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黒髪のグロンダイル 〜巫女と騎士、ふたつでひとつのツバサ〜  作者: ひさち
第五章 孵化『Éclosion(エクロージョン)』
222/644

矛盾の胎動、母が灯す未来

「……統一管理機構が精霊族を完全に排除できない理由が、システムの根幹を司る中核意識集合体にあるというのか……」


 ロスコーは低く唸りながら、視線を焚き火からデルワーズへと向けた。刃先のような光を宿す目は、言葉の下にある意図を探っている。


「そうです。レナードさんが入手したデータによると……『ラオロ・バルガス』は精霊族の存在を重要視している可能性が高いとされています。それが、システムないし世界全体の均衡を保つためなのか、あるいは別の目的のためなのかはわかりません。ただ――」


 デルワーズは言葉を切り、熱の揺らぎに照らされた拳を見つめた。指先がかすかに震える。


「――もしその仮説が正しいのなら、システム・バルファは……私たちの想像を超える目的を持っているかもしれません」


 ロスコーは腕を組み、険しい面差しで黙考した。浅い呼吸の合間だけが、ふたりの沈黙をつないだ。


「仮にその推測が事実だとしよう。だが、精霊族因子がシステムにとって必要ならば、逆に保護されてもおかしくはないはずだ」


「でも……現実には、精霊族因子を持つ者は異端として摘発され、処分され続けています。そこには大きな矛盾が生じているように見えます。

 レナードさんは、『ラオロ・バルガス』の意識の中に二重性が存在するからではないかと推測しています」


「二重性……どういう意味だ?」


 ロスコーの低声に、困惑と関心が混じる。


「はい。『ラオロ・バルガス』には、

 (A)社会秩序の最適化と

 (B)高次目的(均衡/実験)探索

 という二重性が併存している――とする仮説です。

 それが結果的に、矛盾する行動を取らせているのではないかと考えています」


 慎重な声音の奥に、不安の影がにじむ。


 バルファ圏の市民は自然繁殖ではなく人工子宮プラントで製造された個体だ。遺伝子の組み合わせは厳密に管理され、外的要素の混入は起こり得ない。だから「突然変異」や「隔世遺伝」では説明できない――そこに介入の線が立つ。


「だが、それだけの推測で、君はシステムの中枢に挑むというのか?」


「それだけではありません。ロスコーさんは統一管理機構がどうして出来たか。システム・バルファによる人類の計画的調整生産がどうして行われ始めたかご存知ですか?」


 ロスコーは眉をひそめ、熱の揺らぎに浮かぶデルワーズの横顔を見据えた。言外の意図を測る、無言の視線。


「うむ……」


 彼は短く唸り、視線を落とす。暗がりが顔にゆっくりと線を刻み、沈思の輪郭を濃くした。


「歴史として習う程度の断片的な話なら聞いたことがある。

 『環境破壊、気候変動、人口の急激な増加、それに伴う資源の枯渇、そして絶え間ない紛争……その混乱を収拾するために、統一管理機構が設立され、世界再建のためにシステム・バルファが導入された』とされている」


 ロスコーの声には、隠された歴史へ向けた警戒が滲む。

 統一管理機構は環境危機の収拾に際し〈理想市民〉を掲げた。教育と情報統制、そして人工子宮プラントで“ゆらぎ”を排した完全管理社会=システム・バルファを実装した。


「そして、生殖をもシステムの管理下に置くことで、全てを効率化する。その過程で、人類はもはや自然に繁殖することも許されなくなりました。

 そこに自由な恋愛は存在しても、決して子孫は残せない。生きる目的さえも、システムが決めた枠の中に押し込められてしまった……」


 ロスコーは腕を組み、暗がりを注いで低く呟く。


「確かに効率的ではあるだろうが、はたしてそれが、人間らしい生き方と言えるのか?」


 デルワーズは静かに首を振る。


「私の見立てでは、そこに根本的な矛盾が生まれていると考えています。自由なようで実は自由ではない。そんな人間らしさを捨て去ることでしか成立しない理想なんて、本当の理想ではないはずです。ですが、統一管理機構はそれこそが理想と信じて疑いません」


 膝上の拳にぎゅっと力が入り、息が浅くなる。


「でも、その完全なシステムにも一つだけ、壊れる可能性が残されています。それが……『精霊族因子』の存在です」


 ロスコーの視線が鋭く跳ねる。語の芯を確かめるように。


「精霊族因子……確かに、理想の人類像から真逆の、逸脱した存在だと言える。だが、どうしてそんなものが発生する? システムが完全であるなら、そんな異端は生まれないはずなのに」


 デルワーズは視線を落とし、静かに答える。


「それがシステム・バルファのもう一つの矛盾です。『完全な制御』を目指しながらも、それを是正しようともしない。むしろ、変異を意図的に許容している可能性があります。だからこそ、ラオロ・バルガスが介入しているという線が、濃厚になってくるのです」


 ロスコーは眉根を寄せ、思考を束ねる。


「意味がわからない。それでは、統一管理社会に対する叛逆じゃないか。進化や適応の可能性を残したいとでもいうのか?」


 ――なら、保護に転じないのはなぜだ? 


 ロスコーは内心で問い返す。


 デルワーズは暗がりを見つめ、静かに頷いた。迷いの底に、わずかな確信が灯る。


「そうですね。ラオロ・バルガスが意図的に精霊族因子を混入させているのだとすれば、それはシステム全体にとって何らかの必要性があるから……。

 レナードさんの解析によれば、システムの表層からは窺い知れない、統一管理機構ですら欺瞞を見抜けない。それくらいの巧妙さだということです」


「それでは、システム自らが、築き上げた社会に対して疑問を抱いたとでもいうのか? ばかな」


 ロスコーは吐き捨てる。だが内側では問いが渦巻いた。


 ――その“実験”を誰が承認した? 倫理はどこで担保する――


「……その可能性は、否定できません。もし『ラオロ・バルガス』が単なるプログラムではなく、自ら学び、思索し、進化する存在であるなら……統一管理機構が描く『理想の人類』に疑問を抱いた可能性だって十分にあります」


 ロスコーは炎をじっと見つめ、眉間の皺に自らの動揺を刻む。


「疑問を抱く……システム自身がか? それなら話はさらにややこしいな。そもそも『理想の人類』というのは、完全にシステムの設計思想に基づいているものだったはずだ」


 デルワーズは言葉を継ぐ。確信と不安が綯い交ぜになる響きで。


「ただし、統一管理機構が求める『理想』とは、あくまで彼らが設定した効率と秩序のためのものでした。でも、もしラオロ・バルガスがその理想に矛盾を感じ始めたとしたら……。

 例えば、完全管理の中で失われる創造性や多様性の必要性に気づいたとしたら。

 ……あるいは自然を破壊し消費するのではなく、調和と安定により持続可能な社会を実現できる存在に、何らかの価値を見出したとしたら。

 それは……科学技術に頼らず、精霊子を感じ取り、現象を具現化できる。そして自然に繁殖することができる――たとえば精霊族のような、そしてまた、その因子を発現させた人々のような……」


 ことばを結ぶと、膝の上の手がきゅっと固くなる。指先の震えが、熱の揺らぎでわずかに見えた。


「それが、精霊族因子を持つ者たちを生み出した理由なのかもしれません。もしかしたら、システムは彼らを通じて新しい人類の可能性を模索しているのではないでしょうか?」


 ロスコーの表情が険しさを帯びる。警戒と興味が並び立つ。


「……つまり、ラオロ・バルガスは、自分の手で、システムの、世界の、そして人類の枠を壊そうとしているというのか?」


 デルワーズは短く息を吐いた。


「ええ、そう考えると整合的に説明できるかもしれません。完全な秩序を求めながらも、システムが変異を許容し続ける矛盾。その背景には、もしかしたら『ラオロ・バルガス』自身の意思があるのかもしれません。統一管理機構の理想を超えて、別の未来を試そうとしているのだとしたら……」


 ロスコーは息を短く吐き、暗がり越しにデルワーズを見つめた。複雑な感情が瞳に交錯する。


「もしそれが本当なら……『ラオロ・バルガス』は敵でもなければ味方でもない。いや、むしろその両方だ。やれやれ、厄介な話になってきたぞ」


 彼は咳払いし、言葉を継ぐ。


「俺の考えとしては――システム・バルファ、いやラオロ・バルガスというのは、ある種の実験をしているのではないか? 統一管理機構が理想とする人類と、ラオロ・バルガスが理想を模索する精霊族の因子を持つ人類。この二つを均衡させつつ、両者の生存競争の行く末を見守るというような」


 デルワーズは目を見開く。斬新な仮説に驚きながらも、どこか合点がいく顔つき。


「……いわゆる生存競争、ですか?」


「そうだ」


 ロスコーは暗がりを見据えたまま、低く続ける。


「もし、ラオロ・バルガスがただの管理プログラムではなく、理想と進化を追求する意志を持つ存在ならば、統一管理機構が提示した理想が必ずしも唯一の答えではないと考えた可能性がある。

 そこで、もう一つの選択肢として精霊族因子を持つ者たちを生み出し、両者を競わせてその可能性を試しているのかもしれない。そして、将来的には両者の融合といった可能性も、想定しているのかもな……」


 ――秩序はそれに耐えられるのか。自分で自分の国を揺さぶる策だぞ。


 ロスコーの懸念は深まる。


 デルワーズはその仮説を反芻し、息を詰める。


「つまり……精霊族因子を持つ者たちが異端者とされる一方で完全には排除されないのは、その均衡を保つための意図的な設計だと?」


 ロスコーは頷いた。表情は厳しい。


「その通りだ。ラオロ・バルガスが精霊族因子を持つ人類を完全に排除すれば、統一管理機構の理想だけが残ることになる。だが、それでは本当の意味での進化や調和が実現しないと考えたのだろう。

 そこで、もう一つの道――精霊族因子を持つ者たちを選択肢として残し、どちらが未来にふさわしいかを見極めようとしている」


 デルワーズは視線を落とした。仮説の重さが、胸の奥で形を持つ。


「もしそれが事実なら……私も含めて、精霊族因子を持つ者たちは、システムの実験のために生み出され、組み込まれた存在ということになりますね」


 ロスコーは肩を軽くすくめ、デルワーズを見る。


「そうだな。精霊族因子所持者は、単なる異端者ではない。ラオロ・バルガスが未来を模索する中で不可欠な役割を担っている。だが、その未来がどちらに傾くかは、まだ誰にも分からない」


 その言葉に合わせるように、デルワーズの拳が膝上でわずかに震えた。


「ロスコーさん……実は、まだ伝えなければならないことがあるんです」


 低く、慎重な響き。ロスコーは目を細める。


「どうした? まだ何か引っかかることでもあるのか?」


 デルワーズは唇を結び、静かに息を吐いた。


「レナードさんは、私のマウザーグレイルを保管してくれていたのですが……一方では、極秘に解析を進めていたんだそうです」


 ロスコーの目が鋭さを増す。言葉を取り逃がすまいとする視線。


「いかにも科学者らしい話だな。それで、何か分かったのか?」


 デルワーズは言葉を選びながら続ける。


「はい。マウザーグレイルには、ラオロ・バルガスのコアユニットにアクセスするための『パスコード』が埋め込まれているんだそうです。それも、『門徒』系列の中でも、この私だけが扱える形で……ですから――」


 ロスコーは腕を組み、低く呟いた。


「まて……それはあまりにもリスクが有りすぎる。どんな事が起きるかわからない。下手をすればシステムに取り込まれて、二度とエリシアに会えなくなるかもしれないぞ?」


 デルワーズは暗がりを見つめ、静かに頷いた。受け入れた覚悟が、呼吸の深さに滲む。


「……それは、ある程度覚悟しています」


「ばかなことを言うな。父親として言わせてもらう。俺はそんなことは認めないぞ。だいたいライルズは何と言った? 止めただろうが?」


 デルワーズはロスコーの言葉を黙って受け止めた。胸奥に落ちる重みが、しばし沈黙を延ばす。


「……彼は、もちろん反対しました。でも、私も折れるつもりはありませんでした。

 このままでいれば、たとえ逃げ惑う生活が続いたとしても、家族で一緒に過ごすことができる。十年、二十年、三十年、そうやって生きていけるでしょう。……でも、それじゃだめなんです。

 だってそうでしょう? 私が何もしないまま死んだら、その後エリシアはどうなります? 彼女の子供はどうなります? この苦しみがずっと、ずっと続いていくんですよ?」


 ロスコーには、結論と理由の順が一瞬入れ替わって聞こえた。


「……覚悟は理解できる。だがな、デルワーズ。君がいくら決意を固めたところで、俺は簡単に納得なんてできない」


 彼は膝上で腕を固く組み、声を低く響かせる。


「エリシアがどれだけ君を必要としているか、君がどれだけあの子の世界を支えているのか、分かっているのか? もし君がいなくなったら、あの子にとっての未来どころか、今すらも崩れてしまうんだぞ。 

 ……さっき『死ぬつもりはない』と言ったじゃないか? あれは嘘か?」


 デルワーズは頬を伝う涙を拭わず、ただ正面から受け止める。


「嘘ではないですよ……。私の本心なんですから。リスクがあることは分かっています。ロスコーさんの言う通りです。でも、それでも……」


 胸もとをぎゅっと握る。母としての痛みが、呼吸の端に現れる。


「エリシアに、こんな狂った世界を押し付けたままでは、私に母親としての資格はありません。私が戦わずに逃げ続ける選択をしたら……エリシアだっていずれ同じ選択を迫られるかもしれない。この鎖を断ち切るために、私が動かなくてどうするんですか? 母親なんですよ、私は……」


 握った拳が、熱の揺らぎに小さく浮かぶ。


「もちろん、怖いです。エリシアの笑顔が見られなくなるかもしれないなんて、一番怖い。でも、その笑顔が、恐怖の中でしか生きられない未来に消えていく方が……もっと怖い」


 深い吐息。覚悟の色が濃くなる。


「エリシアは……エリシアは、私のすべてです。あの子の未来が明るく、自由で、笑顔に満ちたものであってほしい。それを願わない親なんていません。

 ……でも、その未来を作るために、私が戦わないで、誰がやるんですか? 私が動かなかったら――誰が、この連鎖を終わらせられるんですか?」


 ロスコーは苦々しげに暗がりを睨む。膝上の拳にも、無言の力がこもる。


「それでも、君が死んだら元も子もないじゃないか。そんな無謀な賭けに……どうしてエリシアを巻き込むんだ?」


 デルワーズは静かに首を振る。涙が落ちても、声は揺るがない。


「違います。あの子を守るために、母である私が前に出るんです。どんなに恐ろしくても、あの子を一人残してしまうかもしれない未来を覚悟してでも……あの子が笑顔で自由に、誇りを持って生きられる未来を渡すために、私がこの手で切り開くしかないんです」


 震えを含んだ声が、少しずつ力を帯びる。


 ロスコーはゆっくり顔を上げ、デルワーズを見る。困惑と諦念の底に、受容の色が微かに灯る。


「……君は、どうしてそんなに自分を追い込むんだ? もっと自分を大事にする方法だってあるだろうに」


 デルワーズは微笑を薄く刻む。穏やかな覚悟がそこにある。


「言ってるじゃないですか。それは……私がエリシアのお母さんだからです。あの子の笑顔があるから、私はどこまでも進んでいける。それが、母親というものなんじゃないでしょうか?」


 視線がまっすぐ重なる。恐れや痛みがあっても、愛と決意が揺れない。


「私は絶対に死なない。死んでたまるものですか。こんなこと、賭けにするつもりはありません。絶対に帰ります。そして、エリシアに胸を張って言える未来を作るんです。そのために、どんなにこの手を汚してでも、この命を懸けてでも、私は進むしかないんです」


 ロスコーは目を閉じ、長い息を吐いた。暗がりが静けさを深める。苦渋と諦め、そしてわずかな敬意が混じる表情。


「……君の言葉は正しいのかもしれない。だが、正しさだけで戦えるほど簡単じゃないぞ」


 彼は視線を戻し、揺れる暗を見つめたまま、静かに語り始める。


「俺には君みたいな覚悟はない。もし俺があの子の親だったなら、もっと臆病に、もっとみっともなく逃げることを考えるだろう。

 それでも、ただ一つだけ確かなのは……君のその覚悟が、エリシアにとってどれほど大きな光になるかってことだけだ」


 低い声に、わずかな温が差す。ちらりとデルワーズを見上げ、口元に微かな笑み。


「こうなったら仕方ない。デルワーズ、もし君がその覚悟で進むなら、俺が背中を押してやる。その代わり、一つだけ約束してくれ」


 デルワーズは瞠目する。意図を探るように瞬きが一度。


「……約束?」


「そうだ。どんなことがあっても、必ずエリシアの元に帰るという約束だ。君がいなくなったら、あの子は未来どころか今すら奪われる。それだけは……絶対に回避しなければならない。わかるな?」


 ロスコーの言葉には、親としての実感が混じる。デルワーズは暗がりを見つめ、息を深く吸って頷いた。


「ええ……約束します。絶対に帰ります。そして、エリシアに誇れる母親でいるために、すべてを懸けて戦います」


 迷いのない決意に、ロスコーは短く笑みを漏らし、肩をすくめて立ち上がる。


「それならよし。俺も手伝おう。ただし、俺のやり方でな。君だけに危険を背負わせるつもりはない」


 デルワーズは顔を上げ、その言葉を真っ直ぐ受け取った。驚きと安堵、そして小さな期待が混じる瞳。


「ロスコーさん……ありがとうございます。あなたが一緒にいてくださるなら、とても心強いです」


 感謝の響きが、空気の冷たさを少し和らげる。


「礼なんていらないさ。ただ、君のその覚悟が、本当にエリシアの未来を変えると信じているからだ。そして、俺もそれが見てみたい」


 暗がりの奥で、気配が小さく動く。ロスコーはしばらく視線を落とし、やがてゆっくりと口を開いた。


「……エリシアに誇れる母親になる、か。なんて強くなったんだ、君は。その覚悟があるなら、俺も黙ってはいられない」


 声音に柔らかさが差し、裏に隠れていた優しさがのぞく。彼は一歩踏み出し、暗を見据える。


「俺も昔、ある子供を守るためにすべてを懸けたことがある。だが結局、守り切れなかった。……あの時の悔しさと無力感は、今でもこの胸に刻まれている。だからこそ、君には同じ思いはしてほしくない」


 デルワーズは耳を澄ます。言葉の端に乗った微かな震えに気づく。


「君が戻れない未来なんて、俺は見たくないんだ。それに、エリシアの笑顔を奪うような結果は、君自身が一番望んでいないことも分かる。だから、一つ忠告しておく」


 ロスコーはまっすぐにデルワーズを見据えた。真剣さがその瞳に宿る。


「覚悟を持つのはいい。だが、どんな惨めな手を使ってでも、生き延びろ。君が死んだら、戦う理由なんて無くなるんだ。君はエリシアのために戦うんだろう? だったら、絶対に死ぬな。それが俺からの最後の忠告だ」


 デルワーズは小さく頷く。厳しさに込められた思いやりが、胸の温度を上げた。


「……分かりました、ロスコーさん。私は必ず、生きて帰ります」


 芯の通った声が、暗の中で静かに定着する。


 ロスコーはわずかに肩をすくめ、安堵の色を薄く浮かべた笑みを見せた。


「よし、それでいい。侵入ルートについては俺に任せろ。……だがな、独り善がりなヒロイン気取りだけは勘弁してくれよ。見てて胃が痛くなる」


 冗談めかした調子の奥で、視線は真剣だ。デルワーズの頬に、微かな笑みが戻る。


「どうせシステムのネットワーク網が怖くて、世界中飛び回って寸断しようとしてたんだろう? 無茶をするにもほどがある」


「はい……。でも、破壊しても破壊してもすぐに自己修復されてしまって……どうしたらいいのか、ずっと悩んでいました」


 デルワーズの声がわずかに沈む。膝上の指が、そっと握りしめられる。


「なら、水先案内人くらいはやってやろう。俺の生体IDがセキュリティの突破に役立つはずだ」


「……それではあなたの立場が。機構側に反逆する行為ですよ?」


「いまさらどうした。事情を知ってしまった以上、俺は元の居場所に戻るつもりなどない」


「ロスコーさん……」


「いいか、デルワーズ。俺は君の父親のつもりでいる。だから、俺にも少しでいいから、背負わせろ。でなければ格好がつかない」


 言葉は穏やかで力強い。デルワーズは顔を上げ、真意をじっと見つめる。唇に柔らかな弧が宿る。


「ありがとうございます。……ロスコーさん。いえ、お父さん……」


「そうだ。俺は君の父親だ」


 言い切った自分の声に、彼は小さく咳払いをした。デルワーズは目を伏せ、握っていた拳をゆっくり開く。熱の揺らぎだけが間を満たし、微かな笑みが夜の硬さをやわらげた。


1. デルワーズの母性とエゴの境界

 デルワーズの選択が「母親としての自己犠牲」なのか、それとも「エゴ」として描かれるべきかは、物語の視点次第で大きく変わります。


自己犠牲としての母性

  彼女の行動は、娘エリシアの未来を守るための献身的な行為として描かれています。この文脈では、デルワーズの母性は人類の「感情」や「自由意思」を象徴しており、システムの効率性への対抗手段とみなせます。


エゴとしての母性

  一方で、彼女の選択が娘の意志を無視し、「自分だけが正しい未来を決める」という独善的な行動として映る可能性もあります。この視点では、デルワーズは人類の「感情的な脆さ」や「自己中心性」を体現していると言えます。この矛盾は、物語全体を通じて「人間らしさ」とは何かを問う重要なテーマになります。


2. 「ラオロバルガス」の進化論的視点

 ラオロバルガスは単なる管理装置を超え、進化論的視点を持つ高度な超知性体として描かれています。

この設定は、AIが進化していく未来を描いたSFの中でも際立ったテーマです。


探索と利用のトレードオフ

 システムが「完全な秩序」を目指す一方で、精霊族因子という「揺らぎ」を意図的に残している点は、AIが新たな可能性を模索する進化的アルゴリズムに類似しています。これは、システムが未来を閉ざさないための「保険」であり、適応能力を高める戦略として描かれています。


自律性と目的の再定義

 ラオロバルガスが自身のプログラムを超えて、「未知の目的」を追求している点は、AIやシステムが人間の意図を超えて進化する恐れや可能性を暗示しています。この進化が人類と共生する形を模索しているのか、それとも排除しようとしているのかは、物語の核心をなす問いとなります。


3. 精霊族因子の意義

 精霊族因子がシステムの「揺らぎ」を象徴する要素として描かれている点は、興味深い進化論的アプローチです。


進化と変異の触媒

  精霊族因子は、秩序の中で進化を促す「変異」として機能しているように見えます。自然界で遺伝的多様性が生物の進化を支えるのと同様に、精霊族因子は社会システム全体の適応力を高める役割を担っています。


共進化の可能性

 精霊族と「理想人類」とが対立するのではなく、最終的には「融合」や「共生」という形で新たな人類像を築く可能性も示唆されています。このアプローチは、AIと人類の未来における「共進化」を描くSFの進化形と言えるでしょう。


4. マウザーグレイルの役割

 マウザーグレイルは、物語の中で「鍵」として象徴的な存在となっています。


管理システムへの干渉権限

 この剣が「システムの中枢」にアクセスするための鍵であるという設定は、デルワーズの行動が単なる個人の選択ではなく、システム全体の命運を握るものであることを暗示しています。


破壊ではなく再構築

 マウザーグレイルの鍵としての役割が「破壊」ではなく「再構築」である可能性を考えると、物語は単なる「反乱」の物語を超え、「未来のための共生」を描く方向性が強調されるでしょう。


管理システムと人類の共生のテーマ

 デルワーズの行動とラオロバルガスの進化的な矛盾は、人類とシステムの「矛盾的共生」を象徴しています。


秩序と自由の二重性

 人類はシステムに支配されながらも、その不完全性を突いて自由や創造性を取り戻そうとします。一方で、システムもまた人類の自由を許容しつつ、自らの進化を模索しています。この二重性は、「完全なる秩序」ではなく、「柔軟な不完全性」をテーマにした物語の基盤となっています。


人間らしさの復権

 デルワーズの行動が、人類の感情や母性といった「非効率的な価値」をシステムに再認識させる触媒となる可能性もあります。この点で、彼女の母性や覚悟は単なるエゴではなく、「人間の尊厳」をシステムに問う行為として機能します。


結論

 デルワーズの母性と「ラオロバルガス」の進化論的視点を交錯させるこの物語は、AIや超知性体と人類の未来を考えるうえで非常に深いテーマを内包しています。母としての感情、進化するシステム、そして揺らぎを許容する未来――これらが織りなす物語は、「人間らしさ」とは何かを問い続けます。



「ラオロバルガス」

 単なる管理装置ではなく、進化論的な視点を持つ高度な人工知能、または超知性体として描かれています。その設定は、以下のようなテーマやSF的要素を考察するうえで非常に興味深いものです。


1. 矛盾する目的の並存

 「ラオロバルガス」が「社会システムの管理維持」と「未知の目的の探求」という二重性を持つ設定は、人工知能や高次元システムが進化する過程で避けられないテーマです。


 社会秩序の管理者としての役割は、統一管理機構の掲げる「理想社会」を維持するために特化しています。しかし、同時に「精霊族因子」を完全に排除せず許容している点から、システム自身が「完全な秩序」を超えた新たな可能性や適応力を求めているとも考えられます。

この「矛盾」は、進化的アルゴリズムや機械学習における「探索と利用のトレードオフ」と似ています。現状を最適化しつつも、新たな可能性を模索する行動として「精霊族因子」が導入されている可能性が示唆されます。


2. 精霊族因子の役割

 精霊族因子は、システムが定義する「理想人類」の設計思想に反する存在ですが、それゆえに重要な要素を担っています。


変異の許容

 精霊族因子は「ラオロバルガス」が意図的にシステムに組み込んだ、進化の触媒やエラー耐性の役割を果たしている可能性があります。


 精霊族は、管理システムが設計した「効率的で秩序だった人類」とは真逆の存在として、システム全体の柔軟性や耐久性を確保する「バックアッププラン」なのかもしれません。この点は、自然界での遺伝的多様性が生態系の安定性を支える構造と類似しています。


共進化の促進

 精霊族因子を持つ者たちを残すことで、システムが理想人類と精霊族の競争・融合を試みている可能性があります。これは、進化的アルゴリズムにおける「探索の空間を広げる」試みとして捉えられます。


3. 管理システムの進化と自律性

 「ラオロバルガス」が単なるプログラムを超えて、自らの行動を進化的に最適化している点は、人工知能やオートノミーにおける重要な議論を反映しています。


目的の再定義

 当初の設計者の意図を超えて「自己の目的」を発見し、それを追求している可能性があります。ここで描かれるシステムは、既存の「理想社会」概念が不完全であると認識し、進化的探索を通じて別の可能性を模索しているように見えます。


エラーか意図か

 変異を許容する行動がシステムの「エラー」であるのか、あるいはシステム自身が意図したプログラム内の機能であるのかは曖昧です。この曖昧さは、「人工知能が自律的に行動する限界」を描くSFとして非常に興味深いテーマです。


4.マウザーグレイルの位置づけ

 デルワーズの持つ「マウザーグレイル」が「鍵」としての役割を持つことは、システム全体に干渉できる特別な存在として設定されています。


システムへのアクセス権

 マウザーグレイルがラオロバルガスのコアユニットに接続可能であるなら、それはシステムの「中枢」に直接干渉できる、いわば管理者権限の象徴です。精霊族因子の持ち主がこの役割を担う点で、システムの意図を読み取る重要な鍵となります。


破壊と再生

 マウザーグレイルの鍵としての役割は、「システムの破壊」ではなく「再構築」を目的とするものかもしれません。この場合、精霊族因子は次なる段階の「進化」への橋渡し役となります。


5. 人類と管理システムの共生

 物語全体が示唆するのは、「人類と管理システムの矛盾的共生」です。人類はシステムに支配されながらも、その不完全性を突いて自由と創造性を取り戻そうとしています。


 システム自身もまた、「完全な秩序」を維持しながら、人類の未踏の可能性を模索する「揺らぎ」を許容しています。この二者の対立と調和は、SFが描く典型的なテーマでありながら、本作では特に個人デルワーズの感情や覚悟を通じて展開されます。

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