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笈の小文

 江戸を発つにあたり、其角邸にて送別会がとりおこわれた。


旅人と我名よばれん初しぐれ


 これは芭蕉が詠んだ句。

 もはや固有名さえ失い、ひとりの旅人となったことを宣言している。


 弟子の露沾からも句を送られた。


時は冬よしのをこめん旅のつと


 つとは手土産のこと。

 いまは冬であるが、吉野につくころには春になっているであろうという句。「吉野」といえば「桜」なので、言外に春を示唆しているわけである。

 なお同作者に「時は秋吉野をこめし旅のつと」なる句がある。使い回しである。


 *


 芭蕉は最高の旅と、それを記した紀行文の完成を望んでいた。

 しかし紀行文というジャンルはすでに完成しており、なにをしたところで古人の焼き直しになることは明白であった。

 それでも、名所を見て、歌を詠むしかない。


 芭蕉は壁にぶち当たっていた。

 というより、誰もがぶち当たるべき壁に、きちんとぶち当たった。

 この壁を破らねばならぬ。


 *


 名古屋の鳴海に入り、一句詠んだ。


星崎の闇を見よとやなく千鳥


 せっかく星崎に来たのだから、星を詠みたかったはず。

 しかし折悪しく空は闇に閉ざされていた。

 それでも巧みに詠むのが芭蕉である。闇なら闇でよい。旅はままならぬものなので、もはやこの程度で動じたりはしない。


 *


 さて、旅を続けながら芭蕉は杜国について考えていた。

 以前、ラブレターを送った相手である。彼女のことを考えながら、こんな句を作った。


寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき


 アッー!

 とんでもない駄句が出てしまった。ねっとりしすぎている。

 かの名人も、色恋の話になると途端にアレになってしまう。

 このとき芭蕉は杜国に会いたすぎて、弟子の越人に手紙まで出し「杜国ってどこ住みなん?」と聞いていた。


 さらにもう一句詠んでおり、こちらは秀逸。


冬の日や馬上に氷る影法師


 冴え渡る冬の空気の中、ひたすら馬を進める光景が目に浮かぶ。

 正気に戻るとすこぶる腕がよくなる。

 できればずっと正気でいて欲しいものである。


 *


 合流した越人に案内され、三河の杜国を訪ねた。


「この辺ですよ、芭蕉さん」

「え、どこどこ?」

「ほら、そこ。そこです」

 小さな家の前に、美形の女が立っていた。

 忘れもしない顔!


「杜国! やっと会えた! 嬉しい!」

「はい。わたくしもです、芭蕉さま」


 なぜ芭蕉が杜国の所在を知らなかったのかには、きちんと理由がある。

 じつは杜国、米の空売りでパクられており、以前の住居を追放されていたのである。本来なら死罪だったところを、大名の配慮でなんとか減刑されていた。

 だから芭蕉としては、傷心の杜国を癒してやりたかったわけである。


 一緒に伊良湖岬へ出かけて一句詠んだ。


鷹一つ見付てうれしいらご崎


 ここらには鷹にまつわる歌があるよなぁと思っていると、ちょうど鷹が来た。それだけでウキウキしてしまっている。どうか落ち着いて欲しい。

 ちなみに鷹は冬の季語。冬以外にも鷹はいるが、歌の世界では、なんらかのいわくがある季節があてがわれるものなのだ。冬の鷹にどんないわくがあるのかは不詳。


 *


 その後、ひとりになって熱田神宮へ。

 かつて「野ざらし紀行」で訪れた際は荒れ果てており、「しのぶさへ枯て餅かふやどり哉」と、まともに参拝もできず、売店の餅を食うくらいしかすることがなかった。

 しかし修復工事が無事に済んだようである。


とぎなをす鏡も清し雪の花


 飾られた鏡もピカピカになっていた。


 *


 各地で地元の俳人たちと交流しつつ、故郷の伊賀上野を目指した。


歩行かちならば杖つき坂を落馬哉


 旅の難所「杖つき坂」を通過。

 そこを馬で走破しようとしたところ、芭蕉は落馬してしまった。馬を引いていた馬子にも「へたくそだな」と渋い顔をされたらしい。

 本当は推敲して季語を入れるはずだったのだが、もうやる気もなくしてこのままにしたようである。

 句など詠んでいる場合ではない。


 *


 ひなびた実家に入った。


「ぬわぁーん! 疲れたもぉーん!」

「おや甚七郎、お帰り」

 姉が出迎えてくれた。

 相変わらずの貧家を、なんとか切り盛りしてくれている。

「姉者、お酒ある?」

「飲み過ぎないようにね」


 しかし飲みまくった。

 おかげで年越しの瞬間を寝たまま過ごしてしまった。


二日にもぬかりはせじな花の春


 初日はだらしなく過ごしてしまったので、二日目はちゃんとしようという句。

 実家で存分にダラダラした様子がうかがえる。


 なお、歌において、新年は格別な瞬間である。このとき詠む歌を「歳旦吟さいたんぎん」という。


 *


 その後、芭蕉は二十年ぶりに藤堂家へ招かれた。

 かつて仕え、25歳という若さで早逝してしまった蝉吟。

 その子が、いまは家を継いでいたのである。


さまざまのこと思ひ出す櫻哉


 芭蕉はこの句に思いを込めた。

 正直、芸術性の高い句ではない。

 どうしても言い尽くせなかったのだ。言葉にならなかった。その事実を素直に詠んだ。


 もし蝉吟が生きていれば、いまも一緒に歌を詠んでいたかもしれない。

 家を継いだ蝉吟につき従って、芭蕉もこの地にとどまっていたかもしれない。


 だが、そうはならなかった。


 *


 伊勢山田に入った。


何の木の花とはしらず匂哉


 伊勢神宮にも入った。

 このあたり、芭蕉は平安期の歌人・西行法師の足跡を追っていたようである。


 *


 三月。

 芭蕉、またしても「いらご崎にてちぎり置し人」と合流してしまう。

 もちろん杜国である。

 どうしても会いたかったのであろう。あらかじめ会う約束をしていたようである。


 前回は案内役の越人がいたが、今度は二人きりである!

「いやー、やっと二人きりになれたね」

「はい。わたくしのことは万菊丸とお呼びくださいね、芭蕉さま」

「キュン……」

 アッー!


 杜国、よりによって幼名を名乗ってしまう。お前は森蘭丸か。

 これには芭蕉もノリノリになってしまう。


 旅に出るにあたり、二人で笠の裏に句も書いてしまう。


よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠   芭蕉

よし野にてわれも見せうぞ檜の木笠   万菊丸


 これは間違いなくやらかしていると言わざるをえない……。


 その後もだいぶ句が残されているが、ほぼ二人のデートの記録なので割愛する。各地を訪れ、吉野にて桜を満喫、また名跡を巡り、奈良の地にてようやく別れた。

 春はずっと「万菊丸」とともに過ごしたことになる。


鹿の角先一節のわかれかな


 鹿の角は時期ごとに枝分かれする。

 その様子を両者の別れに見立てた。


 *


 大阪、須磨、明石と巡り、句を詠んだ。


蛸壺やはかなき夢を夏の月


 これは明石での句。

 歌における「月」は特別な語である。しかし「はかなき夢」とともに「蛸壺」に押し込められてしまっている。

 この後段に安徳天皇についての言及があるので、海に没した平家のことが念頭にあるのだろう。

 芭蕉は、ここで無常に思いをはせる。


 *


 いわゆる『笈の小文』にまとめられているのはここまで。

 一連の行程は、芭蕉が出版したものではない。

 芭蕉の死後、弟子の乙州おとくにが資料をまとめて出版したものだ。

 芭蕉としても、当初は紀行文として出す想定でいたのだろう。しかし中核となる部分が杜国とのデートに終わってしまったので、出すに出せなかったのである。つまりプライヴェートな紀行文になるはずだった。


 乙州は勝手なことをしたと言えるかもしれない。だが、もしこれがなければ、芭蕉の歴史に空白が生じていたことだろう。


 *


 その後、芭蕉は江戸へは戻らず、京で過ごした。

 またしても杜国と合流し、歌舞伎の鑑賞などをしたようである。

 しかしこれが、杜国との最後の思い出となってしまう……。


(続く)

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