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灰色の塔

「そこの娘、ここから先は立ち入り禁止だ」


 低く響く声に、私は足を止めた。


 眼前には、灰色の石が積み上がった塔がそびえ立つ。冷たい鉛色の雲を突くような威容は、見上げただけで背筋を伸ばさせる。塔を囲む門は重厚な鉄――油と金属の匂いがわずかに鼻を掠め、一目で容易には越えられないと悟らせた。


 門の両脇には二人の兵士が立つ。金色の肩章が青白い光を返す制服。革と金具の擦れる音、鍛えられた体躯、鋭い眼光――近衛兵、しかも王宮最上位の部隊だろうか。


 ひやりとした空気が全身を包む。けれど、ここで退くわけにはいかない。小さく息を整え、顔を上げた。


「申し訳ありませんが、私はどうしても灰色の塔へ、いえ王立魔術大学に向かう必要があるのです」


 自分でも驚くほど冷静な声が出た。だが兵士の表情は微動だにしない。むしろ一歩、こちらへ。片方が眉をわずかに吊り上げる。


「この門を越えるには正式な許可証が必要だ。それを持たない者は、たとえ何者であろうと通すことはできん」


 揺るぎない忠誠の響き。胸の奥がじりじりと焦げつく。私は両手を握りしめ、言葉をつなぐ。


「……それでも、私には行かねばならない理由があるんです」


 兵士たちが短く視線を交わす。説得の言葉だけで開く門ではない。それでも、立ち止まれない。


「『答えを求めるのであればそこを訪ねろ』と、ある方に紹介されて来たのです。これをご覧くだされば、理解していただけると思います」


 私はフィルから託された紹介状を差し出した。

 金属手袋がわずかに軋む。ひとりが慎重に近づき、封蝋の匂いがふっと立つ。差し出した私の手元に、彼の視線が一瞬絡んだ。


「……紹介状、だと?」


 押し殺した低音。隣の兵が、短く息を吐いて問いを重ねる。


「誰からのものだ。この場所の意味を理解している者なら、軽々しく紹介状など書くはずがない」


 私は微かに息を飲む。迷いは短く、のみ込んだ。


「フィル・ラマディ様です。彼に、灰色の塔を訪ねるようにと言われました」


 名を告げた瞬間、兵士たちの目が細く鋭くなる。短い沈黙が落ち、胸に針のような圧が刺さる。逃げない。


 ひとりが封を確かめ、厚手の封筒を開く。紙の擦過音。記された印を追う眉間が、一瞬だけ歪んだ。


「……確かに、これは王立魔術大学出身者の手による推薦状のようだ。在籍した者にしか伝えられない、特殊な記号の組み合わせが名前の下に記されている。

 規則上は問題ない。だがお前はとても魔術師には見えん。あまりに若すぎる」


 疑いと警戒の色。――どう手に入れたのか、探っている。


「……確かに私はここにあっては場違いに見えるかもしれません。ですが、これは私にとって最後の希望なんです。ここに探し求めている答えがある……そう信じています」


 再び、視線が交わる。迷いの影がかすかに揺れた。冷や汗が背を伝う。


 重い息のあと、ひとりが視線を和らげて言う。


「この紹介状が本物なら、私たちに止める権利はない。だが、お前が勝手をしないか、目を離さないよう監視がつく。いいな?」


 私はすぐに頷いた。


「ありがとうございます。それで構いません」


 奥歯を噛み、心を引き締める。――何が待つとしても。


 門が、鉄と石の低い悲鳴を上げて動き始めた。重さそのものの音が鼓膜に響き、張り詰めていたものが微かに震える。吹き込む風の冷たさが、これからの道の険しさを告げた。


 門の向こう、石畳が塔へ真っ直ぐに伸びる。近づくほどに灰色の巨体は圧を増し、天を衝く影の下へ踏み入る瞬間、身の小ささが嫌でも知れる。


「ついて来い」


 命じる声に顔を上げる。ひとりが前へ、もうひとりが後方に位置を取り、無言の監視がつく。受け入れるほかない。


「お願いします」


 小さく頭を下げ、門を越えた。背後で再び重厚な閉鎖音。――容易には戻れない。


 塔へ向かう道は静かだ。風音と靴底の打音のみ。兵は黙し、時折こちらを見やるが言葉はない。無言の圧がじわじわと皮膚に沈む。


 塔が迫る。古い石壁に無数の刻印。素人目にも意味を孕む線と記号――ここには積み重ねた歴史と謎がある。


 兵が足を止め、私に一瞥。


「ここから先は、王立魔術大学の管理区域だ。下手な行動を取れば、どうなるかは保証できん」


 冷たい忠告。ありがたく受け取り、頷く。深呼吸。扉の向こうに待つのは、希望か、それとも――


「行くぞ」


 その一言とともに、灰色の塔の中へ足を踏み入れた。


 扉が軋む。冷えた空気が流れ出す。ひと歩み――息を呑む。


 内部は外観の重苦しさに反し、異様な広がりを感じさせた。高い天井から無数の魔道ランタンが青白い光を落とし、微細に揺れる。淡い輝きが空間を脈打たせ、塔そのものが呼吸しているようだ。


「これは……」


 思わず声が漏れる。


「ここは入口に過ぎん。しばしここで待て。すぐに受付の者が現れる」


 頷く。兵は背に回り、静かに待機する。緊張が空気に滲み出ている――彼らもまた、この“場”に警戒を解かない。


 青白い光は天井の高さを強調し、影を複雑に踊らせる。壁の文様は装飾に留まらない。

 魔術は学んだことがない。それでも、線と記号の組み合わせが術式の断片に見えた。――塔全体が一つの巨大な魔法陣として機能しているのではないか。


 静寂の底から、靴音が近づく。奥の通路の闇に薄い影が動いた。


「お待たせしました」


 光の縁に現れたのは、華奢な体つきの男性。三十代後半ほど。長い銀髪を束ね、濃い緑のローブ。端正な顔に静かな冷静、瞳の奥に鋭い光。


「卒業生からの紹介状をお持ちだそうですね」


 静かな視線が、無意識にこちらを探る。


「はい、私は――」


 名乗ろうとした瞬間、彼が手を上げて制した。


「名乗るのは後で結構です。紹介状も後で拝見しましょう。それよりも、あなたが何を求め、この塔へ来たのかをお聞きしたい」


 冷静な声に潜む刃。言葉を誤れば、信頼を失い、ここを追われるだろう。


 私は深く息を吸い、胸の渦を鎮めた。できるだけ平らな声で応える。


「私は――答えを探し求めています。この塔には、それを知るための手がかりがあると伺いました」


「答え、ですか……」


 わずかに眉が上がる。共感か、別の何かか。


「具体的には何を?」


 言葉が詰まる。簡潔に言えればよいが、それは容易ではない。鋭い眼差しが、急かすように刺す。


「……簡潔に申し上げるなら、この世界の理――魔石と魔術の成り立ち、そして、それに隠された“秘密”です……」


 空気が、わずかに変わる。瞳が細まり、さらに深く覗き込む。


「……なかなか大それたことをおっしゃいますね。しかし、その歳でその意識を持つことは実に興味深いです」


 皮肉にも聞こえる。息を詰めた私に、彼は口元を歪めて微笑み、振り返る。


「ついて来なさい。この先で、話を続けるとしましょう。兵士の方、ここまでご苦労さまでした。私共はこの方を受け入れることにいたします」


 後ろ姿が青白い光に溶けていく。

 私はその背を追う。一歩ごとに石の冷たさが靴底を伝い、進む道の厳しさを告げる。希望か、さらなる試練か――わからない。それでも戻らない。覚悟は、もう胸の奥で固く息づいている。


 闇の深淵から生まれ落ち、世界を蹂躙する魔獣。その核に眠る魔石が文明を支え、人々は魔術と魔道具の恩恵に浸り、依存を深めていく。だがそれは同時に、脅威を生み続けることでもある。


 命を簒奪する魔獣が消えれば、魔石もまた失われる。魔石なくして魔術は成り立たず、魔道具はただの物へ戻る。人々は目を逸らし、都合の良い真実だけを選び取ってきた。平穏の背後で、どれほどの血が流れ、いくつの命が犠牲になったのかを――。


 それでも世界は進む。繁栄は歩みを止めない。私たちがどこへ向かうのかも問わずに。

 父さまは、この矛盾に立ち向かおうとした――そして破れた。私は、そう思えてならない。


 それらは推測に過ぎない。だが、答えはここにあるのではないか。


 私はそう信じている。いや、信じるしかない。旅路で触れた断片の真実は、寄せ集めただけでは足りない。矛盾に終止符を打つには、この塔の知と記録が不可欠だ。


 世界の底に横たわる、歪んだ理を知ること。そのためなら、どれほど苦しい道であろうと進む。


 足を止めず前へ。冷えた空気の中、呼吸の音が小さく反響する。青白い光が壁に揺れて、魔法陣めいた影が浮かぶ。――塔そのものが、私を見ている。


――知らなければならない。


 言い聞かせるたび、胸の奥が強く疼く。ここまで来たからには、何ひとつ無駄にできない。


 そして私は誓う。たとえ何を見つけても、どれほど残酷でも、目を逸らさない。

 この歩みは、私自身の弱さと戦うためのものでもあるのだから。

テーマ性の明確さ

 主人公が「世界の理」と「矛盾」を求める目的を軸に物語が展開されており、テーマが明確です。この世界では魔獣と魔石が表裏一体の存在であり、魔石に依存する文明が抱える矛盾が描かれています。この設定は、単なるファンタジーにとどまらず、現実世界のエネルギー依存や環境問題を暗示しているように思えます。


緊張感の持続

 冒頭の兵士とのやり取りから、塔の内部に進む過程まで、緊張感が絶え間なく続いています。兵士の厳しい態度や冷えた空気、塔の異様な雰囲気が丁寧に描写され、物語の世界に引き込む効果を生んでいます。また、主人公が紹介状を差し出す場面では、自らの行動が成功するかどうか分からない不安や緊張が伝わってきます。


主人公の心情

 あまりに無知で無力であると感じている主人公は、この行動を「最後の希望」として位置づけており、切実さが滲み出ています。塔に足を踏み入れる際の心の葛藤や、世界の矛盾を知りたいという執念が、共感を呼び起こします。また、希望と恐怖が交錯する心理描写が、物語全体に深みを与えています。


舞台の構築

 灰色の塔、青白い光、壁に描かれた魔法陣など、舞台設定が非常に具体的かつ幻想的です。塔自体が「生きているかのようだ」という描写が、この場所に神秘性と威圧感をもたらし、物語の中核となる舞台としての存在感を強めています。


心理描写

 「知らなければならない」と繰り返し言い聞かせる場面や、「たとえ残酷な真実であっても目を逸らさない」という誓いが、主人公の強い意志と脆さを同時に表現しています。


世界観の構築

 魔獣、魔石、魔術、そしてそれに依存する文明という設定。この世界観は、単なる背景ではなく、物語の主題や主人公の行動動機と密接に絡み合っています。特に、「魔石が文明を支える一方で、魔獣を生み出すことを容認する」という矛盾は、物語全体を通じた重要な問題提起となっています。

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