表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/644

淡々とした背中に隠された想い

 茉凜は、あれからずっと沈黙を守っている。きっと私の強情さに呆れて、言葉すら失ったのだろう。


 ヴィルは私のことを甲斐甲斐しく介抱してくれた。レルゲンに託されたという、大切なポーションまで持ち出して、私に飲むように勧めた。


「そんなに貴重ななもの、風邪くらいでもったいないよ」


「いや、駄目だ。こういう時にこそ惜しんでいてはならん。肝心な時にお前が全力で動けない方が問題だ。さあ、飲め」


 冷静で理路整然とした声に、私の抗弁は届かない。逆らえない自分が情けなく思えた。差し出された瓶は澄んだ琥珀色に輝き、薬草の香りがほのかに立ち昇って胸を落ち着かせる。


「こんなことで……」


 小さく呟くが、ヴィルは眉一つ動かさず鋭い瞳を向けてくる。その決意がどんな言葉も退けてしまう。ずるい人だと思う。


 私は仕方なく苦笑し、瓶の口を唇にあてた。清涼感が喉を駆け抜けると同時に、胸の奥に小さなぬくもりが広がる。ポーションの効果か、それとも彼の真剣さに応えたせいかはわからない。


 飲み終えると、茉凜がようやく心の中で囁く。


《《美鶴、あなたがいくら意地を張ったって、ヴィルはさらに上行く頑固者なんだから。決して許してくれないよ。わかるでしょ?》》


 風が抜けるような声に、私は小さくため息をついた。わかっている。彼は絶対に信念を曲げない。


「そりゃ、わかるけど……」


 結局、私はただの意地っ張りだ。その自覚が胸を苦くさせる。


 ヴィルはきっと気づいていない。冷静なまま、肩の外套を広げて私に掛けてくれる。その仕草は少しぎこちなく、不器用さがかえって可笑しい。けれど優しさが届くたび、自分の弱さが際立ち、胸が痛んだ。


「情けないな……」


 震える声に、彼は驚いたように目を見開く。


「情けない?」


「お前は何も情けなくなんかないさ。こういう事は、誰にだってある」


 その言葉に、心が揺れる。茉凜は子供をあやすように囁いた。


《《彼を信じてあげなきゃ。あなたが頑張ってるの、彼だってわかってるんだから》》


 安心を与えてくれる声。でも、私はまだ少しもがいてしまう。彼の優しさを素直に受け入れるのが怖い。


 体が震える。寒さではない。彼の手が触れるたびに温かく、それが逆に恐ろしく感じられる。真っ直ぐな気持ちが重すぎて、自分の弱さを認めるのが嫌だった。


「寒くはないか?」


 至近距離で響く低い声。心配そうな皺を刻んだ目に見つめられると、余計に泣きたくなる。泣けば弱さを認めてしまう気がして、唇を噛んだ。


「……なんで、だろう」


 声は震えていた。自分の感情が制御できず、答えが見つからない。


 茉凜が静かに寄り添う。


《《美鶴、それはね……信じることが怖いからだよ。優しさに寄りかかるのは、とても勇気がいることだから。わたしとの時もそうだったでしょう?》》


「信じるか……」


 誰かに自分を預けること。それは思っていた以上に怖いことだと気づく。


 ヴィルは困惑した表情を浮かべながらも、急かさず見守っていた。その静かな思いやりが、痛いほど胸に染みる。私はぎこちなく微笑もうとするけれど、涙が滲んで、結局うまく笑えなかった。


◇◇◇


 二日間の熱は長く感じられたが、ようやく体調を取り戻すと冬の空気も少し和らいでいた。体が軽くなると共に、心の雲も薄らぐ。それでもヴィルの背中を見ると、胸がきゅっと締めつけられる。


 彼は何事もなかったように旅立ちの準備を進めている。冷静で無駄のない動きは、戦士としての彼そのものだ。二日間の看病を思い返すと、彼が酒好きであるにもかかわらず、一滴も口にしなかったことを思い出す。それだけで胸が痛む。


 無言の献身は、言葉以上に強く響く。命に代えても守るという決意が、不器用な行動から伝わってくる。


「……ヴィル」


 声をかけようとしても、感謝は気恥ずかしくて言葉にならない。ふと振り返った彼の青い瞳に、ほんのわずかな安堵が見えた気がした。


「準備はできたか?」


 平静な声。それが「もう大丈夫だな」と告げるように聞こえる。私は頷き、胸に押し寄せる感情を飲み込んだ。


「うん……」


 彼は何も言わない。ただ、口元がわずかに緩んだように見えた。それだけで胸が温かくなった。

【ミツルの“言えなさ”】

表情や手の動き、描写(視線を逸らす・唇を噛む・頷きに含ませる「わずかな感情」)で、明確な言葉よりも“裏側”を伝える。


 優しさや感謝、寄りかかりたい気持ち、でも素直になれない自分――それをあえて言葉にせず、ただ「うん……」や「……なんで、だろう」といった小さな独白に滲ませている。


 相手のまっすぐな誠実さ(ヴィルの献身)に、素直に応えきれず、涙がこぼれる。けれどそれを感謝や好きだと伝えることは最後までできない。


 茉凜とのやりとりでも、素直に謝れず、素直に寄りかかれない。


行間から読む「情感の層」

 ヴィルに看病される→うれしい/悔しい/恥ずかしい/怖い/甘えたいが混ざっているのに、言葉にできない。視線、間合い、動き、呼吸で“思い”が伝わる構造。


 「うん……」の一言、「目を逸らす」「涙をこぼす」動作に、全てが込められている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ