『前・鮮やかで儚い夢は』
・何でも許せる方向けです。
・残酷なシーンが時折、ありますので苦手な方はご注意下さい。
生まれながらに白髪で、金色の瞳を持つアルシェはその容姿を気味悪がった両親に捨てられ、孤児院で育った。
孤児院でもアルシェは遠巻きにされており、仲の良い者などいなかった。
誰からも、愛も優しさも得られずに育ったアルシェは十二歳の頃に孤児院を出て、そして冒険者となることを選んだ。
薬草を採取し、低級の魔物を狩ることで日銭を稼ぐアルシェだったが、やはり見た目が原因なのか、他の冒険者達は遠巻きにするだけで誰も近付いてはこなかった。
この先、そんな日々がずっと続くのだろう──そう思っていたある日、突然「聖剣」の使い手として選ばれたことでアルシェの人生は大きく変わった。
百年に一度、復活するという「魔王」の討伐をアルシェはリグラント王国の国王から命じられる。そして、仲間と共に魔王をついに倒した──というのが、世間一般で知られている勇者アルシェの話だ。
「……で、褒美として贈られたのは辺鄙な場所にある小さな領地と古いお屋敷、一生遊んで暮らせるお金と──暗殺者ってわけね」
はぁ、と深い息を吐きつつ、アルシェは足元に転がっている相手に視線を向ける。そこには黒い襟巻きで顔を半分覆っている人物がいた。
「あなた、貴族──ううん、国王に雇われた人でしょ」
「……」
「女性の寝込みを襲うって、常識的に考えてどうなの。……まぁ、それがあなたの仕事なんだろうけれど」
再び溜息を吐きつつ、アルシェは「ふぁ……」とあくびする。
呼び出されて謁見するなり、魔王を討伐せよといきなり命令を下してきたあの国王のことだ。これ以上、勇者アルシェの人気が高まることを危惧し、殺そうとするかもしれないと予想はしていた。
しかし、この屋敷に住み始めてまだそんなに日も経っていないというのに、夜中に暗殺者を送ってくるとは思ってもいなかった。
せっかく貰った屋敷だし、住まないともったいないかなと軽い気持ちで決めなければ良かっただろうか。
「私を殺したい?」
床上に転がっていた暗殺者は身体を起こす。けれど、立ち上がることはしなかった。
「……それが、仕事だ」
返ってきた声は、少年のものだった。よく見てみれば、暗殺者は自分と同じか、もしくはそれよりも小柄だった。
……子どもの暗殺者、か。あの国王も酷いことするなぁ……。
そもそも、アルシェは聖剣の加護によって、「死なない」ようになっている。己の意思を持ち、生きている聖剣は、自身が選んだ持ち主が死なないようにと常に守ってくれているのだ。
恐らく、国王はその加護が、魔王を討伐するまでのものだと勘違いしていたのだろう。
「……死ねないのに、愚かなことを」
どんな手で殺そうとしても、アルシェは死なない。いや、死ねないのだ。
「うーん……。手ぶらのままで帰ったら、あなたは死ぬの?」
「……」
その質問に少年は応えない。きっと、その通りなのだろう。
アルシェはふむ、と考える。そして、一つ提案してみた。
「殺したければ、殺してもいいよ。あなたに、それが出来るなら」
アルシェは床の上に座っている少年の視線に合わせるように、片膝を立てた。そして、にこりと笑う。
「私をいつでも殺せるように、良かったら一緒にここに住まない? 私と『恋人ごっこ』してくれるなら、色んな殺し方を試してみても構わないわ」
「……は?」
それまで色がない声だったが、この時、初めて少年の声色に戸惑いが宿った。
「私はアルシェ。もう勇者じゃないから、ただのアルシェよ。……あなたは?」
窓から入る月明かりが少年を照らした。黒髪で、深い青色の瞳の彼は幼さが残る顔でアルシェを見上げていた。
「何を言っているんだろう、こいつは」と言わんばかりの表情を浮かべていたが、アルシェを殺す機会が得られるならば、と決意したのだろう。
少年は黒い襟巻きを少しだけずらし、答えた。
「……イェルド」
これが勇者アルシェと暗殺者イェルドの出会いだった。
・・・・・・・・・・
アルシェがイェルドと暮らし始めて、五日経った。
最初はアルシェにぎこちなく接していたイェルドだが、「殺していい」と許可を得ているからか、毎日のように仕掛けてきていた。
「──あぁっ! イェルド! 他の殺し方なら良いけれど、一緒に食べる料理には毒を入れないでって言ったでしょ!」
「……無味無臭の毒だったのに、よく分かったな……。というか、この毒でも効かないのか……」
「聖剣の加護で、あらゆる毒が無効化されちゃうからね。まぁ、逆に薬も効かないんだけれど」
うんざりした様子でイェルドはじっとアルシェを見てくる。皿に注がれたスープは彼がカボチャを潰して作ってくれたものだ。
使用人を一人も雇っていないため、アルシェは自分で家事や掃除をしているが、それが雑過ぎると言ってイェルドが買って出たのだ。
家事も掃除も何でも出来る彼は、生きるために色々と覚えたと言っていた。
「も~……。せっかく、イェルドが作ってくれたスープなのに~! 間違って、イェルド自身が食べちゃったらどうするのー!」
そう言いながらも、アルシェはスープを全部飲み干す。たとえ、致死量の毒が盛られていたとしても、それでもやっぱりアルシェは死ななかった。
「そんな間抜けなことはしないし。……あと、こっちの鍋にまだ、毒を盛ってないスープが残っているけど」
「本当っ? わーい、おかわり、おかわりー!」
それを聞いたアルシェは、ぱぁっと笑顔になる。そして、自分の皿になみなみとスープを注いだ。
「……子どもかよ……」
「むっ、子どもはあなたの方でしょ、イェルド。まだ十五歳なんだっけ? たくさん食べないと、大きくなれないわよ。ほら、おかわりしなさい。あなた、ただでさえ身体が細いんだから」
「あっ、勝手に皿を取るな! 自分で出来る!」
「遠慮しないの。……ふふっ、今の、ちょっとだけ恋人っぽくなかった? 相手の皿に料理を盛るなんて」
「作ったのは全部、俺だけれどな」
「はっ! そういえば、恋人同士で料理を『あーん』するって聞いたことがあるんだけれど!」
「しないからな!」
げっそりしたまま、イェルドはアルシェから皿を受け取り、スープを口へと運ぶ。
その様子をアルシェはにこにこと笑って見ていた。もちろん、あくまでも「恋人ごっこ」だ。本気でイェルドに恋をしているわけではない。
イェルドにはこの茶番に付き合ってくれる代わりに、アルシェを好きに殺していいと条件を出しているので、お互いに利害が一致した関係でもある。
そして、アルシェにとっては実験でもあった。
……イェルドは殺してくれるかな、勇者を。
昏い感情を覚られないように、アルシェは口に含めたスープと共に飲み込んだ。
・・・・・・・・・・
イェルドは色んな方法でアルシェを殺そうとしてくる。
談笑している時にいきなり短剣で刺してこようとしたり、扉を開けた瞬間に矢が飛んでくるようにと仕込んだり。他にも庭に大きな落とし穴を作って、アルシェを落とそうとしたりと様々だ。
けれど、アルシェは死なない。どんな攻撃も簡単に躱しては、けろりと笑うアルシェをイェルドは悔しそうに見ていた。
「いやぁ、さっきの動きは凄かったね。どこの国の武術? ちょっと捉えきれなかったわ」
アルシェは勇者として、剣術だけでなく武術も備わるように「加護」されていた。そのため、相手がどんな動きをしても対応できるのだ。
「……結局、殺せないなら褒められても意味ないだろ……」
やさぐれているのか、イェルドは庭の芝生の上に転がって、空を見ている。
アルシェはイェルドの傍に座り、彼の額にこつんと軽く拳を落とした。
「こら」
「あいたっ……」
「培った技術を自分で意味がない、なんて言わないの。どんな技術であっても、イェルドが頑張って身に着けたものでしょ? それを貶めるようなことは言っちゃ駄目だよ」
「……」
丸くなった青い瞳がアルシェを見上げている。アルシェにとって、その瞳は心地が良い色をしていた。
「……変な奴。殺そうとした人間を褒めるなんて」
「ふふっ。『恋人』ならば、相手の良いところを見つけて褒めないとね」
子どものように拗ねた顔をするイェルドを見て、アルシェは小さく笑う。
……ああ、楽しいな。
自分にもまだ、「楽しい」と思える心が残っていたことが、素直に嬉しかった。
これが擬似的な関係だと分かっているし、何より自分に付き合わせてしまっているイェルドには申し訳ないとも思っている。
けれど、自分一人ではどうしようもなかった。
己に纏わりついている聖剣の加護はあまりにも強すぎる。
その解き方を本当は、アルシェは知っていた。何せ、勇者に選ばれた時に、聖剣本人が意識を通じて教えてくれたことだ。
……でも、解き方をイェルドに強要することは出来ない。
ぎゅっと唇を結び直すアルシェをイェルドは不思議そうに見ていた。
「アルシェ?」
「ん、ああ、ごめんね。……ちょっと、勇者になった時のことを思い出していたの」
「……聞いてもいいか?」
「え?」
「アルシェの話、聞きたい。……色んなところ、冒険したんだろ。強い魔物をたくさん倒したって聞いた。……俺、得意なのは対人戦闘だけれど、魔物の相手は苦手だから……」
寝転んでいたイェルドはひょいっと起き上がる。向けられる視線の中にはわずかに好奇心の色が宿っている気がした。
イェルドが珍しくアルシェに興味を抱いていることに少しだけ驚く。
「暗殺対象の話を聞いて、情とか移ったりしない? ちゃんと、殺る時はさくさく殺れる?」
「……暗殺対象の『勇者』と『アルシェ』は別だって考えるようにしてる」
「そっか。うーん……そうは言っても、特別面白い話でもないからなぁ。突然、聖剣が目の前に現れて、勇者として選ばれて……」
数年前のあの日、アルシェは目の前に突然現れた輝く聖剣によって、魔王を討つための勇者として選ばれた。
その後は国王の使いがやってきて、王宮に連れて行かれたと思えば、魔王を討ってこいと命じられ、見知らぬ人間を仲間として数人付けられて、出発させられたのだ。
旅をしながら魔物を倒し、復活した魔王のもとへと向かい、戦う──。それは物語で語られる勇者一行の話とほとんど同じだ。
……でも、それだけじゃない。
とてもではないが、イェルドに話せないことだってある。アルシェはわざとその話を省いて、話すことにした。
「そういうわけで、勇者は仲間と共に無事に魔王を討ちました。平和をもたらした勇者一行は国王から褒美をもらい、それぞれ幸せに暮らしました──ということにしておいて、国王は人気がうなぎ上りの勇者の存在を危惧し、暗殺者を向けましたとさ、おしまい」
「最後、盛大に皮肉ってる……」
「だって、面白みもなんともないでしょ。歴代の勇者と同じだもの。私はただ、無理やり与えられた役目を果たしただけ。……それなのに、役目が終わったし、さっさと殺しちゃおうって考える国王の方が怖いよ。……まぁ、政治の世界は分からないけれど、私が邪魔だってことだよね」
ははは、と乾いた声でアルシェは笑う。
それなのにイェルドは何故か、顔を顰めていた。
「ああ、ごめんね。仕事をしにきたイェルドに『殺さないで』、なんて言わないから安心してね」
「っ……」
アルシェは立ち上がり、そしてイェルドに右手を向ける。
「さぁ、そろそろ、夕食の準備をしようか。……手伝ってくれる?」
イェルドは深い息を吐いてから、アルシェの手を取り、立ち上がった。
「手伝うのはアルシェの方だろ。毎食、ほとんど俺が作っているし」
「だって、イェルドが作る料理の方が美味しいんだもん。私、料理と言ったら、切る、焼くしか出来ないし」
「それは料理と言えるのか……? って、おい。手を繋いだままで歩くなっ。歩きにくいだろ!」
「あら、どうして? こうしていると仲が良い感じがするでしょ? あ、世の中には恋人繋ぎというものがあってね……」
「しないからなっ!」
どこか照れている顔を見て、アルシェは笑う。
「可愛いなぁ、イェルドは。身長もまだ、私より低いし。ほれ、よーし、よーし。……うーん、恋人というより弟っぽい感じがしてきたな……」
「頭を、撫でる、なぁぁっ!」
しかし、握力はアルシェの方が強いのでイェルドは手を振りほどけずにいた。
出会った頃は、ほとんど無言でつんつんだったイェルドも、アルシェが問答無用で構いまくった結果、年相応の少年らしくなっていた。
……良かった。イェルドはまだ、心までは壊れてない。
最初に出会った時、彼の瞳があまりにも虚ろ過ぎて、アルシェは密かに心配していたのだ。表情と瞳から生気は感じられず、生きることを諦めかけているとすぐに察した。
勇者を殺すという依頼を受けた時点で、彼は己の未来を見つめることを止めたのだろう。
……魔王を倒したって、この世にはきっと、救い切れていない人はたくさんいるんだろうな……。
アルシェは別に高潔な心を持った、優れた人格者ではない。だが、自分の手が届く範囲の相手ならば、手を差し伸べたいと思うくらいの良心はあるのだ。
それが、たとえ自分勝手で偽善だといわれようとも。
・・・・・・・・・・
「イェルド! 森でデートしよ!」
「急だな!?」
「この屋敷に来てから、あまり周囲を散策したことないなぁと思って。せっかくだし、食べられる野草とか探そうよ。野苺とか、茸とか! そして、今日の夕食に使って欲しいな!」
「つまり、食材探しが主ってことか」
「そ……そん、なこと、ないよ……? で、デートもするよ……?」
イェルドからの指摘に、アルシェは目を泳がせる。
「あんた、食い意地が張っているもんな」
「それ、女の子に言っていい台詞じゃないからね! 褒め言葉じゃないよ!」
「褒め言葉じゃないって分かっていて、言っているからな」
やれやれと言わんばかりにイェルドは肩を竦めている。一緒に暮らし始めて、半月が経ったが、すでにアルシェの扱い方を心得ているような気がしてならない。
乗り気ではなさそうな顔をしつつも、イェルドはアルシェに合わせてくれる。
何だかんだ面倒見がいいし、心根が優しいのだろう。そう褒めてしまえば、顔を顰めそうなのであえて言わないが。
屋敷の周囲の森は、手付かずと言っていいほどに手入れがされていない。この屋敷自体、どこかの貴族が一時的な享楽のために建てたものだと聞いている。
だが、不便な場所ゆえに屋敷の管理を放棄したらしい。本当、貴族の考えることは分からない。
「どんな献立にしてもらおうかなぁ~。すり潰してスープにしてもいいし、乾燥させてお茶にするのもいいなぁ」
森の中を歩きながら、ご機嫌なアルシェは柳で作られた籠を振り回す。
「……そういえば、野草の知識ってどれくらいあるんだ?」
「え? ないよ? 食べられる野苺くらいしか見分けられないけど」
「ないのかよ! 本当、勢いばっかりだな!」
「でも、イェルドが野草と毒草を見分けられるでしょ?」
アルシェがそう指摘をすれば、イェルドは唇をきゅっと結んだ。
「何で、知っているんだ……」
「私を毒殺しようと、毒草とハーブを混ぜて作った焼き菓子に使っていたでしょ? やっぱり、暗殺を生業にしているなら、毒草くらいは見分けられるよねぇ」
「……」
「私は毒草を食べても死なないけれど、イェルドは自分で食べたりしないように気を付けてね」
「だから、そんなへまはしねぇよ。……ったく、物理攻撃は効かない上に、毒まで無効化するなんて……」
「ふっふっふ。頑張って、色んな殺し方を試してみてくれたまえ、暗殺者くん」
「む、むかつく……」
うーん、と唸るように悩んでいるイェルドに、アルシェは小さく苦笑する。
色々と工夫しながら、自分を殺そうとするイェルドの真摯な姿は、アルシェにとっては何だか眩しく見えた。
「あ、そうだ。魔法は効くのか?」
「あー……。うん、魔法も効かない、かな」
「……はっきりしない言い方だな」
アルシェはあはは、と乾いた笑いでイェルドの視線を受け流す。
「うーん……。実は魔法にはあまり、良い思い出がないんだよね。勇者の時、よく囮というか、的にされていたから」
「へー……。……はぁっ!? 囮っ!?」
イェルドにしては珍しく、大きな声だ。
「囮って、どういうことだよ!?」
「いや、そのままの意味だけれど。……魔物と遭遇した際に私が注意を引き付けて、そこを仲間の魔法使いが、『ばーんっ!』って大きな魔法を放って、まとめて攻撃していたの」
アルシェは遠い目をしながら、魔王討伐の旅へと同行していた仲間達のことを思い出す。
国王によって選別された魔王討伐の仲間達は、アルシェ以外は貴族の人間しかいなかった。
もう、名前さえ思い出せないし、思い出したくもない。
ただ、はっきりと覚えているのは「お前なら、死なないだろ」と笑いながら、魔物を一ヵ所に集めるための囮にされ、アルシェごと魔法で攻撃されたことだ。
アルシェが怪我をした時に心配してくれたのは、仲間になったばかりの最初だけだ。
その後はアルシェの加護に慣れたのか、もしくはおぞましく思っていたのか、冷めた表情で見られるだけだった。
それだけでなく、「死ぬ心配がない奴は気楽でいいよな」と何度も悪態を吐かれては、行き場の無い鬱憤のはけ口として暴力を振るわれた。
けれど、その際の怪我もすぐに治ってしまうのだ。初めから、なかったように。
「……何で、抵抗しなかったんだよ……。あんた、強いんだろ……」
イェルドの顔は強張り、震えた声で問いかけてくる。アルシェは困ったように小さく笑った。
「勇者の力って、すごく大きいの。それを振るってしまえば、人間を指先一つで簡単に殺せるくらいに」
「だから……我慢、するしかなかったって?」
「うん、そう。きっと、仲間の人達も私が反撃出来ないって分かっていたんだろうね」
それゆえに、彼らの横暴は増長したのだろう。
「あんたを殺しにきた俺が言っていいことじゃないって分かってる……! けど、笑いながら人を囮にしたり、暴力を振るう奴は仲間って言わないだろっ……!」
「イェルド……」
感情を吐き出すイェルドをアルシェは驚いた顔で見ていた。
今まで誰もいなかった。
アルシェのために怒ってくれたのは、イェルドが初めてだった。
勇者に選ばれてから、ずっと我慢していた。突然、与えられた役目と理不尽な状況に、何度も大丈夫だと己に言い聞かせてきた。
それでも時折、「アルシェ」としての声が頭で響くのだ。
どうして、自分はここにいるんだろう。
何故、勇者として頑張らなきゃいけないのだろう。
この役目は、自分以外の誰かでもいいのではないだろうか。
だって、誰も褒めてはくれない。どんなに頑張ったって、「勇者」として当たり前のことを当たり前にやっただけだと、「アルシェ」自身を認めてはくれないのだから。
まだ、16歳だったアルシェにとって、「勇者」という役目はあまりにも重く──心は壊れかける寸前だった。
けれど、アルシェが「勇者」としての役目を果たしたのには理由があった。
たった一つの、大切な理由が。
「……もぉー……。どうして、イェルドが泣きそうになっているの。ほら、よーし、よし。いい子、いい子」
アルシェは顔を歪ませていたイェルドを抱き締める。そして、彼の頭を自身の胸へと寄せて、ぽんぽんと背中を叩いた。
「よしよし。イェルドはいい子だねぇ。……こんな化け物みたいな身体をしている私の代わりに怒ってくれるんだから」
「……あんたは化け物じゃないだろ。……ちょっと変だけど」
「むっ。女の子に変、なんて言っちゃ駄目だよ」
「だって、普通は自分の命を取りにきた相手を家に招いて、一緒に暮らしたりしないだろ。……自分のことを殺していいって言うなんて、やっぱり変だ」
くぐもった声でイェルドは呟きながら、アルシェの腕から離れた。
イェルドには嫌な思いをさせてしまったかもしれない。
けれど、アルシェは嬉しかった。アルシェ自身を見てくれることが、空っぽだった心を少しだけ満たしてくれた。
「でも、イェルドも他の人と比べると、ちょっと変わっているよね」
「はぁ? 俺のどこが変わっているんだよ」
「だって、私のこと、最初から気味悪がったりしなかったもの」
アルシェの言葉に、イェルドは首を傾げた。
「ほら、私の容姿って……変でしょ」
生まれながらに白髪で金色の瞳の人間なんて、自分以外に会ったことはない。
もしかすると、勇者に選ばれる人間ならではの特徴かと思って、歴代の勇者について調べてみたがそうでもなかった。
「初めて会った人にはいつも不気味がられるの。……でも、イェルドは私のことを蔑んだり、怖がったりしないから、意外だなぁと思って」
「意外って何だよ、意外って。俺も、あんたを見た時は驚いたんだぞ」
「そうなの?」
「だって、白い髪が月の光を纏っているみたいで、すごく綺麗だなって──」
そこで、イェルドは言葉を続けるのを止めた。何かに気付いたのか、はっとした顔をした後、気まずげに視線を逸らしていく。
襟巻きでさっと顔を半分隠していたが、耳が赤くなっていた。
「……」
「……な、何か言えよ」
「……」
だが、何も言わないアルシェを疑問に思ったのか、イェルドが窺うように顔を覗き込んでくる。
「……え」
アルシェの顔を見たイェルドは大きく目を見開いていた。
「何で……泣いているんだ」
「え? ……あれ、本当だ……」
ぽつり、ぽつりと自分の瞳から零れ落ちる雫をアルシェは手で受け止めた。
「何で、だろうね……。……うん、そっか。私……」
手の甲で涙を拭って、アルシェは少しだけ困ったように笑った。
「この髪を綺麗って言われたの、初めてだったの」
「……」
気味が悪いから、と孤児院では無理に髪を切られた時もあった。冒険者になってからは、フードを目深に被って、目立たないように過ごしていた。
「イェルド、ありがとう。お世辞でも、嬉しかったよ」
「……俺は器用じゃないから、お世辞なんか言わないぞ」
唇を尖らせながら呟くイェルドに、アルシェは笑みを向ける。
「ありがとう、私の優しい暗殺者さん」
お礼を言われることに慣れていないのか、もしくは照れているのか、イェルドはふいっと顔を逸らし、一人で歩みを進めた。
そんな彼をアルシェは目を細めて見つめていると、イェルドが立ち止まった。
「……おい、食べられる野草を探すんだろ。早く行くぞ」
少し先を歩いていたイェルドがアルシェの方へと振り返る。わざわざ待ってくれている彼の不器用な優しさに、アルシェは小さく笑った。
「うん。今、行くよ」
アルシェはイェルドに向かって歩き出す。
いつもは重くしか感じない白い髪が、今日は軽く感じられた。
・・・・・・・・・・
よく晴れたある日。アルシェは扉をばーんっと開きつつ、イェルドの前へと現れる。
「イェルド! ピクニックに行くよ!」
「あんた、いつも急だよな……」
「お弁当作って!」
「そして、作るのはやっぱり俺なのか」
はぁ、と溜息を吐きつつもお弁当を作ってくれるイェルドは優しいと思う。
「屋敷の近くにある川を沿って、しばらく歩いた先に花畑があったの! ちょうど見頃だったよ」
「アルシェも花とか好きなんだな」
「むっ! まるで私が食い気だけみたいな言い方!」
「食い気しかないだろ……。……まぁ、作った料理を美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけどさ」
「何か言った?」
「言ってねぇよ。……弁当は俺が作るから、アルシェはそれ以外で必要なものを準備してて」
「了解!」
アルシェはイェルドに返事をし、踵を返す。
……そういえば、ピクニックって生まれて初めてかも。
冒険者の時はいつも一人で食事をしていたアルシェだが、魔王討伐の旅の際には仲間と食事を摂っていた。
正直に言えば、息が詰まるばかりで味を楽しむ余裕なんてなかったが。
……でも、今はイェルドと一緒に食事するの、楽しい。
ふふっと笑いつつ、アルシェはピクニックに必要な道具を揃えるために準備に取り掛かった。
「いやぁ、我ながらいい場所を見つけたなぁ」
アルシェはにこにこと笑いながら、敷物用の布を出来るだけ花が咲いていない場所へと敷いた。
「屋敷の周囲に民家なんて一軒もないんだから、誰もこんな場所に来ないだろ……」
「確かに。でも、人の目がなくて静かだから、過ごしやすいけれどね」
それでも食料や生活用品が必要な時は、勇者だと知られないように幻影魔法で姿を偽って、転移魔法で街へと買い出しに行っている。
また、空間魔法鞄を持っているので、荷物も大量に詰め込めるし、辺鄙な場所に住んでいてもあまり不便だとは感じていない。
柳で編まれたバスケットの中にはイェルドが作ってくれたお弁当や飲み物が入っている。それを敷物の上へと出していった。
「わぁー! 美味しそうー! 突然だったのに、たくさん作ってくれてありがとう、イェルド!」
「本当、突然だったな。せめて一日前に言ってくれ」
「怒らない、怒らない。私はピクニックに最適な素敵な場所を見つける係、そしてイェルドは美味しいお弁当を用意する係、つまり適材適所ってことだよ」
「何だよ、場所を見つける係って。……全く」
「それじゃあ、いただきまーす!」
イェルドが作ってくれたサンドウィッチをぱくり、とアルシェは頬張る。
ハムと野菜、そしてイェルドが考えた特製ソースが上手く調和しており、あまりの美味しさに感激してしまう。
「……美味しいー! イェルド、お店が開けるよ、お店が!」
「言い過ぎだろ。サンドウィッチだぞ、サンドウィッチ。パンに具を挟んだだけだろ」
「いやいや、単純な作りのように見える料理ほど、奥が深いんだよ?」
イェルドは自分で作ったサンドウィッチを一口食べ、「普通に作っただけどなぁ」と呟いていた。
アルシェは次にデザートの苺を食べようと、フォークで刺した時、とあることを思い出す。
「イェルド! これは……恋人同士がよくやる、『あーん』ってやつを実行する機会では……?」
「……」
イェルドは冷めた表情でアルシェを見てくる。
いくら「恋人ごっこ」に付き合ってもらっているとしても、この手のことは気恥ずかしいのだろうとアルシェは勝手に納得する。
「むむ……。やっぱり、年頃の男の子だから、こういうのは苦手か……。そうか……残念……」
憧れだっただけに、アルシェはしょんぼりする。
するとイェルドははぁ、と深く息を吐いた。
「……一回だけだからな」
ずいっと、イェルドの顔が近付いてきたかと思えば、アルシェが差し出していた苺をぱくり、と食べてくれた。
「お、おぉぅ……」
まさか、本当にやってくれるとは思わず、アルシェはどんな顔をすればいいのか分からなくなってしまう。
「やりたいって言い出したあんたが何で照れているんだよ」
「だ、だって、初めてだったんだから、仕方ないでしょ! ……うーむ……思っていたより、差し出している方も恥ずかしいな、これ……」
アルシェは恥ずかしさを誤魔化すように、再びフォークで苺を刺し、口へと運ぶ。そんなアルシェをイェルドは呆れたように見ていた。
「何というか、あんたが時々提案してくる『恋人ごっこ』の内容って、割と幼稚──いや、子どもっぽいことばっかりだよな」
「なっ……! ……もしかして、イェルドってば、大人なこともしたかったの……? 何て、大胆……」
アルシェが驚きの表情で言葉を返せば、彼は分かりやすいくらいに頬を赤く染めていた。
「そんなわけないだろ! 変なことを言うな!」
「あははっ、冗談だよ、冗談」
イェルドの可愛らしい反応に、アルシェは小さく笑ってから、ふと表情を隠す。
「……茶番に付き合ってもらっている私が言うのはおかしいかもしれないけれど、そういうのはね、本当に好きな人としなきゃ駄目だよ」
柔らかな風が、花の香りを乗せて通り過ぎていく。花の香りがする香水は苦手だが、作り物ではない花の甘い香りは嫌いではなかった。
「アルシェ……」
「はい、この話は終わりっ!」
空気を換えるようにアルシェは軽く手をぱんっと叩く。
苺をもう一つ、ぱくっと食べてから立ち上がり、そこに咲いている花々を摘むことにした。
「確か、作り方は……。ええっと、白色と黄色の花を……うーん、ここに青い花をこうして……こう、かな……」
「……何をしているんだ……?」
イェルドがアルシェの手元を覗き込んでくる。
「せっかく、花畑にいるんだから、花冠を作ってみようと思ってね」
「花冠……? それが……?」
アルシェの手元にあるのは、花が不揃いにびよん、びよんと動いている輪だ。
「……花冠……?」
「花冠! ふふん、渾身の出来だよ! はいっ、イェルドにあげるね」
「……草冠の間違いじゃ……。不器用すぎだろ……」
アルシェはイェルドの頭に花冠もどきを飾った。彼の優しいところは、花冠ではないと言いながらも、アルシェが作ったものをすぐに捨てないところだろう。
「花冠と言ったら、こうだろ」
イェルドは摘んだ花を使って、迷うことなく編んでいく。
「おおっ……! 手慣れているねぇ」
「孤児院にいた頃、作った花冠を売ったりして稼いでいたからな。……はい、出来た」
あっという間に出来上がった花冠は、アルシェが作ったものとは比べ物にならないくらいに丁寧に編まれていた。
「イェルドの瞳と同じ色の花冠だね!」
「……別に深い意味はない。ただ、この色が一番、あんたの髪に映えると思っただけだ」
そう言って、イェルドは青い花だけで編んだ花冠をアルシェの頭へと飾った。
「どう? 似合う? 似合う?」
「はいはい、似合う、似合う」
「へへっ! ありがとう、イェルド!」
「どういたしまして。……花冠一つで、大げさなくらいに喜ぶなぁ……」
「だって、誰かに花を貰うのって、初めてだもの」
「……」
「これはもう、花が枯れないように保護魔法をかけて、空間魔法鞄の中で大事に保管しないとね……!」
「そこまでしなくても、また作って欲しい時があれば、いつだって作ってやるよ」
イェルドの申し出にアルシェは目を瞬かせる。そして、ふわっと笑った。
「本当に? 約束だよ!」
「はいはい」
イェルドは何気なく言ってくれたのかもしれない。それでも、アルシェにとって、自分のために約束してくれることが、何よりも嬉しかった。
・・・・・・・・・・
イェルドと暮らし始めて、一ヵ月が経った。
変わったことと言えば、イェルドが積極的にアルシェを殺さなくなったことだ。
「イェルドが寝込みを襲ってくれない……。私、毎晩、待っているのに……」
「ぶふぉっっ……」
アルシェがいじらしく言ってみれば、お茶を飲んでいたイェルドは盛大に噴き出した。
「ごほっ、ごほっ……。……アルシェ、それ、わざと言っているだろっ!」
「うん。いつも、今日はどんな感じに襲ってくるかなぁって思いながら待っているもの。……どうして、最近、殺しにこないの?」
すると、イェルドは視線を迷わせた。
「……道具の、手入れをしている」
なんと苦しい言い訳だろうか。それに気付きながらも、イェルドが濡れた口元を布で拭うのを微笑ましく見ていた。
イェルドは若いが、暗殺の腕前は一流と言ってもいいだろう。けれど、心は伴っていないとアルシェは気付いていた。
暗殺の仕事を生業にするならば、精神面も鍛えなければならないが、イェルドにはまだ人としての良心が残っているのだ。
このまま人を殺め続けて、彼の心が壊れないか──それが、心配だった。
「そういえば、イェルドはどうして私を殺す依頼を受けたの? やっぱり、腕がいいから?」
この若さで、これ程の腕前ならば裏の社会では有名だろう。
もしかすると二つ名とかあるのだろうか。アルシェは「勇者」という役目は好きではなかったが、「二つ名」というものには憧れがあった。
しかし、イェルドの反応は想像とは違った。
何故か、彼は不快感を得たような表情を浮かべたのだ。
「……俺みたいな──俺達みたいな日陰者を育てて、まとめる元締めがいたんだ。その人は凄く用心深くて、暗殺者である自分達が安全かどうか、依頼者に切り捨てられないかどうか、しっかりと吟味と精査してから依頼を受けるんだ」
「へぇ。まともな上司だったってことね」
「それが最近、元締めが死んで、別の人間に代替わりしたんだ。元締めの死因は不明のままで」
「わぁ、急にきな臭くなった」
アルシェの言葉にイェルドは同意するように頷いた。
「新しく元締めになった人間がこれまた、金に汚い奴で。依頼を精査することなく、相手に金を積ませるだけ積ませて受けるんだ。それがどんなに危険なものでも」
「ははーん。つまり、国からの依頼は組織宛てにきたけれど、その仕事を無理に任されたのがイェルドってことね。……大変ね、あなたも」
アルシェは気遣うようにイェルドの肩をぽんっと叩いた。
「暗殺対象者が暗殺者にかける言葉じゃないと思うんだが」
「だって、それ以外に何も言えないし……。あ、前金は貰った?」
「……」
「ええー!? 職場環境、悪すぎない!? だって、実行者はあなたなんでしょ!? いくら元締めが依頼を受けたと言っても、普通は実行者に渡すでしょ!」
「前はまだ、まともだったんだ。最近は実行者の人間が仕事をする際に死ぬことが多くて、元締めが総取りだけど」
「うわぁぁ……。私が勇者だった時の職場環境も最悪だったけれど、イェルドのところも酷過ぎる……」
アルシェはうへぇ、と苦いものを食べたような顔を浮かべる。
そして、肩を竦めながら言葉を続けた。
「イェルド。私を殺せた時は、地下貯蔵庫で保管しているお金、全部持っていきなよ。そして、独り占めしちゃいな」
「……は?」
「もし、今いる裏社会の世界にいたくないっていうなら、そのお金を使って遠くに逃げなよ。おすすめの国は……三つの国を跨いだ先にあるドルーシェン共和国かな」
「何、言っているんだ、あんたは……」
イェルドは眉を顰めていた。アルシェは我儘を言っている子どもを優しく諭すような穏やかな笑みを浮かべた。
「元々、暗殺に成功しようが失敗しようが、お金は渡そうと思っていたの。私の我儘に付き合ってくれたお礼だと思って受け取ってよ」
「だからっ……! 何で、急に……。あんたがそんなことを言うんだよ……!」
「だって、楽しかったもの。イェルドと一緒に過ごすの、すごく楽しかった。美味しいものをたくさん作ってもらったし、恋人ごっこなんて茶番に付き合ってもらったし。……久々に私が私らしくいられた」
アルシェは真っ直ぐ、イェルドを見る。
共に過ごす時間に永遠なんて、存在しない。
終わりが来るなんて早いか遅いかの違いだ。
ならば、言えるうちに言っておいた方がいいだろうと思ったのだ。
「イェルドだけは、私をアルシェとして見てくれた。私の見た目を蔑むことなく、この身を恐れないでいてくれた。あなたにとっては仕事のうちだったかもしれないけれど……私にはそれがすごく嬉しかったの」
ごっこ遊びだとしても、アルシェにとっては鮮やかで穏やかな日々だった。
それを与えてくれたのは間違いなくイェルドだ。アルシェを人として留めてくれたのは、彼なのだ。
「イェルド。私はあなたに殺されてもいい。これは本心だよ。……でもね、この仕事を諦めて、逃げたいと思った時は──私を頼ってね。私なら、あなたを逃がせるから」
「……」
イェルドは返事をしない。アルシェは小さく苦笑してから、食器の片付けを始める。
「気負わなくていいから、選択肢の一つとして考えておいてね。……私はイェルドが納得した生き方をしてくれる方が、嬉しいな」
それじゃあ、おやすみなさいと告げて、アルシェはその場を去った。