おくのほそ道 二
さて、芭蕉ら一行は日光に入った。
天気はよくない。『曾良日記』には「折々小雨」「終日曇」とある。
「仏五左衛門と申します」
宿に入ると、主がいきなりそんなことを言い出した。
「ほとけ……」
「正直を旨に生きておりますゆえ、周りのものがそう呼ぶのです」
「はぁ」
聞いてもいないのによく喋るものである。
確かに正直者なのではあろう。
だが、見ていると本当に人がいい。
芭蕉らはここで主の世話になった。
翌日、快晴の二荒山へ。
もとは「ふたらさん」と読んだようだが、これを「にこう」と音読みし、のちに「日光」の字を当てたことが記されている。旅の豆知識だ。
あらたうと青葉若葉の日の光
よく晴れた日光を素直に称える歌だ。
「あらたうと」は「あら尊」である。とうとみを感じてオギャっている。
*
霞のかかる黒髪山へ。いまでいう男体山である。
剃捨て黒髪山に衣更
これは曾良の句。
旅に出る際、またしても僧侶のコスプレをしたため、二人は頭をつるつるにしていた。もう神社には入れないゾ?
ともあれ「黒髪山を見てるのに頭つるつるにしちゃったよ」という歌である。
これを芭蕉の句ではなく、曾良の句として載せているところがなんとも言えない……。
ところで『おくのほそ道』では、この段でいきなり曾良の素性が開陳されてしまう。
本名が河合惣五郎であること、芭蕉の近くに住んでいること、基本的に無職なので普段は薪割りなどを手伝ってくれていることなど。
本人の許可をとって掲載しているのかは不明。
まあ師匠なのでやりたい放題である。
*
那須の黒羽を目指す。
いまでこそ道路が整備され、牧場なども広がっている那須であるが、当時はほぼ手つかずの原野であった。雑草がぼうぼうに生えている。
馬を放し飼いにしている男に出会った。
「こんにちは」
「おや、こんにちは。旅の方とは珍しい」
「いまや知らぬ者のない人気俳諧師の松尾芭蕉です」
「ええと……松尾さん……?」
通じないこともある。
テレビもラジオもネットもないのだ。俳諧をしない人間にとって、松尾芭蕉など何者でもない。
「あの、できれば馬をお借りしたいのですが……」
曾良がそう頼むと、男はさすがに面食らった顔をした。
「馬を……」
「お願いします。なんでもしますから」
「はぁ、まあ、大変でしょうし、いいでしょう。終わったらどこかで放してください。勝手に帰ってくると思うんで」
「ありがとうございます!」
馬には帰巣本能があるので、わりとこれでなんとかなる場合がある。
ならない場合もある。
ともあれ善良な男に助けられ、芭蕉と曾良は馬にまたがった。
「ふひー、やっぱ馬はいいわね。らくちんだわ」
「親切な人で助かりましたね」
かくして馬を進めていると、子供たちがわーっと駆け寄ってきた。
「うまだ! うまだ!」
元気なちびっこだ。
馬はいつも全力疾走しているわけではないので、走れば追いつけることもある。人や荷物を載せていればなおさらだ。
「お坊さん、えらい人なの?」
「左様。私は松尾芭蕉。人気俳諧師です」
「あたし、かさねっていうの」
「そうなの」
ここで曽良が一句。
かさねとは八重撫子の名成べし
名前がかわいかったので、八重撫子になぞらえて一句詠んだ。地域住民との心温まるふれあいの瞬間である。
その後、目的地についた芭蕉は、金をくくりつけて馬を帰した。べつに先払いでもよかった気はするが。
なお、これら一連のくだりは『曾良日記』には一切記述されていない。記載されているのは、ただ移動したという事実のみ。馬に関する記述もない。あくまで旅の行程を管理するためのメモなので、じつにドライなものである。
*
一行は雲巌寺へ。
ここはかつて仏頂が滞在していた寺だ。
いまでいう栃木県。まだ関東である。
職員の話では、岩に仏頂が書いた文字があるという。
雨さえなければ家などいらぬ、という、ミニマリストもかくやといった内容らしい。
案内されて奥へ行くと、まだ仏頂の庵が残っていた。
啄木鳥も庵は破らず夏木立
これは芭蕉の句。
木と見れば即座に破壊せんとする啄木鳥ですら、さすがにこの庵は壊さなかったらしい。おそらくは周囲にもっとつつきやすい木があったせいかと思われるが。
その後、移動して殺生石を見学。
この岩は、絶世の美女に化けた狐「玉藻前」のなれの果てと言われる。
那須温泉の源泉であり、絶えず有毒ガスを噴いている。危険なのでうかつに近づいてはいけない。
芭蕉も「石の毒気いまだほろびず、蜂蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す」と記している。
なお温泉には入ったようで『曾良日記』には「温湯アツシ」と記されている。各地で宝物などを見学したりとバチクソに観光しまくっている。
*
四月、さらに北へ。
じつは芭蕉、このまま旅を続けるべきか迷っていた。
まだ関東だ。引き返そうと思えば引き返せる。だが白河の関を超えてしまったら、あとは奥州である。どうなるか分かったものではない。
いまと違い、当時はそれくらいの感覚であったのだ。
だが、芭蕉はここで意を決した。
進むべし。
卯の花をかざしに関の晴着かな
ここでは曾良が一句詠んだ。
関所を越えるとき、古人は冠を正し、服装をあらためたという。だが芭蕉も曾良もそこまでの余裕はないので、卯の花を身につけて晴着とし、関所へ向かった。
覚悟を風雅で表現した、ちょっと真似のできない句である。
かくして花まみれとなった俳人二名が、関所へ乗り込んでゆく。
*
ここで勧進帳ばりのイベントでも起きるのかと思いきや、「とかくして越行ままに」と簡単に突破してしまった。
関所とはいったい……。
よほど怪しくなければ通してくれたのかもしれない。二人が俳人であることもハッキリしている。たぶん。花まみれの中年を追い払いたかっただけかもしれない。
阿武隈川を渡り、景色を眺めながら歩いた。
初めて踏む東北の地だ。
風流の初やおくの田植うた
田植うたについて詠んだ。
おそらくはなんの変哲もない景色だったはず。
しかし関所を越え、東北の地に足を踏み入れ、芭蕉は興奮し、そのため実際より感動的な光景に見えたのであろう。
当時の歌人にとって、東北といえば風流の地である。
それで東北での最初の一句が「風流の初」となった。
*
知人宅に泊めてもらい、旅を再開。
東北には縁故がないかと思いきや、じつはあったのである。
ともあれ旅は続いた。
歌に有名な「信夫文字摺石」があるというので、それを見に行った。
かつて狩衣を作るのに使った石だ。染物のときに布地を叩きつけると特別な模様ができる。
平安期の源融が「みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに乱れむと思ふわれならなくに」と歌ったことで有名。
行ってみると、石はなかば地面に埋まっていた。
もとは山の上にあったそうなのだが、みんなが文字摺の故事を試そうとするので、転がって下の方に落ちてしまったのだという。
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
芭蕉はとりあえずそう詠んだ。
過去のものは過去のものであり、はかない結果を見ることもあるのだ。
「やっぱつれぇわ」
「言えましたね、先生」
故事あるあるである。
(続く)




