ロデイラ家の商人(2)
ナザトは部屋に入ると、早々にベッドに転がった。一人で剥製鑑賞に来ているなら、夜にすることもないのだろう。
俺は荷物を適当に置いて、備え付けのハンガーに上着をかける。
ぽいぽいと適当に靴を脱ぎ捨てる仕草を見ながら、俺は質問した。
「おまえ、護衛とか連れてないの?」
「今回は剥製見に来ただけですし。いつも一人で行動してますからね」
商人なんだったら、商品や契約書を持ち歩くことも多いだろうに。普段から護衛は付けてないのか。
俺の疑問を汲んだように、ナザトは口の中でもごもごと続ける。
「大事にしたくなかったし、友達の都合もつかなかったし……。それに、剥製見に行くだけって言いにくいし」
「公的な仕事じゃないからってことか?」
「趣味みたいなものですからね」
その口ぶりから、希少な物や、芸術品を見て回るのが好きなんだろうと伺い知れた。根っからの商人気質っていうより、好きが高じてってことか。
部屋に静寂が落ちる。空いているベッドに腰掛けて、俺は軽く伸びをした。
ちらりと横目にナザトを見やると、奴は大きな鞄の中から本を出してきて、ベッドの上に広げたところだった。
淡い金髪の隙間から見える横顔は、なんとも頼りなげであどけない。
さっきの雰囲気とは、まるで違う。どこにも隙がない、完全武装して毛を逆立てていた空気は消え失せている。
こっちの表情が、年相応の本来の姿なんだろうか。
ナザトのページを手繰る音が、室内に波紋のように広がる。
夜の山荘は静かだ。車が排気ガスを噴き上げる音もしなければ、酔っぱらいが騒ぐ声もしない。俺の地元は観光地だということもあって、夜遅くまで喧騒が耳に痛い時期もあるけれど、この辺りはそんなこともなさそうだ。両親を亡くしたばかりの兄妹には、いい療養地だろう。
煙草でも吸おうか。俺が立ち上がりかけたとき、ナザトがぽつりと言った。
「この館で本当に何かがあったなら、くまなく探せばもっと何か出てくるかもしれないですね」
心臓が跳ねたのは、似たようなことを考えていたからだ。
俺は平静を装ってナザトに視線を向ける。
「地下室があんな状態になってたんだ。どこかに、失踪者が隔離されている場所があると思う」
「……監禁部屋があるって言いたいんですか?」
「人間は生きてても死んでても場所を取るし、手間がかかる。まだ生きてる奴がいるなら、最低限の生活をするための監禁部屋が。もう殺してしまったなら、死体を隠す場所が必要だろ。死体が勝手に埋まってくれるわけじゃないし」
ナザトからじっと視線が注がれていることに気づいて、俺は言葉を区切る。その目にこもった非難がましい色に、俺は内心冷汗をかいた。
「何だよ?」
「いえ、別に……」
ナザトは俺から目を逸らして、一息吐いてからつぶやいた。
「そうじゃなくて。ただ僕は、何かの記録とか、証拠になるものが残ってるんじゃないかって話をしたかったんです」
「記録?」
ナザトは開いていた本を閉じて、体を起こす。
「本当にここで何かの事件に巻き込まれたのだとしたら、何かしら痕跡が残っているはずです。さっきの指輪のような遺留品もそうですけど、宿泊記録とか。もっと事件性のある証拠でいうなら、ウィーシャちゃんが日記を付けていたりすれば、いつぞや言い争う声や妙な音を聞いたなんて書き残している可能性もあります。……地下室までとはいかなくても、血痕や、変わった汚れのついた道具が残っている可能性だって」
言い募るナザトの声音は、どんどん強張っていった。
想像すればするほど、一夜を明かすには恐ろしい場所のように感じられる。
俺はあまり怖がらせないように努めながら、言葉を失っていったナザトの後を引き継いだ。
「もっとこの館内に、そういう証拠があるだろう、って話だな。特に怪しいのは、やっぱり風月館だろうな。ウィラムやウィーシャの居住スペースなわけだし」
プライベートルームのある風月館。何か隠しているとすれば、やはりあちらだろう。
ナザトは少し意外そうに俺を見て、ぼんやりとこぼす。
「あんなに優しそうな人が、誘拐なんてするかなあ……」
俺も、夕食のときのウィラムの姿を思い返す。確かに、いかにも妹想いの兄であり、家の事を一手に担うしっかりした責任者であるように見えた。
だが、それを言うなら。
「それ、おまえが言うか?」
俺のぼやきに、ナザトは一瞬目を丸くした。すぐさま気を取り直した様子で、ナザトは眉間にしわを寄せる。
「どういう意味ですか、それ?」
「気の弱そうななタイプだと思ってたのに、まさか人の記章取り上げたりするなんてな」
「だって……!」
「だって?」
やられっ放しも癪に障るので、ここらで一発やり返しておきたい。何か反論してきたら論破してやるつもりで促したら、ナザトは口を閉ざしてしまった。
俺は眉根を寄せて、煽るように小首を傾げる。
「何だよ、言いたいことがあるなら言えよ」
「っ、そういう言い方が、嫌なんだってば……!」
噛みつくように俺をねめつける瞳には、わずかにうるんでいるように見えた。
俺はぎょっとして、困惑気味に訊ねる。
「もしかして、怖い? 俺の、喋り方が?」
「そうですよ! ルードさんの喋り方って、町のチンピラみたいじゃないですか」
「なっ……」
チンピラ。
お上品な口調ではない自覚はあるけど、まさかチンピラ呼ばわりされるとは思っていなくて、俺は絶句した。
ナザトは俺の受けた衝撃には構わず、ずばずばと指摘していく。
「ガタイのいい男性三人に囲まれて、怖い喋り方で話されたら、僕だって安全を確保したくなりますよ! ルードさんがヴィクタール家の嫡男だってお話も、貴族のご子息がこんなオラついた喋り方するとは思えなくて疑ったんですから」
ぐうの音も出ない。
「……そ、そんなに」
「今回は友達――護衛もいなくて一人で心細いし、歩いてきたから簡単には下山できないし……」
「おまえ、歩いてここ登ってきたのか!?」
運転してきた坂道を思い出して聞き返すと、ナザトはわずかに肩を強張らせた。それを目にした俺は、気づいて、体から力を抜く。
ナザトは一度薄い唇をぎゅっと噛み締めてから、おずおずと言う。
「ルフスさんが麓まで迎えにきてくださるって話だったんですけど、お断りしたんです。少し、息抜きも兼ねての剥製鑑賞だったので、山道を歩こうと思って」
「待てよ」
ナザトの話を聞きながら、俺は思考をめぐらせた。
「つまり、花鳥館にはルフスが宿泊客の送迎をする車があるわけか。大抵の宿泊客は、自分の車を使ってくるか、ルフスに送迎してもらうかだからな……」
「何が言いたいんですか?」
「車を潰せば、ここから逃げ出すのは難しくなる」
俺のつぶやきを聞いたナザトは、黙って俺を見つめていた。俺はその薄い金の瞳を見つめて、続ける。
「この館で何か起こってるなら、車に細工される可能性があるかもしれない。逆に、失踪者をどこかからこの館へ連れ込んでるんだとしたら……」
「この館が所有してる車に、証拠が残ってる可能性があるってことですね」
ナザトの言う通り、館内をくまなく探索すれば、何かしら出てくるはずだろう。だけど、ただの宿泊客である俺たちが、いきなり館の主人の居住スペースを歩き回るわけにはいかない。既に、普通なら入りこむべきではない地下室へ入ったことを、ルフスに知られている。だが。
「自分の車のことが気になったから駐車場を見にいく、のはおかしなことじゃないよな?」
日も落ちて暗くなってきた今、敷地内を見て回るのはあまり目立たないはずだ。みんなそれぞれの部屋に引き上げた頃だろうしな。
ナザトは脱ぎ捨てた靴を履きなおしながら、俺を見た。
「僕も、脱出手段は確保しておくべきだと思います。今から行きますか?」
「ああ」
一度ハンガーにかけた上着に袖を通しながら、何の気はなしに視線をやったベッドサイドに目を留める。
小型のペンライト。ポケットに入りそうなサイズだ。緊急用の備え付けだろうか。
丁度いいな、拝借していくか。
俺は迷うことなくポケットにペンライトを突っ込み、準備完了とした。靴を履き終えたナザトが軽く身支度を整えたのを見て取って、俺はナザトに声をかけた。
「行こうか」