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茉凜の消失

 ヴィルとの手合わせが終わった後、胸の奥にじわりと安堵が広がる。それでも、私は小声で剣の中の茉凜に話しかけた。


「茉凜、ありがとう。あなたのおかげで勝てたよ」


 返事がない。その静寂に、心に小さな影が落ちた。


「茉凜、聞こえてる?」


 呼びかけても、何も返らない。どうしたのだろう。剣をぎゅっと握りしめながら、もう一度問いかける。


「ねえ、茉凜、返事して。どうして黙ってるの? お願い、答えて」


 それでも沈黙だけが返ってくる。不安と焦りが胸を締めつけ、肺が細かく震えた。

 ヴィルが私の様子に気づいたらしい。心配そうな声がかかる。


「どうした? 何かあったのか?」


 はっとして彼を見上げる。どう答えたらいいのかわからない。できるだけ平静を装い、唇を引き結んで応える。


「な、なんでもないわ。さすがにちょっと疲れちゃって……。今日はもう宿に戻って休むわね」


「そうか、無理するな。ちゃんと休むんだぞ」


「うん……ありがとう、ヴィル」


 ヴィルは心配そうな表情を浮かべながらも、小さくうなずく。


「ああ、また明日な」


 軽く手を振り、マウザーグレイルをぎゅっと抱きしめたまま、その場を後にする。昼下がりのエレダンの街は人通りが多く、話し声や客引きの声があちこちから響いていた。

 最初は早足だったのに、やがて駆け足へ――胸に広がる不安を振り払うように、ただ宿へと急いだ。


◇◇◇


 宿に戻ると、私はドアを閉めるなり、深いため息とともにベッドへ腰掛けた。白きマウザーグレイルを膝の上に置いて、もう一度、茉凜に静かに呼びかける。


「茉凜、聞こえてる? お願い、答えて……」


 けれど、依然として何の応答もない。その沈黙が胸を締めつけ、瞼が熱くなる。茉凜がいないと、闇の中に一人取り残されたように心細い。


「なぜ……どうして返事してくれないの? 茉凜……」


 胸中で小さくつぶやく。彼女が私をからかっている? いや、そんなわけはない。

 何が起きたのか想像もつかず、焦りが募る。


「茉凜、教えてよ……いったいあなたに何があったの?」


 その時、不意に、全身に疲労感がどっと押し寄せた。ベッドへ倒れ込むと、重い眠気が容赦なく意識をさらっていく。抵抗する術もなく、私は涙を浮かべたまま眠りへと落ちていった。


 日が暮れた頃、茉凜の囁く声が耳に届く。声と同時に、刀身がかすかに揺れ、白銀の光粒が宙へ跳ねた――


《《美鶴、起きてるかな?》》


 その声を聞いた途端、私は飛び起き、半ば取り乱しながら問い詰める。


「茉凜! いったいどうしたの? どうしてずっと返事してくれなかったの!?」


 泣きそうな声に混じる怒りと心配に、茉凜は少し間をとってから答えた。


《《ごめんね、美鶴。わたし、眠ってたみたい》》

「眠ってた? どうして?」

《《うん、ちょっとマウザーグレイルに深く入り込みすぎちゃったみたい》》

「入り込むって、どういうこと? 私、本当に心配したんだよ!?」


 語気を強める問いに、茉凜はゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


《《ごめんね。わたし、考えたの。予知の視界と動き出しのラグは、接続のクッションが多すぎたことが原因じゃないかって。それで、わたしをマウザーグレイルの深いところに落とし込んで一体化させれば、解消できるんじゃないかと思ったんだ》》


 信じられない話だった。だが、思い返せば、あのとき私の認識と身体の動きの間に、ほとんどラグはなかった。願うままに黒鶴の能力と身体が連動し、ひとつの流れを作っていた。


《《でも、うまくいったみたいでよかったーっ!》》


 茉凜は何事もなかったように笑う。その明るい声が、胸に苛立ちを生んだ。


「何が“うまくいった”よ!? あなた、それがどれほど危険か、わかってるの? この剣のことはまだ何もわかってないのに。二度と戻れないかもしれないって考えなかったの? どうして勝手にそんなことしたの? わたし、本当に怒ってるんだから!」


 声を荒らげる私を前に、茉凜は一瞬沈黙する。やがて優しく、しかし力強い声で応えた。


《《……勝手なことをしてごめんなさい。でも、もしそうしなければ、ヴィルには勝てなかったでしょ?》》


「それは、そうかもしれないけど……でも……」


 あの状況でそんな提案を受けていたら、私は決して許さなかっただろう。


《《それに、これから先、もっと強い敵が現れるかもしれない。わたしたちはもっと強くならなきゃいけない。なのに、あなたばかりに負担をかけて、わたしが何もしないなんてできないもの》》

「そんな……あなたが無理することなんてない……」


 涙が視界を滲ませる。彼女の言葉が、私の内面をかすかに震わせた。

 茉凜は言葉を紡ぎ続ける。


《《だめ。わたしたち、昔約束したでしょ? “辛いことも悲しいことも、二人ではんぶんこにしよう”って。わたしたちは、どちらか片方が欠けてもだめなの。『ふたつでひとつのツバサ』なんだからね》》


 その声に、前世の記憶が鮮やかに蘇る。

 黒鶴の安全装置セーフティとして、半ば強引に私と結びつけられた彼女。素直になれず、冷たく拒絶していた私に、彼女はひだまりのような優しさを届けてくれた。


 いつのまにか私は、彼女に心惹かれていた。だが、数えきれない縛りにがんじがらめで、その想いに応えられなかった。

 そんなある日、彼女は恥じらうように、小さな片翼のキーホルダーを差し出してくれた。二つを合わせれば一対の翼になる、私たちの関係を象徴する品。

 そこに込められた絆と希望が、私たちのつながりは単なる友達以上の、もっと深い意味を帯びていると教えてくれた。


「それはわかってる。でも、あなたがいなくなったら、私はどうすればいいの? そんな未来、想像したくもない……」


 声が震える。茉凜がいない世界など、考えられない。


《《大丈夫だって。わたしがいなくなるはずないじゃない。あなたって危なっかしくて放っておけないし、とんでもない泣き虫だし、そんなあなたを置いてどこへ行くっていうの? それに、わたしのゴキブリ並みの生命力を侮らないで》》


 乱暴な言葉遣い。だが、その中に私を支えようとする優しさが滲んでいた。


《《美鶴は本当に強い人だよ。だけど、時には自分を信じられなくなることもある。それは誰だって同じ。だからこそ、わたしがいるの。一緒にいれば、わたしたちはもっと強くなれる。だから、これからも頑張ろう?》》


 その柔らかな声が、心の奥までしみ込んでくる。胸の中に温かいものが広がり、自然と微笑んでいた。


「うん……でも、もうあんな無茶はしないで。私を一人にしないでね」


《《わかってる。今回は急ぎすぎたから、加減がわからなかったの。これからはゆっくり時間をかけて、この剣のことを理解していこう。そうすれば、もっと力を引き出せるかもしれないから》》

「そうだね。そうしてくれると嬉しい……」


 穏やかな息を吐きながら返事をする。茉凜の存在が、私の世界を再び安心と希望で満たしていく。


 そのとき、気持ちが落ち着いたからか、不意にお腹が「ぐうーっ」と大きな音を立てた。

 あまりの音に、自分でも驚いて手でお腹を押さえる。頰が熱くなり、どうしていいかわからず、小さく丸まってしまう。


《《あなた、お腹空いてるんでしょ? わたしにはわかるんだからね》》

「う、うるさいんだから……!」


 顔を真っ赤にして反論するものの、茉凜は私の困惑を見透かしたように笑う。


《《あははは、元気な証拠だね。何か食べに行こうよ。お昼も食べてないんでしょ?》》


「うん……。なんでもいいからお腹に入れたい。それと、ちょっとお酒も飲みたいかも……」


《《それ、賛成!》》


「今日の勝利は茉凜のおかげだもの。祝杯をあげましょうか」


《《おーっ! じゃあ三杯くらいお願いね》》


「こらっ、調子に乗るなってば。まったくもう、これだから呑んだくれは!」


 思わずくすりと笑ってしまう。いつもの私たちのやりとりに戻ったことが、心地いい。茉凜と話しながら、私は宿を出た。


 夜のエレダンの街並みが、静かに広がっている。持続反応式の魔道街灯が柔らかな光を落とし、そのぬくもりが私を包む。

 背で白い刃が小さくきしんだ。茉凜が歩幅を合わせる合図だ。

 その音は、夜風よりもあたたかかった。

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