四話目
そんな経緯で、インターネットを介して、吉田君と会話ができた訳ですが、だからといって教室でよく喋るようになるなんて事にはなりませんでした。
ただ、変な話なんですが、リアルでは話さないくせに、時々、メールでやり取りをするくらいの交流はするようになったのです。吉田君の方でも、わたしのどこかどう『田中かえる』なのか気になるらしくて。わたしの方は正直、少しでも交流できる相手が増えた事が嬉しくて。
そんな中で、わたしは謎の女子高生『田中かえる』がもしも存在をするのなら、どんなものなのだろうか、と思いを巡らせるようになっていました。
もちろん、神谷君に言われた事や吉田君の影響がかなり強くあるのだと思います。
田中かえるは、実体のない妖怪です。実体がない、というか、色々な噂話が跋扈し過ぎていて、統一感がないのです。
例えば、こんな怪談があります。
ある人が雨の夜道を歩いていると、前から誰かが歩いてくる。傘に隠れて、足しか見えない。しかし、スカートをはいているのは分かる。それで男は高校生の女の子だと思う。気にせずに通り過ぎようとしたのだが、なんだか様子がおかしい。やたらに蛙が鳴く。
ゲコゲコゲコゲコ……
見ると、その女子高生の背後には大量の蛙がいて、女の子の後を追っている。
不気味に思って、傘を上げてその姿を見てみると、顔が蛙のような女子高生が傘もささずに無言で歩いていた。
――これなんか、河童の遭遇体験に近い印象を受けるような気がします。実際、発生要因には関係があるのかもしれませんが。
また他の話では、こんなのも。
女子高生が顔を伏せ泣きながら、川べりにいる。通りかかった男が、心配して「どうしたのか」と尋ねてみる。すると、女子高生は泣きながらこう答える。
『赤ちゃんが、赤ちゃんが』
女子高生の視線の先には、洗剤の泡が浮いていてその先の水中には、オタマジャクシがいてもがき苦しんでいる。恐らく、洗剤にやられたのだと男は考える。
女子高生は相変わらずに泣き続けている。
『誰がこんな事を、誰がこんな事を』と。
尋常な様子ではない。
男は不気味に思う。女子高生は顔を伏せて泣き続けている。男は、その場を立ち去ろうとして後ろを振り返る。
すると、そこには何百匹もの蛙がいて、女子高生と自分を取り囲んでいた。
蛙たちは、一斉に鳴き始める。
ゲコゲコゲコゲコ…
――これらの話には、現代的な背景の中にもはっきりと古来の怪談の特性が息づいているような気がして、わたしは好きです。
ただ、わたしは怪談が好きな事は好きなのですが、どちらかといえば怖いというニュアンスよりも、優しい、人を助けてあげるような類の不思議話が好みだったりします。
だから、もしも、田中かえるが存在するのであれば、そういったものがいいと思っていました。そっと人を助けてくれるような、そんな。
でも。
『君はそんなものじゃないかもしれない』
ある日のメールで、吉田君からわたしはそんな指摘を受けたのです。少し傷ついたのですが、それには続きがあってこんな事が書かれてありました。
『多分、君はとても感受性の強い人間なのだと思う。でも、感受性が強いって事はそれだけで良い事な訳じゃない。色々なものに敏感に反応し過ぎてしまうから、自然、自分を守るために己の殻に閉じこもろうとしてしまう。そして、自分の城だけでじっとしていたら、守られている安全な環境でだけ尊大な顔をする弱い人間になってしまう。
もちろん、君はそんな人間じゃないけどね。ただ、これだけは言える。強い感受性を持った人は、それだけ克服しなくちゃいけない課題が多い人生を送る事になるんだ。同じものに触れても、他の人よりも深く傷つく。ただ、それを乗り越えさえすれば、それは自分の力になりもするのだけど……』
わたしはそこまでを読んで、胸の痛い思いがしました。わたしは、決して積極的にそれを克服しようとはしていない。
『自分のそれを克服したい。でも、できない。そんな状態で苦しんでいる。僕には、君がそんな人間であるような印象を受けたよ。そして、恐らく、君はその中で、世界を憎んでいる。克服したい弱い自分を憎むのと同時に、残酷なこの世界を憎んでいる。克服できないからこそ、ね』
世界を?
『君は僕に告白してくれたね。時々、自分なんかの為に犠牲になっている人がいる事に耐えられなくなるって。
どうしようもなく、自分自身を否定していまいたくなるって。
自分自身の否定は、全世界の否定でもあるんだ、
分かるだろ?』
確かに、なんとなくだけど、わたしにはそれが分かりました。わたしは、こんな悲惨な事ばかりが起こる現実を認めたくない。そして、こんな悲惨な現実に対して、何にも抗おうともしない自分も認めたくない。
つまり、わたしは自分を、世界を、憎んでいる。
世界の全てを。
『内向的な人間には、それゆえの、外向的な人間とはタイプの違う深い凶暴性がある、なんてよく言われているよね。
多分、君はそんなものを隠し持っている。
もしかしたら。
それこそが、君の中の謎の女子高生“田中かえる”なのかもしれない。僕は最近、そう思うようになったよ。もちろん、単なる推測に過ぎないけどね』
単なる推測に過ぎない。
こういった類の言葉は、半ば彼の口癖のようなものみたいです。彼に言わせれば、世の中のほとんどの事柄は“そうかもしれない”程度の事でしかないのだそうです。
……実際に口にするのは苦手でも、メールだと正直に自分の事を語れてしまうので、いつの間にかにわたしは、吉田君にそんな相談までするようになっていたのでした。もちろん、彼を信用していたからというのは、言うまでもない事なのですが。
わたしの中の狂気、凶暴性。
わたしの中の『田中かえる』。
ある日の事でした。
わたしは授業中に、ボーっとしていました。謎の女子高生『田中かえる』。その事が頭から離れなかったのです。
苦しんでいる人達を助けてあげたい。
きっとわたしは、本気でそう思っている。だって、振り払おうとしても、それは全然、なくなってくれない。
でも、それは。
世界を憎む気持ちと表裏一体。
そういえば、世の理不尽に耐え切れず、改革を訴える人達が過激な行動を執るのは、世間ではよくある事のように思います。過激派な人達。わたしの中にあるそれは、そういったものに近い何かなのでしょうか?
だけど、わたしはとても弱い人間です。苦しんでいる人達を見るのが辛いのなら、それを見ないようにしようとする。してしまう。そうして、弱い自分を護ろうとする。わたしが努力するのは、消極的なそんな方向。
その時にわたしは、神谷君の事を考えました。実際に話した事はほとんどありませんが、吉田君の仮説通りだとするのなら神谷君には、人間関係を敏感に感じ取ってそれを視覚的なイメージとして捉える事ができるのです。そんな事ができるくらいなら、多分、とても感受性の強い人なのじゃないでしょうか?
そんな彼には、たくさんの悲劇が起きているこの世界がどう映っているのでしょう?他の人とそんなに変わらない?そうかもしれません。
(だって彼は、平気そうにしているもの)
もしも、
もしも、わたしに彼と同じ能力があったのなら、この現実世界の、どんな物事を拾ってしまうのだろう?
――その時でした。
『助けて』
え?
わたしがそこまでを思った時、突然、そんな声が聞えたのです。前を見ると、目の前の男子生徒の後頭部に、目と口とが現れている。
え?
わたしはもちろん驚きます。後もう少しで声が出てしまいそうなくらいに。ショックに近い感覚を覚え、動悸が激しくなる。
助けて、とそう言った声の質は、男性のものではありませんでした。男子高校生の後頭部に現れたにも拘わらず。
その目と口は、それから霧のようにスッと消えていきました。
幻?
わたしは、そこにどう捉えればいいのか分からない現実が現れた事で、しばらく緊張をし続けました。
何かのお化け?
そうも思いました。だけど、その後でこう思い直します。
……もしかしたら、神谷君が見ているようなものを、わたしは見てしまったのかもしれない。
意味のある幻を。
それから数日が過ぎた頃、久留間さんから妙な話を聞きました。
「ねぇ あなたのクラスに、妖怪に取り憑かれて困っている娘がいるらしいわよ。知ってた?」
「え?」
わたしはその話を知りませんでした。わたしの表情から、知らない事を察してくれたのか、久留間さんは詳しい内容を説明してくれます。
「子供の霊かなにからしくて。泥にまみれた子供の人形が、捨てても、捨てても、家までやって来るんだって……」
それから少し悩むと、問題ないと判断したのか、久留間さんは続きを言いました。
「ほら、石川さんって娘よ」
「石川さん……」
石川さんは、少々気の強いところがあるけれど、明るくて活発さが好印象を与えるようなタイプの女生徒です。妖怪だとかいった印象は彼女の中からは感じられないので、ちょっとわたしには意外でした。
彼女が困っている。
その時にわたしは、直ぐに教室で見た幻を連想しました。もしも、あれが何か意味のある幻なのだとしたら、ひょっとしたら、石川さんの助けて、というメッセージをわたしが視覚化したのかもしれない。
「どうしたの?」
その時、久留間さんからわたしは、そう問い掛けられました。どうも、動揺が顔に現れてしまっていたようです。
「ううん。なんでもないの」
と、わたしはそれを誤魔化しましたが、もちろん、それはわたしの頭の中から離れてはくれませんでした。
その日、わたしは吉田君にメールを送りました。もちろん、わたしが見た幻と、久留間さんから聞いた話を結び付けて、関係があるかどうか、意見を求めたのです。妖怪は、人々の間で生成される創発現象。もしかしたら、わたしの中の『田中かえる』も関係しているかもしれない。
次の日、吉田君から返答がありました。
『面白い話だね。
石川さんの件は僕も知ってるよ。実を言うのなら、神谷君が視てくれるように彼女から頼まれてるんだ。ほら、みんなの中じゃ、神谷君は霊視ができる事になってるだろ?
それで、僕も同行してくれってお願いされちゃって。
どうだろう? 君さえ良ければ、一緒に来ないか?』
わたしは、それに驚きました。まさか、そんな話になっているなんて、夢にも思ってなかったのです。やはり、わたしと他のみんなとの間には壁があるのかもしれません。
冷静になってから、わたしは悩みました。
自分の事と関係があるかもしれないし、それに不謹慎かもしれませんが、怪談の類は好きだから興味があるのも確かです。それで行ってみたい気持ちもかなりあるのですが、同時にわたしは恐れてもいます。
知らない人達と触れ合うのを。
それに、第一、吉田君とだって、リアルではほとんど会話した事がないのです。そんな中を耐え切れる自信は、わたしにはありません。
でも。
それからわたしは、少し考えるとこうメールを返信したのです。
『友達を、一人誘ってもいいのなら、わたしも一緒に行かせてください』
その友達とは、久留間さんの事です(わたしには、彼女くらいしか友達はいませんが)。久留間さんと一緒なら、怖くないかもしれない。それに彼女なら、きっと嫌な顔はしないだろうと思うし。
そのメールの返事は、学校でもらいました。昼休みに吉田君が話しかけてきたのです。
「あの話。大丈夫だってよ。
友達を誘ってもいいって。
こういう類の話だと、噂になるのを嫌って多人数が絡むのは普通、避けるものだけど、石川さんはそういうのを気にするタイプじゃないみたいだ」
わたしは、そう言われて、はじめて自分が失礼なお願いをした事に気が付きました。少し後悔をします。自己嫌悪。
その時の吉田君の口調に責めるような態度がなかった事がせめてもの救いでした。彼はその時、わたしの心中を知ってか知らずか、何か他にちょっと気がかりがあるような様子でもありました。
それから、吉田君はわたしに時間と場所とを告げました。久留間さんの予定が合わなかったらどうしようかと不安になりましたが、幸い問題はなさそうで、それどころか、彼女はそれを話すととても喜んでくたのです。
「面白そう~ 誘ってくれてありがとうね」
わたしは、その言葉を聞いて、とても安心をしました。




