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ぽちゃん

 旅を終えた芭蕉は、気になるニュースを耳にした。

 大阪の西鶴が、一日で二万もの句を詠んだのだという。

 一晩で!

 二万句である!

 もし本当に一日で達成したのであれば、一分あたり十三句から十四句を詠まねば追いつかない。これは食事も、睡眠も、トイレ休憩もナシでの計算である。

 なにもかもが怪しい。


 庵でひとり、芭蕉はのたうった。

「西鶴めぇ……ウケればなんでもいいのですかぁ……」

 気をよくした西鶴は「二万翁」などと自称しているという。

 しかも気に食わないのは、弟子の其角が、西鶴を称える句を送ったことである。


の歩み二万句の蝿あふぎけり


 驥とは並外れた駿馬しゅんめのこと。

 西鶴の存在を堂々たる駿馬にたとえ、彼の偉業を称えている。

 二万の句を蠅と表現していることから、手放しの称賛ではないようにも見える。しかし歌において、蠅と馬はよくセットで用いられる。だから他意はなく、歌の作法に従っただけという言い訳もできる。

 ともあれ、其角は西鶴に反応した。そのこと自体、芭蕉には受け入れがたいことだった。


 いや、それだけではない。

 俳諧が見世物になっていることも許せなかった。

 自分は野ざらしになる覚悟で俳諧に打ち込み、なんとか芸術に昇華させようと苦心している。なのに詠み捨てるように二万句などと……。


 芭蕉はむくりと身を起こした。

「分かりました。そちらがその気なら容赦しませんよ。好き勝手やればいい。そういうふざけた作風ごとまとめて粉砕して差し上げますからね、井原さん……」

 これぞ蕉風、これぞ芸術、そんな作品を発表し、世間の目をさましてやるのだ。


 *


 芭蕉はすぐさま弟子たちへ通達した。

 句合くあわせをするというのだ。

 題材はかわず

 すなわち蛙をテーマに、各人の句を競わせようというのである。


 この時点で、芭蕉の句はまだ未完成だった。


蛙飛ンだる水の音


 できているのは中七と下五のみ。

 ここに上五をつければ完成するが……。


 狭い庵に座した芭蕉は、頭の中で何度も何度も句を繰り返し、しかし満たされない気持ちになっていた。

 この「飛ンだる」がひっかかる。

 あまりに談林じみている。オチャラケている。たしかに表現としては面白い。だが、果たして面白いだけでいいのだろうか。


蛙飛びこむ水の音


 熟慮の末、このようにあらためた。

 落ち着いた心持ちがした。


「先生ぇー! いるぅー?」

 芭蕉が黙考していると、其角が遊びに来た。

「お入りなさい」

 どうせ今日も酔っ払っているのであろう。

 戸を開き、其角があがり込んできた。

「やっほ、先生。なにしてんの?」

「歌と向き合っているのです」

「あー、それねー。アタイもよくやるぅー」

 実際、やっているのだろう。其角は口先だけの女ではない。

 芭蕉は紙に書いた句を見せた。

「其角や、これに上五をつけるとすれば、なんとします?」

「蛙飛びこむ水の音? へぇー、飛びこむ音たぁ、これまたエラいのが……。まーでも、この感じだったら『山吹』かなぁ」


山吹や蛙飛びこむ水の音


 風情はある。古典のプレイヤーであれば、これをよしとしたかもしれない。

 芭蕉はしかし納得しなかった。

「其角や、あなたも蕉門の一員であるなら、考えをアップデートしないといけませんよ」

「え、なに? ダメってこと?」

「ダメダメです」

「じゃあなにが正解なの?」

「私の考えは、句合の当日に発表します。あなたも頑張って作るのですよ」

「ぶぅー」


 *


 かくして句合が始まった。

 門人たちが、互いの句を争わせる二十番勝負。

 もちろんすべての弟子を庵に招くわけにもいかぬから、大部分は手紙による参加である。それでも人が集まれば、ちょっとしたお祭り騒ぎとなる。


 芭蕉の句は一番に出た。


古池や蛙飛びこむ水の音


 この句が出た瞬間、場は静まり返った。

 歴史上、蛙といえば、誰もがその鳴き声を扱ってきた。そういうものだという思い込みがあったのだ。ところが芭蕉の句には、水音だけが響き渡り、ほかに音はなかった。静謐せいひつの極致。動が、静を際立たせている。

 とんでもない句が出てしまった。


 二番、盟友の素堂。


雨の蛙声高になるも哀也あわれなり


 破調である。

 まだ談林のクセが抜けきっていない。


 三番、嵐蘭。


きろきろと我頬わがつら守る蝦哉


 五番、庵の庭に芭蕉の木を植えた李下。


蓑うりが去年こぞより見たる蛙哉


 同じく五番、ゲストとして招待された向井去来の句。


一畦ひとあぜはしばし鳴やむ蛙哉


 十二番、のちに雪門を開く服部嵐雪。


よしなしやさでの芥とゆく蛙


 十四番、野ざらし紀行をともにした千里の句。


手をひろげ水にうきねの蛙哉


 十八番、鯉屋杉風。


山井やまのいや墨のたもとにくむ


 二十番、ゲストとして招かれた曾良の句。


うきときひき遠音とおねも雨夜哉


 同じく二十番、宝井其角の句。


ここかしこかわずなく江の星の数


 蛙というテーマでも、詠み手によって広がる景色が異なる。

 蛙の声に注目するもの、動作に注目するもの。一匹のもの、複数のもの。あるいは蛙を主役にするのではなく、蛙のいる景色を詠んだもの。

 さまざまである。


 蕉門の主力メンバーが揃っている点も見逃せない。

 のちに「西の俳諧奉行」と評される向井去来、『おくのほそ道』に同道する河合曾良も名を連ねた。


 これらは『蛙合かわずあわせ』として刊行され、世間へと叩きつけられた。

 気の抜けていた談林の連中に対し、自分たちは先へ進んでいるぞと宣言したのである。


 会が終わるころには、すでに日も暮れていた。

 みんなへとへとだ。


「まさか古池とはねぇ……」

 其角が誰にともなくつぶやいた。

 師匠の背がだいぶ遠くに見えたはずだ。同じ道を進んでも勝てないと感じたか。いや、奔放な其角のことだ。もともと同じ道を歩む気などなかったのかもしれない。


 *


 蕉門の評価はみるみる高まった。

 ただでさえ談林は、自由すぎて収拾がつかなくなっていた。芯がない。新しければなんでもいい。そこへ芭蕉の一喝が効いた。

 俳壇の中心は、ついに大阪から江戸へとシフトし始めた。


 *


 さて、春のある日、芭蕉が庵で過ごしていると、ひとりの客人があった。

「もし、もし」

 柴の戸をゆする音がする。

 芭蕉も腰をあげた。

「どなたかな?」

「路通ちゃんです」

「……」


 来てしまった。


 八十村路通やそむらろつう

 かつて旅の途中で出会った托鉢僧だ。

 あのとき芭蕉は無視して通り過ぎるつもりだったが、すこぶる顔がかわいかったので、つい足を止めてしまった。飯をくれたら「なんでも」するというので、いろいろ考えた末、一首求めた。

 すると路通はこう返した。


露と見る浮世の旅のままならばいづこも草の枕ならまし


 只者でないと感じた。


 当時、こんな会話をした気がする。

「松尾さまは宗匠さまなのですか? だったら路通ちゃんのこと弟子にしてくれる?」

「ええっ? まあいいけど……。私、わりとガチでやってるけど、それでもいい?」

「うん、へーき」

「じゃあ江戸の深川にいるから、もしなんかあったら尋ねて来てね」

「分かった」

 まさか本当に来るとは思いもしなかった。


 庵へあげると、路通はにこにこと愛敬を振りまいた。

「えへへ。また会えて嬉しいな」

「う、うん。そうね。嬉しいわね……」

 とんでもなくかわいい。

 芭蕉は、しかし路通にサークル・クラッシャーの気配を感じ取っていた。自分のかわいさを自覚しているから、それを武器にしてなんでもやる女だ。この手の人間はコントロールが難しい。

「松尾さま、路通ね、今日は恩返しにきたんだ」

「お、恩返し? ふーん……」

「なんでも言って? 路通ちゃん、ぜんぶしてあげる」

「う、うん……なんでも……」


 のちに「蕉門のやべーやつ」と化す路通が、芭蕉の住所を特定してしまった。

 この時点ではまだおとなしい。

 しかし彼女の奇行は、やがて芭蕉の胃にダメージを蓄積させてゆくことになる。


 *


 八月十五日、隅田川に船を浮かべた。

 芭蕉、其角、その他弟子たちで風情を楽しんだのだ。

 もちろん路通はいない。その日のうちにどこかへ追っ払った。


名月や池をめぐりて夜もすがら


 旧暦の八月十五日は「中秋の名月」だ。

 連歌でただ「月」といえば、必ずこの日のものを指す。それくらい特別な月なのである。


 弟子もかなり増えた。

 江戸だけでなく、伊賀上野、大垣、名古屋にもいた。路通もいた。

 ただし、人が多いということは、それだけ衝突も発生しやすいということだ。これまでのように、個別に指導するのも難しくなる。

 地元の伊賀や、信頼できる木因のいる大垣はいい。しかし、ほかの門弟はいつ心変わりするか分からない。


 これからは、俳諧師として句を作るだけでなく、大きくなった一門の運営にも気を配らねばならない。


 厄介なことに、五代将軍・徳川綱吉の発した「生類憐みの令」も厳しさを増していた。

 おかげで最大のパトロンである杉風の鯉屋も商売が難しくなってしまった。芭蕉もウカツなことができない。


 いかな太平の世とはいえ、ただ好きなことだけをすればいい、というわけにはいかなくなっていた。


(続く)

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