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漆黒の運命と白き剣

 ひたすら南下を続けて、数日後。私たちはようやくキカロスの鬱蒼とした森林地帯を抜けた。旅路を思い返すと、胸の奥にじわりと広がる痛みは、まだ消えない。


 けれど、この期間はただの移動ではなかった。立ち止まる時間があったからこそ、考えるきっかけが生まれた。魔獣を生む元凶、魔石に依存する文明の光と影――父さまが命を賭して向き合った、この世界の矛盾に。


 ヴィルは、私に何を伝えたかったのだろう。答えはまだ霞の中にある。それでも、感じ取れるものがあった。


 怒りや憎しみだけでは、何も解決しない。憎悪に突き動かされて戦えば、連鎖が続くだけだという現実。


 それでも、本当に魔獣を消し去りたいのなら、この世界の価値観を根から動かす変革が要る。ヴィルが示したのは、たぶん、その冷静で長い視座だったのだろう。


 思いは、いっそう切なさを募らせた。私は自分に問いかける。


 私と茉凛が転生してまで、この世界に降り立った意味とは何か。なぜ戦わねばならなかったのか。デルワーズの言葉――『長い間、この世界を守るために戦い続けていた』。それが本当なら、私の使命もその延長線上にあるのだろうか。


 理不尽だと思わずにいられない。


「そんなに大切だっていうなら、自分で守ればいいのに……」


 喉から漏れたのは、怒りと悲しみが混じるかすれ声。どうしようもないやるせなさが、喉の奥に残る苦味となって込み上げる。


 私はただ、デルワーズという器の中で茉凛と再会することを願い、深い眠りへ落ちたはずだった。目覚めたとき、足元には父さまの血が広がり、私の手には白い剣があった。


 こみ上げる無力感は、現実の重さに比例して募るばかり。どれだけもがいても、過ぎ去った時間は戻らない。変えられると信じた願いも、指の間から零れ落ちる。指先の冷えが、涙の温度も奪っていく。冷たい雨に紛れる涙だけが、静かに頬を伝った。


 それでも、白きマウザーグレイルは、私に残された唯一の希望だった。父さまと母さまが、この剣を軸に繋がっていた真実。いつかそれを掴めたなら、答えに辿り着けるのだろうか。霧の中を歩くように、不安に揺れながらも、その思いにしがみつく。


 この剣に込められた意味を知りたい。それが父さまの遺したものなら、戦う理由へ繋がると信じたい。母さまの秘密に触れるたび、髪をなでる風の冷たさが、心の迷いをかき混ぜるけれど、それでも――


 何も見えなくても、私は前へ進むしかない。


《《美鶴、あなたが考えてること、わかってる。デルワーズのことでしょ? ほんとにむかつくよね。あいつ、約束は守るって言いながら、わたしをこんな剣の中に放り込んでさ。わたしが「追いかけて殴ってやる」なんて言ったから、こんなことになったんだよ、きっと》》


「ひどいよね……。私も殴りたい」


《《……そうだよ。だいたい、転生する先に、同じ名前のミツルって子が用意されてるなんて、どう考えてもおかしいもん》》


「そうよね、ミツルを不幸にしたのはあいつだ」


 私は柄を指先でいじり、唇をきつく噛む。剣の柄に汗がにじむ。茉凜の声が胸の奥に響くたび、押し殺してきた怒りが小さな火種になって灯る。


《《美鶴はずっと辛い思いをして、頑張ったのに。幸せにならなきゃいけなかったのに、なんでこんな目にあわなきゃいけないの……》》


 胸がきゅっと縮む。すべてを取り戻そうとしても空回りばかりで、運命の歯車は誰かに弄ばれるように回り続ける。茉凜が怒りを代弁してくれるたび、少しだけ息がしやすくなるのは、私の痛みを誰より分かってくれるから。手の甲を服でそっと拭う。


「本当に……。私たちの運命を勝手に操って、平然と見ているようなデルワーズが許せない」


 小さく息を吐く。震えた声は、霧のようにほどけた。


《《次に会ったときは、私が全力で殴りに行くからね!》》


「ふふ……それなら、一緒に殴りに行くわ。私たちの怒りを、ぶつけてやろう」


 剣の向こうから届く茉凜の温もりに、柄を包む指がかすかに震える。胸の奥の氷は、少しずつ溶けはじめた。


◇◇◇


 さらに数日が過ぎ、私たちはついにリーディス国境に近い商業都市「クワルタ」へ到着した。


 遠くからでも市場の喧噪が波のように寄せ、石畳には陽が反射する。踏みしめた足裏から、石の冷たさがじんわり伝わる。並ぶ屋台は色とりどりで、馬の蹄音がカラコロと響く。香辛料と炭火の煙が層をなして鼻をくすぐる。異国の衣装をまとった旅人や商人の笑い声が重なり、胸の重さが一瞬だけ軽くなる。


「さて、ここを抜ければいよいよリーディスか……」


 そう呟いても、胸にこびりつく緊張は消えない。目的地は目前なのに、心はざわつく。覚悟は決めたはずなのに、一歩が重い。


「まずは、ここで入国に必要な準備を整える必要があるな」


 隣のヴィルは淡々としている。真剣なときほど、余計な感情を表に出さない――長い旅で、少しずつそれも分かるようになってきた。


「うん」


 頷いても、不安は簡単には拭えない。リーディスにおける黒髪の意味――それが離れない。


 黒髪は不吉の象徴。たかが迷信と笑い飛ばせたら、どれほど楽だろう。けれど、この土地では深いタブーで、人々の心に影のように張り付いている。法で禁じられているわけではないのに、絶対の事実のように扱われる。


 ヴィルの瞳が、一瞬だけ私の髪をかすめる。何気ない視線が、小さな波紋を胸に広げる。何も言われないからこそ、不安は増す。


「迷信だとしても、影響を無視するわけにはいかないよね。面倒事はごめんだから」


 自分の声がわずかに震えた。隠したい揺れが、喉に絡む。


 ヴィルは短くうなずく。


「解決策については後で話そう。差し当たっては宿探しだ」


「そうね……久しぶりにベッドに飛び込んで、何も考えずに眠りたい気分」


 素直にこぼすと、ヴィルはやわらかく笑った。


「お前も相当疲れているだろう。まずはしっかり休むことが大事だ」


 ふと、バルグに目をやる。彼は重たい背嚢を馬から下ろし、肩へ背負い直していた。


「儂はこの街で知り合いと会う予定があってな。そなたたちとは、ここで一旦お別れだ」


「えっ!? 一緒にリーディスには行かないの?」


「そうしたいところだが、どうしても片付けねばならん用があるのだ」


 困ったように笑う顔はいつも通り。けれど少し寂しげで、私は馬の首を撫でる大きな手に目を留める。


「そんたたちなら、何の問題もなくリーディスにたどり着けるだろう。気をつけて行けよ。遅れはするが、儂もすぐに追いつく」


 背嚢の革紐を握る手に、うっすら埃が付いているのを見て、胸がきゅっとなった。長く共にした仲間の一時の別れは、どうしようもなく心に沁みた。


「……わかった。気をつけてね。また会おう」


 名残惜しさが声に滲む。気づいたのか、バルグは優しく笑った。


「ああ。何かあれば風を頼れ。儂の風はいつでもそなたの味方だ」


 ふっと安堵が広がる。旅のあいだ何度も感じた守りの風が、今もそばにある気がした。


 見送る私の黒髪が、そよと揺れた。あの優しい風は、きっと偶然なんかじゃない。


《《美鶴、人が多い街でもバルグならすぐに見つかるよ。だって、あんなに大きな人が美味しいもの目当てでうろうろしてたら、絶対目立つもん》》


「うん、それもそうだね」


 その光景を思い浮かべると、自然に口元がほころぶ。心がすこし軽くなる。


 目の前の謎は、依然として重く積もったまま。触れるたび胸の奥がざわめき、不安という影が静かに寄る。その答えを追うことが正しいのか、確信はまだ持てない。


 もしかすると私は長いあいだ、見えない呪いに囚われ続けているのかもしれない。冷たい鎖が心を縛る感覚。だけど立ち止まるわけにはいかない。動くことでしか、わずかな光は見つからないのだと信じている。


 祝福など求めない。ただ、停滞に縛られることが、どうしても息苦しい。動きたい、進みたい――その一心で、私は足を前へ運ぶ。

 物語の転換点に差し掛かりながらも、キャラクターたちが内面の葛藤や深い思索を抱えている様子が繊細に描かれています。ミツルが感じている胸の奥の痛みや、世界に対する矛盾した想いが丁寧に掘り下げられ、物語のテーマや動機が浮き彫りになっています。


 まず、ミツルの心情は、父の死や自らが抱える使命に対する理不尽さ、そして世界の不条理に対する怒りが渦巻いています。それに加えて、魔獣や文明が抱える矛盾に焦点を当てながら、自分自身の運命がどれだけ他者に左右されているのかという切ない問いかけが印象的です。彼女はただ戦うだけではなく、この世界の在り方そのものを問い直し、根本的な変革が必要だと考える姿勢が際立っています。


 ミツルと茉凜の会話は、一見軽妙ながらも、根底には互いを支え合う絆と痛みの共有が感じられます。茉凜が剣の中から語りかける明るい言葉には、二人の過去と絆がにじみ出ており、怒りと悲しみの感情が交錯する様が繊細に表現されています。これにより、戦いの中での彼女たちの心の支えが自然と伝わってきます。


 また、ヴィルやバルグといった仲間たちとのやり取りは、ミツルが抱える緊張や不安、仲間と別れることへの寂しさを映し出しており、旅の疲れとともに、仲間との絆が一層感じられます。特にバルグの風の守りが、ミツルに安らぎを与えている描写は、旅の重圧の中で一瞬の安堵をもたらしています。


 全体を通して、ミツルが過去の出来事に縛られながらも、未来へと進む決意を抱いている様子が彩られています。複雑な感情が交錯する中でも、進むべき道を模索する彼女の姿と物語の展開が見られます。


大人部分の美鶴主導による心理、その考察

 美鶴の心理を考察すると、彼女の心の中には幾重にも折り重なった感情の層が見えてきます。その大人びた側面は、旅の途中で抱えてきた悩みや葛藤、そして使命感に満ちています。彼女の前世の記憶や、今生で失われた家族の悲しみが混ざり合い、強い矛盾と葛藤を生んでいるのです。


 まず、旅を続ける中で彼女が直面したのは、父親の遺志を引き継ぐことの重圧です。父が命を賭けて守ろうとした世界の矛盾を知るたび、彼女はその理不尽さに怒りを感じながらも、冷静な視点を持たなければならないと自分に言い聞かせています。ヴィルが示唆した「怒りや憎しみだけでは解決しない」という教えを理解しながらも、その理想と現実の間で板挟みになり、心が揺れているのが分かります。


 また、美鶴は、自分の運命を誰かに操られているように感じていて、その不安が彼女の深層心理に影を落としています。デルワーズへの怒りは、単なる憎しみではなく、自分が生まれ変わる先さえもコントロールされたことへの抗いようのない無力感から来ているのでしょう。それでも、美鶴の中には一種の静かな決意が宿っていて、行動しなければこの状況は何も変わらないという思いが彼女を突き動かします。


 茉凜とのやりとりは、美鶴の複雑な心理に温かさをもたらす存在として描かれています。美鶴が怒りや悲しみを表に出せるのは、茉凜が彼女の感情を受け止めてくれるからこそです。茉凜の明るさとユーモアが、美鶴の暗い感情に光を差し込む役割を果たしています。それによって、美鶴は少しずつでも前を向こうとする力を得ているのです。


 このように、美鶴の心理は、自分が持つ力や使命に対する深い思慮と、どこか理不尽な運命に対する抵抗心、そして心を支えてくれる存在への感謝とが織りなす、非常に繊細で複雑なものであるといえます。それは単なる怒りや悲しみだけではなく、希望と絶望の狭間で揺れ動く、人間としての強さと脆さが交錯したものです。

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