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『中・たった一つの想いとともに』

 

 幼い頃に両親を失ったイェルドは唯一の家族である妹とともに孤児院で育った。

 子どもだったイェルドはとある人間によって、素質を見込まれた。裏仕事をするための、素質を。


 イェルドを引き取ったのは、裏社会で仕事をしていた元締めだった。

 人には言えないような様々な技術を仕込まれたイェルドはやがて頭角を現していった。十二歳になる頃には一人前として認められ、あらゆる仕事をこなしてきた。


 妹のイリスには自分が汚れ仕事をしていることは秘密にしていた。

 時間がある時は孤児院で生活している妹に会いに行っていたが、商会で雑用をしているとだけ答えておいた。


 ……本当は、イリスに胸を張れる仕事がしたいんだけれどな……。


 どこかの誰かが仕事に貴賤はないと言っていた。

 けれど、真っ赤に染まったこの手で、妹を抱き締めることは二度と出来なかった。


 血の匂いが、落ちないのだ。何度も何度も洗っても。

 手に血が付いていなくても、何故か、いつも血の匂いがして仕方がなかった。


 そんな時、イェルドを育ててくれた組織の元締めが原因不明の死を遂げた。

 同僚達は自分に矛先が向かうかもしれないと恐れ、元締めの死を明らかにすることはなかった。


 新しく元締めになった男は誰よりも強く、そして狡猾な人間だった。彼はたとえ危険で、足がつきそうな依頼も大金さえ積まれれば、二つ返事で引き受けた。


 そのやり方に賛同できず、組織から抜けようとした者がいたが、その者は捕まり、元締めの手によって殺されていた。

 誰よりも逃げ足が速い奴だったのに、と思った。


 そして、元締めは死んだ同僚の遺体を足で転がしながら、笑うのだ。俺を裏切れば、こうなるぞ、と。


 イェルドを含めた同僚達は新しい元締めに依頼の前金を全て奪われても、文句一つ言うことも出来ず、仕事をするだけの日々が始まった。

 

 そんな時、「勇者」の暗殺依頼がきた。

 いくつかの仲介を挟みに挟んでいたが、依頼人は身分ある者だということは察せられた。


 ……魔王討伐の功労者を殺せ、だなんて身分がある人間の考えることは分からないな……。


 イェルドは会ったことのない勇者に同情した。


 魔物を統べる魔王を討伐したことで、各地を行き来する者達──特に商人達からは安全に通行できるようになった、と勇者に感謝する声は多いというのに。


 ……その声が大きくなれば、勇者の存在が脅威になると思ったんだな。


 はぁ、と深く息を吐く。


 魔王を討った勇者を殺すのは容易いことではないだろう。

 それなのに、新しい元締めは依頼を受けてしまった。多額の前金と引き換えに、危険な道を選んだのだ。


 ただ、その仕事を任されたのは組織の中で最も若く、腕がいいイェルドだった。

 恐らく、任された理由としては、イェルドが切り捨てやすいという点もあったと思うが、周囲からの嫉妬などもあったのだろう。


 イェルドは拒否することも出来ず、勇者の暗殺の依頼を果たさねばならなくなった。

 きっと、自分は生きて帰ってくることは出来ないだろう。


 仕事に行く前に、イェルドは孤児院にいるイリスに会いに行った。しばらく、仕事で帰ってこられないから、と言って別れを告げる。


 イリスはまだ、十歳だ。イェルドの言葉を素直に聞いた彼女は、お土産を楽しみに待っていると言って、見送ってくれた。


 胸が苦しくて。

 でも、現状をどうにかする力も何もなくて。



 イェルドは仕事をするために、勇者が住んでいる屋敷へと向かった。


 難なく屋敷に侵入したイェルドは勇者が寝ている部屋へと入り、そして短剣で心臓を一刺ししようと振りかぶった。

 だが、短剣は弾かれ、イェルドの身体もあっという間に床の上へと転がった。


 ……ああ、ほら。やっぱり、勇者を殺すなんて、無理なんだよ。


 一瞬にして、自分が殺される側に回ったのだと実感する。しかし、勇者はイェルドを殺すことはなかった。

 自分を見下ろしていたのは、同じ年頃に見える少女だった。


 少女が動くたびに珍しい白い髪がはらり、と揺れる。

 白い髪が月の光を纏っているように煌めいて見えて、イェルドはその幻想的な姿に見惚れてしまっていた。


 綺麗、だと思った。闇の中で生きていたイェルドにとって、その白色はあまりにも眩しかった。

 それはまるで、夜道を照らしてくれる月明かりのようだとさえ思えた。


 その少女の顔立ちはどちらかと言えば可愛らしかった。けれど、満月の光を宿したような美しい金色の瞳には(きょ)が映っていた。


 勇者──アルシェは自分が国にとっては邪魔な存在となったことを理解していた。その上で、イェルドにとある提案をしてきた。

 まさか、自分を殺す許可を本人が出すとは思わなかったし、恋人ごっこなんて、茶番のような役割を求めてきた。


 だが、あとに引けなかったイェルドはアルシェの要求を飲んだ。一緒に暮らしていれば、暗殺に成功する機会もあるかもしれないと思ったからだ。


 それから始まったのは、他者から見れば奇妙な生活だった。

 イェルドはあの手この手でアルシェを殺そうと試みるも、彼女が死ぬことはない。聖剣の加護によって、守られているという。


 それでも、恋人として共に時間を過ごせば、殺せるかもしれないと彼女は笑ったが、イェルドは首を傾げるばかりだった。

 

 一緒に暮らして、彼女のことが少しずつ分かってきた。


 アルシェは家事が苦手だ。料理は切る、焼くくらいしか出来ないし、掃除は下手くそだ。

 風魔法で埃を吹き飛ばそうとしたが加減が上手くいかず、家具まで倒していた時には、彼女の雑さにイェルドは頭を抱えそうになった。


 けれど、使用人を屋敷に置かないのは、気兼ねなく暮らしたいかららしい。


 だから、代わりにイェルドが家事や掃除を担当したが、特別なことでもないのに彼女はいつも感謝してくる。

 ありがとう、助かった、と必ず言ってくるのだ。お礼を告げるのが当たり前だと言わんばかりに。


 ……変な奴。


 殺そうとする相手を褒めるなんて、変だ。


 アルシェは変だけれど、それでもイェルドが培ったものをいつだって褒めてくれた。それが、少しだけくすぐったくて──何故か、心地よかった。


 彼女自身はもう勇者ではないと言っているが、それは多分、勇者として扱われるのが嫌なのだろうと思った。


 実際、勇者として過ごした日々は良いものではなかったらしい。

 魔物を討伐する際、仲間から囮に使われていたと聞いた時は、自分のことではないのに胸の奥が燃えたように熱くなった。


 そんなもの、仲間でも何でもないと思ったが、アルシェは彼らに怒りを抱いていなかった。

 彼女は自分の勇者としての力が強大だと理解しているからこそ、他者を傷付けることに使うのを良しとしなかったのだ。


 ……馬鹿だ。でも、どうしようもなく、優しくて……。寂しがりやで……。不器用で……。


 普通の、女の子だと思えた。


 ああ、駄目だと覚ってしまう。「勇者」と「アルシェ」は別だと思うようにしていたのに、それでも情を抱いてしまう。暗殺対象に情を抱くなんて、あってはならないのに。


 どうしてなのか、アルシェには──幸せでいて欲しいと思ってしまったのだ。


 それなのに、アルシェはさらにイェルドを追い詰めてくる。

 裏社会にいるのが辛いならば、逃げるのを手伝うと言ったのだ。自分にはそれが出来るから、と。


 ……俺はアルシェに特別なことも何もしていないというのに、どうしてそんな風に手を伸ばせるんだろう……。


 イェルドには分からない。

 何故、アルシェが自分に感謝するのかも、笑みを向けてくれることも。


 だからだろうか、心の奥には今まで感じたことのない、靄のようなものが生まれていた。それを自分で取り払うことは出来なかった。




 ……自分はただ、殺せばいい。それが、仕事だったはずなのに。


 家族のイリスと過ごした時間よりも短い日々をアルシェと共に過ごしただけだ。

 それなのに──何故、淡々と出来なくなってしまったのだろう。


 イェルドは頭を冷やすために、屋敷の外へと出た。そして、先日、アルシェと協力して作った木製の長椅子へと腰掛ける。


「……はぁ……」


 空を見れば、瞬く星がはっきりと見えた。この屋敷は森に囲まれており、さらに人里から離れた場所にあるため、街の光が届かないのだ。

 なので、アルシェと共に星見をして夜を過ごしたこともあった。どの星座がどんな名前なのか、お互いに分からないけれど、その穏やかな時間はわりと好きだった。


 他の人からすれば、特別でも何でもないことかもしれない。それでも、アルシェと過ごす何気ない時間がいつのまにかイェルドの中では日常の一つとなっていた。


 ……アルシェはもう、寝たかな……。


 勇者として過酷な日々を送っていた彼女には、この屋敷で穏やかに過ごして欲しい──なんて、思うようになっている自分がいた。



 その時、だった。

 微かに風を切る音が聞こえ、イェルドは反射的に、飛び退いた。


 それまで座っていた場所の地面には銀色のナイフが刺さっていた。


「……誰だ」


 イェルドは気配を辿る。相手も「同業者」であることは察せられた。


「──腕が鈍ったんじゃないかと思っていたが、このくらいはまだ避けられるか」


「……」


「勇者相手に手を焼いているようだな。まぁ、信用を得て、懐に入り込めたなら上々だろ」


 その声は組織に属している同僚の一人だった。

 イェルドは声がした方を睨みながら、答えた。


「……対象者は聖剣の加護で守られている。普通の殺しは効かない。あんたが挑んでも無理だと思うぞ」


「俺が勇者を相手にするわけないだろ。まだ死にたくないんでね」


「……」


「ほれ、これをやるよ」


 そう言って、木陰から何かが放たれる。

 イェルドが立っている位置から、一メートル程、前方の場所に突き刺さったのは月の光を浴びて、金色に輝く短剣だった。


「どっかのダンジョンの宝箱から出た『不死殺しの牙』ってやつだ。主に不死の魔物に通用する魔具らしい」


「……」


 依頼を成功させるために、わざわざ「不死」に通用するものを探したのだろうか。

 だが、アルシェのことを全く知らない相手に、彼女を魔物と同列にされるのは気に食わなかった。


「それと、これは元締めからのお届けものだ」


 木陰から再び、投げ捨てるように月明かりの下に何かが落とされる。


 ……何だ……?


 夜目が効くとは言え、ここからでは距離があるため、地面の上に落とされたものが何なのか分からない。


「──()()はしっかり果たせよ。でないと、()()の持ち主がどうなっても知らないからな」


「おい、待て──」


 そこで、気配は完全に消え去った。

 もう、この場にはいないのだろう。


 ……わざわざ、仕事道具を届けにきただけとは思えない。


 イェルドは「不死殺しの牙」を掴み取ると、先程、地面に向かって投げられた何かを確認するために近付いた。


「こ、れは……」


 イェルドは地面の上に放り投げられたものを拾う。


 落ちていたのはひと房の髪の毛だった。自分と同じ黒い髪で、それを一本に束ねているのは黄色のリボンだ。

 そのリボンに見覚えがあった。これは確か、イェルドが以前、イリスに会いに行った際に彼女にお土産として贈ったものだ。


「──っ……!」


 さぁ、と身体から温度が引いていく。

 何故、イリスの髪が、ここに。


 その答えは深く考えなくても分かる。


 人質にされたのだ。

 イェルドがちゃんと、「勇者」を殺せるように。


「……ぁ……あ……っ」


 よろり、とイェルドの足が後ろへと一歩、下がる。今まで感じたことのなかった絶望に近いものが胸に広がっていく。


 もう、選択肢なんて、一つしかなかった。



・・・・・・・・・・



 眠っていたアルシェがはっと目を覚ました時。自身の上に馬乗りになりながら、短剣を振り下ろそうとしているイェルドがそこにはいた。


「……イェルド?」


 けれど、様子がおかしいとすぐに気付く。いつもと違うのだ。

 今までは淡々と仕事として、アルシェを「殺そう」としていたのに目の前のイェルドが浮かべている表情は悲痛そのものだった。


「どうかしたの? ……そんなに悲しそうな顔で殺されるのは、ちょっと嫌かな」


 アルシェが冗談めかして告げれば、彼は唇を噛んだ。


「……が」


「……」


「妹が、いるんだ」


 ぽつり、と絞り出すように言葉をこぼす。


「大事な、妹なんだ。たった一人の、家族なんだ」


 イェルドに妹がいることは初めて知った。だから、面倒見が良かったのかもしれない。

 アルシェは黙ったまま、彼の言葉を聞くことを選んだ。


「あいつだけは、綺麗な世界で生きていて欲しかったのに……。俺のせいで、巻き込んだ」


 その言葉だけで、イェルドの妹が人質にされたのだと覚った。

「勇者」を殺すことにしり込みしないように。必ず「勇者」を殺せるように。


「何を優先するべきか、分かっている。だから、自分が何をしたらいいのかも、ちゃんと理解している」


 ぐっ、と短剣の柄を握る手に力が入るのが見えた。


「なのに……」


 イェルドは言葉を一度、飲み込む。窓から差し込む月明かりに照らされた彼の瞳には涙のようなものが浮かんでいた。


「それなのに、俺……アルシェを殺したく、ないんだ……」


 ぐしゃり、とイェルドは表情を歪め、両手で振り下ろそうとしていた短剣をその場に落とした。

 金色の光を宿した短剣は普段、イェルドが使っているものではなかった。普通の武器とは違う気配を感じ取り、それが魔具なのだと察する。


 アルシェは起き上がり、そして、表情を崩したまま動けないでいるイェルドへと手を伸ばす。


「ごめんね」


「っ……。何で、あんたが謝るんだよっ……」


「だって、私のせいでイェルドに辛い思いをさせてしまったから。……ごめんね、イェルド。苦しめちゃったね」


 よしよし、と頭を撫でる。


「でもね、イェルドがアルシェ()を殺したくないって、言ってくれたの、少しだけ嬉しかったの。あなたが苦しんでいるその感情こそが、私自身を見てくれている証拠だから。……歪でごめんね」


 アルシェは立ち上がる。そして、落ちていた短剣を拾った。くるくると万年筆を回すように、柄を使って短剣を回転させる。


「ねぇ、イェルド。あなたは私のこと、好き?」


 こんな時に何を言っているのだろう、という表情のまま、イェルドは言葉を返す。


「……嫌いじゃ、ない」


「そっか」


 アルシェはふわりと笑い、そして──短剣を自身の心臓へと突き立てた。


「っ!?」


 悲鳴に似た声がイェルドからこぼれる。アルシェの寝間着は真っ赤に染まっていき、二度と着られないものへと変わっていった。


 すっかり慣れた痛みを味わいつつ、アルシェは胸へと刺した短剣を引き抜いた。血がその場に落ちていく光景を残念がるように眺めながら、溜息を吐く。

 短剣を抜いた瞬間から、胸に空いた穴はすでに塞がっており、血も止まっていた。


「……やっぱり、擬似的な関係じゃ、死なないよね」


 あはは、と困った顔のままでアルシェが笑っていると、呆然としていたイェルドが肩をがっと掴んでくる。

 持っていた短剣は、アルシェの手から離れ、床上へと落ちた。


「何やってるんだよ!?」


「何って……見ての通りだけれど……。でも、擬似的な恋人関係では、死ねないみたいね。……うーん……。イェルドが私のことを嫌いじゃないって言ってくれたから、いけると思ったんだけれどなぁ……」


「……どういう意味だ」


 アルシェの肩を掴んでいるイェルドの手に、さらに力が籠められる。


「聖剣の加護はね、呪いなの。聖剣に選ばれた勇者が()()、世界を救うように本人が最も願っていることを枷にするの」


 どうにもならないと諦めが混じった表情で、アルシェは穏やかな笑みを浮かべた。


「私ね、誰かに愛されないと聖剣の加護が解けないの」


 元々、アルシェはこの世界のことはどうでも良かった。他者と見た目が違うというだけで、自分を拒絶する世界なんて、好きではなかった。


「誰かを愛し、誰かに愛される。……そんな、人間になりたかった。たとえ、ここがどうでもいい世界だとしても、もしかすると一人くらいは私を愛してくれる人がいるかもしれないって思えたから……生きていられたの」


 それは承認欲求というものなのかもしれない。両親に捨てられ、孤独に生きてきたアルシェは他者からの愛を望んだ。

 自分のような他人とは違う生き物だって、生きていてもいいんだよ、と認められたかった。


「たった一人でいい。ほんの少しだけでも、私を愛してくれる人に──私を受け入れてくれる人に、出会いたかっただけなの」


 だから、勇者として選ばれたアルシェは魔王を討った。この世界のどこかに、自分を愛する人が生きているかもしれない。

 ならば、世界を守らねばと思ったのだ。いつの日か、出会うために。


「愛されたかったから、頑張ったの。だから、どんな痛みも苦しみも、心が壊れそうになっても耐えられた。愛してくれる人がいるかもしれないから、そのためだけに頑張ったの」


「アルシェ……」


 聖剣はアルシェの心からの望みを理解しているからこそ、死なない加護(呪い)をかけた。


「申し訳なさそうな顔をしないで、イェルド。むしろ、私の方こそ謝らなくちゃ。……ごめんね、あなたを利用するようなことをして。擬似的な恋人になれば、もしかしたら……と思ったの」


「違う、俺は……っ」


「いいの。私、イェルドに嫌われていないって、分かっただけで嬉しかったから。……他の人は私を見るといつも嫌悪を顔に滲ませていたもの」


 イェルドを付き合わせてしまったことを心から申し訳なく思う。


「こんな化け物みたいな人間、誰だって愛せるはずがないのにね。……聖剣ももっと、ましな呪いをかけてくれれば良かったのに」


 出来るだけ、空気が暗くならないようにアルシェは明るい声色で告げる。


「それに私、本当は19歳なの」


「え……。でも、姿は……」


「うん。……聖剣に選ばれた、16歳の時から変わっていないの」


「っ……」


 痛ましいものを見るような表情を浮かべるイェルドに、アルシェは苦笑する。


 聖剣に選ばれたあの時、アルシェの時間は全てが止まった。歳は取らないし、背も髪も伸びない。大人になることさえ、出来なかった。


 不老不死と言えば、聞こえはいいかもしれないがアルシェにとっては地獄だった。

 誰一人として自分を愛さない世界で生き続けなければならないのだ。そんなもの、地獄以外の何ものでもない。

 今までよく、発狂しなかったものだと自分を褒めたいほどだ。


「ふふっ、永遠の16歳、みたいな」


「……笑うことじゃ、ないだろ……」


「そうだね。……でも、無理にでも笑わないと、やっていられなかったから」


 自分はこの世界に拒絶され、そして世界が機能し続けるために搾取される存在なのだ。

 それを認めてしまえば、生き続ける意味なんてないと分かっているのに──それなのに、楽に死ぬことさえさせてくれない。本当に残酷な仕組みだと思う。


「ごめんね、イェルド。私の我儘に付き合わせて、本当にごめんなさい。……でもね、あなたには悪いと分かっていても私は……イェルドに会えて、良かったって思っているの」


 アルシェは血に染まったまま、イェルドを抱き寄せる。


「誰かの愛を望みながら、私は誰かを愛することがどんなものか、知らないから……。今、イェルドに抱いている感情は何と呼ぶべきか、分からないの」


「……」


「これは、愛じゃないかもしれない。でもね、私にとっては大事な感情なの。……イェルドには、幸せになって欲しい」


「っ……」


「あなた自身が望む生き方をして欲しい。あなたの愛する家族と共に、穏やかに生きて欲しい。悲しんで欲しくないし、苦しんで欲しくない。それが、私があなたへ望むもの」


 アルシェは抱きしめていた腕をそっと離す。


「イェルド。初めて出来た、大切なあなたのために、あなたにとって大切なものを守ってあげる」


 誰にも向けたことのない、慈愛に満ちた笑みをイェルドへと向ける。アルシェの心はすでに決まっていた。

 けれど、それをイェルドに言ってしまえば、きっと彼は──アルシェに申し訳ないという気持ちを抱いてしまうだろう。だから、あえて言うことはなかった。


「あなたの妹の名前は? 何か、妹に関わる物とか持っていない?」


「な、名前はイリス……。関わる物……。それなら、これは……?」


 イェルドはポケットから、布に包まれた何かを取り出した。

 アルシェはそれを受け取り、包みを開いていく。そこには黒い髪がひと房、あった。


「……随分と酷いことをするわね。女の子にとって、髪は大事なものだというのに。……イェルド、この髪の毛を借りてもいい?」


「いいけど……。何をするつもりなんだ」


「ちょっと、お出かけしてくる。……イェルド」


 何だ、とイェルドが答える前にアルシェは右手の人差し指で、彼の額を押すように触れた。


「──『おやすみ』」


 魔法使いが唱える魔法の呪文よりも短い言葉で、アルシェはイェルドに眠りの魔法をかける。

 本当は魔法使いいらずと言っていいほどに、アルシェは魔法が使えたが、これも「聖剣」の加護によるものだ。


「っ……」


 眠りの魔法を受けたイェルドの身体は途端にがくり、と軸を失ったように傾いた。その身体をアルシェは受け止め、彼が寝ていることを確認し、ほっと息を吐く。


「……ごめんね。あなたの前ではただの『アルシェ』でいたいの」


 イェルドをベッドへと寝かせた後、アルシェは彼の妹の髪を床上へと置き、そして両手をかざした。


「この髪の持ち主『イリス』のもとへ」


 瞬間、まるで映し出されていた光景が切り替わったように、アルシェの部屋とは違う場所へと転移する。

 この転移魔法も、アルシェと同等に扱える魔法使いは他にいないだろう。


「……」


 アルシェはすぐに周囲を確認する。転移先はかび臭く、じめじめとしている暗い場所だった。

 上の方から大笑いしている声が聞こえたため、もしかするとここは地下のような場所なのかもしれないと察した。


 ……ここが、イェルドが所属している組織の建物、か。


 かび臭いに混じり、血と酒の匂いが鼻を掠めていく。


 聖剣の加護により、昼間と同じくらいに明るい視界を手に入れたアルシェは、積まれた木箱の陰に視線を向ける。


「……いた」


 そこに転がるように横になっていたのは、十歳前後の少女だった。イェルドと同じ黒髪だが、肩あたりでざっくりと雑に切られている。

 イリスの脈を測ってみれば、ただ眠っているだけだと知り、つい安堵の息が漏れた。


「……怪我はない、みたいね」


 イリスは手足が縛られているものの怪我もなく、衣服も乱れていないことが確認できた。

 アルシェはすぐにイリスの手足を縛っている縄を風魔法で切っていく。


 ……きっと、妹が無事だって分かったらイェルドも喜んでくれるよね。


 大事な家族だと言っていた。アルシェには家族がどのようなものか分からないが、自分を大切にしてくれる人が傍にいるのは、温かくて嬉しいことに違いない。

 それが少しだけ羨ましく感じた。


「よし、あとはイリスを……私の部屋のベッドの上へと転移させて、と」


 眠ったままイリスに両手をかざせば、彼女の姿は瞬時にこの場から消え去った。


「……さて」


 アルシェはそのまま、地下室の入り口へと向かう。上階では酒盛りでもやっているのか、男達が愉快げに笑う声が響いてきた。


「聖剣『エテルネル』よ、ここに」


 手をかざせば、無から有が生まれるように現れた黄金の剣がアルシェの右手に握られる。

 上階へ続く石の階段をアルシェは一歩ずつ進む。その横顔は氷で固められたように冷ややかだ。


「……組織の人間がイェルドを追ってこないように、ちゃんと()()()ておかないとね」


 狂っていると思われるだろうか。

 勇者のくせに、他者の死を望むのかと蔑まれるかもしれないが、知るものか。


 ……初めて出来た大切なものをこれ以上、奪われたりしない。


 たった一つ、大事にしたいと思った感情が生まれた。

 それは、愛ではない。けれど、とても大事な感情なのだ。


 ……勇者としてではなく、アルシェとして私を見てくれていたイェルドには、幸せになってもらいたい。だから、私は……彼の枷を壊す。


 自分は十分に勇者という役目を果たした。

 他者が望む『勇者(人形)』として、踊ってあげた。


 ……ならばもう、そろそろ自由になってもいいでしょう。


 国のため、人のために聖剣を振るった勇者はここにはいない。個人的な理由で聖剣を振るって、勇者でなくなるというならば、それでも構わない。

 そのくらいで死ぬことが出来るならば、安いものだ。


 アルシェは聖剣で軽く薙ぐ。聖剣から発生した鋭い風の刃は上階の床を抉った。


 轟音がその場に響き、地下室から上階へと続く床に開いた大穴には、突然の出来事に対応出来なかった者達が、椅子やテーブルと一緒に落ちていく。


「なっ……何事だっ!?」


 大穴へと落ちなかった者達は石の階段を上がってくるアルシェを見て、目を大きく見開いた。

 一軒家くらいの広さがあるこの建物の中には、様々な風貌の人間がいたが誰もが只者ではないと察した。


「……っ、勇者……!」


 髪と瞳の色を見て、判断したのだろう。


 アルシェの顔を知っている者は、実はあまりいない。

 魔王を討伐した後の凱旋パレードにはアルシェは不参加──いや、参加するなと命じられたため、民衆は勇者がどんな風貌をしているのか知らない者の方が多いのだ。


「暗殺をお仕事にしている皆さん、こんばんは」


 にこり、とアルシェは笑う。

 暗殺を生業にしている者達はすぐに臨戦態勢を取っていたが、アルシェの胸元を見て、顔を顰める者もいた。

 アルシェの胸元は真っ赤な色で鮮やかに彩られているからだ。


「ああ、汚れた服のままで来てしまって、ごめんなさいね。……私を殺そうとした者がいたから、つい返り討ちにしてしまったの。……今後も私を殺したいって人がいるなら、死ぬ覚悟で来なさい。ぜーんぶ、屠ってあげるから」


「っ……。化け物が……!」


 そう、自分は化け物だ。胸を刺したって、死ぬことはないのだから。

 アルシェは不敵に──そして、誰にも気づかれないように寂しさを含んだ笑みを浮かべる。


「さぁ、殺せるものなら、殺してみなさい。聖剣に呪われた、この勇者()を」




 その日の深夜、王都のとある建物が地を揺らす轟音と共に全壊した。幸いなことに周囲の建物に影響はなかった。


 古くなった建物が自然と崩れたにしては、不可解な点があったが周辺で暮らす者達は原因を明らかにしようとはしなかった。


 なぜなら、ここは表向きには人手を派遣する商会だったが、その筋の者には「暗殺」を生業としている組織だと知られていたからだ。

 それゆえに誰かの恨みや怒りを買ったのでは、という結論を出す者ばかりだった。


 外に仕事に出ていた者達が慌てて組織へと戻ってきた時、新しく元締めとなった男は怯えた表情で「勇者には、手を出すな」とだけ呟き、逝った。


 その後、暗殺者界隈ではいくら金を積まれても、勇者に手を出してはならないという暗黙の了解が生まれたという。



・・・・・・・・・・



 イェルドははっと目覚め、起き上がる。

 最後の記憶としては、夜中だったはずだと周囲に視線を向ければ、隣には何故か妹のイリスが眠っていた。


「イリス……!」


 髪は雑に切られているが、怪我もなくただ眠っているだけの妹を見たイェルドは視界が潤んでしまう。


「──あ、目が覚めたのね。おはよう、イェルド」


 声がした方へと振り返れば、そこには鞄を二つ持ったアルシェがいた。寝間着ではなく、冒険者のような服装に着替えている。


「……もしかして、アルシェがイリスを助けてくれたのか」


「たいしたことはしていないわ。……それにイェルドが私にくれた優しい時間のお礼には、このくらいしか出来なかったから」


「どういう意味だ……?」


 アルシェはイェルドの問いかけには答えず、二つの鞄を渡してくる。


「この空間魔法鞄の中には数週間分の食糧と金貨が三十枚、銀貨が五十枚、銅貨が百枚入っているの。しばらく、生活には困らないと思うけれど、出来るだけ金貨は人前で出さないように気を付けてね。朝食もこの中に入っているから、落ち着いた後に食べるといいよ」


 渡された鞄を手に取ったが、空間魔法鞄だからなのか、重さはそれほど感じなかった。


「それと二人分の魔物除けの腕輪が入っているから、魔物がいそうな場所を通る時には絶対に使ってね。生活する上で必要なものも、ある程度は入っているから」


「え……」


「もちろん、服も入れているわ。あなたとイリスちゃんの服は勝手に選んだけれど、嫌がらずにちゃんと着るんだよ? デザインが気に入らない、は無しだからね」


「……は?」


「あっ、そうだった。イェルドは私の暗殺に失敗して返り討ちになって死んだってことになっているから。今後は暗殺者としての仕事は受けないようにしてね。この国には二度と帰ってこない方がいいかも。あとは……」


「ちょっと待ってくれ! ……ちゃんと説明してくれ。意味が分からないっ……」


 イェルドは右手で頭を抱え、アルシェの言葉を遮るように大声を発した。

 アルシェは穏やかに微笑んだ。


「このまま屋敷に住み続けても、他の暗殺者が来る可能性が高いから、遠くへ引っ越そうと思うの」


「引っ越し……。それなら俺も準備を手伝う」


「ううん、準備はもう終わったわ。あとは移動するだけ」


「え?」


「今から、あなた達兄妹をドルーシェン共和国へと転移させるわ。周辺の国の中で、移住者が一番暮らしやすい国なの。きっと、気に入ると思う。どうか、この国で穏やかに過ごして欲しい」


「……アルシェは、どうするつもりなんだ。まさか、俺達だけをドルーシェン共和国へと送るつもりじゃないよな?」


 イェルドの言葉を切るように、アルシェは首を横に振った。


「あなたの幸せに、私は必要ないもの」


「な……」


「新しい場所、新しい環境で、新しい人生を生きて。私はあなたの幸せを願っているから」


 アルシェはイェルドから離れるように数歩、後ろへと下がる。そして、イェルド達へと両手をかざした。


「待てっ! 俺はそんなの、納得してない……! 勝手に決めるな! あんたがいないのに、そんなのっ……!」


 立ち上がったイェルドはアルシェのもとへ近づこうとしたが、見えない壁によって遮られてしまう。


「アルシェ!! 行くなら、あんたも一緒に……!」


 イェルドはアルシェへと手を伸ばす。いつもなら、嫌という程に繋いだ手だというのに、重なることはなかった。


「たくさん迷惑かけてごめんね。……今までありがとう、イェルド。どうか、元気でね」


 それが、最後の言葉だった。





 イェルド達をドルーシェン共和国へと転移させた後、部屋には静寂が戻ってきた。

 アルシェの瞳には、イェルドが自分へと手を伸ばす姿が焼き付いていた。


 今まで、誰かに求めるように手を伸ばされたことなんてなかったアルシェにとって、これ以上嬉しいものはなかった。

 それなのに──。突然、心が空っぽになった心地がしてならないのだ。


「何で、だろう……。一人でいることは、慣れているはずなのに……」


 全部、自分で決めたことだ。これ以上、イェルドを巻き込まないためにも、アルシェは再び、一人でいることを決めた。


「ま、まぁ、聖剣に加護されたままだから、不老不死と言ってもいいほどに私の人生は長いわけだし。もしかすると私を愛してくれる人にはまだ出会えていないだけで、どこかにいるかもしれないし!」


 言葉にした時、ずきりと心臓が痛む。

 イェルド以上に大切だと思える存在に出会える気がしないと分かっているのに、認めたくはなかった。


「心機一転して、これからはただの冒険者『アル』として、勇者だと知られないようにしながら生きるぞー! おーっ!」


 アルシェは自らを鼓舞するように、拳を作った右手を掲げる。

 一人分の声だけが、部屋に虚しく響いた。


   

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