破壊の衝動と愉悦
私は意識を研ぎ澄まし、純粋な破壊のための力を、心の中で鮮明に思い描く。
冷風が唸り、黒紫の霧を纏ったシャドウファングが迫る。
その姿を前に、胸に奇妙な熱が湧き、昂揚感が満ちていく。思わず、口元に笑みがこぼれそうになった。
「ヴィル、後ろに下がって!」
私の呼びかけに、ヴィルは短く頷き、すばやく後方へと退く。ちょうどその瞬間、私の中でスイッチが入った。
破壊の衝動が解き放たれ、場裏が激しく震え始める。空間が歪み、重圧が増していく。
イメージしたスキルが、一斉に発動した。
バレーボール大の場裏が幾十も咲き、白靄をまとって瞬く。
そのうちの一つが急速に膨らみ、巨躯を包むと、爆発的な風が唸りを上げた。内部で砂塵が渦を描き、シャドウファングの動きを強固に縛りつける。
「ははっ、もう身動きできまい。お前はここで終わりだ!」
叫んだ瞬間、私は“破壊”そのものになっていた。
嵐の中心でシャドウファングは咆哮し、もがくが、暴れるたびに風の鎖がその自由を奪い尽くす。轟音と烈風が交わり、大気が耳を裂いた。
同時に、大地が激しく震え、亀裂が走る。裂け目から無数の棘の槍が突き出て、シャドウファングの四肢を串刺しにした。地を貫く重々しい低音が響き、空気を震わせる。
さらに、上空では場裏が赤熱化し、巨大な火球が炎雨を降らす。燃え立つ炎がシャドウファングを包み、凄まじい熱と光が巨体を焼き尽くした。
シャドウファングは瞬く間に炎に呑まれ、膝を折る。
その熱は、白い場裏による空気断層で遮断され、私には届かない。
すべてが同時進行で展開する圧巻の光景の中、シャドウファングは逃げる間もなく破壊の嵐に呑み込まれ、滅んでいった。
「ふぅーっ……」
私は穏やかな呼吸を整える。
辺りには焼け焦げた毛皮の匂いが立ち込め、赤熱した岩がじゅうじゅうと音を立てていた。黒灰が雪のように舞い落ちる。あれほど荒れ狂っていた大気が嘘のように黙し、風までもが息をひそめていた。
黒い破壊の衝動が内側で渦巻き、力の行使が生んだ惨状に、いけないとわかっていながらも得も言われぬ愉悦を感じる。
《《お疲れ様、美鶴……》》
茉凜の優しい囁きが心に響いた瞬間、荒々しい闇の衝動がすうっと引いていく。はっとして、自分が黒鶴の狂気に片足を踏み入れかけていたことに気づいた。
いくら茉凜が守ってくれるとはいえ、この力の危険は避けられない。制御不能な怪物が、私の中に潜んでいる。
茉凜の声に穏やかさを取り戻し、私は破壊の余韻に佇んだ。
そのとき、ヴィルが静かな足音で近づいてきた。彼の視線は私へ向けられ、荒れ果てた景色を一瞥する。他のダイアーウルフは、とうに片付けていたらしい。
ヴィルの表情が一瞬凍りつく。視線がわずかに泳ぎ、喉が乾いた音を立てた。一瞬、彼の手が剣の柄から離れそうになるのを、私は見逃さなかった。言葉が一拍遅れる。目の前の凄絶な光景に、明らかに呆然としていた。
「お前……一体何をしたんだ?」
驚き、困惑、そしてわずかな怯えが滲む声。私は内なる狂気を鎮めようと、ゆっくりと息を整え、振り返る。
「見て、これが私の魔術よ……」
「これがか!信じられん……いったい、どうやったらこんなことができるんだ?」
彼の目には驚愕と困惑が入り混じり、明らかな怖れが浮かんでいる。それが胸に痛みとなって突き刺さった。私は力に溺れすぎてしまったのだろうか。
茉凜の囁きがなければ、私はもう少し先まで行ってしまったかもしれない。彼女の存在が、私が正気を保つ最後の砦だった。
「こんなのって、まるで化け物みたいでしょう?」
肩を軽くすくめ、自嘲気味に微かな笑みを浮かべる。だが、ヴィルはすぐにそれを否定するような声を上げた。
「いや、そうは思わん。これは大したものだ。誇っていい」
「え……?」
思いもよらない返事に、私は言葉を失う。
「お前が“黒髪のグロンダイル”と呼ばれる理由がようやくわかった。噂通りの実力と言わざるを得ない」
その言葉を告げるヴィルの表情に、わずかな申し訳なさが浮かんでいた。
「この前は、お前を軽んじるようなことを言ってすまなかった。見た目で判断するなど、俺は愚か者の極みだ」
彼は丁寧に頭を下げる。
その唐突な行動に、私は思わず慌ててしまう。
「ちょ、ちょっと、ヴィル? そういうのはやめて。私だって、あなたが何者かわからなくて疑っていたんだから、おあいこでいいでしょう?」
そう促すと、ヴィルは頭を上げる。その瞳は真剣な光を湛えていたが、すぐに無精髭を指先でいじりながら微笑んだ。
「うーん、そうか? じゃあ、そういうことにしておこう!」
彼が明るい笑みを見せると、胸を締めつけていた緊張がふっと解け、私はほっと肩を下ろす。
「しかしまあ、俺の知っている魔術とは比べ物にならないな。無詠唱と無遅延の発動だとはわかっていたが、これはそんな程度じゃ説明がつかない」
首を振りつつ、ヴィルは目の前の光景に再び目をやり、感嘆を隠せない。
「あなたの眼でもわからなかったの?」
問いかけた私に、ヴィルは少し困惑したように答える。
「いや、俺は後ろに回り込んだ魔獣の相手をしていて、そっちは満足に見ていなかった。何やら凄い音がして風が吹き、複数の魔術が同時発生した感じはあったが―この有り様は、まさか……」
彼の視線が、シャドウファングがいたはずの場所へ向かう。そこには焼け焦げた大地が残るばかりだった。
「ええ、複数属性の魔術を同時並行で使ったの……」
「なんだって? お前が複数属性使いだったのか? しかも同時にだと?」
ヴィルの声に驚愕が滲む。私は苦笑交じりに告げた。
「そうよ。私は四大元素、すべてを扱えるの」
その言葉に、ヴィルは目を見開く。
「おいおい、そんな話、聞いたことがない。普通の魔術師は一属性が限度、二属性使えたら天才ってところだ。俺の知る限り、この大陸でそんな芸当ができる魔術師は一人もいないぞ。どこまでお前は突き抜けているんだ?」
その問いに、胸の奥で苦さが走る。
破格の力は、畏れを呼ぶ。私の持つこの力が、どれほど異質で危険か、ヴィルも察しているのだろう。彼の瞳に宿る困惑が、私の胸を痛ませた。
「そんなにいいものじゃないわ。負担だって大きいし……それに、これを使えるようになったのは、父さまが亡くなった時だったから……」
そう言うと、心がズキリと痛む。
爪が手のひらに食い込むほど拳を握り締め、喪失感が胸を締めつけた。
「もっと早くこの力に目覚めていれば、父さまは死なずに済んだかもしれないのに……」
喪失の夜、私は何度も爪で掌を裂いた。声が震え、涙が滲みそうになるのを懸命に堪える。視線を上げれば、ヴィルは深い悲しみを湛えた目で私を見つめていた。
ヴィルは無骨な手を私の肩にそっと置いた。その温もりが、冷えた心を少しだけ解かす。
「そうか……辛かったろう」
責めず、問い詰めず、ただ理解しようとしてくれる彼の言葉が、胸に優しく響く。
「どうしてお前がこんな力を持っているのか、俺にはわからん。だが、これもあいつが残してくれた、お前に繋がる何かだと俺は考える。後は、それをどう使うかが大事だ。力には、それ相応の責任があるんだからな」
私はわずかに頷き、ゆっくりと息をつく。
生きるために、まだ定かではない何かを守るために、私はこの力を正しい方向へ導かなければならない。
「ありがとう、ヴィル……。この力を持つ意味を、忘れないようにする」
その一言を告げると、ヴィルは肩から手を離し、静かに頷いた。
冷たい風の中、その一瞬を胸に刻み――私は前へ進むと決めた。
《《だいじょうぶ、そんなことわたしがさせない。でも、あなたが堕ちるなら、そのときは一緒だよ》》
一般ラノベでの標準的な攻撃魔術
多くのラノベ作品で描かれる「一般的攻撃魔術」は、
・火球
・雷撃
・氷の矢
といった単発的で、範囲も限定的なものが主流です。敵を倒す力はあっても、周囲の地形を大規模に変形させたり、複数属性を同時展開することはまずありません。
また、多くは詠唱や発動動作が伴い、発動速度も制約があるため「戦場における一撃」として消費されることが多いです。
本文での魔術の危険度
一方で提示された場面では、以下の特徴が見られます
多属性同時発動
風・土・火など複数属性を同時並行で展開。一般のラノベ魔術師が「二属性使えれば天才」とされる世界観に比べ、異常な領域。
場裏の多重展開
バレーボール大の干渉領域が「幾十も」発生し、同時に稼働。通常の攻撃魔術が単発投射であるのに対し、これは多重演算式を同時駆動している状態で、戦術兵器レベル。
地形破壊と環境支配
風の鎖による拘束、地面の裂け目からの棘槍、さらに上空からの火球雨。
これらは単発の「攻撃魔術」ではなく、戦場全体を掌握し、局所的に環境法則を書き換えるレベルの現象。
制御リスク
黒鶴の「破壊の衝動」に飲まれかけ、ヴィルが明らかに恐怖を覚える描写がある。一般魔術と違い、使い手の精神そのものが危うくなるのがこの力の本質。
危険度の相対評価
一般的攻撃魔術
敵数体を撃破、建物破壊程度。
このシーンの魔術
局所的に空間事象を書き換え、最大数百メートル単位で戦場を一変させる。使い手が制御を誤れば味方すら巻き込む。
よって危険度は、一般的ラノベ攻撃魔術と比べると「桁違い」ではなく「体系が異なる」領域。
例えるなら「拳銃 vs 戦術核兵器」に近い差です。しかも、作中ではヴィルが隣で制御の“リミッター”として機能しているため、これでも最小限にセーブされているという描写になります。