1日目 第2話
気づくと、僕はすでに空の上だった。
窓を開けた覚えもないまま、僕はただ高いところにいる。でも別に、清々しさは感じなかった。得体の知れない恐怖だけが僕の感情を支配した……だって、僕の意思とは無関係に体が浮いていくのだ、命綱も何もないのに。
少しずつ高度が上がっていくのに従って、高さの上がり方が早まっているような気がする。地球の重力とは逆向きの力が働いて、僕を空に’落下’させようとしているのかも知れない。
僕は無駄に冷静だった。これが死ぬ時に見る風景なんだろうか、こんなに科学的ではないリアルな風景が死ぬ間際の風景なんだというのは、少し思うところがないでもなかった。
……別に、これが死ぬ間際だと決め付ける理由も何もないのに。
いつの間にか僕は地上から数百メートルのところにいるらしくて、人や車はもう米粒よりも小さく見える。風も強く吹いているはずなのだが、僕は何だかどうでもよかった。
ぼんやりと、美しい僕の住む街を眺める。こんなに綺麗な街だったんだな。普段生活していても絶対に見ることができない高度から、僕はただ感心していた。……別に、航空写真があれば見ることができるか、と、僕は自分の感想に自分でツッコミを入れると、
「降ろせ」
と呟いた。
別に呟く必要があったのかはわからない。ただ、こうやって僕が空に浮いたのがこの下でパタパタやっている妖精のせいなのだとすれば、僕が願えばまた地上におろしてもらうこともできるのではないかと思っただけだ。
自分の意思とは無関係に浮かんで行ったさっきも怖かったけれど、自分の意思で落ちていくというのも、やはり怖い。ただ今回は、自分の意思で落ちるのをやめられると分かっている分だけ気持ちは楽だ。
米粒のようだった人々が少しだけ大きくなる。車がテニスボールくらいの大きさになる。自分の家が見えてくる。
僕は少しだけ、泣いた。
*
恥ずい……自分が空に昇って降りて、怖すぎて泣いた。いい歳した男子が、その程度のことで泣いてしまった。めっちゃ恥ずかしい。
別に空に昇って感動して泣いたわけではなくて、ただ加速度が怖かったからというだというのがとても恥ずかしい。
「さて」
声に出して切り替える。
「どうすればいい」
僕の周りで浮遊している、よく目を凝らしてみなければ見えないような小さな羽虫。こいつに僕の願いを思うと、それを実現してくれるらしい。
うーん。どんな願いを願えばいいんだろう?
「ぴんぽーん」
間の抜けたチャイムの音がして、家に来客を知らせている。
「カイいますかー?」
この声はレイだ。僕がさっきまでLINEしていた相手。
「体調が悪いのかと思って、ちょっと心配して来ちゃった」
鍵を開けるや否や玄関のドアを開けて入ってくるものだから、僕も少したじろぐ。
「ごめんごめん、ただのずる休みだよ」
「知ってた」
「じゃあさっきのセリフは何だったんだよ」
「へへっ」
へへっ、って何だよ。全くもう。可愛いなぁもう。
「レイ、何か用事なのか?」
「別に。一応カイの様子をみとこうと思って。本当に風邪なら、カイには両親がいないんだから私がお世話しなきゃいけないしなあ、とかも思ってたんだけど」
「……あのなあ、別に僕をお世話する義務はお前にはないんだぞ?」
「いいや、隣の家に住んでる私が世話をしなきゃ」
こういう、こいつの責任感が僕は多少苦手だ。まあこういうところも含めてレイはとてもいいやつなのだけれど。
「いやいや、そういうことじゃなくて、僕にはもう世話は要らないから」
「そぉ? 私はカイの世話は必要だと思うけどな」
「いや、いい年の男子に世話を焼くなっての……変な感じになるだろ」
「変な感じ……? さてはカイ、私にお世話してもらうのに興奮してるの……私は無理だよ、そういうプレイは」
「なんなんだよ、お前は僕をどんな変態だと思ってるんだ」
「こんな変態」
といって、『びしっ』と指を指してくる辺りレイは楽しい会話の作り方を心得ている。本当にさ、こうやってレイと会話しているときが一番楽しいとすら思える。
「……あ、そういえばお前、僕が病気じゃないとわかったらもう世話とかいらないだろ? 早く帰ったほうがいいんじゃないのか」
「あー……別に大丈夫だよ、今日の宿題は昨日先に終わらせてある」
手際のいいことだよ、全く。
*
「うーん、なんだか暇だね。話すの飽きた」
すでに日は落ちていた。レイが家に来たのは学校が終わってすぐのことらしいから、その時日は出ていたはずだ。もう一時間は喋ったのだろうか? ちなみにレイの家と僕の家は徒歩二分くらいの至近距離だ。目と鼻の先というやつ。
しかし、それだけ長時間喋っていると、さすがに飽きる。いくらレイは楽しく喋ってくれると言ったって、喋るネタが尽きたらそれも終わりだ。
「そうだ。部屋に上がらせてよ」
「え」
第3話は11月2日午後9時公開予定。