part.2
天国に一番近いと言われる、美しい浜辺の街での医療研修も終わりにさしかかった頃。私は夜道のなか車を走らせていた。崖にある屋敷から緊急連絡があったのだ。家政婦が主の容態の急変を知らせるものだった。
「間に合ってよね……!」
ハンドルを握る手に力がこもる。空に浮かぶ逆さまの三日月は、まるで悪魔の口元のようだった。
屋敷の主の名前は、ロバート=フェッセンデン。もう齢80にさしかかろうかという老博士で、狭心症を患っている。さっきも発作が起きたとのことだった。
数日前の訪問診療では元気な様子を見せていたが、いつ急な死を迎えてもおかしくはない状態だ。とりあえず薬は飲ませたと家政婦は言っていたが、間に合うかどうか……。
現在屋敷にはフェッセンデン本人と家政婦の二人しかいない。家族はいるようだが、詳しくは話してくれなかった。もともと病院での治療を拒み、この美しい街での最期を望んだ老人だ。私も詮索をする気は毛頭無い。
だけど、いや、だからこそ、せめて看取ってあげるくらいはしたかった。何としても間に合わせたかった。医者が一人の人間に対してこんなことを思うなんて、おかしいだろうか?
ようやく屋敷に到着した。当然のことながら出迎えの者はいない。住人は二人とも寝室にいるだろうから。
医療器具の詰まったバッグを抱えて、小走りで廷内に入る。もうすっかり慣れた順路を辿り、扉が開け放たれたままの寝室に踏みいると、間をおかず家政婦が青い顔で振り返った。
「先生。仰せの通りに――」
「ありがとうございます。少し休んでください」
家政婦は安心したように、ややもたついた足取りで居間の方へ消えた。その様子を視界の端だけで捉えながら、すでに私は屋敷の主人が眠るベッドに近付いていた。
思ったよりもフェッセンデン博士の様子は落ち着いていた。じっと、深い色の目を天蓋に注いでいる。次に発作が起きれば、もう意識は戻らないと考えていたが。
もともと頑健な老人だ。脈をとる。少し速いが不整脈はない。同時に、博士がこちらに視線を向けた。
「……フォスター先生」
「間に合って良かったです、博士」
ベッドの傍の椅子に腰掛ける。人生の最期を自らの屋敷で過ごす彼は、当然、特殊な治療は望んでいない。私がこの場にいたところで、できることはほとんどないのだ。
だがそれでも私が夜道を飛ばしてきたのは、このフェッセンデン博士に、やはり思い入れがあったからだろう。
街の人は皆親切で、患者は誰も大切な人だ。特に、以前は大学の教授をしていたというこの知的な人物に、私は父親に抱くような尊敬の念を感じているのかもしれない。




