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前世の私が招いた悲劇


 ヴィルと別れて宿に戻ると、無意識に深いため息が漏れた。旅路の疲れか、心の底に鈍いおりが沈んでいる。


 薄暗い廊下を歩くたび、軋む床板の音が重く響いた。部屋に戻り、簡素な鍵を掛けると、扉の向こうで騒がしかったはずの世界が、一枚隔てただけで遠くなる。

 ふっ、と誰に聞かせるでもない吐息が、静かな室内に溶けた。


 場裏青で作り出した水を桶に貯め、場裏赤で沸かした湯で髪を洗う。立ち上る湯気に包まれた瞬間、この静寂がありがたいと、心からそう感じた。

 コトン、と木桶が床を打つ乾いた音。湯が肌を伝い、汗や埃と共に、頭を締めつけていた重い思考まで洗い流していくようだ。湯気の向こうの天井の木目が、静かに私を見守っている。


 日本で当たり前だった熱い湯船は、もうここにはない。それでも、この力があれば、ささやかな安らぎは作り出せる。そう思い直すたびに、柔らかな湯船の感触が懐かしく蘇り、指先が虚空をさまよった。


 湯を浴びた後、髪を乾かしながら、ふと母さまを思う。

 この乾いた大地では、長い髪は邪魔になるだけかもしれない。それでも私がこの長さを手放せないのは、母さまが大切にしていたその黒髪に、少しでも近づきたいから。その繋がりだけが、今の私を支えている気がした。


 場裏赤と白で作り出した温かい風が、濡れた髪をそっと撫でる。その風に呼応するように、茉凜の声が心に響いた。


《《……今日もお疲れさま》》


「うん、ありがとう、茉凜」


 その声は耳から聞こえるのではないのに、どんな言葉よりはっきりと意識に届く。肩の力が抜け、洗いたての髪先が軽やかに揺れた。

 人の目を気にする必要のない、二人きりのこの静かな対話が、私には何より大切だった。


《《さっきは大変だったね……》》


「うん……。でも、少しは心の整理がついたかな。私って、つい考え込んでうじうじしちゃうから。ヴィルみたいな人にはっきり言ってもらえて、よかったと思う」


 彼の率直な言葉は、時に刃のように突き刺さる。けれど、今の私にはそれが必要だった。


《《だよね。そこがあなたのいけないところだよ。思えばわたしも、ほんと苦労したわ》》


 茉凜の呆れたような声色に、自然と笑みがこぼれる。


「そんな年取ったお母さんみたいなこと言わないで。悪かったわね」


 くすっと笑いながら返すと、茉凜の快活な笑い声が頭の中に響いた。


《《あはは、ごめんごめん》》


 その声に包まれながら、私は今後のことを思う。父さまのこと、母さまのこと、そしてこの強すぎる力。私とは、本当は、何なのだろうか。


「……父さま、もしあなたが今ここにいたら、なんて言ってくれたのかな」


 胸の内で呟くと、幼い私の頭を乱暴に、けれどどこまでも優しく撫でてくれた、あの大きな手の感触が蘇った。


「茉凜?」


《《ん?》》


 重なる声と同時に、剣の宝珠がわずかに瞬いた気がした。


「私、頑張ってみるよ……」


《《うん、わたしもあなたの力になる。一緒に行こう》》


 その言葉だけで、十分だった。心が温かいもので満たされていく。

 枕元に立てかけたマウザーグレイルに近づき、感謝を込めて、その冷たい金属の肌にそっと口づけした。


《《美鶴!? 不意打ちはひどいなー》》


 驚きと照れが混じった声に、思わずくすくすと笑いが漏れる。


「よく言うわ。あなたみたいに、ぐいぐい壁を乗り越えてくる人に言われたくない」


《《あら、そんなのお互い様じゃない? 学園祭のときなんか、わたしほんとにびっくりしたんだから。あれって、わたしのファーストキスだったんだよ?》》


 その言葉に、頬が熱を帯びる。

 前世の記憶。泉の巫女を演じた私と、私を守る最優の騎士だった茉凜。クライマックス、感極まった私がしてしまった、あの衝動的な行動。


「あれは、役に入り込みすぎちゃって、つい……。もうっ、恥ずかしいことを思い出させないでよ」


 あの時の、茉凜の驚いた顔がまざまざと蘇る。あれは演技の延長とは言いきれない、確かな熱がそこにあった。


《《ふふふ、でもほんとにお姫様みたいでかわいかったよ》》


 その言葉に、心臓が跳ねる。


「からかわないでよ……」


《《だってわたし、もうどきどきして、ほんとに王子様の気分になっちゃったもん》》


 茉凜の軽やかな声に、ますます顔が赤くなる。

 小窓の外では、夜の帳が静かに下りていた。遠くのランプの灯が、砂混じりの風に揺れている。


「あれは……一時でもいいから、美しい夢を見たかったんだと思う。それで、あなたにあんなひどいことをしちゃった……ごめんね」


《《そんなことないよ、わたしも内心はうれしかったんだから》》


「そう……よかった」


 微かな苦笑が漏れる。


《《だね……。いろいろあった……。でも、わたしはあなたと出会えて、新しく生まれ変われたような気がするんだ。大変なことばっかりだったけど、今はいい思い出だって思える》》


「私もそうだよ。でも……今の私はもう以前の私じゃないって思ってるの……」


《《なんで? そんなことないと思うけどな》》


「私、時々十二歳の純粋な感情が溢れてきて、制御できなくなるの。そのせいで、いつも戸惑ってしまう」


《《うん、それは……わかる》》


「でもね、そんな瑞々しい感情が、とても心地良いし、愛おしいって思えるんだ。以前の私は、そんなもの捨て去って育ったから。だから、私はそんな『自分』を不幸せなままでいさせたくない。でも……不器用だから、うまくいかないかもしれない。それでも、少しずつでも前に進みたいの」


 それは、自分自身への宣言でもあった。


《《うん、それでいい。美鶴はそのままの素直な気持ちで進めばいいんだよ。望むままに飛べばいいの》》


 彼女の返事はどこまでも温かく、細胞の隅々まで沁みわたるようだった。


 白きマウザーグレイルに触れると、遠い記憶が呼び覚まされる。

 一年前、父さまが亡くなった、あの日。


――どうして、救えなかったのか。


 その問いが、今も喉の奥に突き刺さっている。

 父さまの死を目の当たりにした瞬間、眠っていた二十歳の私と、深淵の黒鶴の力が一斉に目を覚ました。そして、十一歳の少女の悲しみに、完全に呑み込まれた。


 内側から焼かれるような痛みに、嗚咽だけが喉を締めつける。その絶望と憎悪が、私の中で暴れる黒鶴の力に引き金を引いた。

 遠くで聞こえた誰かの叫びも、私には届かなかった。視界に入るのは、血に染まった世界だけ。理性の糸が切れ、四つの流儀が奔流となって敵をなぎ払っていく。その光景を、私は何も感じずに見ていた。

 もし、茉凜が目覚めていなければ。もし、あの時、剣が発した微かな光がなかったなら。私はあの場で、命も心も失っていたかもしれない。


 前世で、私は異能の血族の呪いを解き、もう何も思い残すことはなかったはずだった。なのに、どうしてか、私はこの世界に強制的に連れて来られた。


「……ねえ、茉凜。私たちはなんでこの世界に……。いったい誰の思惑なのかな?」


 彼女は答えない。ただ、その沈黙は、否定ではない何かを感じさせた。

 きっと、【あいつ】が何かを画策した結果なのだろう。そうとしか考えられない。

 ミツルという少女は、前世の私と同じ読みの名前を与えられ、同じように宿命を背負わされた。そのことに、不思議と怒りはなく、諦念にも似た静かな覚悟が腹の底に渦巻いていた。


 そういえば、と自分の名前の由来を母さまに尋ねた時のことを思い出す。

 彼女は少し困ったように、そしてどこか懐かしげにこう言った。


『……まだあなたがお腹の中にいる時に、そういう名前にしてって言ったような気がしたのよ』


――もしかしたら。私はあのとき、母さまに“お願い”していたのかもしれない。


 その真実を確かめるためにも、母さまを探し出す必要がある。

 そして、このマウザーグレイルに、私の前世が深く関わっていることも知ってしまった。


「茉凜、あなたはわたし以上に何かを知ってるみたいだけど……まだ全部は言えない、そうなんだよね?」


《《言えないわけじゃないよ。わたしだってまだ断片的な情報しかないの。でも、あなたの役に立てるように頑張るから。まあ、時間はかかるかもだけどね》》


 その言葉に、私は小さく頷く。

 茉凜の推測によれば、三年前の母さまの消失と、前世の茉凜の肉体にマウザーグレイルの一部機能が転移した現象は、直結している可能性が極めて高いという。

 そう仮定すれば、すべてが繋がる。だが、どうして母さままでが。


「もし、母さまが……本当にわたしたちのせいで犠牲になったのなら……」


 時に、運命とはあまりにも皮肉で残酷だ。

 けれど、前世の私が目覚めたからといって、この世界で生まれた「私」が消えたわけではない。彼女が感じた無垢な喜び、悲しみ、そのすべてが、今の私を形作る大切な欠片なのだ。

 それを無駄にしないために、私は歩いていく。


 魔道ランプの灯りが、壁に私の影を揺らめかせる。

 ベッドサイドに立てかけたマウザーグレイルが、冷たい光を放っていた。

 

 夜は、やがて明ける。

 たとえこの胸が、まだ痛むとしても。

 奪われたものを取り戻すために、私はすべてを捧げる覚悟がある。

 それが、どんなに遠く、険しい道であったとしても。

第一章・各話サマリー

EP1 魔獣に追われる四人を、黒髪の少女が〈場裏〉で一瞬にして救う。噂の「黒髪のグロンダイル」登場。

EP2 視点は少女=ミツルへ。白剣マウザーグレイルには相棒茉凜が宿る。夜の酒場で二人の関係と来歴が覗く。

EP3 無骨な剣士ヴィルが現れ、ミツルの素性を疑う。「グロンダイルの名を騙るのか?」で緊張高まる。

EP4 ミツルは父ユベルの娘だと告白。ヴィルは旧友の死を知り、沈黙する。

EP5 父は娘に剣を望まなかった——それでも戦う覚悟を示すミツル。遺剣を前に、ヴィルが「手合わせ」を申し出る。

EP6 「繋がれた命」を信じろ——父を見て育った身体記憶を、ヴィルが背中で肯定。ミツルは決意。

EP7 夜、茉凜が「わたしが隣にいる」と支える。二人の相棒関係を再確認。

EP8–9 修練場。ルールは「ヴィルの打ち込み二度耐えれば勝ち」。一撃目を紙一重で耐え、剣士は彼女を“一度目は合格”と評す。

EP10 「考えすぎるな、感じろ」。ヴィルの現実論と茉凜の導きが重なり、ミツルは直観に賭ける。

EP11 二撃目。黒鶴の加速×父の体術×予知視が融け合い、ミツルは覚醒。ヴィルは「ユベルの娘だ」と承認、彼女は泣き崩れる。

EP12 「化け物じみた伸びしろ」と評され、師弟の糸が結ばれる。

EP13 茉凜が応答不能に——剣と深く同調していた。叱責と和解。「ふたつでひとつのツバサ」を再誓約。

EP14–15 狩り。ミツルは黒翼を顕し多属性同時行使で超格上を殲滅。破壊の愉悦に揺らぐが、茉凜が引き戻す。ヴィルは実力を認め謝意。

EP16 昼餉の“魔術講座”。力の源泉を問われ、真実をはぐらかす。孤独が滲む。

EP17–18 ヴィルが過去を語る。ユベルは英雄にして「王女誘拐」の汚名を着せられ、母メイレアは王女だった。母の消失事件を明かし、ミツルは母を探す決意。

EP19 前世の暴走と救済を内省。父母と自分の運命に向き合い、「すべてを賭す」と腹を括る。


第一章・超短要約

 辺境で「黒髪のグロンダイル」と噂される少女ミツルは、白剣マウザーグレイルに宿る相棒・茉凜と共に〈場裏〉の力で人々を救う。無骨な剣士ヴィルに素性を問われ、彼女は父が英雄ユベルであると明かす。手合わせで“父の剣筋”と黒鶴の加速、茉凜の予知視が融け合い、ミツルは覚醒。ヴィルは「ユベルの娘」と承認する。だが彼は語る——父は王女誘拐の罪で追われ、母メイレアは王女だった。三年前、母は剣に触れて消えた。破壊の愉悦に揺らぐ力と、相棒との絆に支えられながら、ミツルは母の行方と剣の真実を求めて歩み出す。



はい、承知いたしました。 第一章の読了時点で読者に開示されている情報のみに基づき、ネタバレを排除したキャラクター紹介を作成します。


第一章 キャラクター紹介

ミツル・グロンダイル

異名: 黒髪のグロンダイル

概要: 辺境都市エレダンでその名を知られる、長い黒髪の少女 。凄腕の魔獣狩りとして活動している 。

能力: 詠唱や魔法陣なしに強力な術を操る、謎の多い力を持つ 。戦闘時には背中に黒い翼のようなものを展開することがある 。

武器: 刃のない不思議な白い剣「白きマウザーグレイル」を常に帯びている 。

人物: 戦闘時は圧倒的だが、普段は年齢(見た目は12~13歳ほど )に不相応なほど落ち着いている 。亡き父ユベル・グロンダイルの過去と、行方不明の母の謎を追っている 。


茉凜まりん

概要: ミツルが持つ白い剣「白きマウザーグレイル」に宿る、謎の存在 。

人物: ミツルの唯一無二の「相棒」であり、彼女の五感を共有している 。明るく陽気な性格で、ミツルの精神的な支えとなっている 。特にミツルが飲むお酒を一緒に楽しむのが好きらしい 。

能力: ミツルが戦う際、未来を見通すような力で彼女を導くことがある。


ヴィル・ブルフォード

概要: ミツルの前に現れた、無骨で大柄な流浪の剣士 。ミツルの父ユベル・グロンダイルの旧友 。

人物: ぶっきらぼうだが情に厚く、亡き友ユベルのことを深く敬愛している 。ミツルの素性を確かめるため手合わせを挑み、彼女の中に友の面影を見出す 。

能力: ユベルと渡り合ったほどの、圧倒的な実力を持つ剣士 。ミツルの覚悟と力を見定め、彼女を導く師のような存在となる。


ユベル・グロンダイル

概要: ミツルの父 。物語開始時点では故人 。「閃光」の二つ名を持ち、かつて大陸一の剣士と謳われた英雄 。

謎: 輝かしい経歴を持つ一方で、過去に「王家の王女を誘拐した」という重い罪で国から追われる身であったという、衝撃の事実がヴィルの口から語られる。


カイルのパーティ(カイル、エリス、フィル、レルゲン)

概要: 辺境都市エレダンで活動する冒険者パーティ 。

役割: 物語の冒頭で魔獣の群れに襲われ、ミツルに救われる 。彼らの視点を通じて、読者に「黒髪のグロンダイル」の規格外の強さと異質さが示される 。

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