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よせあつめカルテット  作者: モノクローマー
01 花と鳥、風と月
8/29

ロデイラ家の商人(3)

玄関ホールを抜け、館の外へと足を踏み出す。


既にとっぷりと日は暮れ、夜が山を包んでいる。街灯があるわけでもない館の周りは、星明りだけが頼りだ。


ひと気はなく、静まり返った宵闇の隙間から、夜を住処にする生き物たちの鳴き声が聞こえてくる。春が来る前の風はまだ体には冷たくて、俺は自分の腕をさすった。


示し合わすでもなく、俺たちは駐車場へ向かって歩く。ナザトは慎重に辺りを見回して、ひそめた声でつぶやいた。


「この館の人たちが失踪事件に関与してるとして、人をさらう理由って何でしょう。ルードさんたちはウィラムさんのこと疑ってますけど、彼に人をさらう理由って今のところないですよね?」


俺は軽く肩をすくめて言った。


「そんなの俺たちが知らないだけで、いくらでも理由はあるかもしれないだろ」


わずかな間。ナザトを見やるも、暗くて表情はよくわからない。何か思うところがあるのだろうか。


「理由さえあれば――人をさらったり殺したりできるのかな……」


ナザトは複雑そうな声音でこぼした。現時点では、何とも返事のしようがない。


ナザトの沈んだ声が冷えた空気に溶けていく。


「……ニュースは見ましたけど、行方不明者に共通点があるわけでもないし、怨恨の線も薄いって言ってました……。恨みがないなら、なんでそんなことするんだろうって、思いませんか?」


ふと、考え込む俺の脳裏に、動物たちのシルエットが翻った。館の中でいやというほど見た、剥製たちだ。


「極端な話、剥製作るために動物殺すのと一緒かもよ?」


ナザトは一瞬黙り込んだ。


肌を刺すような沈黙の後、一拍置いてナザトが俺に問う。


「さらった人たちの、剥製を作ってるってことですか?」


「そこまで悪趣味じゃないとは信じたいけどな……。俺たちには理解しがたい理由で、人間の、例えば死体とかが必要で……特定の個人である必要はない、のかもしれない」


連鎖的に思い浮かんだことをそのまま口にすれば、ナザトは神妙な声で言う。


「通り魔的に、ってことですよね」


「ああ。手あたり次第にさらってるのかも。……推測だけどな」


「推測しかできませんからね、現状は」


一応念を押すように付け足せば、ナザトは意図を汲んだのか、固い声で同意した。


重い足取りで駐車場にたどり着く。


俺は真っ直ぐに自分の車に近寄って、ぐるりと外から様子を確認した。


夕方、ここに車を停めたときから、特に変わりはないように見受けられる。傷が増えているようなこともないし、一見タイヤに細工もされていない。


俺が車のボディを調べていると、少し離れたところでそれを見ていたナザトが、訊ねてきた。


「それ、ルードさんたちが乗ってきた車ですか?」


「ああ。ぱっと見だけど、問題はなさそうだ。……一応、明日朝泉利にも見てもらうけど」


俺は車は好きだけど、整備やカスタムを全部自分でやってるわけじゃない。最低限の知識はあるけど、「ぱっと見」ではわからない細工がないとも限らない。


俺は父上に買ってもらったばかりの新車のボンネットを、ゆるりと撫でる。頼むから、爆発とかさせられるなよ、おまえ。気に入ってんだから。


ナザトは一安心というように少し肩の力を抜いて、濃い闇の奥へと視線を向ける。


「ということは、奥にある二台が花鳥館所有の車ですね」


つられるように目を向けると、そこにはナザトの言う通り、二台の車が鎮座していた。


つるりとした照り返しの美しい高級車が一台。グレーの箱型ワゴン車が一台。高級車がロアシー家所有のもので、ワゴン車は花鳥館の買い出しや用事のためのものだろうか。


俺は慎重にワゴン車に近づいていく。


うす暗い後部座席をのぞきこんだ。


シートは清潔で、座席には塵ひとつ転がっていないように見える。足下にすら荷物が載っていない。綺麗に使っているんだろう。


バックミラーには、何かのストラップが垂れ下がっている。手製のビーズ飾りのように見えるが、御守りか何かだろうか。


ナザトが俺の後ろで静かにつぶやく。


「それ、ルフスさんから聞いていた、迎えの車の特徴とよく似ています。僕は乗りませんでしたが」


「客の送迎にも使ってるってことか」


車体の大きさから考えて、トランクはかなり広い。十分にスペースがあるから、客の荷物や買物分を積み込めそうだな。


――もしかしたら、人間の一人か二人くらいも?


濃い影の落ちる車内に、誰かが押し込まれるところが脳裏をよぎって、冷たい汗が背中を滑り落ちた。


思わず体を後ずさるように体を離す。肩越しに振り返って、ナザトには何もなさそうだ、とだけ声をかける。


回り込みながらもうひとつの高級車へ歩み寄った。


後部の窓にはスモークが貼ってある。前面三つの窓にはさすがに貼ってないが、こう暗いと後部座席がどうなっているのかまでは見えないな。運転席と助手席には、適度な広さと質の良さそうなシート。


車体もキレイなものだ。傷一つなく、ぴかぴかに磨き上げられている。


「スモークが貼ってあるから、後部座席に誰が座ってるのか、外からじゃわからないですね」


「……ああ、確かに」


お互い、嫌な想像ばかりが働く。そこに誰が乗っていたのか、載せられていたのか。


俺は簡単にタイヤや運転席の確認をして、ロアシー家の私用車からも離れる。恐らく異常はない。いざとなれば、この三台のどれかを使って逃げられるだろう。


何かを考え込むように、口元に手を当てたまま地面を見ているナザトに、声をかける。


「敷地内を一周見て回ったら、部屋に帰ろう」


ナザトはぱっと顔を上げて、少しだけ表情を緩めた。


「そうですね。まだ、夜は冷えますし」


駐車場から出て敷地の奥へ行くと、花鳥館より一回り小さい建物が見つかった。見上げてみれば、二階が通路で花鳥館とつながっている。エントランスの見取り図で見た位置と照らし合わせても、ここが風月館だろう。


風月館には二つの扉があった。片方は両開きで細やかな装飾がなされており、もう片方は地味で小さな扉だ。それぞれ、正面玄関と勝手口のようだった。


俺とナザトは静かに目配せをして、玄関と思われる扉に手をかけた。中の様子をこっそり窺うくらいなら、見つかったところで「間違えました」でなんとかなる。しかし、俺のそんな思惑はお見通しだとでも言うように、扉は少しも動かなかった。


知らず力の入っていた肩を緩めて、俺は呼吸と一緒にこぼす。


「……主人たちの居住スペースだもんな。施錠されてて当たり前か」


「これだけ大きなお屋敷だったら、マスターキーとかないのかな」


ナザトの言葉に一瞬目をしばたかせて、俺は自分の家を思い出した。


確かに俺の屋敷も、使用人が管理してる鍵の数は多い。いざってときのために、どの鍵も開けられるマスターキーもあるしな。


ナザトは申し訳なさそうに、力なくへらりと笑った。


「ってちょっと思ったんだけど、遅いよね」


二人で勝手口にも鍵がかかっていることを確認しつつ、俺は考える。


「いや、さすがにマスターキーは借りられないしな」


客人にマスターキーを貸す使用人はいない。出入り口に、宿泊受付をするカウンターはあったが、忍び込んで鍵を盗むわけにもいかないし、どうしようもないだろう。


俺の言葉を受けたナザトが、しれっと答えた。


「ちょっとだけ借りて返すんですよ」


その口ぶりから、「借りる」の意味を察した俺は、思わず困惑した声をこぼす。


「――普段どんな生活してたら、そんな発想になるんだ?」


「えっ、ふ、普通じゃないですか?」


「だってそれ、返しに行くのも危険だろ」


「いつまでも持ってる方が危ないでしょう」


一旦風月館は諦めて、俺とナザトはまだ行っていない花鳥館の裏手を目指して足を進める。


遠目に、明かりのついた小屋が見えてきた。俺とナザトは顔を見合わせる。


本館と通路がつながっている様子はない。木造りのロッジに見えるそれは、人間が二、三人暮らすには、十分な広さのように思えた。


離れか? スタッフが寝泊まりしている場所か何かだろうか?


同じことを考えたらしいナザトが、そっと耳打ちしてくる。


「ルフスさんたちのお部屋ですかね?」


「かもな。風月館に使用人が寝泊りしてるとは思えないし」


花鳥館に部屋のある奴がいないとも限らないけど、少なくとも主人たちの私室からは少し離れたところだろう。


となると、敷地内で何かしようとすれば、館外でも人目につく可能性があるということだ。庭や館の裏手で何かがあれば、この小屋からスタッフが目撃する可能性が。


意識して静かに足を下ろす。小屋の傍まで近寄って耳をそばだててるも、話し声や物音は聞こえてこない。


今、中にいるのは誰だ?


小屋の窓、扉の隙間から漏れる光の強さに目をすがめた瞬間だった。


突然ふっと、小屋の明かりが消える。


同時に強い風が吹いて、館の周りを覆う木々が大きくしなって騒ぎ声を上げた。葉の擦れ合う音が、夜の山に不気味に響く。


俺はざっと辺りに視線を走らせた。近くの明かりを失った庭は、一歩先から何が出てくるのかわからない闇に侵食されている。そろそろよい時間だ。幼い主人たちの世話があるメイド以外は、床に就いてもおかしくない。


「消灯か?」


思わずつぶやくと、背後の空気がゆるりと動いた気がした。


振り返ると、ナザトの表情は一層固くなっているように見えた。俺の目が突然の暗さに慣れていないだけなのか、本当に緊張しているのか。


俺はナザトに軽く手招きをして、花鳥館の裏手へ足を向けた。


人気があると、俺も無駄に警戒してしまう。当初の予定通り、さっさと敷地内をぐるっと見て回るだけにして、部屋に帰ろう。


花鳥館の裏手には、木々が生い茂っていた。薄暗くて視界が悪そうだけど、小屋に探りを入れて誰かに見とがめられるより、マシだろう。


月明かりも遮られ、ぐっと濃い影の落ちる方へと進んでいく。


足取りが重いながらも、ナザトはついてきているようだった。


うかがうように視線を投げかける。しかし、何て声をかけていいものか。大丈夫か、とか、平気だよ、とか? なんか、見当違いな気がするな。


俺の視線に気づいたナザトは、おずおずと尋ねてきた。


「……こ、怖くない、んですか?」


俺は目をしばたかせて、訊き返す。


「そんなに怖いか?」


「怖いですよ! ここに失踪者がいるかもとか、剥製にされてるかもとか、そんな話聞いたら……」


舌っ足らずな、弱り切った声音。垂れ下がった眉の下、丸い瞳は忙しなく辺りに視線を走らせている。


不安げに体を揺らすナザトを見て、俺は少し笑った。


「結構怖がりなんだな」


「え!? そんなことは……ない、よ」


震えた語尾はどんどん小さく消えていった。そうしてると年相応っていうか、小動物っぽいというか、ああ俺より年下なんだなって実感するな。


何だかちょっと、毒気を抜かれた。


やたら堂々として、俺に噛みついて、挑発してきた生意気な姿はすっかりなりを潜めている。俺は小さく苦笑した。地下室では、気を張っていたんだろうな。


気を取り直して、俺たちは小さな闇の森に足を踏み入れた。


どこか湿った空気が、鬱蒼と茂る木々の間をぬって首筋を撫でていく。予想以上に見通しが悪い。


俺たちの息遣いがはっきり聞こえるくらいには、静まり返っていた。風にあおられて枝葉が揺れるたび、物陰から何かが飛び出してくるのではないかと身構えてしまう。


例えば、誘拐犯の立場に立って考えるなら。何かを隠すのに都合が良さそうな場所だ。


俺はごくりと喉を鳴らした。


考えすぎならいい。俺が勝手にあれこれ想像してるだけってんなら、いいさ。この館は普通の宿泊施設で、ウィラムとウィーシャは仲の良い兄妹で、隠さなきゃならないような後ろめたいことは何一つないってんならな。


不意にナザトが息を呑んだのがわかって、注意をそちらへ向けた。ナザトは、不安と緊張でいっぱいいっぱいの顔をしていた。血の気が引いてるのが、手に取るようにわかる。


俺は傍らのナザトの方へ手を伸ばした。突然のことに驚いたらしいナザトは、一瞬びくりと身をこわばらせた。


「俺が転びそうだから、手つないでて」


俺の言葉を聞いて、ナザトはゆっくりまばたきした。ナザトはためらったように片手で宙を引っかいた後、俺が差し出した手をそっと握ってくる。


ナザトの手は冷え切っていた。腕は細そうだし、手指は肉付きも悪い。ちゃんと食ってんのか?


ナザトの手を引きながら、またしばらく進んでいく。だいぶ目も慣れてきたけど、細かいところまではわからないな。これじゃ、何かあっても気付かないかもしれない。


一瞬、ポケットに入っているペンライトの存在が、頭をかすめる。だけど、この暗闇の中で光源を持つのは、自分たちの居場所を知らせるようなものだ。


地下室のことを考えれば、それはとても危険なことに思えた。


ポケットに伸びかけていた手を引っこめて、一呼吸。


このまま何事もなく部屋に戻ることになるかと思っていた矢先、ナザトがつないだ手を軽く引いた。


「ルードさん、あれ」


「なに?」


ナザトにならって小声で返事をして、示された方向を見やる。


花鳥館の敷地は、ぐるりと囲むようにして背の高い柵が張り巡らされていたはずだ。目をこらして見た先にある柵は、途切れているようだった。


そう大きくはない。人が二、三人通れる程度の、何か。


「裏門かな」


ひそめられたナザトの声が、耳を打つ。俺はナザトに言葉を返さないまま、その手を引いてそこに近づいてみた。


両開きの門だ。柵と似たような意匠ではあるが、正門よりも小さいことを鑑みても、ナザトの言う通り裏門なんだろう。軽く押したり引いたりを試してみたけど、開きそうもない。


俺はじっと黒塗りの鉄格子を見つめて、その向こう側に広がるぬばたまの闇を探る。


門の向こうに目を凝らしても、深い森に続いているようだということ以外はよくわからなかった。俺の傍らで門の取っ手を見ていたナザトは、俺の手を握り直して言った。


「大きな錠前がついてる。……どこに続いてるんだろう」


「ただの出入り用じゃないだろうな。食材とか運ぶなら、こんな森の中の門使わなくても正門から出りゃいいからな」


門の向こうの森がどこへ続いてるのかはわからないが、確実に麓の街じゃないだろう。木々に紛れるようにして、存在自体を隠されるように潜む門だ。俺たちが探してるものの一端が、この向こうにある気がしてならない。


「俺たちじゃ開けられないし、後であいつらに話しとくか」


手癖の悪さは一級品の泉利を思い浮かべる。俺には、鍵を開ける術がない。


敷地内はこんなもんか。花鳥館がメインで、離れの風月館があって、ロッジ風の小屋があって、どこかに続く裏門があって。大体の配置を把握できただけでも上々だ。


じっと錠前を見つめたままのナザトが、ぼんやりとつぶやく。


「ここの鍵はどこで保管してあるんだろう」


「スタッフルームだろうな。行こうぜ」


ナザトの手を引いて促した瞬間、パキリと何かが折れる音がした。


俺は思わず肩越しに振り返った。俺たちが来た方向とは反対からだ。神経を尖らせていると、じゃり、と人の足が地面を踏みしめるような音が続く。


つないだままのナザトの手を軽く引いて、耳打ちする。


「ナザト、人がきてる」


「えっ」


俺の言葉にナザトは身を固くした。


足音は徐々に大きくなる。明らかに、こっちに向かってきてる。あまり音を立てたら、見つかってしまいそうだ。


俺は反応の遅いナザトを引っ張って、木々の合間に身を隠した。屈み込んでおけば、この暗がりの中じゃすぐには発見されないだろう。


突然手を引かれたナザトは、バランスを崩しながらも何とか俺の傍らに膝をつく。


近づいてくる足音と、人の気配。耳の後ろをだらりと冷たい汗が流れていくのも構わず、じっと、静かに待つ。


果たして現れた人影は、門の前で立ち止まり、辺りの様子を窺うように首をめぐらせた。暗くて、その顔は見えない。けれど、子供ではない背の高さ。ウィーシャではなさそうだ。


派手に脈打つ心臓が、うるさい。見つかるとまずい、とわかりきった緊張感が足元からせり上がってくる。しかし、それと同時に、どこまで近づけるのか、と危うげな好奇心が頭をもたげた。


本当に危険な境界線、ぎりぎりのところに行きたい。自分の直感には自信がある。安全圏の線引きは得意なはずだ。


近づいてきた人物がどこの誰で、こんな夜間に館の裏手で何をしようとしているのか。


――確認するくらいなら?


周辺を見回したその人影は、俺たちのことを見つけられなかったらしい。そのまま例の裏門へ手を伸ばし、厳めしい金属音を響かせながら門を開いた。


追うか?


追うなら今だ。だけど、あの門の向こうに何かがあるなら、策もなく飛び込むのは危険だろう。


最悪の事態も、可能性としてはある。


そこまで考えて、警鐘を鳴らすように騒ぐ鼓動が俺の意識に歯止めをかけた。


駄目だ。失踪者は、姿をくらませるから失踪者なんだ。あいつに捕まった後、どうなるかわからないんだ。


背筋を這い上る恐怖感に体を震わせる頃、その人影は門の向こう側から、鍵をかけていた。足音は徐々に遠ざかっていく。


一層暗い森の中へ消えていく人影を見送って、俺はナザトを助け起こすようにして立ち上がった。


「ナザト、行くぞ」


あの人影が戻ってこないうちに、さっさとここから離れるに限る!


相手の足音が聞こえなくなったのを見計らって、さっき来た方向へと飛び出した。相変わらず心臓はばくばくうるさいけど、できるだけ音を立てないようにひっそりと。


俺とナザトは言葉も交わさず、ひたすら小走りで駆ける。ここに歩いてきたときよりも、遠く、長く感じる。それでも、木々は徐々に少なくなり、視界に月明かりが差し込んできた。


風月館の傍らで、足を止めた。右手で胸を押さえて呼吸を落ち着かせながら、視線をナザトへ向ける。


ナザトは、俺の腕にすがりつくようにしてがくがくと震えていた。極力優しい手つきで背中を撫でてやったら、ナザトは一度ぎゅっと目をつむってから、ゆるりと俺を見上げた。


「だ、誰だったんだろうあれ……。見えた?」


「いや、わからなかった」


ウィラムだろうかと思ったけど、当主がこんな夜中に敷地内を出て行くかどうかは怪しい。ルフスか、他のスタッフか。


ナザトは震える呼吸を繰り返して、掠れた声でつぶやく。


「明かり、点けなくてよかったですね」


「確かに。見つかってたな」


あんな暗い場所で明かりを持っていたら、目立って仕方なかったはずだ。スイッチを入れなくて正解だった。あんな怪しげな場所で誰かに遭遇だなんて、本当にぞっとしない。


まだ心臓が恐怖に跳ねている。ニュースで見た、一連の事件を思い出した。数日後のニュースで、俺たちの名前が流れるのはごめんだ。


ナザトは勢い良く顔を上げて言った。


「でも僕たち、いけないことしてるって思ってるから、こんなやましい気分になるだけで! あそこに門があるからって、別にどうということはないはずですよ!」


俺は目を瞬かせた。


「それもそうだ」


「ちょっと気まずいだけで」


「言えてる」


緊張が一気にほぐれてきたせいか、なんだか可笑しくなってきた。


ナザトの言う通りだ。名家の別荘に裏門があって、夜にたまたま人が通ったからといって、何も驚くことはない。別段、どうということはないはずなんだ。


俺とナザトは思わず顔を見合わせて、二人して小さく吹き出した。


「とりあえず、部屋に帰るか」


「うん」


ひとしきり笑って、俺たちは向き直った。部屋に戻って、さっさと寝て、明日はまた調査だ。


そのとき。和やかな空気をすり潰すように、ガチャリ、と重たい金属音がした。


「――こんなところで何してるんですか」

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