part.3
気休めの診察が一通り終わった後、フェッセンデン博士はぽつりと言葉を漏らした。
「独楽は役に立っているかね」
「ええ。助かっています。正直、半信半疑だったけど」
「そうだろうな。顔に書いてあった」
老人は気を悪くしたふうもなく、口元を緩ませた。この街に来たばかりの頃、都会での失敗を引きずっていた私に、彼は碧色の独楽を譲ってくれたのだ。なんでも東アジアの山岳地帯をフィールドワークした際、現地の住民からもらったものだそうで、回して模様を見ていると眠りを誘うという。最初は気休め程度に考えていたが、実際試してみると、心が落ち着いたのは事実だ。夢の研究も馬鹿にはできない、と感心したものだった。
医師は患者から多くのことを学べるという。私の場合はそれだけでなく、この街に生きる多くの人々の優しさに救われている。博士には、特に。
「君には本当に世話になった。娘が戻ってきてくれたようで嬉しかったよ」
私は思わず言葉を詰まらせる。まるで、死期を悟ったかのような言い方だったからだ。
「娘」――前々から、私のことを誰か大切な人と重ねているきらいがあるのは気付いていた。私の表情を見て、博士は微かに笑った。見ているだけで心が温かくなるような、柔らかい微笑みだった。
「あれを手に入れたのと同じ地方で『コチョウの夢』と言う話を聞いた。知っているか」
「いいえ。コチョウ?」
教授時代の名残か、口調は学生に対するそれに似ている。思わず私も医学生に戻ったかのような感覚になる。だが、あの頃に感じていたような緊張感は皆無だった。親しみや茶目っ気のようなものも感じられたから。きっと、そういう先生だったのだろう。
「蝶のことだよ。胡蝶。ある古代中国の思想家が語った話だ。
昔、一人の男がいた。彼は夢の中で蝶になっていた。とても精緻な夢だった。男は蝶の視点から、様々な景色を見た。
やがて目が覚め、男は思ったという。さっきの夢はやけにリアリティがあった。今見ている景色と変わらないくらいに。もしかしたら、この現実こそ、蝶の見ている夢に過ぎないのではないか……」
私はどきりとした。同じようなことを考えたことがあったからだ。加えて、夢の方が良かったとも。今はこの街での生活が楽しい。だが、これまでの人生がずっとそうだったわけではない。
黙り込んだ私だったが、博士は気に留める様子もなく、言葉を続けた。
「夢の研究をしていることは話したね。私はある発見をした。しかし、それはあまりにも常識の理解を超えていた。私は狂人扱いされた。奴の裏切りにあい、学会から追放されたのだ。くそ、大事な娘までくれてやったというのに」
最後の言葉は消え入りそうだった。視線がぼんやりと宙を彷徨っている。少し意識が朦朧としているのかもしれない。
私は、博士が身の上を語らない理由、そしてこの屋敷に肉親を寄せ付けない理由を知った気がした。




