おくのほそ道 三
五月、さらに北上。
義経四天王である佐藤兄弟の碑を訪れる。
笈も太刀も五月にかざれ帋幟
笈というのは修行僧などが荷物をしまう箱のこと。
句に出てくる笈は弁慶のもの、太刀は義経のものを指す。
義経たちを偲んだ一句だ。
今後も幾度か源平絡みの情報が出てくるが、それは西行法師の足跡を追ってもいるからである。西行はまさに源平の時代を生きた歌人であった。
端午の節句が近いこともあり、義経絡みのネタを強調したのかもしれない。
佐藤兄弟の碑や弁慶の笈は『曾良日記』にも記録されているので、実際に見たものと思われる。
夜、飯塚の温泉へ。
しかし宿に入ったはいいが、芭蕉は「あやしき貧家」と厳しい評価!
クソ宿であった。
天気まで悪化して雷雨となり、蚊やノミに食われ、持病も発症。とんだ災難である。芭蕉は「ヘコんだりもしたけれど、頑張って旅を続けるからね」的な文言を記す。
ただし『曾良日記』には「夕方より雨降。夜に入、強。飯坂に宿。湯に入」としか記述はない。本当に芭蕉が苦しんだのかは不明。仮に苦しんでいたとして、曾良はスルーしたことになる。怖い。
*
さて、細部は飛ばして山場へ行こう。
もちろん松島だ!
待ってました!
たまに誤解している人もいるが、「ああ松島や」は芭蕉の句ではなく、後世の狂言師・田原坊の句である。芭蕉とは関係がない。
宿に入り、窓を開けた。
真っ青な海に、いくつもの島が突き出しているのが見える。
絶景である。
「先生、すごいですよ」
「興奮してきたな」
実際、芭蕉は興奮していたと記している。
松島や鶴に身をかれほとゝぎす
曾良が一句詠んだ。
ホトトギスが飛んでいるが、ここはツルでなければ物足りない。それくらいの絶景というわけである。ディスられたホトトギスの気持ちにもなって欲しい。
芭蕉はしいて詠まなかった。
興奮しすぎていた。
いちおう「島々や千々に砕きて夏の海」という句を作ったらしいが、満足いかなかったらしくお蔵入りしている。
なお松島といえば「西行戻しの松」が知られるが、ここでは西行に対する言及はない。
*
旅はなおも続き、ついに岩手へ。
三代で栄え、そして滅んだ奥州藤原氏。
その痕跡を追うことにした。
だが、なにもなかった。
本当に滅んだまま、あらゆる痕跡が失われていたのだ。
芭蕉は「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」の故事を思い出し、涙をこぼす。実際どうだったか分からないが、芭蕉はそう書いている。『曾良日記』にはなにもない。深追いしてはいけない。
夏草や兵どもが夢の跡
有名なこの句はここで詠まれた。
同所にもう一句ある。
五月雨の降のこしてや光堂
中尊寺の光堂、または金色堂を見ての一句。
いずれも説明不要の名句であろう。
美しい光景とともに、寂々とした情緒が満ちている。
『おくのほそ道』は、もちろん紀行文としても突出しているのだが、掲載された句がどれも強いのが特徴だ。どれかひとつ取り出しても鑑賞に値する。老境に達した芭蕉の芸術性が、随所で爆発している。
*
「ヤバいわね。これは名作になるわ」
「よかったですね、先生」
旅は順調かに見えた。
だが、このまま北へ向かうべきだろうか? この先は、もはや秘境というより魔境である。歌枕もない。
さすがに方向転換することにした。
西へ向かい、出羽国に入ることにしたのだ。いまでいう山形県のあたりだ。
ところが、関所で止められた。
白河の関はあんなに簡単に突破できたのに!
「おい、なんなんだおめぇら! 止まれ!」
「はい? 超有名俳諧師の松尾芭蕉ですが? なにか?」
「誰だよ……」
まったく通じなかったのである。
この関所を使う人間はほとんどいない。そのせいで役人どもも暇をもてあましていた。久々の仕事だからと、やる気になってしまったのである。
通してもらうのにかなりの時間を要した。
「っぱ役人ってクソだわ……」
「まあまあ。あの人たちも仕事ですから」
「しかも宿もなさそう! どこかに泊めてもらうしかない!」
「どこかのおうちにお願いしましょう」
かくして民家に頼みこみ、なんとか宿泊できたものの……。
通されたのは馬小屋であった。
蚤虱馬の尿する枕もと
蚤や虱にまみれて寝ているすぐ脇で、馬が小便をする! 最悪だ!
という句。
しかし『曾良日記』にこのような記述はない。
関所の名前が「尿前」であったことから、芭蕉が話を盛ったものと思われる。
嵐に足止めされたため、一泊では済まなかった。
出発の日、主から「ここらは危険が多いから案内人をつけたほうがいい」と言われた。誰か紹介してくれと頼んだところ、脇差をたずさえたクソデカマッチョが派遣されて来た。
クソデカマッチョに荷物を持たせ、汗をかきながら難所を踏破。最上の庄に出た。
別れ際、クソデカマッチョは言った。
「ここらは必ず事故が起こる場所だったけど、何事もなくてよかった」
「マジすか……」
芭蕉、これには冷や汗。
しかしやはり『曾良日記』にはなにもない。淡々と移動した記録があるのみだ。
いや、もしかしたら実際にあったかもしれない。きっと曾良が記録していなかっただけであろう。責めるなら曾良を責めて欲しい。
*
同五月。
立石寺を訪れる。
ゴツゴツとした岩がちな山の上に建てられた寺だ。進むほどに体力を奪われる。しかも旧暦では五月だが、我々の暦でいえば七月。とても暑い。蝉も鳴きつくしている。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
またしても名句が炸裂してしまった。
岩というのがいい。ひとつも音を吸収せず、バチバチに弾いたことだろう。
乱反射された音は、もはや騒音をこえて別のなにかになる。情報ではない。肉体に作用するエネルギーだ。無音よりも、ホワイトノイズのあったほうが集中できるように。
気を失うような暑さでもあったろう。朦朧としたついでに、うっかりかつての主君を思い出したのかもしれない。
関係あるかは不明だが「蝉吟」は蝉の声を意味する。
*
六月、まだまだ名句は続く!
次に芭蕉が向かったのは最上川。
船で川下りをしようと思ったが、天候が優れない。
時間をつぶしていると、むかし俳諧をやっていたとかいう人たちがいたので、芭蕉は一巻だけ付き合った。
一巻といえば普通は百韻だが、『曾良日記』には歌仙とあるので三十六句だろう。百韻は長すぎるので、芭蕉は歌仙を好んだ。
その後、川下り。
流れはやや荒く、幾度も転覆しそうになったようだ。
五月雨をあつめて早し最上川
雄大な川が、雨によって急流になっている。
荒天にもかかわらず、見事に詠みこなしてしまった。旅のトラブルにはなれたものだから、悪条件だろうが構わず名作にしてしまう。
*
羽黒山を巡り、鶴岡の城下町を通り、酒田へ出た。
酒田は川から海へつながる海運の要所。大きな港町である。
暑き日を海にいれたり最上川
最上川だけで名句を連発する俳人、芭蕉。
印象的な川だったのであろう。雄大な川は、それだけで映える。題材にしやすい。
季語は「暑き」で夏。
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かくして象潟へ。
現在は地震によって地形が変わり、ほぼ陸地となっているが、当時はごく浅い湖であったらしい。
その姿は「東の松島、西の象潟」と並び称されるほどだったとか。
芭蕉はこう記している。
「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」
美しさは、光だけでなく、影にも宿る。
象潟や雨に西施がねぶの花
芭蕉の句。
西施は中国の伝説的な美女。病弱な彼女が眉をひそめると、さらに趣があった。それをまねて他の女たちも眉をひそめたが、いまいちよくなかった。これが「ひそみにならう」の故事だ。
ともあれ、陽と陰でいえば、陰の美しさをもつ女性が西施であった。
「ねぶの花」は「合歓の花」。晩夏の季語。
(続く)




