7. 妊娠
浅見さんは僕の上司だ。
就職氷河期に揉まれて、いろいろな職を転々とした後に、今の会社に就職した。営業課の主任で、部下である僕には結構厳しい。たたでさえ目つきが悪いのに、いかついオールバックで、嫌なことがあるとすぐ眉間にシワを寄せるので、なおさら苦手だ。
「嫁さんがさあ、子ども作りたいって言うんだよね」
白いフィットの助手席で浅見さんはボソリと言った。その日は埼玉にいた。浅見さんが受け持っていた得意先を僕が引き継ぐ。長年の間柄で勝手知ったるところもあるので、ゆるめに挨拶をして会社に帰る途中だった。
「40越えたし、まじで確立低いんだよ。で、不妊治療やってるんだけど、かなり大変だぞ」
そうなんですか、と言うと浅見さんは大きくうなずいた。
「もう長いことやってるの。それが全然うまくいかないんだよ。保険も効かねぇし」
浅見さんがそんなことを言ったのは、おそらく得意先の社長が見せた写真が原因だろう。「かわいいでしょう。うちの孫」と言うありきたりな会話に、思うところがあったに違いない。
「ごそっと金持ってかれるしさ。ちゃんと時期がきたら勃たないといけない。アルコールも減らしたり何だりでストレス溜まりまくり」
「お金結構かかるらしいですよね」
「そう。子どもも安くないよな。あ、悪い。そこのコンビニ停めてくれない?」
車を左折させて、ローソンに入っていく。浅見さんはコーヒーをおごってくれた。ベンチに座った浅見さんはカップ片手に、少し離れたところで電子タバコのアイコスをふかし始めた。
灰色ののっぺりした雲が張り付く曇天だった。
「タバコもやめろって言われてるんだけどさ」
ため息まじりの煙を吐き出した。
「隠れて吸ってる」
「キツそうですね」
「どうよ、そっちは。同棲中の彼女。結婚しないの?」
「そこまでは。まだ」
「若いからなあ。付き合ってる時が一番楽しいよな。結婚は地獄だ」
「後悔してるんですか」
「70パーくらい」
ガクッと肩を落として浅見さんは言った。
「しがらみがなあ。夫婦ってなんなんだって、柄にもなく考えるよ。全然楽しくないし」
「でもこの前、一緒に温泉行ったって」
「カンフル剤みたいなもん。そう言うのやっとくと、後の生活が楽になる。いやむしろやっておかないと、ピリピリしてしょうがない」
失敗続きでお互いにストレスなんだろうな、と浅見さんは言った。
子どもを作る。
身近な話に、僕は浅見さんに親近感が湧いた。今日の浅見さんは饒舌だった。いつもはラジオを聴きながら、一言二言喋るくらいだった。
「別に2人だけでも良いのかな、と俺は思うよ」
「それって。子どもはいらないってことですか」
「いるにこしたことは無いけれどな。でも、そんなことを望まなかった頃の方が、幸せっちゃあ、幸せだったよな」
「幸せ」
「そうそう」
弓花はどうして子どもを欲しいと言ったんだろうか。
浅見さんの言葉を聞きながら、そんな疑問が浮かんできた。普段の会話で彼女が子どもを欲しいと言ったことなんか一度もなかった。僕から欲しいと言ったこともなかった。
もちろん欲しくないと言う訳ではない。
弓花と僕の間に子どもができたら、どんなに幸せだろうかと思う。
「ガキの頃は自分がこんな思いするなんて思ってなかったな。家族なんて勝手にできるもんだと思ってた」
排気ガス臭いコンビニの駐車場で、浅見さんはボソリと言った。