救出
月明かりを頼りに、修一郎は森の中を駈けていた。
男数人の死体が倒れている森に、ヨーベルという少女一人を残したことが少し気がかりとなっていたが、一刻を争う事態だと修一郎は判断していた。ここで救援を待っていれば、その間にクイネをさらった男たちは逃げてしまう。人を殺めるには躊躇のない危険な男で、クイネたちの命は保証できない。何より依頼主を守れなかったことは、冒険者としての信用にも関わることだった。
眩しい月明かりはくっきりとした陰をつくりだし、修一郎はしばしば足下をとられて転びそうになった。。それでも修一郎は、ヤナナ岩に向かって一心不乱に駈けた。
ヤナナ岩は太古の時代、遥か空より飛来した精霊がその岩に降りて体を休めたという伝説の岩である。拓けた山の頂きに、板状の岩が段々に積み重ねられたようになっていて、ぱっと見は一種の祭壇、或いは座席のようだという。目印代わりになるだけはあって奇妙なつくりをした岩だった。
疾駆する内に、森の奥がぱあっと明かりが広がっていった。山の頂きに近づいたと思い、速度をゆるめて茂みに身を潜めると、慎重に気配を探りながら月明かりへと近づいていった。さらさらと風が鳴る音がする。茂みの向こう側に空を照らす月と、風になびく草むらが見えた時、風に運ばれて子どもらしき声が聞こえてきた。
耳を傾けると、クイネの声だった。
「リグリア!貴様は僕たちをどうするつもりだ!」
「貴様らなら良い身代金になる。しばらく俺たちに付き合ってもらうぞ」
リグリアの声も聞こえ、修一郎は茂みからそっと覗くと、クイネが男に押さえつけられながら、必死に抵抗している。連れてこられたばかりらしく、まだ拘束されていなかった。リグリアとその仲間が傲然と見下ろしていた。少し離れて、ヤナナ岩のそばに体を縛られているシベルがいた。
「身代金だと……」
「あの魔法学園は金持ちや上流貴族が多いからな。以前から目をつけていた。強盗より手間は掛かるがな」
「……」
「特にあのシベル」
リグリアは嘲笑するように鼻で笑った。
「少し剣舞を披露しただけで喜んでな。簡単に潜りこめた。あまりに隙だらけでこちらが拍子抜けしたほどだ。バカなガキだ」
「リグリアの兄貴の演技も立派なもんでしたぜ」
「あれくらい容易い。これまで何度やってきたと思っている」
「いつだったか、未亡人をたらしこみましたっけ」
「あいつも俺に殺されるまで、ずっと信じ込んでいたな」
――奴が頭領か。
修一郎は月影のある西側へと移動していた。風になびく草むらや茂みのざわめきが、足音を散らしてくれている。リグリアの背中側に回りこむことができた。
まだクイネが拘束されていないこと。
修一郎に気がついていないこと。
この好機を逃してはならない。
「よし……」
乾いた唇を舐めて湿らすと、印を結び詠唱をはじめた。
「魏蓬滔々百花烈鳳、空陀羅曼月、神威胡歎。……汝の名を以て天下に示せ」
西方では魔法、太和の国では呪術または妖術等で呼ばれているが、印の結びと詠唱によって効果が発現されるという基本原理は変わらない。言葉が異なるのに魔法が使えるのは、言葉が“言霊”となって効果をもたらすというのが、神林藩練術館教授曽野仙紹の説である。他にも説は多数あり、その真実は不明ではあったが、どちらにせよ修一郎には妖術がこの地で使えるということだけで充分だった。
あとの問題は放つタイミング。クイネやシベルを巻き込まないようにするには、範囲を制限しなければならない。しかし、そのためにはリグリアたちに接近しなければならない。
見据える先で、再びクイネが猛然と喚きだした。
怒りの炎が恐怖を消し去り、それがクイネに執拗な抵抗させているようだった。
「くそ、放せよ!」
「早く体を縛れ。さっきから何をもたもたしている」
「すいやせん。意外とコイツ、力が強くて……」
クイネを押さえつけている男に、仲間たちはしっかりしろと囃すだけで手伝おうともしない。愉快そうに見物しているだけだった。ようやく後ろ手にしてクイネを縄にかけようとして片手が空いた時だった。どこにそんな力があったのか、クイネが身をよじって男の手から逃れると、リグリアへと飛び掛かっていった。
「ガキが……!」
クイネはリグリアの腕に噛みつき、リグリアもその仲間も慌てて引き剥がそうとしている。誰も両手が塞がっている。修一郎はそこに好機を見た。
修一郎は茂みから飛び出し、一直線に駈けた。重ねた手の内には膨大な魔力が滞留している。
「クイネ!シベルを頼む!」
修一郎の叫びにリグリアたちがぎょっとして振り返る中、クイネは弾かれたように飛び跳ねて、シベルのところまで逃げていった。
「ナツメ……!」
ならず者たちが呆然と立ちすくむ中、リグリアだけが反応していて、手を柄に伸ばしていた。しかし、それがリグリアの限界で、既に修一郎は手の内の光球を地面に叩きつけていた。
地表が割れ、噴き上げる炎が男たちに襲いかかった。2人が火だるまとなり地面にのたうちまわる中、リグリアだけは怯まず剣を抜いた。
「ナツメエェェェ!!」
獣のように吼え、月光を反射させてふりかかる刃は牙を想起させた。まさしく野獣にふさわしい獰猛な一撃だったが、態勢が崩れた分、修一郎の動きが勝っていた。
駈けながら抜き打ちに斬った刃は、リグリアの首元を斬り裂いていた。修一郎は下段に構えを変えて転身すると、そのまま残る男2人に剣を振るった。
頭領が討たれ、動揺する男たちを倒すのはわけもなく済んだ。一人の足を膝から斬り、もう一人を喉を貫いて絶命させると、修一郎そこでようやくリグリアに向き直った。
足を斬られた男の悲鳴が響く中、リグリアは放恣したまま佇んだままでいる。やがて、首から流れる血が肩を濡らしはじめたかと思うと、大量の鮮血が噴き出した。
「……」
リグリアは噴水のように噴き出す鮮血を、剣を持たない左手でおさえようとしたが、その手が途中で止まるとだらりと垂れ下がり、やがて剣も落としてしまうと、重い音を立てて倒れていった。
「ひ……ひいい!」
修一郎はただ一人生き残った男へと、切っ先を向けたまま近づいていった。クイネはシベルの縄をほどき、岩の陰に身を潜めている。シベルは背を向けているが、クイネと視線がぶつかった。強い眼差しでかたく口を結んでいる。
重い疲労感があるがもうひとふんばりだと思った。
「さて、貴様にはしかるべき司法の場でリグリアの計画、これまでの悪事を話してもらおうか」
「た、たすけて……」
「話すなら、その傷を治してやろう。このまま死にたくはあるまい?」
切っ先で男の顎をあげると、涙を浮かべた目で何度も頷いた。このまま傷を治してもまともには生活できない。しかし、まともな体を持ちながらも、悪事を働くことしかできなかった者には当然の報いだと、修一郎の良心はまったく痛みなどしなかった。
※ ※ ※
「……これ、約束の報酬。7日分」
「うむ」
「ちゃんと確かめろよ」
事件の翌朝。
朝雀が囀ずる静かな朝、学校の校門前に修一郎とクイネはいた。迎えの馬車が修一郎を待っている。
生き残った男は駆けつけた憲兵隊の手に引き渡され、修一郎も取り調べを受けたが、クイネが間に立ったことで簡単なものに終わった。シベルやヨーベルは一旦、家族に引き取られていった。リグリアたちが行った悪事の詳細はこれから明らかになるのだろうが、それ以上は修一郎が関わることではない。
試験の薬草採りは中止となり、後日に別の試験を行うという。修一郎の仕事は終わったのだ。
クイネから受け取った布袋は、ずしりと重量感がある。わざわざ確かめるほどでもなかったが、依頼主を尊重して袋を開けて確かめるそぶりをしてみた。
「充分だ」
「あと、これ」
クイネはもうひとつ袋を修一郎に示した。報酬と同じくらいの重量感がある。いや、と修一郎は戸惑っていた。
「約束の期日より3日早く終わっているし、それで7日分の報酬を貰っておる。ありがたいが、これではちと貰いすぎではないか」
「これ、支度金のつもりだよ」
「支度金?」
「なあ、ナツメ。俺の家来になってくれないか?」
「……」
「なんなら、剣の師匠として迎えたっていい。ナツメみたいな人が、一緒にいてくれたらて思う」
少年の瞳は潤み、悲痛な叫びのように訴えかけてくる。孤独な少年時代を過ごすクイネの本音がようやく聞けたような気がした。そんなクイネが不憫ではあったが、修一郎はそこには行けないと改めて痛感するのだった。
「なあ、クイネ」
修一郎はクイネの前に片膝をついてしゃがみこんだ。
「これは男と男の話だと思って聞いてほしい。お前を男と見込んでのことだ。他に話してはならん」
「……」
「俺には倒すべき仇を持つ身だ。追いつ追われるの身」
表情が強張り、クイネの瞳が大きくなっていった。
「クイネが拐われた時、その刺客と戦ってその間にお前が拐われてしまった。リグリアたちに油断があったから何とか助かったが、今後もそう上手くいくとは限らん」
「……」
「依頼主を拐われてしまったことに変わりはない。こちらの騒動には巻き込めん」
「でも……」
「心配するな。お前は立派な男だ」
「……俺が悪者を魔法で倒したからか?」
「それも違う。その勇気で、俺を守ってくれたからだよ。リグリアたちにもお前が必死に抵抗していたから、相手の隙をつくことができた」
思わず、修一郎はクイネの手を掴んでいた。溢れる感情がそのまま言葉となっていた。だが正確に伝えられる言葉など、この世にどれほどあるのだろう。
“言霊”とは何なのか。
今の修一郎にはなんとなくわかる気がした。
「ありがとう」
それだけ口にすると、修一郎は立ち上がると、馬車に飛び乗った。
「ナツメ!」
「達者でな」
呼び掛けるクイネの声に、修一郎は軽く手を振って馬主に行くよう促した。カタカタと車輪がまわる中、修一郎が振り向くと点のようになったクイネがまだ立ったままだった。
※ ※ ※
ギルドに入ってきた修一郎の姿を見て、サクヤがあれといぶかしんだ。
修一郎は袴をつけて着物姿でいる。
「いつもの着物に戻したんですか?」
「うむ、普段はこちらにしておこうと思ってな」
「似合ってたのに」
「良いものは長持ちさせんと。お古だからと、手荒に使うのは性分に合わん」
「でも、戦いでボロボロになるんじゃないですか」
「それくらいはわかっておる」
憮然としながら修一郎が椅子に腰を落ち着けると、話を本題に切り替えた。
「……で、例の依頼は来ておるかな」
「タイミング良く、アップリケ街道でのスライム退治が来てますよ」
サクヤが苦笑いしながら、ファイルを開いて修一郎に見せた。アップリケ街道はラウールから西の町、ヘンリケとナムカの間を繋ぐ小さな街道である。数十匹もの大群が現れるので駆除して欲しいというものだった。例によって2ゴールド。日帰りで済む距離だった。
「うむ、よかろう。ちょうど良い」
「スライム退治ばかりじゃ飽きませんか。戦いの経験が積めるというものじゃありませんし」
「厳しい場など向こうからやってくる。前のようにただの付き添いなのに大事件に巻き込まれたりな。大切なのは、自省と日頃の心構えだ」
「あ、そうそう」
訓示めいた修一郎の言葉を無視して、サクヤはなにかを思い出したように、机の引き出しを探ると一通の封書を取り出した。
「今朝、クイネさんからお手紙が届きましたよ」
「クイネから?」
修一郎は封書を受け取ってひろげると、熱心に読み始めた。何度も何度も読み返し、楽しそうに口許をゆるめている。その様子を目の端にしながら、サクヤは事務仕事に取り掛かっていた。
「なあ、サクヤ」
「どうしたんです」
「シベルという同級生がおってな。しょっちゅう対立しておったようだが……」
「……」
「あの事件の後、友達となったらしい」