淡々とした背中に隠された想い
茉凜は、あれからずっと沈黙を守っている。きっと私の強情さに呆れて、言葉すら失ったのだろう。
ヴィルは私のことを甲斐甲斐しく介抱してくれた。レルゲンに託されたという、大切なポーションまで持ち出して、私に飲むように勧めた。
「そんなに貴重ななもの、風邪くらいでもったいないよ」
「いや、駄目だ。こういう時にこそ惜しんでいてはならん。肝心な時にお前が全力で動けない方が問題だ。さあ、飲め」
冷静で理路整然とした声に、私の抗弁は届かない。逆らえない自分が情けなく思えた。差し出された瓶は澄んだ琥珀色に輝き、薬草の香りがほのかに立ち昇って胸を落ち着かせる。
「こんなことで……」
小さく呟くが、ヴィルは眉一つ動かさず鋭い瞳を向けてくる。その決意がどんな言葉も退けてしまう。ずるい人だと思う。
私は仕方なく苦笑し、瓶の口を唇にあてた。清涼感が喉を駆け抜けると同時に、胸の奥に小さなぬくもりが広がる。ポーションの効果か、それとも彼の真剣さに応えたせいかはわからない。
飲み終えると、茉凜がようやく心の中で囁く。
《《美鶴、あなたがいくら意地を張ったって、ヴィルはさらに上行く頑固者なんだから。決して許してくれないよ。わかるでしょ?》》
風が抜けるような声に、私は小さくため息をついた。わかっている。彼は絶対に信念を曲げない。
「そりゃ、わかるけど……」
結局、私はただの意地っ張りだ。その自覚が胸を苦くさせる。
ヴィルはきっと気づいていない。冷静なまま、肩の外套を広げて私に掛けてくれる。その仕草は少しぎこちなく、不器用さがかえって可笑しい。けれど優しさが届くたび、自分の弱さが際立ち、胸が痛んだ。
「情けないな……」
震える声に、彼は驚いたように目を見開く。
「情けない?」
「お前は何も情けなくなんかないさ。こういう事は、誰にだってある」
その言葉に、心が揺れる。茉凜は子供をあやすように囁いた。
《《彼を信じてあげなきゃ。あなたが頑張ってるの、彼だってわかってるんだから》》
安心を与えてくれる声。でも、私はまだ少しもがいてしまう。彼の優しさを素直に受け入れるのが怖い。
体が震える。寒さではない。彼の手が触れるたびに温かく、それが逆に恐ろしく感じられる。真っ直ぐな気持ちが重すぎて、自分の弱さを認めるのが嫌だった。
「寒くはないか?」
至近距離で響く低い声。心配そうな皺を刻んだ目に見つめられると、余計に泣きたくなる。泣けば弱さを認めてしまう気がして、唇を噛んだ。
「……なんで、だろう」
声は震えていた。自分の感情が制御できず、答えが見つからない。
茉凜が静かに寄り添う。
《《美鶴、それはね……信じることが怖いからだよ。優しさに寄りかかるのは、とても勇気がいることだから。わたしとの時もそうだったでしょう?》》
「信じるか……」
誰かに自分を預けること。それは思っていた以上に怖いことだと気づく。
ヴィルは困惑した表情を浮かべながらも、急かさず見守っていた。その静かな思いやりが、痛いほど胸に染みる。私はぎこちなく微笑もうとするけれど、涙が滲んで、結局うまく笑えなかった。
◇◇◇
二日間の熱は長く感じられたが、ようやく体調を取り戻すと冬の空気も少し和らいでいた。体が軽くなると共に、心の雲も薄らぐ。それでもヴィルの背中を見ると、胸がきゅっと締めつけられる。
彼は何事もなかったように旅立ちの準備を進めている。冷静で無駄のない動きは、戦士としての彼そのものだ。二日間の看病を思い返すと、彼が酒好きであるにもかかわらず、一滴も口にしなかったことを思い出す。それだけで胸が痛む。
無言の献身は、言葉以上に強く響く。命に代えても守るという決意が、不器用な行動から伝わってくる。
「……ヴィル」
声をかけようとしても、感謝は気恥ずかしくて言葉にならない。ふと振り返った彼の青い瞳に、ほんのわずかな安堵が見えた気がした。
「準備はできたか?」
平静な声。それが「もう大丈夫だな」と告げるように聞こえる。私は頷き、胸に押し寄せる感情を飲み込んだ。
「うん……」
彼は何も言わない。ただ、口元がわずかに緩んだように見えた。それだけで胸が温かくなった。
【ミツルの“言えなさ”】
表情や手の動き、描写(視線を逸らす・唇を噛む・頷きに含ませる「わずかな感情」)で、明確な言葉よりも“裏側”を伝える。
優しさや感謝、寄りかかりたい気持ち、でも素直になれない自分――それをあえて言葉にせず、ただ「うん……」や「……なんで、だろう」といった小さな独白に滲ませている。
相手のまっすぐな誠実さ(ヴィルの献身)に、素直に応えきれず、涙がこぼれる。けれどそれを感謝や好きだと伝えることは最後までできない。
茉凜とのやりとりでも、素直に謝れず、素直に寄りかかれない。
行間から読む「情感の層」
ヴィルに看病される→うれしい/悔しい/恥ずかしい/怖い/甘えたいが混ざっているのに、言葉にできない。視線、間合い、動き、呼吸で“思い”が伝わる構造。
「うん……」の一言、「目を逸らす」「涙をこぼす」動作に、全てが込められている。




