仲間のところへ
坑内の作業場から差し込む灯りを背に、男たち3人の影が不気味に揺らいでいる。修一郎は鯉口をゆるめていつでも抜ける用意はしたものの、表にはゴブリンの群れがいる。できれば争いたくはないと思っていた。
「……アンタたちには何も話していないはず。外では気配もなかった」
「そこの神官のチビが道を教えてくれたからな。ゆっくり来られたぜ」
ひとりが嘲るように言った。カテラの動揺する気配が暗闇から伝わってくる。
「昨日の酒場でよ、少人数じゃ心細いだろうとちょっと優しい言葉掛けたら、ポロッと漏らしやがった」
「カテラ、アンタ……」
「ぼ、僕は少しでも人数が多いと思って、つい……」
消え入りそうにカテラの声は震えていた。
「策を尽くしてご苦労だが、どうやら徒労だぞ。ここには財宝などない。あるのはこれだけだ」
修一郎はハミルの手から人形を取ると、男たちに向かって人形を放り投げた。パサッと男たちの足下で乾いた音がした。
「なんだこりゃ」
「随分と古いから作業場で働いていた者のかもしれんな」
「てめ、ふざけんな」
「それ以外ここにはない。財宝というもの自体でまかせだ」
修一郎の言葉に、シンと沈黙が室内に満ちた。外からゴブリンたちの歓声が流れ込んでくる。どうやら火を点け終わったらしい。
「ナツメはさっきもそんなこと言っていたけど、どういうことよ」
「話はここを出てからだ。ぼやぼやしていたら危険だ」
「てめえ……」
「ならばこう言えばよいか。“財宝は見つけることができなかった。俺たちは諦めるからあとは任せた”と」
「……待て、信じられっか!」
リーダー格らしい男のひとりが剣を抜くと、他の2人も短剣や杖を一斉に構えた。今の状況がわからないのかと修一郎は呆れていた。
「どうせ、俺たちを騙すつもりなんだろ」
「日頃からよほど詐術ばかり用いておるようだな。この状況でもまだわからんのか」
「やかましい……!」
ギラギラとした殺気が男たちから放たれてくる。焦りと財宝にこだわるあまり、冷静さも失っているらしい。ハミルも剣を抜くのを見て、修一郎はよせと鋭く制した。
「まて、お前ら。今は……」
その時、男たちの背後で影が揺れた。リーダーが気配に反応して剣を振り向き様に放つと、異様な悲鳴と鮮血が噴水のようになって天井まで濡らした。重い音が鳴り、それは狂ったように絶叫していた。斬ったのはボスの傍にいたメスゴブリンである。
『グ、グアーー!グ、グアーー!』
耳を塞ぎたくなるような悲鳴を立てながら、メスゴブリンは血の海でのたうちまわっている。
「バカなことを!」
修一郎は舌打ちした。
いきなり斬れば声をあげるに決まっている。しかも仕留めきれていない。この場合、一撃で絶命させるか室内に引き倒して声を立てられないようにしてから始末するのがセオリーなはずだ。
案の定、というべきか、メスゴブリンの絶叫に反応して表から大地が揺るぐほどの地響きと咆哮がした。 仲間の一人が外を覗き込むと、あっと叫んだ。
「おい、ゴブリンのボスがこっちに気がついたぞ!」
「まずい……逃げるぞ」
男たちはようやく危機を察したようが、冷静さまでは取り戻せなかったようで、逃げるぞという呼び掛けに、他の仲間たちも修一郎たちや財宝など忘れてしまったかのように部屋から飛び出していった。
ゴブリンたちは部屋から飛び出してきた男の姿をみると、一斉に雄叫びをし、それぞれが足下の石を手にして投石を始めた。男たちは剣で防ぎ、魔法で応戦しているが、飛来する無数の礫を防ぎきれず、ハミルたちが潜入に使ったロープにたどり着いた時には額が割れ、身体中も血だらけとなっていた。
「俺が先だろ!」
「何言ってる。俺が先だ!」
男たちはロープを掴みながら先を争い、今度は仲間割れをはじめていた。
「魔導士から逃がせば良いのに」
修一郎は苦い顔をした。
先に遠距離から攻撃できる魔導士を逃して他は殿というのがセオリーだが、恐怖のあまり、そんな基本も忘れているらしい。
「ナツメ、私たちも早く逃げないと」
ハミルとカテラが修一郎の傍に来ている。剣やメイスを抱えこみ、灯り照らされる顔色は青ざめてはいたものの、男たちのように冷静さは失っていないようだった。
「もっともだ。だが待て、今動くのは危険だ。巻き添えになる」
「でも……」
「だから待て。俺はお前らを守る用心棒だ。依頼主は必ず守る。信じてくれ」
「……」
「良いな」
「……うん」
ハミルが頷いた時、再び凄まじい叫び声が響き、視線を戻すと仲間2人が地上に倒れ込み、リーダーがロープをよじ登ろうとしている。全身が血まみれだった。地上では仲間2人がうつ伏せに倒れていて、一人の背中にリーダーの剣が突き刺さっていた。
カテラが酷いと憤る声がした。
「あの人、仲間を殺して自分だけ逃げる気なんだ」
しかし、リーダーの目論見も上手くはいかなかった。手にべっとりとついた血のせいでロープが掴めず容易に登れないでいる。そうこうする間に、ゴブリンたちの群れが迫り、その後ろからボスが上から瓦礫をつたって慎重に降りている姿があった。
ボスの右足は相当悪い状態らしい。瞳には怒りの炎が燃え盛っているのに、足取りは重く、ひどく緩慢に映った。
「ハミル、来たルート以外で出口はわかるか」
「ここに来るのは初めてだけど、炭鉱の地図は把握してるから……わかると思う」
「そうか。出口にはどこが一番近い」
「ええと……たしか、さっきカテラが松明消したとこ」
通路の入り口には、さきほどまでいた見張り役のゴブリンもいない。よしと修一郎は鞘を握る手に力が籠った。
「あそこまで突っ切るぞ」
「でも、ボスが近くにいるよ」
「俺がやる。2人は逃げることに集中しろ」
もはやロープからの脱出が難しい以上、覚悟を決めるしかなかった。ぼやぼやしていればそのうちに見つかってしまう。注意が男に向かっている今がチャンスだった。
「行くぞ!」
修一郎の合図とともに3人は駆け出していった。線上に立つ2匹のゴブリンを、修一郎がそれぞれ抜き打ちで仕留めると、あとは振り向きもせず駈けた。
“ゴアアッ!”
ボスが修一郎に気がつき吼えると、手にしたこん棒を高々と振りかざした。修一郎は肩に刀を水平に載せ、ボスに突進した。間合いに入ったと思った瞬間、頭上から唸りをあげてボスのこん棒が落下してきた。
ゴブリンをさすがにあなどれない勢いがあったが、修一郎は冷静だった。頭部を砕く瞬間、修一郎は横にかわしこん棒が地面を砕くと、ボスはバランスを崩してよろめいた。
――やはり右足か。
ボスの一撃には、油断のならない威力があったがその後が続かない。不自由な右側ががら空きとなっていた。修一郎は踏み込んで上段から剣を振り下ろした。刃はボスの右腕を一閃し、鮮血とともにボスの右腕が重い音を立てて地面に転がった。
“グアアアアアッッッッ!!!”
ボスの絶叫が坑内に響くと、二メートルを超す巨体は弾かれたように地面に倒れていった。その時には修一郎は背を向けて走り出していた。
「すごい……」
「遅れるな!」
修一郎の太刀さばきに感嘆し、思わず足が止まりかけたカテラを叱ると、修一郎は瓦礫を軽々と駈け上がった。そこでようやくボスの様子を確認すると、倒れたボスの周りにゴブリンたちが哭くような悲鳴をあげて集まっていた。
「はやく行け」
修一郎が短く指示してハミルたちを先に行かせると、殿の修一郎はそこから坑内を見下ろした。ゴブリンたちはボスの救護が手一杯で、修一郎たちへの復讐には頭がまわらないようだった。背を向けると急いでハミルたちの後を追った。
※ ※ ※
炭鉱の出口に到着した時、外の空気は冷たく、東の空から朝日がのぼりかけていた。炭鉱に入ったのは確か昼近くだったと修一郎は記憶している。それほど時間は経っていないと思っていたのに、いつのまにか1日は経過していたらしい。
「何とか助かったかな」
修一郎が誰ともなしに言うと、ハミルはぐったりと岩場に腰掛けたままうなずいた。カテラは肩で息しながら、草繁る地面に突っ伏している。
「……でも、どういうこと。ナツメは担がれたて私たちに言ったよね」
「僕も気になります。どういうことですか」
「うむ。まあ、少し憶測も混ざるがな……」
修一郎は肺一杯に新鮮な空気を吸い込んで深呼吸すると、腕組みして空を見上げた。葉の隙間から涼やかな光がチラチラと照らしてくる。
「兵書にある話だが、昔、楚という国のある山に山賊が住み着いた」
「……」
山賊の数はそれでもなく、軍を動かすほどでもない。しかし治安の面では支障があるということで国は一計を案じて、賞を餌に民衆を使って山賊を駆逐したという。
「……まあ、これも似たようなものだ。元々は負けて落ちのびてきたゴブリン。数も勢いそれほどではなく、炭鉱も閉まっている。“財宝”という噂を餌にすれば、喜んで冒険者たちが食いつくと踏んだんだ。それに、これまでにもそれなりに収穫はあったのだろう?」
修一郎が訊くとハミルはうなずいた。
「首飾りや翡翠の指輪とか、まあまあ良いのがあったの。だから……」
「気持ちはわかる。先の故事もな、轅や重い袋を目的地まで運んだら賞を与えるという変な布令に、きちんと賞を与えることで信用を高めたそうだ。ゴブリンも綺麗なものに対して関心あるしな」
「……やられたわね」
「ラウール城の方々が仕掛けた罠、ということですか」
「罠は少々言い過ぎだ。それに俺は憶測と言った。決めつけぬ方が良い。だが“財宝”は無い。これは事実だ」
ラウール城側としては、“財宝”をネタに死んでも惜しくない冒険者たちを使いたかったのだろう。ただ予想外だったのは、地図にも記載されていない最下層までの坑道の存在と、それを見つける者がいたことだろう。
「ま、冒険者」
「これからどうするな」
「……」
修一郎の問いに、ハミルは黙ったままだった。
「財宝などなかったと、仲間のとこへ戻ったら良いではないか」
「でも、私……」
「なんなら、俺が仲介……」
その時、森の奥から「ハミル!」と大声がこだました。木々の間から3人の人影が浮かび上がったが、あの無頼漢たちとは違い、表を歩いてきた者たち特有の明るく健康的な雰囲気が伝わってくる。名前を呼んだ若い男がリーダーなのだろう。血相を変えた様子で、修一郎から見ても精悍で頼りがいがある。
彼らが誰なのか、修一郎は一目でわかった。ここに来たのは、サクヤ辺りから聞いたに違いない。
「ほら、仲間がああして心配しているじゃないか」
「ハミル……」
「うるさい。わかっているわよ」
言い掛けたカテラにハミルはいつものように強がってみせたが、口調はだいぶ弱々しい。ハミルの様子にここまでだなと修一郎は思った。
「さてと、仕事も終わった。今日までの手間賃を貰おうかな」
※ ※ ※
修一郎は一人、森の小道を歩いている。両側には木々が広く枝を張り、上空には気持ちの良い青空が広がっていた。太陽の位置から、時刻は既に昼近いかもしれない。
ハミルと仲間たちとは無事に和解するのを見届けると、修一郎はそのままハミルたちから別れて、一人でラウール城下町に向かっていた。ハミルからは正式にメンバーに加わって欲しいと誘われたが丁重に断った。一人の方が向いているし、地位や名誉を求めるために、この地に流れて来たわけではない。巻き込むのも嫌だったからだ。
――それより、帰ったら家を探さなくてはな。
懐には今日までの報酬に加えお礼として20ゴールが入っている。これでしばらくは生活に困らないが、宿代も馬鹿にならないから、どこかで借家を探さなくてはならない。長屋のようなものがあればとぼんやり考えていると、突然右手の木がガサリと揺れ、尋常でない殺気が押し寄せてくる。
刹那、修一郎は滑るように間合いをとり、素早く身構えていた。
「誰だ」
木の裏に潜む影に注視していると、木の後ろからふらりと現れた者があった。衣服や肌はぼろぼろで傷だらけだったが、現れたのはあの無頼漢たちのリーダーだとわかった。
「なんだ、生きていたのか」
だが、修一郎は構えを解かず、じっと動きを見守っている。放たれる殺気は尋常なものではなかった。男の目には狂気の光が宿り、獣のように唸っている。口から垂れる涎も拭いもしない。狂っているのとは少し違う。何よりだらりと垂れた剣が不気味だった。
「……ミツ……ケタ」
「なに?」
「ミツ……ケタ……ゾ。カンバヤシ……ハン……ノ!」
「“不知火”の刺客か!」
男は吼えると剣を八双に立てて、疾走してきた。あっという間に眼前へと迫っていた。修一郎は上段から落ちてくる刃を剣ではねあげた。
男の攻撃も狂暴な一撃だったが、さらに強靭な修一郎の受けに男の両腕がのび上がっていた。それでも、男の足は地面にしっかりと踏みとどまっている。
男は再び踏み込んできて、剣を振るってきた。しかし、修一郎はそれよりも早く男に身を寄せるようにして姿勢を低くし、ためらいなく胴を薙いだ。重い感触が腕に伝わった。
男の脇をすり抜け、修一郎が構えたまま様子を窺うと、砂山が崩れるように男は倒れていった。
体から黒い瘴気が立ち上り、空に拡散していく。
――やはり、あの男の妖術か。
慎重に修一郎が傍に寄ると、男は既に絶命していた。
――“不知火”の仕業か。
修一郎は自身の言葉を思い出していた。
一昨年、神林藩ではある事件が起きた。藩主時頼が突如発狂し妻子、家臣らを次々とその手にかけ後、自害したのである。政務不行き届きとして神林藩は幕府によって取り潰しに合い、家中の藩士は離散することとなった。
だが、時頼の発狂死には不審があった。
妻子が薬も効かぬ流行り病に倒れ、妖術士“不知火”という男を呼んだことから始まっていた。
太和の国離れした眉目秀麗かつ怜悧な不知火が持つ魔力は凄まじく、治癒が進むにつれて温厚だった時頼の顔には暗く沈鬱なものとなり、眉の間には深い皺が刻まれるようになったのである。誰の目にも異変は明らかだったのである。
元家老兵藤勘兵衛が主の敵討ちと有志を募って調べるうちに、不知火が用いた妖術は人の魂を削り、その力を転用するものだと判明したのである。
しかし、その時には既に不知火は国外を離れていた。渡航するにも鎖国主義をとる幕府の目を掻い潜るには有志全員は厳しく、せいぜい一人しか送り込めない。
そこで白羽の矢がたったのが、身分は軽くも腕は神林藩一と目された夏目修一郎だった。
――奴はラウールのどこかにいる。
だが、不知火も修一郎の正確な位置までは掴めてはいないようだった。男から立ち上った瘴気は、修一郎も国元で見たことがある。
不知火の妖術のひとつで、虫のようなものが弱った人間に取りつき心を操る。修一郎が斬った男も、その弱った体と心を利用されたのだろう。虫は自動的に動き、一種の罠のようなもので、使用者が感知することはない。
――だが、奴もそのうちに俺に気がつくだろう。
有利なのは向こうになる。そうなる前に仕留めなくては。
修一郎は刀を納めると、足早にその場から離れた。