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真実を求める者

 私の決意表明に、ヴィルもカテリーナも、一瞬言葉を失った。


 夜の部屋には、窓の外から流れ込む冬の冷気がほんのり漂い、足元の床に静かな冷たさを残している。空気が微かに張り詰めていた。

 その静けさが、私の言葉の重みをより浮き彫りにしているようだった。


 最初に沈黙を破ったのは、カテリーナだった。


「あんた、それ本気で言ってるの? 冷静になりなさいな」


 いつもは軽やかで冗談めいた響きが混じる彼女の声が、この時ばかりはどこか硬く、真剣さを帯びていた。

 冗談半分で流されることはない、と伝えてくるその響きに、一瞬心が揺らぎそうになる。

 彼女の指先がグラスをゆっくりと回していた。そのガラス越しに揺れる赤い光が、テーブルクロスに淡い輪郭を描く。


 けれど私は、彼女の言葉に応えることなく、静かに首を横に振った。

 自分の中で固めた思いを、誰にも崩されるつもりはなかったからだ。


 カテリーナは小さくため息をつき、グラスの中のワインを見つめてから、静かに視線をヴィルへ送る。

 グラスの縁を指先でなぞりながら、困惑と諦めが入り混じったその表情が、やわらかな影となって壁に揺れていた。

 一方、ヴィルはそんな彼女を余所に、口元に薄い笑みを浮かべていた。

 その笑みはどこか満足げで、意外にも私の決意を肯定しているように見えた。


 カテリーナの眉がきゅっと寄り、鋭い視線がヴィルを捉える。


「ヴィル。あんたは、一応この子の保護者でしょ? 言ってやりなさいよ」


 その言葉に、ヴィルはわずかに眉を上げるだけだった。

 椅子の脚が床板を僅かに擦る音が、静かな部屋に細く響く。

 そして、カテリーナの方を向き、少し間を置いて答える。


「保護者だと?」


 その問い返しは、まるで事実確認をするかのようで、妙に淡白だった。


「そいつは誰のことだ?」


 その反応に、カテリーナは肩をすくめ、呆れたように息を吐く。それでも彼女の瞳には、隠しきれない心配の色が浮かんでいた。


「……あんたね、ほかに誰がいるっていうのよ」


 カテリーナの声には軽い調子を装った響きが混ざっていたが、その裏にある切実さは、二人のやり取りを見守っていた私にも伝わってきた。

 ヴィルはその視線を受け止めながら、穏やかな口調で静かに言葉を紡ぎ出した。


「俺はミツルを子供扱いするつもりはない。一人前の人間として見ているつもりだ。情報を共有した上で、自分なりに考え、導き出した答えなら、俺はそれを尊重する。それが仲間を信頼するってことだと思っている」


 その声は冷静で揺るぎないものでありながら、不思議と温かさを感じさせた。ヴィルが普段から多くを語らない分、そのひと言ひと言には重みがあった。

 テーブルに注がれたワインの赤が、ランプの光を受けて揺れている。


「よほどの無茶でもない限り、俺はこいつの自由な意志を邪魔するようなことはしない」


 ヴィルの瞳が、暖色の灯りを受けてわずかに濡れ、私をまっすぐに見据える。

 その目には一切の迷いがなく、まるで私の覚悟を試すようでもあり、同時にそれを全面的に支える確かな意思が込められていた。


 その真摯な眼差しが、胸の奥にじんわりと熱を灯す。

 どこかで暖房の小さな唸り音が、遠くで途切れる。


 カテリーナはヴィルの言葉にしばし黙り込んだ。手元のワイングラスをそっと持ち上げ、縁を指先でゆっくりと撫でるように回す。

 その冷たいガラスの感触に、思索に耽るときの彼女の癖が滲んでいる。


 しばらくして、彼女は軽く息を吐き出し、視線を私に向けた。


「ミツル、覚悟だけじゃ乗り越えられない壁もあるんだよ。私は、そいつを身に沁みて理解しているつもりだ。だから言ってるんだよ」


 彼女の声は優しく、それでいてどこか切なさを含んでいた。その言葉には彼女自身が越えてきた苦難の重みが滲んでいるようだった。


「わかってるつもりです。それでも、これが一番の近道だと思うから」


 私の返答は、決意をさらに固くするものだった。迷いが全くないわけではない。不安ももちろんある。

 けれど、それでもこの道を進む覚悟だけは揺らがないと、自分に言い聞かせた。


 カテリーナは微かに眉を寄せ、首を横に振る。その表情には戸惑いと諦めが混じり合っていた。やがて彼女はヴィルに視線を向け、皮肉めいた口調で言う。


「呆れた……。二人とも、揃いも揃って馬鹿じゃないのかい?」


 その言葉に、ヴィルはほんの少し肩をすくめ、いつもの落ち着いた声で応じた。


「常識的に考えれば、カテリーナの言う通りだ。だが、これはある意味チャンスと捉えるべきだろう」


 その一言に、カテリーナは驚きの色を浮かべ、わずかに目を見開いた。

 グラスを持つ手がわずかに止まり、部屋の静けさが夜の深さを増す。


「……ちょっと、ヴィル。けしかけてどうするんだい?」


 カテリーナの問いかけに、ヴィルは短く息を吐くと、冷静な声で言葉を紡いだ。


「考えてみろ、カテリーナ。これは聖剣の真贋を明らかにする、最適かつ最短の方法だ。この茶番じみた儀式の裏に隠された思惑や真の狙いを暴くには、これ以上の好機はない」


 その声には冷徹な現実主義が滲み出ていたが、それだけではなかった。

 どこか確信めいた響きが含まれている。それが余計に、カテリーナを迷わせるのだろう。


「それはわかるさ。でもね……」


 カテリーナは言葉を途切れさせ、グラスを指先でくるりと回した。赤い液体がランプの灯りを反射し、静かに揺れている。


「それでも、心配するなって方が無理な話よ。この子にそんな重責を背負わせるなんて」


 彼女の声は、否定しきれない苦々しさを含んでいた。


 ヴィルは彼女の言葉を一旦受け入れるように、小さく頷き、穏やかに言葉を重ねる。


「お前が心配するのもわかる。考えるまでもなく、立ちはだかるリスクは山盛りだ」


 その声は静かで、どこまでも平坦だった。それでも、不思議とその奥底には重みがあった。まるで、あらゆる懸念を理解した上で、その先を見据える者のように。


「だが、ミツルが状況に対して、冷静に対応できるのであれば、この選択は間違いじゃない」


 その言葉に、カテリーナは小さく鼻を鳴らしながらも、視線を落としてグラスの中身をじっと見つめたままだった。

 グラスの縁を指先で撫でる仕草には、考え込むような気配が漂っている。


「冷静に、ね……それが一番難しいのよ」


 彼女は小さく笑った。でも、その笑みには明らかに引きつったものが混じっていた。


「この子がそこまでできるなんて、どうしても思えないんだけど」


 カテリーナの口調は冗談のようにも聞こえるが、どこか刺のような現実味が含まれていた。それは、彼女なりの優しさと懸念が滲み出た言葉だったのだろう。


 ヴィルはそれを聞いても表情を変えず、静かにカテリーナの言葉を受け流した。

 その態度が、彼の揺るぎない信念を物語っているように見えた。

 椅子の軋む音が短く響き、夜の静寂がそっと部屋に降りてきた。


「それに、聖剣の真贋を明らかにしたところで、結局、この子自身が危険に晒されることには変わりないんだからね」


 カテリーナの言葉は、軽い口調の奥に心配と警告を滲ませていた。その視線には、どこか諦めにも似た切実な想いが込められているように感じた。


 一瞬、返す言葉を探してしまう。それでも、胸の中に浮かぶ確かな想いが私を支えてくれた。


「それでも、やる価値はあると思います」


 自分でも驚くほど、私の声は静かで力強かった。

 冬の夜の冷えと、食卓に残る温かな余韻が、声に重なった。


「資格を持つ私が動かなければ、何も進まないまま、聖剣がただのお飾りで終わる。それだけは嫌なんです。

 それに、たとえ偽物だと判明したとしても、集まった人たちの前で『これは偽物です』だなんて宣言するつもりはありません。真実を確かめること、それが何より大切だと思うから」


 その言葉を紡ぎ終えたとき、カテリーナの表情が一瞬だけ変わった。

 ほんの少し目を丸くし、私を見つめる瞳には驚きと僅かな感心が混じっていたように思えた。


 そして、ふっと柔らかく微笑む。

 グラスを持つ手が少し震えているのが、光の加減でわずかに伝わる。


「本当に、あんたは大人びてるんだか無鉄砲なんだか、よくわからないわね」


 カテリーナはそう言いながら、呆れたように肩をすくめる。それでも、その声にはどこか安心したような温かさが滲んでいた。


 ヴィルがその場の静けさを破るように、低い声で口を開く。


「それでいい。冷静に考え、判断を下し、リスクを承知で動く。それこそが、この場面で求められる覚悟だ」


 彼の言葉には期待が込められていて、同時に私を試すような感覚もあった。


「そして、俺たちは支援に徹し、万が一に備える。これがベストな布陣であり、最善手だ」


 その声には揺るぎない自信と信頼が宿っていた。


 カテリーナは視線を横にそらしながら、小さく息を吐き出した。


「……私も応援はするよ。ただし、無理は禁物だからね。わかったかい?」


「もちろんです。いざとなれば、いつでも撤退するつもりです。」


 自分の声が少しだけ落ち着いて響く。指先に残るテーブルクロスの感触と、ワイングラスの冷たさが、心の奥の緊張をそっとなだめてくれる。


「まったくもう……誰に似たんだかね」


「だろう?」


 ヴィルがわずかに口元を緩める。


「これが俺たちがよく知っている、“グロンダイル”と名のつく者に流れる、血の証明さ」


「ほんとにね。どうやら、この腐れ縁からは逃れられそうにないみたいだね。困ったもんだ」


「ははっ、違いない」


 二人がそう言って笑い合う。


 彼らのやりとりはどこか軽妙で、それでいて言葉の奥底に、長い年月の重みと深い絆がにじんでいた。

 それが私を包み込むようで、言いようのない安心感が心に灯るのを覚えた。


――ありがとう、茉凛。選んだ道を信じさせてくれて。


 心の中でそっと囁くと、茉凛の静かで優しい気配が、夜の部屋のあたたかい湯気のように、私の心の奥深くへそっと広がっていく。


 このシーンは、ミツルの成長とその背後にある擬似的な家族関係が巧みに描かれた場面であり、物語の中核となるテーマが垣間見える重要な部分です。


ミツルの覚悟と孤独の中の成長**

 ミツルの「資格を持つ者」としての使命感が、物語を牽引する原動力として強く描かれています。彼女の言葉には、不安や迷いが全くないわけではありませんが、それを振り切るだけの強い意志が込められています。


聖剣を「お飾り」にしたくないという気持ち

 ミツルにとって、聖剣はただの伝説や象徴ではなく、自分自身や茉凛との繋がりを深く象徴するものです。そのため、それを軽んじたり無意味なものとして扱われることに耐えられないという感情が、彼女の行動の基盤になっています。


「真実を確かめる」という目的

 たとえそれが結果的に苦いものであっても、ミツルは「真実」に向き合う覚悟を持っています。この点で、彼女の精神的な成熟と前向きな姿勢が際立っており、彼女が「一人前の人間」として見られる理由が納得できる形で描かれています。


カテリーナの役割 現実的な優しさと懸念

 カテリーナのキャラクターは、ミツルの決意に対する懸念を示しつつも、最終的にはそれを受け入れる役割を果たしています。


覚悟だけじゃ乗り越えられない壁がある

 彼女の言葉は、ミツルに対する深い優しさからくるものです。過去に自身が経験したであろう苦難(ユベルとヴィルとで矛盾を正そうとして挫折したこと)が滲み出ており、単なる心配ではなく、経験に基づいた助言として読者に響きます。


反対から応援への転換

 最初は懸念を抱きながらも、ミツルの強い意志を目の当たりにすることで、カテリーナは最終的に彼女を応援する立場に回ります。ここでカテリーナの「姉のような包容力」と「どこか飄々とした気楽さ」が巧みに組み合わさり、物語に温かさとリアリティを加えています。


ヴィルの現実主義と信頼

 ヴィルはこの場面で、「冷静な現実主義者」としての一面を発揮しています。しかし、その態度の裏には、ミツルへの深い信頼と期待が込められています。


「子供扱いしない」という姿勢

 ヴィルが「保護者として止めるのではなく、仲間として尊重する」と明言することで、ミツルの成長を真に認めていることが伝わります。この一言が、ミツルの孤独を軽減し、同時に彼女に対する期待と責任を明確にしています。


「支援に徹する」という役割の明示

 ヴィルの言葉には、彼自身が守護者としての立場を担いながらも、ミツル自身が状況を乗り越えることを重視している姿勢が表れています。彼の現実的な態度は、カテリーナの感情的な懸念と対比され、物語のバランスを保っています。


擬似家族としての絆

 このシーンでは、ミツル、ヴィル、カテリーナの関係性が「血縁ではない家族」として描かれています。特に、彼らのやりとりに垣間見える「お互いを補い合う」関係が印象的です。


ミツルの役割

 ミツルはこの関係の中心に位置し、自身の成長を通じて二人との絆を深めています。彼女が「精霊の巫女の資格を持つ者」として行動を起こすことで、ヴィルとカテリーナもまた彼女の支えとなり、共に物語を進めていく流れが感じられます。


カテリーナとヴィルの関係*

 カテリーナの感情的な反応とヴィルの冷静な態度が対照的でありながらも、それぞれがミツルを支える役割を果たしている点が、彼らの絆をより深く感じさせます。特に三人を繋ぐ「グロンダイルの血筋」に関する軽妙なやりとりは、緊張した空気を和らげると同時に、彼らの過去と絆を暗示しています。


物語全体への影響と伏線

 このシーンには、物語の核心に触れるいくつかの伏線が含まれています。


聖剣の真贋

 儀式の目的や結果が、この先の展開にどのような影響を与えるのか。真実が明らかになったとき、ミツルの覚悟がどのように試されるのかが気になるところです。


「グロンダイルの血筋」という言葉

 ヴィルとカテリーナが口にするこの言葉は、ミツルの背景や運命に深く関わる要素として作用する可能性があります。それが単なる茶化しではないことが、暗に伝えられています。


家族の絆

 ミツルが危険な道を進む中で、ヴィルとカテリーナがどのように彼女を支え、時には衝突するのか。擬似家族としての絆が、物語の感情的な軸になることが予感されます。

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