幻槍の蒼月
とある国のとある時代、とある場所で武術大会は行われていた。
会場を盛り上げるのは、大勢の観客の前で披露される大会出場者の演武。子供達は派手な技に目を奪われ、大人達は賭けの対象として品定めに余念なく、出場者同士では手の内の探り合い。誰も彼もが真剣な眼差しを注ぎ、拍手喝采・声援・掛声が飛び、屋台と予想屋の呼込みが飛び交う。
ざわめきどよめきが一層盛り上がったのは、剣術が席巻する大会に久方振りに登場した槍使いの華麗な演武によるものだった。
「見事なものだな。」
「大したことないですよ。それに、場所を選ぶってのは実用的じゃありませんしね。」
「流石は次期師範代、厳しいな。」
舞台袖で同門の徒【黄岳飛】と、師範代【周猛起】が、槍使い【李蒼月】に対し賛否の声を交わしている。
「分かってないんですよ、アイツは。」
「勝つ為に武器を変えて修練を積む事は悪い事か?」
「そうじゃないですけど……」
「アイツが中途半端な実力だとしたら、師傅は大会に出場させないさ。負ければ道場の恥、勝った後の事も任せて大丈夫だろ?」
近年槍使いが減った理由は明らか。兵として雇用された場合、最前線に配置され死亡率が高いからである。死亡率が低いのは弓兵だが出世する確率も低く、攻め込まれた際の生存率も低い。兵として雇用されるなら剣術を覚えておいた方が生存率が高い上に出世の可能性もある。故に槍は流行らぬのだ。
そして、大きな理由はもう一つ。大会で負けた他道場の逆恨み、賭けで負けた腹いせ、賞金目当ての野盗、様々な憶測と噂は流れたが、優勝者が自宅付近で遺体で発見されると云う事件が起きてから“実戦的では無い”と揶揄され、槍離れに拍車がかかったのだった。
それでも【李蒼月】は槍で勝利する事に拘った。
剣術全盛となった武術大会において、槍の間合は有利に試合を運んだ。正確無比な突きで相手を近付かせず、無理に飛び込んで来る相手の足を払い、時には槍を支えに宙を舞い相手の背をとってみせた。間合を制するものは勝負を制する。
優勝者は5大会ぶりの槍使い、会場は大いに沸き、賭けは大いに荒れた。異常な盛り上がりは夜通し続く。
祝勝会を一次会で切り上げた【李蒼月】がフワフワと軽い足取りで帰路へ向かうと、【黄岳飛】が饅頭を咥えながら、両手に土産を持って着いて来る。
「岳飛、君は自分の家が分からなくなる位酔っているのか?方向が逆だぞ。」
「酒なら飲んでないさ、お前を祝う気にはなれないからな。」
「修行の日々を共に過ごした友が祝ってくれないとはな、だとしたら、何故私の後を?」
「お前こそ、家とは少し方向が違うだろ。」
「従兄に報告さ。分かったら岳飛は帰ってくれ。」
「そう言うなよ。お前のお陰で儲けさせて貰ったんだ、礼はするさ。」
二人はその後、特に会話も無く、街から外れた竹林へ差し掛かる。5大会前、此処で闇討ちに会い死亡したのは、李蒼月の従兄【李魏遼】その人である。幼かった蒼月にとって魏遼は友であり、兄であり、師でもあった。武術大会優勝者【豪槍の魏遼】の訃報は蒼月から多くのものを奪った。
「岳飛、勝った後の事も任せて大丈夫だと言った筈だ、お前は帰りなさい。」
黄岳飛の更に後ろから兄弟子【周猛起】の姿。
「猛起さん!コイツ分かってないんですよ」
「岳飛、分かってないのはお前だ帰りなさい。」
【双颯の猛起】が竹林を殺気で満たす。闇に紛れた刺客は十数人。蒼月が静かに槍を自然体に構えると、猛起はゆっくりと剣を抜き、その剣先を蒼月に向ける。
「それは、従兄にも向けた剣なのですか。」
「街から槍使いは出さない。師傅の言付けを守らない魏遼が悪いんだよ。」
猛起は左右両の手に握られた対の剣を重ねると、月夜に軽やかな金属音を響かせる。死合は始まった、四方から流星錘が風を切って襲い来る。蒼月は地面に槍を突き刺し逆立ちで避けると、一本の竹に脚で絡みつく。上体を起こし、高い位置から月明かりを頼りに刺客の位置を確認する。流星錘が四人・青龍刀が四人・手斧が二人、数本先のしなる竹から無手の男が飛んで来る!
蒼月の足は半月を描いて更に上、地上から大人四人分はあろうかと云う高さで脚を絡めて上半身を揺さぶる。しなる竹は緑の筋斗雲、あっという間に無手の男の無防備な背中捉える。蒼月はコレを打ち落とすと周猛起を睨みつけた。
「たったそれだけの理由で従兄を殺したのか!」
竹林を満たす殺気に怒りが混じる。猛起は鼻で笑い、手斧に合図を送る。
「それだけで充分。身を護る術は剣にある、槍の腕を磨いても無駄なのだ!お前が優勝したせいで、街の者が槍を学び、戦に出れば待っているのは死だ。師傅の御子息も三人、命を落としている。その悲しみを減らしたいと云う師傅の思いが分からん馬鹿者め!」
「だからと言って従兄さんを殺す必要は無い。」
「必要さ“槍は実戦的では無い”と身を持って証明して貰うにはな。」
蒼月の乗る竹が手斧に切り倒される。しかし、槍で集めた数本の竹を軸に回転しながら地へ降りる。
「猿め」刺客が一言そう吐き捨てると勢い良く斬りかかる。
地の利は刺客にあり。槍では剣や手斧に比べて、横に払う動作が大きく制限される。そして、単純に動きづらい。しかし、蒼月は竹林を味方に付けてみせた。
それは急流を抜ける独木舟の如し。
操る槍を邪魔する竹林を、櫂で水面を漕ぐ様に、蒼月は槍で竹を掻く。
竹林を自在に游ぐ蒼月に流星錘は狙いを定められず、動きに翻弄された青龍刀は逆に竹林に邪魔をされ、地の利が活かせず慌てた手斧は竹を切り倒す事に躍起になった。乱れた刺客を討つのは造作もない。隙だらけの手斧と流星錘の半分は【黄岳飛】が片付けてくれた。
「岳飛、お前には帰れと言った筈だが。」
「猛起さん、止めてください。」
「無理だな。私はあれ以来、戻れぬ道を歩んでいる。」
地面に伏す岳飛と槍を構える蒼月にそれぞれ剣先を向ける猛起。
「武術大会には裏稼業も絡んでるんだ、魏遼には決勝で負けてくれと頼んだんだが、薄情な奴だったよ。」
その槍で貫けぬ物は無いと云う【豪槍の魏遼】の快進撃、賭けが成立しない程の圧倒的な人気、魏遼の負けに賭ければ一獲千金。猛起は武功に興味は無く、その先の報奨金にしか興味が無かった。戦に出て出世を願う者は皆、殆どがそうであったが、魏遼は武功を立て《彼の国に魏遼在り》と言わしめたく、金品や贅沢には興味が無かった。
「野盗に襲われ消えた優勝賞金のお陰で、俺は首の皮一枚繋がった。その後は表じゃ師範代、裏じゃ始末屋ってなもんさ。」
「貴方一人の私欲の為に!」
怒りに任せた突きは容易に払われた。
「分からん奴だな蒼月。魏遼一人の我儘に付き合わされたら、どれだけの犠牲が出ると思う?」
蒼月の冷静さは失われ、単調な攻撃は薄ら笑いを浮かべた猛起に一向に当たらない。【双颯の猛起】その両の手で操る双剣は当に疾風、颯の如し。防御から一変、蒼月を襲う刃は服を切り裂き、傷を負わせる。
「それに、あの女は金がかかるのさ。」
「何の話だ、はぐらかすな。」
「お前達も噂くらい聞いた事があるだろう?」
「太太の事か?私は噂など信じ無い!」
激昂した蒼月の怒涛の攻め。竹林に狭まった《正面五連突き》は双剣に払われ《上段突き》はその軌道をしっかり見破られ《下段突き》は《後方宙返り両足蹴り》で躱され、胸を思い切り弾き飛ばされた。
「岳飛、教えてやれ。お前は知っているんだろう?」
「蒼月、多分、噂は本当だ。俺は師傅に頼まれて太太を探った事がある。朝早くに芙蓉飯店から上機嫌で出て来る太太に会った、その時、俺の事を次期師範代と呼び、会った事は内緒にしておくように言われた。その日から、俺を次期師範代と呼ぶのは二人しかいない。」
それまで地に伏していた岳飛がゆっくり立ち上がる。
「師傅には何も言えなかった。知らない所で道場は裏稼業と繋がってる。太太は元々そっち側なんだ。猛起さんは騙されてるんだ!猛起さん!そうなんですよね!」
「岳飛、お前は素直でいい奴だ。俺達は騙されてる、仕方ない、そう言いながら此方側に来れる奴さ。だから、俺もあの女も、お前を次期師範代と考えてるのさ。」
「猛起さん!」
「言う事を聞いて師範代になれ。お前の道も決まっているんだよ!」
岳飛を一蹴する猛起に蒼月の槍が疾走る。それでも猛起は槍を受け流す。
「いい突きだがな【双颯の猛起】には欠伸がでるぞ。」
一瞬の隙きを狙って地に刺した剣が、土を巻き上げ石を跳ねる。視界を奪われた蒼月の喉元に、鋭い双剣が届くその時、岳飛が鉄製の拐でコレを防ぐ。
「猛起さん、俺は信じたく無い、こんな真実は……」
「どうやら道は決まったようだな。二人仲良く魏遼のもとへ逝け!」
鉄製の拐と拮抗している双剣を翻し、岳飛の力を横に逸らすと、左の柄頭で首、右の柄頭で側頭部を打ち込み、膝から崩れる岳飛の後ろへ双剣が〆の字を描く。だがそこに蒼月の姿は無い。
竹と槍がぶつかる音が木霊する。蒼月は槍の中程を持ち、今一度竹林の中を游ぐ。縦横無尽に不規則な動きに猛起の双剣は宙を泳ぐ。
「小癪な!」
猛起の双剣は速い。相手を斬り刻み刺突する事に長けている。青龍刀や斧の様に何かを両断する事は不向きである。しかし、蒼月の動きを追い、戦いの場が竹林であるにもかかわらず、つられて剣を横に切り払ってしまった。
蒼月はその機を逃さない。
「覚悟!!」「しまっ……」
竹に食い込んだ剣の横から【双颯の猛起】を貫く。絶命の声すら上げる事も出来ず、猛起の首は胴から離れた。
「貴方は此処で従兄を殺した実績がある。それが油断に繋がり、私には、槍でも場所を選ばず戦うと云う使命となった。猛起、貴方を倒したのは【豪槍の魏遼】だ。」
➖終劇➖