part.4
しかし博士はすぐに、あの深い眼差しを取り戻していた。
「睡眠には、レム睡眠とノンレム睡眠がある。違いは分かるね」
「はい。簡単には」
レムとは、Rapid Eye Movement――つまり急速眼球運動の略称だ。睡眠中にも関わらず、眼球が速く激しく動いている時間帯がある。その時、脳は活動している状態なのだ。別名は、浅い睡眠。逆にノンレム睡眠は脳も休息している、深い睡眠だ。
「レム睡眠が現れるのは一晩に4、5回と言われてきた。つまり一晩にそれくらいの数の夢を見ているわけだ。といっても、目覚めた瞬間に見ていた夢しか覚えられないがな……。
私はそれを独自の方法で観測する手段を模索した。従来の脳波測定では限界がある。長い研究の年月の果て、ノイズを極限まで抑えて脳の電気信号を読み取る機械を発明した。原理の説明は省くが、より詳細な夢の解析が可能になったと考えてくれればいい。
そしてついに、驚くべき事実を発見した」
博士の語り口に熱が籠もったのが分かった。先程まで危篤だった老人とは思われぬ力強さだった。
「人間は一晩の間、もっと細切れの夢を見ていることが分かった。驚くなよ。およそ1秒のサイクルでレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返していたのだ。レム睡眠2に対し、ノンレム睡眠が1だった」
フェッセンデン博士の話がどういう方向へ向かうのか、私は見極めかねていた。学術的に大いに価値のある発見なのか、それとも年老いた患者のうわごとか……。前者だとすれば、まさか彼がそれを隠しておくとは思えない。かといって後者として簡単に切り捨ててしまうには、私は博士と交友を深めすぎていた。
ただ、医師としても、黙って彼の話に耳を傾けることが最善であろうと思われた。
「私はある恐ろしい仮説に至った。もしかしてこのサイクルは、我々の生活リズムと同じなのではないか?
2:1は、16:8と置き換えれば、24時間を分けることができる。16時間起きて、8時間眠る。およそ人間のライフサイクルと同じではないか」
「……どういうことかしら」
「簡単な話だよ。我々の見ている夢は、『他の何者か』の生活なんだ」
彼の言いたいことが、ようやく分かってきた。つまり、こういうことか。私たちの脳内に小人がいて、眠ったり起きたりを繰り返しているって? 私たちの見ている夢が、その小人にとっての現実とでも言うのか。
「じゃあ『彼ら』にとっての1日は、私たちが寝ている間の1秒ってこと?」
「その通りだ」
博士は、優秀な生徒を前にした教育者が皆そうするように、頬を緩ませた。
私は確信した。これは老人の妄言なのだ。単に数字を弄ってみただけ。さっき彼自身がそう言ったように、あまりに常識外れだ。
と、そう思ったはずなのに、何故か私の頬は強張っていた。老フェッセンデンの口調はあくまで正気で、その目は深い叡智の光を灯していたからだ。
「胡蝶の夢だよ、マーサ」
フェッセンデン博士は唐突に、知らない名前を口にした。私のファーストネームではない。もしかしたら、彼の娘のものかもしれない。
「夢の世界では、誰かが生きているんだ。1秒を1日とすると、3600秒、つまり1時間は約10年。8時間だと80年、およそ人間の一生だ」
「…………」
余りにも荒唐無稽な話だった。夢などは所詮、脳の電気信号が作り出す幻想に過ぎない。殆どは忘れ去られるような、儚く、実態のないものだ。決して現実などではない。
「つまり一晩ごとに『誰か』の一生が終わっているって言うの?」
「ああ。眠っている間は、全くの別人になっているかもしれない。君も昨夜見た夢の中では、母親に甘えたい年頃の少年だったかもしれない」
あいにくその想像に対する答えは私にも分からなかった。昨日は夢も見ないほどにぐっすり眠れていたから。
「でも、証拠なんてないでしょう」
「あるさ」
ニヤリと唇を曲げた。その笑みは、研究の道に進んだ同窓生がかつて見せた、熱を帯びたそれによく似ていた。




