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やるだけやってみる

「ヴィル、それまでに私に何かできることはないかしら? なんでもするわ」


 言葉に詰まりそうになる喉を押さえ込んで、私は必死に訴えた。胸の奥から湧き上がる焦燥と、どうにか役立ちたいという一心で、気持ちを精一杯込めたつもりだった。それでも、ヴィルは少しだけ表情を緩めるだけで、すぐに首を横に振る。


「それには及ばんさ。お前は何もする必要はない。下調べは俺がやるし、情報面はカテリーナに任せろ」


 端的で、いつものようにぶっきらぼうな返事。でもその中には、かすかな気遣いの色が見え隠れしている気がした。彼なりの優しさだと分かっていても、それを受け入れるだけでは心が収まらない。


「でも……私だけ何もしないだなんて、二人に申し訳なくて。ただ待ってるだけなんて、嫌だよ……」


 言葉が震えた。自分が頼りない存在に思えて、どうしてももどかしい。何かしなければ、と思うほど、役割を見つけられない自分が苦しかった。


 ヴィルは一瞬私を見て、面倒そうに肩をすくめた。


「いいんだ。お前はこれまで通り“目を引くちょっと変わった女の子”で街を歩いていろ」


「そんな……」


 あまりに予想外の言葉に、思わず驚きの声が漏れる。ヴィルがこんな冗談めいたことを言うなんて――と目を見開くと、彼は口元に微かな笑みを浮かべた。


「街は今、お前の噂でもちきりだぞ? それも、とてもいい意味でな」


「そうなの? でもそれが何になるっていうの?」


 耳を疑うようなヴィルの言葉に、私は首を傾げる。それが本当だとしても、複雑な気持ちになるばかりだ。けれど、ヴィルは私の反応を見て、軽く鼻を鳴らしながら続けた。


「いい意味だと言ったろう? 確かにミースの選択は間違っていなかったな。お前は人々の目に強く焼き付いた。まるで伝説の姫巫女メービスがこの地に降り立ったみたいだと、そんなことを言う奴までいるらしい」


 メービス――その名を聞いた瞬間、私の心臓が小さく跳ねた。古くから語り継がれる精霊の泉の巫女。その名を口にされること自体が身に余る重荷のように感じられる。期待に応えられるほどの存在ではないのに、と。


「そんなお前が選定の儀式に現れたら、注目を集めるに違いない。

 仮に王宮の連中が何か咎めるようなことを言い出したとしても、民衆が反感を覚えるだろう。お前の存在は既にそういう力を持っているんだ。だから心配することはない」


 ヴィルの言葉が私の胸に重く響く。自分がそんな影響力を持つなんて、まるで想像もしていなかった。けれど、それは同時に私に求められているものの重さを感じさせた。どう振る舞うべきか。どんな顔で人々の前に立つべきか――。


「……本当にそれだけでいいの?」


 その問いは、自分に向けたものだったのかもしれない。かすれた声で呟く私に、ヴィルは振り向きもせずに答えた。


「ああ、それだけで十分だ」


 低く静かなその声は、まるで深い夜の帳に溶けていくようだった。私にそう信じさせる力がある一方で、どこか寂しさを感じさせるものでもあった。


 彼の背中が徐々に遠ざかる。頼もしさを感じる反面、その先に見据えられているものが私の手から零れ落ちるような、そんな気がしてならなかった。


◇◇◇


 ヴィルはああ言ったけれど、何もしないわけにはいかないと思った。だから、私は決意して、ある場所を訪ねる事に決めた。


 それはリーディス王立魔術大学。大陸随一の魔術師の総本山。

 そこには無数の才能が集い、膨大な知識が研鑽されている。その名はただの響きではなく、知識の殿堂としての威厳を感じさせる。もしも――もしもそこに足を踏み入れることができれば、私が追い求める謎の手がかりが見つかるかもしれない。


 まずは、カテリーナに尋ねることにした。

 彼女はデスクに向かい、忙しそうにペンを走らせている。その姿には隙がなく、独特の冷静さが漂っていた。私が近づくと、ちらりと視線を向けただけで、理由を聞くこともなく手元の地図を放り投げて寄こす。


「ほらよ」


 その素っ気ない一言とともに、地図がデスクの端で小さく跳ねた。


 私は地図を広げ、細かく描かれたリーディスの都をじっと見つめた。

 迷路のように入り組んだ通り、城塞のようにそびえる王宮、そしてその隣に描かれた二つの塔。灰色の塔と白銀の塔――ただその名を読むだけで、二つが持つ意味の重さに胸がざわついた。


 カテリーナがペンを置き、地図に目をやりながら説明を始めた。


「白銀の塔はね、王族しか立ち入れない神聖不可侵の領域だ。謎に包まれてるって言えば聞こえはいいけど、実質ただの高貴なお飾りってとこだろうね。

 対して灰色の塔は、魔術師たちの巣窟。学問も研究も実験も、あらゆることが行われてるって話だ」


 彼女は指先で地図の一部を軽く叩いた。


「ここが灰色の塔の入り口。王宮側の門を越えて進めば見つかる。でも、あんたみたいな普通の人間が入れる場所じゃない。許可証が必要だってこと、忘れるんじゃないよ」


 その指摘に、私は地図を握りしめたまましばらく考え込んだ。王立魔術大学という大陸最高峰の知識の宝庫に、どれだけ準備不足で飛び込もうとしているのか、自覚はしている。だが、それでも私には行く理由がある。


「大丈夫です。出身の魔術師から紹介状をもらっていますから。それがあれば、きっと通れるはずです」


 カテリーナの顔に一瞬驚きが浮かび、それからすぐに肩をすくめた。


「そりゃあ心強いね。でも、道筋が見えたって、実際に通れるかどうかは別の話さ。覚悟があるなら、やるだけやってみな」


 私は深く礼をして、感謝の言葉を口にした。


「ありがとう、カテリーナさん。あなたのおかげで勇気が湧きました」


 彼女は視線を落とし、軽く微笑んだ。それから、ちょっとからかうように言葉を足す。


「それとね、いい加減あたしに敬語使うのやめてくんない? あんた、ヴィルにはずいぶん砕けた態度なのに、あたしに対してはいつもよそよそしい。正直、気味が悪いったらないよ」


 言葉に詰まり、私は困惑した表情を浮かべてしまった。カテリーナは笑みを浮かべながら首を傾げる。


「まあ、そのぎこちないところも嫌いじゃないけどさ、対等に話すほうが、気楽だと思うよ」


 彼女の言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった気がした。カテリーナの言葉はいつも素直で、そして不思議なほど的を射ている。


「……わかったよ、カテリーナ。これからはそうする」


 そう答えた声は自分でも驚くほど小さく、不器用に聞こえた。それでも、カテリーナは満足げに頷き、再びペンを手に取る。


 外に出ると、冷たい風が頬を撫で、空は灰色に曇っていた。

 道を行き交う人々の喧騒の中、私は地図をしっかりと胸に抱えた。白銀の塔と灰色の塔――そのどちらかに私が求める答えが眠っているはずだ。


 カテリーナの「やるだけやってみな」という言葉を反芻しながら、私は小さく息を吐いた。冷たい風の中で、心だけは不思議と熱を帯びていた。

 このシーンは、主人公が自らの役割や価値を模索し、周囲のキャラクターの言葉や態度を通じてそれを再認識していく過程を描いています。


主人公の心理 焦燥と自分の存在意義

 主人公は、「何もしない」ことへの強い焦燥感を抱えています。この感情は、彼女が単に行動したいという衝動に駆られているわけではなく、仲間に対する責任感や、自分も同じ土俵で貢献したいという願望から来ています。


「私だけ何もしないだなんて、嫌だよ」

 このセリフには、自己否定的な感情が含まれており、自分を仲間の中で不釣り合いな存在だと感じる弱さが見えます。しかし、この感情は同時に、彼女が真剣に状況に向き合っている証拠でもあります。単なる無力感ではなく、「自分の役割を果たしたい」という前向きな意志が読み取れます。


「私にできること……本当にそれだけでいいの?」

 ここでの問いは、ヴィルに向けたものではなく、彼女自身に向けられたものです。自分の存在意義や価値に対する葛藤があり、それが彼女の内面的なテーマとなっています。この問いをきっかけに、彼女が自身の中で答えを見つけていく過程が今後の物語の鍵になると考えられます。


ヴィルの役割:支えと距離感

 ヴィルは、主人公にとって頼れる存在である一方で、絶妙な距離感を保っています。その態度には、彼が主人公を対等な存在として認め、彼女自身の成長を期待している姿勢が見えます。


「それには及ばん」

 この一言は、彼の優しさと実務的な配慮を象徴しています。主人公を無駄に危険にさらさず、自分とカテリーナで必要な部分を補完するという適材適所の合理的な判断をしています。ただし、これが主人公にとっては「自分が必要とされていない」という誤解を生む種になっている点も興味深いです。


「お前はこれまで通り“目を引くちょっと変わった女の子”で街を歩いていろ」

 一見軽口のように聞こえますが、実は彼女が持つ「人々の注目を集める存在としての力」を正確に評価しているセリフです。ヴィルは直接的な行動だけが貢献ではないことを示唆し、彼女の存在価値を認めています。


「ああ、それだけで十分だ」

 この言葉には二重の意味が込められています。一つは、彼女の存在が既に十分な力を持っているという肯定。そしてもう一つは、彼自身が背負う責任を感じさせる孤独感です。彼の背中が「手から零れ落ちるように」感じられるという描写は、彼がその先にどんな覚悟を持っているかを暗示しています。


メービスという象徴

 「伝説の巫女姫メービス」の名前は、主人公の存在意義を象徴する重要な要素として機能しています。


期待と重圧

 メービスの名前が持つ神聖な響きは、主人公に対して無意識のうちに「選ばれた者」としての期待を背負わせます。この名前を聞いた瞬間の彼女の動揺は、自分がその期待に応えられるかどうかの不安とプレッシャーの表れです。戦う力はあったとしても、それで果たして彼女のように誰かを救えるのか。そんな期待に応えられるのか。


主人公とメービスの対比

 メービスが「理想の存在」として語られるのに対し、主人公はまだ未熟で揺れ動く存在です。このギャップが彼女の葛藤を深めると同時に、成長の余地を示しています。


民衆の目という力 偶像アイドル

 ヴィルが語る「伝説と重ねられるほどの影響力」というのは、主人公自身が意識していない力です。この「無意識の力」が、彼女が最終的に自己を受け入れるきっかけになる可能性があります。


カテリーナとの対話:現実的な支え

 カテリーナは、ヴィルのような精神的な支えではなく、実務的かつ現実的な助力を提供する役割を担っています。


地図を渡す行動

 地図を無造作に渡す彼女の態度は、彼女らしい飾り気のない性格を表しています。それと同時に、主人公の行動を静かに応援する姿勢が読み取れます。


「やるだけやってみな」

 彼女のシンプルな励ましの言葉は、主人公に行動する勇気を与える重要な要素です。この言葉は、ヴィルの間接的な指導とは異なり、主人公自身の選択と行動を促す直接的な力を持っています。


主人公の成長の方向性

 このシーンは、主人公が「行動による貢献」ではなく、「存在そのものの価値」に気づき始める重要な場面です。しかし、それを完全に受け入れるにはまだ葛藤が残っており、その過程が物語の軸となることが示唆されています。


行動ではなく存在の価値

 主人公が「待つだけでは何も始まらない」と感じるのは自然な反応ですが、ヴィルやカテリーナの言葉を通じて、自分が何かを「する」ことだけが価値ではないと学んでいく過程が描かれています。


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