記憶の中の父さまの姿
突然、暗闇に白靄――ヴィルの影が射す。
少し先の並行視界がコマ送りに揺れ、その猛烈な圧力が私に向かって迫った。
上段に構えた突きは、片方の手を剣先に添え、身体の勢いを乗せた鋭い雷撃となって突進してくる。
考える暇もなく、私の身体は勝手に反応していた。引くのではなく前に進み、その突きをかいくぐって懐へ滑り込む。
不思議な感覚だった。
予知の視界から反射する動作の間に、ほとんどラグが感じられない。全感覚が、一つの流線に収束していく。
ヴィルの動き、風の流れ、空気の圧力、全てが一体となり、私の中で一つの映像として描かれていた。思考を挟まず、本能だけで身体が鋭く連動する。
心臓が激しく鼓動し、血潮が全身を駆け巡る。突きをかわそうと身をかがめ、至近距離から剣先に場裏を纏わせた〈エアバースト〉を叩きつけようとした瞬間、目にした映像に違和感が走った。
突如として、ヴィルの剣がかき消え、腕だけが虚を薙ぐ。
瞬時に、全身を鋭い危機感が駆け抜けた。
これは虚勢。真正面に突き出した腕で私の目を奪い、その裏で剣を持つ腕を巧みにひねって斬り払う――それが本命。
ヴィルは、身体の中心に蓄えた力を剣先へと誘導し、烈風の斬撃で私の胴を狙ってくる。
脳裏が真白になる。
……心臓が喉を突き破りそうだ。
――それでも動け、かわすしかない。
その一瞬、私の内なる願いが炎のように燃え上がり、異能【黒鶴】が覚醒した。
背中に黒い翼が急速に展開し、瞬く間に輝き始める。その光は闇を裂き、体内には言葉にできないほどの力が流れ込んできた。胸の奥で、狂気と歓喜が交錯する。
――もっと速く……もっと鋭く。ヴィルに追いつかなければ。
その願いが私を突き動かし、無数の場裏が瞬いた。
そこから解き放たれたエアバーストが私を射出する。骨が軋むほどの圧力が全身を貫くが、構わない。
わずかな瞬間で横へと跳び、ヴィルの刃は私をほんの僅か掠めるだけで終わる。
荒れ狂う気流が肌を削り、まともに息をする余裕すらない。
予知視が情報を押し込む。
ヴィルは止まらない。流れるような動作で斬り払いから瞬時に剣先を捻り、逆手で斬撃を繰り出す。下から迫る斬撃を避けようと、私は苦し紛れにエアバーストで跳躍を試みるが、その行為さえ彼の罠に組み込まれていたと気づいたのは、宙へ舞い上がった刹那だった。
このままでは着地を取られ、終わる――。
絶望が私を蝕もうとした、その時。
心の奥底に一筋の光が走った。
時間が止まったかのように、私の意識はまばゆい光の中に包まれる。
そこに浮かび上がったのは、過去の情景。
巨大なベアードウルフと相対する父さまの姿が、鮮明に蘇る。華麗な舞のように素早く、巧みに攻撃を回避するその姿は、優雅でありながら圧倒的な強さをまとっていた。
流麗な動き。宙へと舞い上がり、捻りを加えた宙返りからの回転体術、そして連続する剣戟。その変幻自在な戦闘スタイルが、敵を翻弄していく。
これが父さまの戦い方――。
私の中にも脈打つ力。その姿は、時が止まったこの世界で、はっきりとしたイメージとなって私の心と身体に刻まれていった。
心の中で何かが弾けた瞬間、止まっていた時間が再び流れ出した。
私の周囲に配置された無数の場裏から、エアバーストが意のままに解放される。思う通りの動きに応じて加速し、剣の流れに合わせて身体を滑らかに操る。空気圧を最大限に引き出し、捻りと回転を加えた複雑な姿勢制御。その動きは、先ほどまでの私とは別人のようだった。
天地が反転する。その渦中で、下方の剣閃だけが輪郭を放つ。そして、マウザーグレイルの剣先を滑らせ、彼の剣撃を交わした。
剣と剣が擦れ合い、火花が散る。
マウザーグレイル由来の茉凜の視覚情報、黒鶴の場裏による爆発的な加速と姿勢制御、そしてユベル・グロンダイルの変幻自在な体術――バラバラだったすべてが、今ここで一つの流れとなって統合されていく。
私は確信する。これこそが、ずっと切望していた私自身の力なのだ、と。
ヴィルの剣が空を切る鋭い音が、鼻先を掠める。そのまま、彼が私にタックルを仕掛けようとしているのが、はっきりと見えていた。
私は、その一瞬の隙を逃さない。巨躯が私を捉える直前、身をひるがえしてかわす。
剣先が肌をかすめる微かな感触が、ひりりと神経を刺激した。私は場裏からのエアバーストを巧みに操り、空中を滑らかに移動する。
エアバーストを最大限に引き出し、迫る刃の勢いを逆手に取り、横方向へと一気に加速する。水面を滑るように横へ流れ、ヴィルの巨体をかろうじて外した。
強烈な風圧が肌を刺し、耳鳴りが頭蓋内で反響する。
それでも、私は地面に着地した。エアバーストが慣性をわずかに和らげ、私の身体はふわりと地面に降り立つ。
次の攻撃に備えて身を構えた、その時――ヴィルの静かな声が空気を震わせた。
「ここまでだ」
その一言に、全身が安堵に包まれ、意識は暗闇から現実へとゆっくり引き戻される。
目を開けると、視界は霞み、ほとんど何も見えない。肺が火照り、喉が砂を噛むように乾く。足が鉛のように重く、膝が笑っていた。それでも、戦いが終わったのだと、浅く激しい呼吸を繰り返しながら実感する。心臓が痛いほど脈打ち、その鼓動が頭蓋を揺らした。
苦しいけれど、生きている。その事実だけが、小さな安らぎとなって胸に滲む。
その時、ヴィルが深く息を吸い込み、突然、豪快に笑い出した。
「わっはっはっ!」
その嗄れ笑いは天井に反響し、修練場全体を揺らした。それは緊張で張り詰めていた空気を一気に解き放った。驚きと戸惑いが胸に湧き上がり、私は彼を見つめたまま動けずにいた。
「どうして……どうして笑うの?」
戸惑いつつ問いかける私に、ヴィルはにこやかな笑みを浮かべた。
「いや、すまん。嬉しくて、ついな。お前の動きを見ていたら、まるで昔のユベルが帰ってきたように思えたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥に押し込めていた感情が、音を立てて崩れ落ちた。
「え……」
ぽかんと口を開けたまま、私の中でくすぶっていた何かが、一気に噴き出す。
「父さま……」
震えた声が漏れた瞬間、胸の奥にずっと沈んでいた塊が決壊するように、涙があふれた。喉が詰まり、声にならない嗚咽が空気を震わせる。肩が震え、涙の熱が指先を濡らした。堰が切れたように、私は顔を覆った。
――会いたかった。
その一念が胸を灼き、視界を滲ませる。