押さえ、〈場裏・黄〉は足裏から大地へ鼓動を送り続ける。二重の負荷がこめかみの裏でうるさい。それでも引けば、すべて空になる。


「くっ……まだ何か企んでやがる……!」


 痩せの声には怒りと恐怖。三人は柱や壁を掴み、体勢を繋ぎ止める。


――馬車は、いつ止まってもおかしくない。


 止まることが安全とは限らない。蜘蛛の糸を歩く足裏に、白い鞘の塗りがちらつく。私は圧を一段強めた。時間は、こちらにない。


「……こんな状況で火の魔術を保ち、同時に地を揺るがすなんて芸当――聞いたこともねえよ! 一体何者なんだ……お前は……!」


 鼓動が耳の奥で太く鳴る。退路はない。だから、名を置く。


「いいわ、教えてあげる……。私の名はミツル。閃光の騎士ユベル・グロンダイルと精霊の巫女メイレアの間に生まれた。そして――深淵の黒鶴を操る精霊魔術師よ」


 喉の芯に自分の名がすとんと落ちる。目の奥で、何かが定位置に戻る。


「ユベルって、あの閃光の!?」


「誘拐されたメイレア王女の、娘!? マジかよ……グロンダイルってのは、そういうことだったのか!?」


 名を告げた刹那、荷台の空気が沈む。刃の先で汗が一滴、つっと滑り、幌布が小さく鳴った。


「精霊……魔術だと!? ば、ばかな! そんなもの、おとぎ話の類いだろうが……!」


 罵声の縁に怯えが混ざる。剣先の震えは隠しきれない。


「信じられないのは当然でしょうね。じゃあ……続けさせてもらうわ」


 冷ややかに響いた自分の声に、吐息の白さが薄く重なる。荷台の底で〈場裏・黄〉がまた揺れ、車輪がどすんと傾いだ。梁が悲鳴めいて軋み、震えが背骨を伝う。


 嫌な音ののち、床板に細い亀裂がぱきりと走る。髭面が本能で足を引いた。まだ穿たれてはいない――大地の岩片が底を押し上げているだけ。それでも、そのうねりは“地棘”の予兆。もう一押しで、尖った岩柱が板を貫くかもしれない。


 この衝撃の危うさは、誰よりも私が知っている。けれど、止まらない。肺の奥へ冷たい空気を満たし、見えない先の一点を描く。油と埃が喉に張りつき、舌の縁に鉄の味。


「くそっ……! 本気でやる気か、こいつ……!」


「ふざけんな、死にたいのかよ!?」


 荒い息の隙間を罵声が裂く。意識が一分でも乱れれば制御は崩れ、私自身が巻き込まれる――分かっている。分かったうえで、それでも怯めない。茉凜に届くには、ここで賭けるしかない。これが、人生を賭けた最後の手札。


 大柄が険しい面持ちで鞘を一瞥する。状況は破綻寸前。彼らだって無事では済まないはずなのに、その眼に降参の色はない。憎悪と焦りが混ざり、研がれた殺気が肌を粟立たせた。


「こうなったらもう、叩き伏せるしかねえ。依頼主には悪いが、無傷とはいかねぇな!」


 吠えると同時に鞘を左腕へ抱え、巨体に似合う拳が振り下ろされる。狭い荷台でも、質量は刃だ。私は反射で腰を落とし、紙一重で躱す。直後、背の木箱が轟音で砕け、鋭い破片が耳元を掠めて風を裂く。火の粉みたいな木屑が頬へ刺さった。


「っ……危ない……!」


 浅い痛みとともに、温い血が頬を伝う。心臓がどくりと跳ねる。退こうにも髭面が壁のように塞ぎ、痩せは短剣を逆手に構えて詰める。油の匂いが濃く、汗の塩気が鼻を刺す。ここで手を緩める余地はない。


 絶対に、茉凜を取り戻す。その一念だけが四肢を支えている。


 私は〈場裏・赤〉を起こそうと意識を切り替える。だが、黄の揺れを落とし切れていない指先に“地”の余韻が絡み、火の立ち上がりが鈍る。一拍の遅れ――痩せの突きが肩先を掠めかけた瞬間、馬車そのものがぐらりと揺れた。板が鳴り、彼自身が足を取られて前へ躓く。


「ちっ……また揺れやがった! どうなってんだ!」


 御者が手綱を強く引いたのだろう。前輪の甲高い悲鳴が鼓膜を刺し、馬の嘶きが隙間から吹き込む。荷台の空気が前へ押し出され、私たちはまとめて弾かれた。私は砕けた木箱の縁を掴んで転倒を免れ、痩せの刃は虚空を切る。髭面と大柄の二人も、柱にしがみついてようやく踏みとどまった。


 赤はまだ“起こさない”。黄の波を静め、次の一撃に必要な一点だけ――呼吸と鼓動を揃え、視界の端で揺れる灯の色まで計算に入れる。熱を欲しがる掌の裏で、床の震えが微かに落ちていく。


――好機。


 体勢が戻る前の刹那。減速。外は近い。問題は白い鞘。大柄の両腕。


 正面は膂力で負ける。拳が先に来る。だが、奪わずには終われない。


――腹を括る。


 〈場裏・黄〉をもう一度だけ底から呼ぶ。床下の棘をわずかに突かせ、意識と視線を散らす。隙が生まれるなら、その一拍で奪う。危険は承知。猶予はない。


 揺れる箱で細工の時間はない。奥歯を噛み、足裏から地へ祈りを落とす。


「……何度も言わせないで。剣を返して。そうすれば、ここであなたたちを殺す必要だってなくなるのよ」


 鉄の味が唇に滲む。肩で息を刻みながら、大柄の瞳孔の開きをまっすぐ射抜く。疲労は見える。だが契約か意地か、執念が光を呑み込んでいる。


「誰が……渡すもんかよ……!」


 唾が飛ぶ。私は火球を一気に突き出し、視界の中心を眩ませる。男の上体が反る。その隙に足で床を叩く――ばき、と亀裂。〈場裏・黄〉が底をこじ開ける。


「お、おい! 本気で馬車ごとブチ壊す気かよ!? さすがにまずいぞ」


 髭面が悲鳴じみる。木がきしみ、底の冷えが足下を揺らす。痩せの顔色が抜け、短剣が下がる。


 逃げ道はない。私はぐらつく床を踏みしめ、炎の明滅で薄闇を満たす。怯えるのは、どちらか。


「なら、さっさと降参しなさい!」


 暴発は覚悟のうち。外からいななきと怒鳴り声。箱が大きく跳ね、片膝が板に落ちる。視線だけは外さない。白い鞘が、赤の明滅を微かに映す。


「……ぐっ、こいつ、なんてしぶとさだ……!」


 大柄が歯を食いしばる。負荷の術を絶やさない私への苛立ちが声になって零れる。私は、退かない。


 床の亀裂が口を開き、車輪の下から岩の棘が顔を出す。車体が斜めに沈む。動けば床は抜ける。安全は、もうない。


「わかった……わかったから、もうやめろ! その怪しい魔術を止めてくれ……!」


 痩せが短剣を投げ捨てた。壁にしがみつく頬は恐怖と諦念で固まり、髭面は唇を噛んで声を呑む。


 ただ一人、大柄だけが拒む。汗に濡れた前髪を跳ね上げ、鞘を胸に抱いたまま、険しい目だけが鋭い。


「……くそっ、誰がお前なんかに、屈するものか……!」


 執念の色に喉が冷える。


 大柄が鞘を床に乱雑に置き、両拳を振りかぶる。最後の突撃。まともには受けられない。反射で極小の〈場裏・白〉を呼び、頭の内側で大気炸裂エアバーストを組む。間に合わせる――足裏からの〈場裏・黄〉を刹那だけ断ち、白へ転換。


 その時、馬車が大きく跳ね、視界が歪む。大柄の軌道が崩れ、こちらへ乱暴に流れて――


「ぎゃああっ!」


 大地を抉るような衝撃。幌越しの揺れが背骨を貫き、嘶きが裂ける。ぶつかった何かの鈍い手応えに、心臓が跳ね上がった。


 最悪のタイミング。術の展開と拳の一撃、その刹那の停車。


 私はそこで、時間を使いすぎたと悟る。


――ああ、なんて皮肉なのだろう。


 あれほど忘れ去っていたはずの“黒鶴の呪い”が、私を蝕みはじめるなんて。底冷えする嫌悪が深海の闇から這い上がるように、ゆっくり、容赦なく意識を浸す。


 力を使うほど、背後で待ち構えていた代償が姿を見せる。そう、呪い。デルワーズに刻まれた因子という宿命。底なしの精霊子の器である私の大脳辺縁系は、過剰な集中の負荷に耐えきれず、もう縁を踏んでいた。


――やっぱり、来てしまった。


 転がる床で身体が流れ、突き飛ばされた鞘と、大柄の歪んだ顔が斜めに入る。呼吸を整えようとしても、黒鶴の圧が巨大な掌のように思考を押し潰す。


 圧は心臓を締め、視界を赤く染める。鼓膜の奥で細い耳鳴りが伸び、視野の縁が墨のように欠けていく。焦燥が背を灼き、悔しさと孤独が胸を締め上げる。虚無は波のように押し寄せ、抑え込んだ負の記憶が、深い闇の底へ私を引きずる。抗う力は、ほとんど残っていない。


――嫌。こんなの、絶対に嫌。


「どうして……? 私、やっとここまで来たのに、どうして……」


 深淵に飲み込まれて、このまま破壊の権化――本物の化け物になるのだろうか。もう二度と、茉凜の無邪気な声を聞けないのだろうか。


 最悪の渦に呑まれかけた内側に、ふっと浮かぶ。不器用で、どこまでもやさしいヴィルの笑顔。夜の星みたいな青が細い光を放ち、乱れた呼吸の奥へ届く。


――ごめん、ヴィル……。


 どれほど底へ引かれても、その光へ手を伸ばす。けれど恐怖と痛みが蔦のように足元へ絡みつき、離れない。


「ヴィル……私もう戻れない。私が悪いの。あなたが必要だって、ほんとうはわかっていたはずのに……勝手に先走って、こんなことに……ごめんなさい……」


 いまさら言葉にしてもどうにもならない。追いつけない後悔だけが渦を巻き、熱と冷えが交互にせり上がる。


1. シーンの概要

 このシーンは、主人公であるミツルが、自身の宿命と“黒鶴の呪い”に苛まれながらも、奪還すべき“マウザーグレイル”を取り戻そうと奮闘する、まさに極限状態の描写が見どころとなっています。彼女は複数の属性魔術を同時に扱うという常識外れの技を駆使し、敵の一味に包囲された荷馬車の中で、一瞬の隙を突いて剣を奪還しようと試みます。


 物語の進行につれ、敵との肉体的・魔術的な駆け引きだけでなく、彼女自身が抱える呪いの発現という内面的葛藤が激化していくことで、強烈な緊迫感を与える構成になっています。


2. キャラクターの心理描写

恐怖と焦り

危険な賭けとしての地棘突グラウンドスパイク

 荷馬車ごと破壊しかねない術を発動させるのは、自分自身を含め大きなリスクを伴います。それでもミツルは「ここで退けば茉凛は取り戻せない」という切羽詰まった状況に追い込まれているため、強い恐れを抱きながらも敢行せざるを得ません。


“殺したくない”という葛藤

 彼女は敵を無益に殺傷することを避けたいと思っているため、できるだけ相手を威圧し、隙をつくって剣を取り戻したいと考えます。しかし、それがうまくいかないもどかしさが、彼女をより緊張と焦燥の淵へ追いやっていきます。


使命感や決意

茉凛への想いが行動を後押し

 ミツルがここまで危険を承知で戦うのは、奪還すべき“マウザーグレイル”に宿る茉凛の存在が何よりも大きいからです。いわば「命を懸けても守りたい、取り戻したい」という意志が、彼女をこの熾烈な局面へと突き動かしています。


周囲の容赦ない攻撃

 使命感が強まるほどに魔術への依存が大きくなり、結果的に荷馬車や敵たちへの“容赦ない攻撃”になってしまう。そのジレンマも、彼女が抱く切なさや覚悟をより色濃く際立たせていると言えます。


闇に引きずり込まれる恐怖

“黒鶴の呪い”の活性化

 多属性の精霊魔術を立て続けに行使することで、“黒鶴の呪い”が頭をもたげ始めます。これはミツルの大脳辺縁系を侵食する形で、負の感情を増幅し、視界や思考を赤黒く染め上げていく恐ろしい力です。


化け物になるかもしれない恐怖

 普通の魔術師とはまるで異なる“規格外”の能力ゆえの代償として、自分自身が取り返しのつかない存在へと変容してしまうのではないか――という恐れが、彼女の心を深く蝕んでいきます。


3. アクションと魔術描写

狭い荷馬車での死闘

密室性による緊張感

 馬車の中は空間が限られているため、魔術を大きく振るうことすら危険と隣合わせです。地面を揺るがせば馬車が転覆しかねないし、火球を制御し損ねれば自分や相手を焼く可能性もあります。この“やりたくてもやれない”窮屈さが、シーン全体の緊張感を一層高めています。


予測不能な揺れと急停止

 御者が馬を急停止させたり、岩柱が車輪を持ち上げたりする度に、足元が崩れ、敵味方ともども攻撃のタイミングを狂わされます。こうした偶発的要素が絡み合うことで、“計算通りに行かない乱戦”の臨場感が描かれています。


複数属性の同時行使

無詠唱・無遅延の特異性

 ミツルは炎・地・風といった属性をほぼ同時に、しかも詠唱やディレイ(遅延)なしで使いこなしています。これは通常の魔術師には到底真似できない特殊な才覚であり、まさに“精霊魔術の化身”とも言うべき存在であることを強く印象づけます。


高い技量と大きな代償

 この天賦の才は誇りであると同時に呪縛でもあります。力を使えば使うほど、黒鶴の呪いが深く浸透するという“二律背反”を抱えていることが、物語の悲劇性を際立たせています。


4. 敵対者たちの動向と対比

三人の男たちの立ち位置

髭面の男・痩せ男・大柄な男

 依頼主の求めに応じて便利屋として暗躍している彼ら。しかしながら、本質的には殺し屋ではないため、無駄な流血を避けたいという思いも持っています。短剣や拳は脅しの手段であり、依頼対象を“なるべく五体満足”で引き渡すことが、彼らにとって利益につながるからです。


大柄な男の執念

 その中でも、大柄な男は最後まで剣を手放そうとしません。依頼主との契約か、自身の誇りか、とにかく“絶対に譲りたくない”という狂気じみた執念を見せ、ミツルとの“譲れないもの対決”を象徴する存在となっています。


恐怖と焦燥が彼らを抑え込む

地棘突や火球の脅威

 ミツルが次にどんな術を繰り出すかわからない、しかも爆発すれば彼ら自身も巻き込まれる。こうした一触即発の状況が、痩せ男や髭面の男を一歩踏み出せない恐怖へと追い込んでいきます。


契約VS命

 彼らも命あっての仕事。ほんの一瞬でも命を落としかねないと察したとき、痩せ男は短剣を放り投げて降参しかけます。けれども、大柄な男だけは執念を捨てられず、瀬戸際でのせめぎ合いがより混沌を増幅させています。


5. 背景にある“黒鶴の呪い”

精霊魔術とデルワーズ因子

規格外の感受性と容量

 ミツルの脳はリミッターのない精霊族因子を受け継いでおり、過剰な精霊子の流入に耐えきれず悲鳴を上げ始めています。通常の巫女や騎士のような“システム”では対処できない領域を既に超えているのです。


マウザーグレイルの存在

 マウザーグレイルは本来、ミツルにとって“補機”として機能し、呪いの負荷を軽減する“安全装置”の役割を持っています。つまり、剣を奪われている今こそ、彼女は最も呪いに飲み込まれやすい状態にあるわけです。


逸脱した存在としての“デルワーズの再来”

従来の“巫女と騎士”の枠を外れた力

 ミツルの母は精霊の巫女であり、父は騎士ユベル・グロンダイル。しかし、彼女が持つ“深淵の黒鶴”の力は、それまでの巫女や騎士が備えていたものとは大きく異なる、デルワーズそのものです。


なぜこの時代に現れたのか

 物語の核心であり、今後の展開で明かされるかもしれない謎の一端がここにある。彼女の誕生によって、失われていた“デルワーズ”の血統が再び動き出したのか――それが何をもたらすのか、期待と不安を抱き続けることになります。


6. ヴィルの存在と“光”

変化する心象風景

茉凛からヴィルへ

これまでミツルは茉凛のことを最優先に想ってきたはずが、絶望の淵で浮かんだのはヴィルの笑顔。これはミツルの深層心理が、無意識のうちに「頼りたい・助けてほしい」という心の声を発しているようにも受け取れます。


12歳のミツル、21歳の美鶴

 彼女が内に秘めている多面的な存在(過去の自分、現在の自分)のどちらがヴィルを必要としているのか、あるいは両方なのか――その点はまだ明らかではありませんが、いずれにしてもヴィルが大きな支えになる可能性を示唆する場面です。


闇の中に差す一筋の光

唯一の救い

 もう後戻りできないほど追い詰められたとき、人は最後に“誰かを想う気持ち”を掴むことがあります。ミツルにとってヴィルは、そんな暗闇を切り裂く星明かりのような存在。孤独と後悔 心の奥底にしまい込んでいた「あなたが必要だった」という本音を、今さらながらに噛みしめている。素直になれなかった自分への後悔が、呪いに飲み込まれそうな今だからこそ、切実に突き刺さるのです。


7. 物語の行方

暴走か救済か、それとも……

現段階では、ミツルが呪いに完全に支配され、化け物と化してしまうのか、または誰かの介入によって光へと導かれるのか、予測がつきません。読者としては、彼女がどちらへ進むにしろ、辛くも危うい瀬戸際を見守るしかない状況です。


8. 総括

 このシーンは、魔術的なアクションと精神的な葛藤が同時に最高潮へ達する、いわば作品全体の“転機”を感じさせる重要な場面と言えます。馬車内という密室での密度の濃い戦闘描写と、ミツル自身が抱える呪いの発露が重なり合い、一気に物語の核心へと引き込みます。


二重の圧迫:外界の脅威と内面の呪い

 車輪が砕け落ちそうな衝撃、男たちの執拗な攻撃、制御不能に陥りそうな魔術。それら“外的な危機”に加え、“黒鶴の呪い”という“内的な破滅”が進行するため、逃げ場のない緊迫感を生み出します。


人は極限状態で何を掴むのか

 命のやり取りの瀬戸際で、守りたいもの、譲れないものが浮き彫りにされる。ミツルは、破滅的な力に振り回されながらも、最後の最後に“誰かを想う”という微かな光を見いだします。それこそが、彼女の強さと弱さの両面を象徴しているのです。

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