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お祖父様と私と二本の聖剣

 それからもしばらく、会話は途切れることなく続いていた。言葉の裏に秘められた思惑や、互いの胸中に渦巻く複雑な感情を含みながら、時間が静かに流れていく。やがて、ふとした沈黙が訪れたが、それすらもどこか心地よい余韻を帯びていた。


 陛下は、退位するその時まで、国のために尽力を惜しまなかった。その姿は、決して華々しいものではなかったけれど、一つひとつの決断に込められた真摯な想いは、長く国の礎となり続けた。

 西部戦線で荒廃した国土の復興に心血を注ぎ、裂け目のように残った傷跡を埋めるために、宰相や家臣たちと共に働き続けた日々。石灰と血の混じる匂いがまだ耳奥に残るようで、机に積まれた羊皮紙のざらつきが、彼の歩んだ年月を静かに物語っていた。その背後には、自らの選択が招いた悲劇への償いという意識が常にあった。


 西部の地からもたらされる、魔獣由来の潤沢な魔石の恩恵は、まさに国の命脈となった。

 その光り輝く結晶が国庫を潤し、国土の再建に貢献したことは疑いようがない。だが、そこには拭いがたい皮肉も含まれていた。それらは魔獣という人類の脅威の存在なしには得られないものであり、繁栄を築き上げる基盤が、恐ろしい存在との共生に依存している現実は、依然として横たわっていた。


 そして、年月は流れた。国土の再建がある程度の形を成し、国の運命を次の世代に託す準備が整ったとき、陛下はその責務を静かに手放した。同時に、彼を支えてきた宰相や家臣たちも、責任を取る形で一線を退いた。


 五年前の退位は、多くの国民にとって驚きでもあり、同時に納得でもあった。

 彼の後を継いだ若き世代は、時代の波を乗り越えるために新たな舵を取り始めていた。ただ、それがカテリーナが語るように、現状、拙速で窮屈な空気感を生み出しているのも、また事実だった。


 退位後の陛下は、政治の第一線から離れたものの、なおも人々の尊敬を集める存在であり続けた。彼が選んだ道は、魔術大学での研究と後進の育成だった。


 学び舎に響く彼の穏やかな声は、黒板を擦る音や窓辺の光に重なり、かつての激動の日々とは遠いものに感じられる一方で、吐息の奥に変わらない強さを宿していると感じる者も多かった。歴史に刻まれる彼の軌跡は、なおも人々の心に深く根を張り、語り継がれていくことだろう。


◇◇◇


 私は、どうしても伝えたいことがあった。

 胸の奥で膨らむ言葉は、息を詰まらせるほど熱いのに、口に運ぶ瞬間だけ頼りなく震える。喉の渇きが強まり、舌の先に苦い緊張が残る。陛下の前では、なおさらだ。


 深く息を吸い、喉を潤すようにして、ようやく声にする。


「失礼ながら、一つだけ、言わせていただけませんか……?」


 視線がやわらぐ。頬に灯る笑みは、冬陽のように柔らかい。


「なんでも言ってくれたまえ、ミツル」


 背中をそっと押された気がして、言葉が続いた。


「私は口下手で……上手に物事を伝えるのが苦手です。でも、これだけはどうしてもお伝えしたいのです。陛下は……とてもお優しい方です――」


 礼を欠く怖れが、舌の奥で疼く。それでも退けられない。


「そして、とても誠実な方。あなたという理解者がいてくれたおかげで、母は運命に立ち向かう勇気を得ることができたのです。この美しい世界を知り、守りたいと思ったのです。それは……きっと私の胸の内にも受け継がれているのだと、そう信じています」


 告げる間、耳の奥で自分の鼓動がざわめき、遠い雷鳴のように響いた。薄氷を踏むような告白を、陛下は動かず受け止めてくれた。暖炉が小さく爆ぜ、樹脂の匂いが甘く揺れる。


「ミツル……」


 名を呼ぶ声がやわらかく沈む。思わず背筋が伸び、石床の冷たさが靴底から伝わってきた。


「君を見ていると、メイレアと過ごした日々がよみがえる。まるで、あの子が帰ってきたように思えてしまう。その顔も髪も、瞳の色も……そのままだ」


 懐かしさを宿す眼差しが、冬の光を受けて潤む。


「だがな、君は君だ。あの子のようになる必要はない。そして、決して一人で背負いこんではならんぞ?」


「……はい。そのお言葉、胸に刻みます」


 答えた声はかすかに震え、喉に乾いた膜が張りついたように思えた。陛下は気づき、白髪を揺らしてひとひらの笑みを浮かべた。


「それからな、二人だけの時は……陛下という呼び方はやめてもらえないだろうか?」


「えっ……それは失礼では……?」


 戸惑いが喉に絡む。彼は少年めいた目で、いたずらの種を見せる。


「君は私の孫なのだから。せめて二人きりの時は、『おじいさん』と呼んでくれると嬉しいのだがね?」


 胸の奥でくすぐったさが弾ける。声にするのは照れくさく、唇だけが緩む。頬にはじんわりと熱が差した。


「……それでは、お祖父様と、お呼びしてもよろしいですか?」


 彼は大きく頷き、吐息を漏らしながら懐かしさを滲ませる。


「うん、それでいい。いや、それか『グレイ』と呼び捨ててくれても構わないぞ」


 思わず目を丸くし、笑いが喉の奥で弾けた。


「さすがにそれは、ちょっと……」


 真面目すぎる返答に自分でも可笑しさを覚え、空気が緩む。母の茶目っ気がここから受け継がれたのだと腑に落ちた。


◇◇◇


 会話が一息つく。燭台の炎がわずかに揺れ、蜜蝋の香りが濃くなる。私は胸の奥で反芻し続けた問いを、ついに外へ押し出した。


「ところで、お祖父様にお尋ねいたします」


 声を整え、まっすぐに続ける。


「私が所持する側の聖剣、『マウザーグレイル』は、今どこにあるのでしょうか?」


 瞳が細くなる。椅子に深く沈み、指先で肘掛を叩いたまま考え込む。その仕草が時間を重くした。


「――ああ、そうだ。肝心なそれを忘れていたな」


 軽やかな調子の奥に、深い配慮の温度が宿る。肩の緊張が指先から抜ける。


「あの剣は君にとって、かけがえのない、家族の絆の象徴でもあるのだろう?」


 革椅子の匂いと羊皮紙の粉っぽさが鼻を掠めた。私は静かに頷く。


「はい……それだけに留まりません」


 舌先が乾き、喉を締めつける。耳の奥で血流がざわめき、遠い鼓動のように反響する。


「あれは私の半身と言っても過言ではなく、その中には、私の大切な人の心が宿っているのです」


 その言葉を受けて、彼は深く息を吐いた。白髪が肩にかかり、吐息が空気を震わせる。


「そうか、やはりな……」


 低い声が重く落ち、机上の羊皮紙の端がわずかに震えた。


「なぜ君があの剣を所持していたのか。メイレアは探し求めていた『心』を持つ聖剣に、ついに辿り着いていたのだな。そして、それを来たるべき厄災の時のため、秘かに守り続けていた。……そう捉えてもよいか?」


 絡まる感情を解こうとして、私は静かに答えた。


「……私もそう思いますし、信じています」


 祖父は頷き、手元の紙を指で弾いた。軽い音が、言葉の鋭さを和らげる。


「うむ。そして、父であるユベル・グロンダイルが、亡くなる寸前に、君に託したのだな」


 名が呼ばれるたびに喉が詰まり、息が浅くなる。私は短く頷いた。


「はい」


 彼は椅子に深く沈み、腕を組みながら思案を続けた。


「ゆえにあの剣の正当なる所有者は君だ。ただ、メイレアが巻き込まれた現象について、どうしても気になった。調べたところで何がわかるでもないが、私自身の目で少し検分したかったのだ。取り上げるような真似をして、すまなかった」


 低い声に、微かな後悔が混じる。


「いえ、お祖父様が興味を持たれるのは当然です。ただ……ここで目覚めた時、どこにも剣が見当たらず、正直どうしようかと思いました」


 言葉の端に不安が滲む。指先に汗が滲み、無意識に両手を組み締めた。


「あれが欠けていては、私は自分の力を安定的に行使することができません」


 その言葉に、彼の眉が上がる。机に置かれた指先が一度止まり、重い沈黙を孕んだ。


「ほう……興味深いな。私の知識から推論すると――君は“精霊魔術”を行使する際、我々には認識できぬ精霊的な何かを“集める器”のような存在ではないか、と思えてならない。そして……あの剣は、その器たる君にとって不可欠な“安定装置”として機能する。そう定義してよいだろうか?」


 迷いのない目が射抜く。胸ではなく、耳の奥に鋭い響きが残る。息を整え、声を置いた。


「……さすがお祖父様です。ご推察の通りだと考えます。ただ、詳細は……私自身にも、まだ掴みきれておりません」


 無防備さがひやりとした。けれど事実以外は差し出せない。


「ふむ、まだまだわからぬことだらけということか」


 吐息と共に白髪が揺れ、肩に掛かった光を細かく跳ね返した。その仕草が自然で、張りついていた重圧がわずかに軽くなった。


 彼は深く息を吐きながら頷いた。その仕草があまりに自然で、こちらの肩に掛かっていた無形の重圧をほんの少しだけ和らげる。だが、心の奥には別の疑念がぽつりと浮かんでいた。それを押し殺すのはもう難しい気がした。


「では、もう一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 心を決めた瞬間、微かに胸を締めつける緊張感があった。それを飲み込み、意を決して口を開くと、普段より少し低く、重みを帯びた声が部屋に響いた。


「お祖父様は、聖剣が二本存在することを、どう捉えておられますか?」


 問いを受けた陛下は、眉間に薄い皺を刻みながら、しばし考え込むように沈黙した。燭台の揺れる炎がその表情を淡く照らし、影を落とす。その静寂が、彼が慎重に言葉を選んでいることを物語っていた。


 やがて、深く息をついて語り始める。


「……私なりに考察してみたが、両者の形状、重量は同じ。試験的な打音からして構造材質は同一だと考えられる。ただ一点だけ異なるのは――」


「なんでしょうか?」


 私の声が思わず急いた。自然と身を乗り出してしまったのを自覚し、慌てて姿勢を正す。そんな私を見て、お祖父様は唇の端にわずかな笑みを浮かべながら続けた。


「君が持っていた剣には刃に相当する部分が存在しない。つまり『何物も斬ることができない剣』だ。一方、王家所蔵の剣には鋭利な刃が存在する」


 その言葉は、私の心に深い波紋を広げた。お祖父様がどこまで、私とマウザーグレイルの関係について掴んでいるのか。


「ということは?」


「君が持つ剣は、精霊魔術の安定に寄与するもの。心を持ち、君とつながることで真の力を発揮する。つまり、これは通常の魔石を動力源とする魔導兵装とは根本からして異なるものといえよう」


 お祖父様の声は、探究心を隠しきれない熱を帯びていた。


「方や王家の聖剣は、メイレアが言うには心が無く、斬ることに特化している。

 その強固な作りからして、決して折れず、斬れぬものなどこの世に存在しないはずだ。

 両者は性質こそ異なるが、どちらもこの世における最強の武器であることには変わりがない。仮に両者に何らかの関連があるとすれば……まあ、これは君でなければわかるまいが」


 お祖父様の含みのある言葉に、私は軽い緊張を覚えた。彼が求める答えを私自身もまだ掴み切れていないからだ。しかし、前に進むべきだと思い直し、意を決して提案する。


「そうですね。できれば王家の聖剣を拝見させていただけますか? 私では、近づくことすら困難だとは思わけますが」


 彼は私の言葉に含まれる意図を察したようだった。目を細めると、穏やかに頷く。


「その点については心配無用だ」


 驚きで声も出せない私を前に、お祖父様はどこか得意げに口元を緩めた。


「すでにこの離宮に取り寄せさせた」


「えーっ!? そんなことできるんですか?」


 驚きの声が反射的に漏れた。それに対し、お祖父様は肩をすくめて冗談めかす。


「たとえ王だろうが、父である私に逆らえるものか。それに、私の探究心の前では地位など何の障壁にもならん。どうせあやつにとっては、飾り程度の認識でしかないのだからな」


 その軽妙なやり取りに、不意に張り詰めていた空気がほどけた。

 肩の力が抜けるのを感じながら、思わず笑いそうになるのを必死で堪えて返事をすると、お祖父様は満足げに小さく頷いた。


「それで、君の聖剣と比較検証させてもらったわけだ」


 柔らかく告げられたその言葉に、胸が妙にざわつく。


「なるほど……」


 口にした一言に、自分の中の様々な感情が込められているのがわかる。期待、不安、そしてまだ見ぬ真実への渇望――その全てが、私の心をかき乱していた。


「そういうわけで、別室に置いてある。ついてきてもらえるかな?」


「もちろんです」


 言葉が出た瞬間、自然と立ち上がっていた。深く一礼をしてから、お祖父様の背中を追う。静かに歩むその姿には、揺るぎない決意が感じられて、私も思わず息を飲む。


 その背中を見つめながら、一歩、また一歩とついていく。

 廊下に響くのは二人の足音だけで、私の心臓の鼓動がそれに混ざりそうなくらい大きく感じられた。どんな未来が待っているのか、正直言えば不安がないわけではない。それでも、進むしかないのだと、自分に言い聞かせる。


 静かな緊張感の中、お祖父様の歩みに合わせながら、私は少しずつ心を整えていった。

 この場面は、二人の会話とその背後にある感情、さらには物語の核心に触れる要素を描いています。


 陛下は、自身の決断や行動がもたらした結果に対して責任を感じており、その背景には贖罪や国の未来への配慮が含まれています。ミツルとのやり取りは、単に家族としての会話に留まらず、彼女が受け継いだ「使命」に対する確認や、未来への期待を示唆しています。また、ミツルをメイレアと重ねる一方で、「君は君だ」と彼女の独立性を認める言葉は、祖父としての愛情が滲み出る部分です。


聖剣「マウザーグレイル」の象徴性

 聖剣は単なる武器ではなく、ミツルにとっては自身の半身(大好きな茉凜)であり、過去と未来を繋ぐ象徴でもあります。この剣に対する陛下の興味深い洞察(例えば、刃がないことや心を持つこと)は、物語全体の伏線となる可能性が高いです。二本の聖剣の違いは、それぞれの持つ役割や力が物語の中で重要な意味を持つことを示唆しています。


祖父と孫の関係性の深化

 陛下が「陛下」ではなく「お祖父様」と呼ぶように求める提案や、家族としての距離感を縮めようとする態度は、彼の人間性やミツルへの愛情を浮き彫りにしています。一方で、ミツルがその親しみに対してどこか遠慮がちな反応を見せる点も興味深いです。これは彼女が自身の役割や使命感に縛られていること、また彼女自身がまだ「家族」としての関係に完全に馴染めていない心理を示している可能性があります。


未来への暗示と不安

 陛下が「来たるべき厄災の時」に言及しつつも、それについて詳細を述べないのは、物語における緊張感を高める効果があります。また、ミツル自身が聖剣や自身の能力について不完全な理解しか持っていないことが、物語の進展と成長の余地を残している点も重要です。


二振りの聖剣の意味

 陛下の推測では、ミツルが持つ剣が精霊魔術を安定させるための装置として機能する一方、王家の剣は純粋な戦闘力としての役割を担っています。この違いが物語の中でどう融合するのか、あるいは対立するのかという点が、今後の展開における重要な要素となるでしょう。


歩みの描写による緊張感の演出

 最後の廊下を歩むシーンでは、足音と心臓の鼓動が織り交ざり、二人が向かう先に対する期待と緊張感が巧みに描かれています。この描写は、物語の転機を予感させるものです。


 全体として、このシーンは物語の核心やキャラクターの内面を徐々に明かしつつ、次の展開へと惹きつける役割を果たしています。ミツルと陛下の関係性、聖剣の謎、そして未来に待ち受ける「厄災」がどのように絡み合っていくのか。

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