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よせあつめカルテット  作者: モノクローマー
01 花と鳥、風と月
9/29

一家の秘密(1)

背中側からかけられた、ひやりとしたその声には、覚えがある。俺の目の前にいるナザトの顔が、一気に血の気を失っていく。


背中に質量のあるものを押しつけられて、俺はゆっくりと両手を挙げた。心臓が早鐘を打つ。恐る恐る肩越しに振り返ると、そこには想像通り、ウィーシャが立っていた。


うるさく脈打つ俺の心臓の裏側に、大きな銃を突きつけて。


「ウィーシャ……」


意図せず、力ない声がこぼれる。名前を呼んでも、少女が銃を下ろす気配はない。


小柄な体に見合わない大型銃。彼女がしっかりと支えている大口径は、恐らく狩猟用のショットガンだ。剥製鑑賞が趣味の父親というのは、そもそも狩猟が好きだったんだろう。


いくらウィーシャが年端もゆかない子供でも、こんな至近距離なら外しようがない。


一番に口を開いたのは、ナザトだった。


「僕たち、ちょっと散歩をしていただけだったんです。枕が替わると、なかなか寝付けなくて……」


危害を加えるつもりも、怪しいことをしているのでもないというナザトの訴えは、ウィーシャの心に届いただろうか。


少女は固い声のまま、静かに言った。


「そのまま風月館に入ってください。鍵は開いています。ナザトさんが先に、その後にルードさんが」


慣れた様子で、つらつらと指示を出すウィーシャ。


こいつが連続失踪事件の実行犯なのか? 幼い姿に騙されて近づいてきた人間を拉致している可能性は、大いにある。


生唾を飲みこむ。すがるように目を向けてくるナザトに頷いて、俺はウィーシャに返事をした。


「わかった。言う通りにする」


ナザトは固い表情のまま、風月館の扉に手をかけた。ウィーシャの言う通り、鍵の開いているらしい扉は、すんなりとその口を開けた。中は暗くてよく見えない。


ナザトは意を決したように扉をくぐった。ウィーシャが促すように、俺の背中に強く銃口を押しつける。


肩越しに見やれば、ウィーシャは強い光をたたえた瞳で、俺を見ていた。表情の抜け落ちたような少女と視線が交わり、火花が散った。


ここで退くのは、負けじゃない。俺とナザトの安全確保のためだ。


俺はさっさとウィーシャから視線を外す。ナザトに続いて、風月館の闇の中へ足を踏み入れた。


明かりのひとつも灯していない館内は、一歩先も見えないほどの暗闇が広がっている。目を凝らして探る先は、花鳥館とほぼ同じ内装だった。別館とはいえ、統一感は持たせてあるんだろう。


数歩先にいるナザトが、不安そうに俺とウィーシャを振り返る。


俺に銃を突きつけたままのウィーシャは、後ろ手に出入口を閉めた。途端、外から入ってきていた月明かりも遮られ、一層濃い闇が館内に落ちる。長く奥へ続く廊下の小さな窓から入りこむ星明りだけが、頼りになってしまった。


背後でがしゃんと錠の落ちる音がした。ウィーシャが鍵をかけたんだな。音に驚いたらしいナザトが、息を呑む。これで出入口は塞がれたわけだ。


これから何を要求されるのか。ウィラムに引き渡されでもするのか。そもそも、どうして?


怪しいことをしていたわけじゃない。俺たちが、この館を怪しんで嗅ぎ回っていたなんて、思われていないはず……――。


そこまで考えて、はっとする。


地下室か? 俺たちが地下室を見たことがばれた? あそこに出入りしていたのは、ルフスに見られてしまったし。


ぐるぐると回る思考をぶった切るように、ウィーシャが口を開く。


「廊下を進んで、2つ目の部屋に入ってください」


右手は全て窓だ。左手にしか部屋に入る扉がない。間違えることはないだろう。


恐る恐る歩を進めるナザトに続いて、俺も歩き出す。その足下の頼りなさに、思わず抗議めいた声を上げた。


「おまえん家は廊下に明かりもないのかよ」


「無駄口を叩いていないで、早く」


ウィーシャが銃を抱え直して、重い音が跳ねた。ナザトが慌てたように言う。


「部屋、入りますよ!」


そうっとナザトが扉を開けると、広がる隙間から眩しいほどの光が溢れてきた。暗さに慣れていた目には強いだけで、普通の電灯の光量のはずだ。


明るい部屋の中で、人の動く気配がする。わずかに体を引いたナザトに寄り添うと、室内から声が飛んできた。


「ルード! ナザト!」


聞き覚えのある声に、一瞬思考が停止する。光に慣れてきた視界に、泉利とヒューイの姿が映って、俺は絶句した。


まさか、既に泉利とヒューイも捕まってたのか!?


しかし、俺の予想に反して、泉利はこちらに歩み寄ってきたかと思うと、俺の後ろに優しく声をかけた。


「ウィーシャちゃん、大丈夫だった? 危ないことなかった?」


え、と思う間もなく、俺の背に当たっていた銃口が離れていく。ウィーシャは銃口を天井に向けて胸に抱え、返事をした。


「はい、大丈夫です。ルードさんとナザトさんも、お連れしました」


ウィーシャは先ほどまでと打って変わって、柔らかい笑みを浮かべる。


「ルードさん、ナザトさん、驚かせてすみませんでした。事情は説明しますので、中へどうぞ」


「……どういうことなんだ」


戸惑う俺とナザトに、室内からヒューイが労し気な声をかける。


「外は寒かっただろう。早く入っておいで」


俺とナザトは顔を見合わせてから、ウィーシャを見やった。


あの銃口がもう一度、俺たちに向かない保証はあるのか? ウィーシャがあの銃を手放さない限り、状況は変わっていない。


俺は唇を引き結んで、ナザトの背を叩いた。それぞれ複雑なものを抱えたまま、俺たちは揃って泉利に部屋に迎え入れられた。








風月館一階の応接室。がらんとした広い部屋は、夜の温度に侵食されて、冷え切っている。ウィラムも、荒事の得意そうな一団も、誰もいない。


ウィーシャはソファのそばに銃を立てかけて、俺たちに席を勧めた。その小さな体には、銃もソファも大きすぎる。


俺たちは促されるままにソファに腰を下ろした。慎重なナザトはやや躊躇っていたけど、俺と泉利とヒューイが大人しく座ったのを見て、観念したように自分も席についた。


ぎこちない雰囲気を察したのか、泉利が少し持ち上げるような調子で口を開いた。


「俺とヒューイは、寝る前に少し館内を見て回ろうとしててさ。食堂の近くまで行ったんだよね。そこで、ウィーシャちゃんに会って」


食堂の近く。不自然にぼかした意図は明白だ。あの地下室付近をうろついてたんだろう。そこをウィーシャに見つかった? 不用心にもほどがある。


泉利はちらりとウィーシャに視線を投げて、続ける。


「それで、ウィーシャちゃんが話したいことがあるって言うからさ。俺たちも、聞いておきたいことがあるだろ?」


ウィーシャが完全に白かどうかははっきりしていない。今の段階でがっつり話を聞くのは危険な気もする。


だが、どちらにせよ、俺たちは既にここに連れてこられてしまったのだ。あの銃で俺たちが肉片にされないよう祈りながら、話が終わるのを待つしかない。


俺たちの向かいに収まったウィーシャは、うつむきがちで、上手く表情が読めない。


「みなさん……どこまで、知られましたか」


昏い目を黒髪の隙間からのぞかせて、こちらに問うてくるウィーシャの姿は、いっそ恐ろしい気迫があった。哀れとも、凄絶とも取れるその雰囲気は、年端もいかない少女が醸し出すものではない気がした。


俺が何と答えるべきか迷っている間に、泉利が言い切る。


「はっきり言うよ。地下室を見た」


ウィーシャの出方がわからない。こちらも余計なことは言わないに限る。


泉利の返答は、端的で最低限だが、賭けともいえる。だが、俺でもきっと、そう答えただろう。


それを聞いてウィーシャは、わずかに顔を上げてこちらを見た。


ゆっくりと俺たち一人ひとりの顔を確認するように、視線が動いていく。俺たちの反応をうかがっているというより、何かを吟味するかのように。


ウィーシャは重ねて静かに質問してきた。


「……もしかして皆さん、行方不明になった人を探しに来たんじゃないですか?」


不意打ちに、心臓が跳ねる。


その推測ができるってことは、何か心当たりがあるってことか? この館が失踪事件に絡んでるのは確定的なわけだ。


そもそも、「どこまで知ったのか」なんて質問をしてくるからには、少なからずウィーシャはこの館の誰かが関与していることを「知って」はいるはずだ。


これは、俺たちが人探しに来たって話を、安易に話していいものか?


俺が逡巡したわずかな間に、俺の隣の泉利があっさりと口を開く。


「実は、ウィーシャちゃんの言う通り。人を探しに来たんだ」


「おい、泉利」


「大丈夫」


泉利は俺の制止を軽い調子で黙らせた。大丈夫って、何を根拠に!


ウィーシャの瞳が泉利を捉えるのを待って、泉利は説明を続けた。


「花鳥館に向かった、っていう最後の目撃証言を頼りに、ここまで来たんだ。それで、館内を色々見て回ってたら、地下室があんなことになってた。正直、驚いたよ。俺としちゃ、ただの家出娘を探しにきたつもりだったからさ」


多少のフェイク。いいかもしれない。怪しいとにらんで来たというよりは、たまたま見てしまっただけを装った方が、ウィーシャの警戒度も下がるだろうな。


泉利は少し顔を引き締めて、声のトーンを落とした。


「ウィーシャちゃん、あれは何だ? あそこで何が行われてるか、教えてくれないか?」


泉利がそう訊ねると、ウィーシャは膝の上で握った拳に力を込めた。桃色のスカートが、ぐしゃりとしわで歪む。


一度顔を伏せたウィーシャは、少し間を置いてからようよう声を絞り出した。


「……私にも、あそこで何が起こってるのか、わからないんです」


嘘だ。


弱々しい声を装っているが、その裏に何かが含まれている。こいつはあの地下室で何があったのか、知っている。


事が起こったときに自分も同席していたという意味なのか、それとも偶然見てしまっただけなのか。さすがにそこまではわからないが、今のウィーシャの返答には、明らかに隠されたものがある。


俺は思わず目を細めて、目の前の人間を見つめる。


年齢も、性別も、立場も、この場においては重要なファクターではない。このタイミングで、嘘の返答をする人間は、どう考えたって怪しい。


小さな肩が怯えるように震え、洟をすする音がする。顔が伏せられているせいで、本当に泣いているのかどうかはわからない。


冷静に、見極めろ。か弱い女子供だと思ってあなどっちゃいけない。


俺のその意図など知らず、泉利が慮ったような優しい声を出す。


「落ち着いて、ウィーシャちゃん。知ってることがあれば、少しでもいいから話してくれる?」


「……はい」


消えそうな声で返事をしたあと、ようやく涙を堪えた瞳を見せて、ウィーシャは震える呼気を吐き出した。


「あの地下室を使っているのは、兄です。多分、兄は、人をさらってきてるんだと思うんです」


冷えた部屋に、少女の声が重々しく滲んだ。


誰も口を開けない沈黙の中、ウィーシャはゆるゆると続ける。


「何を思ってそんなことをしているのか、あの地下室で何をしてるのか、さらってきた人たちをどうしてるのか、私にはわかりません……。でも、あの地下室を見て、何もないと思えるほど、馬鹿じゃないつもりです……」


地下室の存在は、あの惨状は知っていたが、兄の行動の動機までは知らない、という主張。確かに、幼い少女の言い分としては、おかしくない。話を聞いた大人が、納得しそうなものだ。


ウィーシャは少しだけ視線を上げて、頼りなさげに視線をふらつかせた。


「兄はおかしくなってしまったんでしょうか? どうしてあんなことをしてるのか、何を考えているのか、私に話そうとしてくれたこともありません……」


その表情を、にじむ感情を、全て拾いたくて、観察し続ける。


俺の視線に気づいているのかいないのか、ウィーシャは声を絞り出した。


「元の優しいお兄様に戻ってほしい……! どうにかできないかと思って、今日、これを持って、地下室に行ったんです……、兄を止めたくて……」


緩慢に視線が向けられたのは、ソファに立てかけられた銃だった。


ウィーシャが銃を携えていた理由に、ナザトやヒューイが息をのむ音が聞こえた。


変貌した兄の凶行に怯える少女を宥めるように、泉利が控え目な声で問いかける。


「一応訊いておきたいんだけど、お兄ちゃんがおかしくなってしまった原因に、心当たりはある?」


泉利が質問すると、ウィーシャははっとなってうるんだ目を泉利に向けた。


泉利は慌てて身を乗り出して、向かいに座るウィーシャの膝の上の手をそっと握った。


「辛いこと思い出させてごめんな。でも、もしかしたら何かのヒントになるかもしれない」


「はい……」


ウィーシャはその小さな指先で泉利の手を握り返す。心細い思いをした子どもが助けを求めてすがりつくように、獰猛な何かが獲物を巣穴へを誘うように。


ウィーシャは腹をくくるように呼吸を整えてから、口を開いた。


「私たちの母は、自殺したんです」


室内に静かな緊張が走る。 自殺とはまた、穏やかじゃないな。


ウィラムが心を病んでしまうには、妥当な事件だ。単純に、まだ十代の子どもが、親を自殺で亡くすなんて、辛い話だと思う。


しかし、ウィーシャの心当たりはそこでは終わらなかった。続けて彼女は震える唇を開いた。


「葬儀が終わってから、父が、私と兄がゆっくりできるようにって、この別荘へ連れてきてくれたんです。でもその後、父も裏山で散歩している最中に、足を滑らせて……」


母親の自殺の後に、父親が転落死?


覚えた違和感は、さすがに両親を亡くした子供を前に、口にはしない。しかし、何とも変な話だ。胸中で疑念が鎌首をもたげた。


そんな俺の様子を知ってか知らずか、ウィーシャは眉尻を下げて寂しそうに言う。


「立て続けに色んな事があったから、兄は、疲れてしまったのかもしれません。辛くて、苦しくて、おかしくなってしまっただけかも。少し休めば元の優しい兄に戻るかもって、ずっとそう自分に言い聞かせてたんですけど……」


そこで言葉を切ったウィーシャは、その両手で顔を覆った。


本格的に体を震わせてしゃくり声を上げ始めたウィーシャに、ヒューイが堪えきれなくなったように立ち上がる。


ヒューイはウィーシャの隣にいって、その線の細い肩を抱いた。


「誰かに、ルフスさんとかに、相談したことはある?」


ヒューイの質問に、ウィーシャは首を振ってみせた。


ヒューイは子どもをあやす手つきで背中を撫でる。


「今まで、よく一人でがんばってきたな」


その言葉を聞いたウィーシャが、感情を抑えきれなかったようにヒューイの胸へと顔を埋めた。


こっそり隣を見やると、泉利もナザトも痛ましげな表情で、あてどなく視線をさまよわせている。ウィーシャの嗚咽が響く中、かける言葉が見当たらないんだろう。


俺はウィーシャが落ち着くのを待ってから、口を開く。


「他に、相談できそうな大人はいないのか?」


この館の中にでも、外にでもいい。血縁でも、そうでなくても。


その質問をした瞬間、ヒューイの腕の中から、ウィーシャが俺に視線を向けた。


ほんの一瞬だけ、ウィーシャが俺を捉えた瞳に、獰猛な色が宿ったように見えた。ぎらつくその光は、他の皆の視線が集まると同時になりを潜めた。


今の反応の意味を考える前に、ウィーシャが震えたままの声で言う。


「ロアシー家の今の当主はお兄様だから……。ルフスたちも、私より、お兄様の言うことを聞いてしまうと思ったら、相談しづらくて……。お父様たちもいなくなってしまって、私にはもう、先生くらいしか……」


「先生?」


泉利が訊き返すと、ウィーシャはヒューイから少し体を話して、しっかりしてきた語調で答えた。


「家庭教師の先生です。私とお兄様の勉強を見てくださってるんです。……でもさすがに、お兄様のことを相談はしづらいままで」


なるほど。立て続けに両親を亡くした子供たちの、数少ない心の拠り所ってところか。


ウィーシャは、ヒューイに力なく微笑んで、ごめんなさいとつぶやいた。ヒューイは気にするなというように、ゆるゆると首を振ってみせる。


目尻に残る涙を指先で払ったウィーシャは、背筋を正して言う。


「……皆さんは、明日一番に、ここを離れてください。昼間なら、お兄様もお仕事がありますし、おおっぴらには動けないはずです。お兄様が変な気を起こさないうちに、できるだけ早く、おうちへ帰ってください」


「いや、俺たちは帰らないよ」


すかさず返事をした泉利の言葉に、俺はぎょっとした。ナザトも、俺と同じように、驚いた顔をして泉利を見ている。


泉利はウィーシャの目を見据えて、言い切った。


「困ってる女の子を一人残して帰れるほど、男捨ててないよ、俺たちは」


勝手にひとを頭数に入れんなよ。


ひきつった顔で泉利を見るも、泉利の目はウィーシャに向いているせいで通じなかった。


ウィーシャは祈るように手を組んで、悲し気な顔を作ってみせた。


「でも、地下室をご覧になったんでしょう? もし、兄が、皆さんに……」


「そんな風に、ずっと一人で心配して、思いつめてたんだろ?」


泉利は力強い視線を向けて、確約した。


「お兄ちゃんのことは俺たちが何とかするから。もう一人で抱え込まなくていいんだよ。俺たちを頼ってくれ」


冗談だろ、なんて言えず、俺は胸中で嘆息した。


ウィーシャに関してはいまいち信用しきれないけど、それはそれとして、と無意識に顔を引き締める。俺もここで、放り出す気はない。


失踪したフアル・ティレットの行方は探さなきゃいけないし、ウィラムがしてることの概要がわかれば、警察に突き出せる。


何より、あの地下室を見たことをウィーシャに知られたからには、知らぬ存ぜぬでは通らない。ウィーシャの味方のフリをしておくのは、得策かも。


ウィーシャは瞳をうるませて俺たちを見回す。


「ありがとうございます……っ」


この感謝が本心なのかどうかは――正直、測りかねた。


しかし、泉利やヒューイは完全にこの、力なく一人で思い悩んでいた少女の味方をすることを心に決めたらしい。安っぽい三流映画のような雰囲気に、俺はどんな顔をしていればいいのかわからずにいた。


泉利は少し逡巡してから、ウィーシャに確認する。


「とりあえずは、お兄ちゃんのやってることを確認しようと思うんだけど、何かこう、手掛かりになりそうな行動とかってあった? 夜中にどこかに出かけてるとか」


泉利の質問を受けて、ウィーシャは記憶を探るようにううんと呻いた。やや間を置いてから、ウィーシャが小さく声を上げて、スカートの裾を揺らして立ち上がった。


「ちょっと待っていてください」


ウィーシャは部屋の隅、いくつかの写真立てが乗っているキャビネットの引き出しを開けて、本のようなものを取り出した。


「この風月館の一階は、私たち家族の団らんの場で、プライベートのお客様がお越しになる部屋でもあるので、最近はあまり使われていません。だから、ここに隠しておいたんです」


言いながら、彼女が机の上に置いたのは、どこにでも売っているような簡素な大学ノートと、渋い革のシステム手帳だった。


「これ、兄と、亡くなった父の日記です」


二冊の正体に、全員目を丸くする。


父親の日記は、遺品の整理でもしているときに見つけたんだろう。だが、兄の日記は?


疑問を口にする前に、ウィーシャが付け足す。


「兄が何を考えているのか知りたくて、兄の部屋からこっそり取ってきたものです。……どちらも、勇気が出なくて、読めませんでした。もう取り返しのつかないくらい、お兄様がおかしくなっていたらと思うと……」


再度悲し気に目を伏せるウィーシャに、泉利がうかがうように訊ねる。


「これ、預からせてもらってもいい?」


「はい、これが、兄を助ける手掛かりになるなら……」


泉利は一言礼を言って、机の上に置かれた二冊を手に取った。それを機に、腕時計を確認したヒューイが、提案する。


「そろそろ、部屋に引き上げようか。あまり遅くなると、ウィーシャちゃんにも悪い」


つられて俺も自分の左腕を確認する。まだ日付は変わっていないが、いい時間だ。年端もいかない少女は、ベッドに入っても良い頃合いだろう。――銃を片手に兄の秘密の部屋へ乗り込むほど神経が昂っていては、熟睡できるかどうか怪しいものだけど。


泉利もヒューイの言葉に同意して、さっさと腰を上げた。


「そうだな。ウィーシャちゃんも、今晩は安心して、ゆっくり休んでいいからな。寝付けなかったら、俺が添い寝してあげるけど」


「いやだ、泉利さんったら。私、子供じゃないんですから」


「えっ、子供じゃないってそれは……あいて!」


「本当に怖くて寝付けなかったら、泉利じゃなくて、俺を呼ぶんだよ」


慣れたヒューイが泉利をどつき、ウィーシャの笑いを誘う。


泉利に続いて、ナザトも俺も腰を上げ、扉のある方へ足を向けた。ヒューイは最後まで心配そうにウィーシャに声をかけていたが、ある程度のところで切り上げる。


ウィーシャは、俺たちを見送るために扉の傍に立っていた。全員廊下に出たところで、俺は振り返った。


「最後に、ひとつだけ」


「なんでしょう?」


ウィーシャは浮かべていた愛想笑いをゆるりとほどいて、不思議そうにこてりと首をかしげてみせた。


俺はここへ来た一番の目的について訊ねる。


「フアル・ティレットって女を知らないか? 花鳥館へ向かった後、行方不明なんだけど」


そのとき、ウィーシャの表情にわずかな変化を見た。


その瞳の奥に、どろりと何かが滴るような感覚。頬をうすく上気させて泣いていた顔が、青白く変質していくように思えた。


ぽっかりと空に浮かぶ月も、星も、温かな館の灯火も、一切の光を消したような感覚。暗く、底の見えない深い沼地の上に、あのか細い女が立っているような、奇妙なイメージ。


鈍色に濁った眼が、熱量を持って俺を射抜いたとき、俺は怯むより先に睨み返していた。


次の瞬間、ウィーシャは少し困ったように眉尻を下げて、曖昧な返事をした。


「私はお客様の管理には関わっていないので、わかりかねます。ルフスに訊いたらわかるかもしれませんけど……、確認しておきましょうか?」


「いや、知らないならいいんだ。ありがとう」


「そうですか? お役に立てず、申し訳ありません」


胸の前で両手を握る少女は、当り前だがきちんと床に足をつけて立っている。


俺は何とも言えない妙な胸騒ぎを残したまま、きびすを返して、先を行く三人を追いかける。


泉利が間延びした声で、ウィーシャちゃんおやすみ、などと声をかけるのを聞きながら、背後に意識を向けないように必死だった。ともすれば、後ろから何かに絡めとられる気がして。


あの泥の中からこちらを狙っているような瞳が、脳裏にこびりついて離れてくれなかった。

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