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異世界用心棒奇譚  作者: 下総 一二三
用心棒奇譚幕下ろし
32/34

求めたものはここに

 背中に鋭い痛みがはしり修一郎は振り向き様に刃を振るったが、白い霧に浮かぶ影を砕いただけでわずかな手応えしかない。


「ナツメ、上!」


 ラムネの声に反応して見上げると、黒のローブをはためかせながら、トーガが上空から迫っていた。空から飛来する怪鳥のようだった。わずかな光に反射して、トーガの手から閃光がはなたれるのを修一郎は見た。


「おのれ!」


 修一郎は閃光が頭上に到達する寸前に跳ねあげたが、その手には重い衝撃が残った。トーガの杖は仕込み刀になっていて、刀身はレイピアのように細かったが、トーガの剣技によっておそるべき切れ味を秘めていた。


「てやああっっ!」


 ラムネがトーガの側面を衝き、三合四合と刃を交えてトーガを後退させた。

 修一郎が見ても、ラムネの動きは腰の据わっていて見事な剣さばきだった。


「これで……!」

「ラムネ、誘いだ!退け!」

「……!」


 押されながらも、トーガに若干の余裕があるのを、修一郎は見逃してはいなかった。

 修一郎の声に反応するように、ラムネとトーガの動きは同時だった。ラムネが退くと、トーガの手から雷撃が放たれ、ラムネがいた場所を深々とえぐった。


「ハハッ、もう少しだったのにな!」


 濃い土煙が舞う中、トーガは哄笑しながら霧の中に消えると、再び無数の黒い影が修一郎たちを囲んだ。ラムネは苛立たしげに舌打ちした。


「出たり引っ込んだり……、亀みたい」

「だが、ラムネは奴に負けてはおらん。その調子だ」

「でも、あの影が面倒……」


 愚痴をいう間も与えられず、影の軍団が土煙を砕いて次々と修一郎に襲い掛かってくる。修一郎とラムネは嵐のように猛然と刃を振るって、影の軍団を砕いていく。

 影の手から生じている魔力は短剣のようなものを形成している。修一郎の衣服や肌は短剣によって切られ、ところどころに小さく血を滲ませていた。

 といっても、せいぜい薄皮を裂くかすり傷程度で、ひとつひとつにさほどの威力があるわけではない。修一郎の肉体を貫くだけの力はないようだった。


 ーー刺又と同じだな。


 捕物で使われる用具を連想していた。かすり傷であっても、攻撃を受け続ければ、その痛みや出血で戦意を次第に奪っていくだろうと修一郎は感じた。

 幻影魔法といっても、直接攻撃を仕掛けて来るだけに、影には実体があった。実体があるだけに手応えはあるのだが、所詮は魔力の塊。斬られても少しすれば元通りに戻ってしまう。影たちが仕掛ける間に、隙を見つけて剣を振るい、或いは魔法を放ってくるのがトーガの戦法だった。

 

「でも、どっちかというと剣で攻めてくるよね。魔導士のくせに」


 影が一旦退いたのを見計らって、ラムネも修一郎の背後まで寄っていった。精神的な疲労でもあるのか、幽体にも関わらずラムネは肩で息をはじめていた。


「不幸中の幸いというやつかもしれんな」

「なにが幸いなのよ」

「奴に魔力はさほどないのかもしれない」

「何言ってるの。相手は強大な魔力を持った魔導士なんでしょ」

「だからだ。奴はその強大な魔力で、“魔界の門”を開こうとしている」

「……」

「他にも幻影魔法に魔力を割いている。もしかしたら奴には浮かべている冷笑ほどは、内心、余裕がないかもしれん」


 修一郎の説明に、そうかもしれないとラムネは思うようになった。

 トーガの魔法も剣も油断できない威力がある。幻影たちを利用して、間髪与えず攻め立てる方がトーガにとっては得策なはずだが、こうして修一郎たちに考え話せる機会を与えてしまっている。

 トーガも“魔界の門”を開くにあたり、この事態を予想はしていたのだろうが、エルザ姫からの情報に頼りすぎたこと。尋常ならざる修一郎の腕前と、テルペットの周到な手配がトーガを上回って隙を突けたと言っていい。しばしばトーガに渋面をつくらせた、ラムネの存在も大きかった。


「ラムネ、次に奴が仕掛けてきたら時間を稼げるか」

「なにする気」

「奴は二人がかりになると逃げる。魔法使いが剣でくるなら、剣士のこちらは魔法だ。やつを穴蔵には戻さん」

「わかった」


 素早いやりとりの中でラムネは、気を引き締めるように息を鋭く吐いた。修一郎の魔法は、威力に申し分はないのだが発動までに時間が掛かる。


「早めに頼むよ」

「ああ。そこから一気に片をつける」


 ラムネが修一郎は印を結ぶとそういったものの、 “そこ”の機会はなかなかやってこなかった。修一郎の意図を見透かしたようにトーガは攻撃魔法を用い、その長身を現さない。フェニックスの炎を絡めとった修一郎でも、簡単にはできるわけではなく、精神の集中が必要となる。しかし、影たちの執拗な攻撃によって集中はかきみだされ、かわすだけしかできなかった。その間に影たちの攻撃によって切り傷は増え始め、次第に体力が奪われているのを感じていた。


「じれったい……!」


 雷撃の魔法が放たれた見据えていた修一郎は、刀の柄を握り直すと、刀を肩に乗せて霧に向かって疾走した。


「ナツメ!」


 ラムネの声にも構わず、修一郎は疾駆した。押し寄せる影に斬られ、蓄積した痛みが修一郎の視界を暗く押し包んだがそれでも駈けた。魔法攻撃はほとんどの同じ位置から放たれている。


「そこだああっっ!!」


 暗闇の中、踏み込み様に修一郎は勢い良く剣を振るった。しかし、修一郎の耳に届いたものは、刃が虚しく空を斬る音だけだった。

「……」


 外した。

 失望感が修一郎の体から力を奪い、急に重い疲労感がのし掛かってきた。目眩(めまい)がして体が揺らぎ、修一郎は膝をついて崩れ落ちた。


「惜しかったな。ナツメ・シュウイチロウ。こうして出てくるのを待っていた」


 修一郎の頭上に冷笑するトーガの声が響いた。


「噂通り、見事な腕前だ。俺の“白い霧”を前に、居場所まで見当をつけるとまでは予想もできなかった。避けられたのは幸いだった。肝を冷やしたぞ」

「……」

「だが、戦いは運も左右するものだ。貴様もそれを知っているだろう?」


 トーガは冷笑を引っ込めると、細身の剣を高々と掲げた。


「残るはあの小娘だけ。先に貴様を始末する」

「……」

「さらばだ」


 トーガの指先に力がこめられた時だった。

 白い霧に光が煌めいたかと思うと霧が割れ、白刃が閃光となってトーガに迫ってくる。咄嗟にトーガは剣を返そうとしたが、重い一撃に受け止めるしかできなかった。つばぜり合いとなる刃の先に歯を剥くラムネがいる。


「ナツメに手を出させないから!」

「小娘……、なぜここが」

「私はね、アンタは見えなくても、修一郎がどこにいるかはわかるのよ!」

「なんだと」


 ラムネは巧みに剣をいなしてつばぜり合いから脱すると、猛然と剣を振るってトーガを押した。魔法を唱える隙も与えない。影を呼ぶ暇もなかった。


 ーー攻め続けろ。


 ラムネは叱咤する自分の声を聞きながら、トーガに突進した。ラムネからすれば毛ほどの隙間でしかなかったが、そこに強引にねじ込んで切り開くしかない。


「だあああっ!」

「しつこいぞ、小娘!」


 ラムネには優れた剣の才能があったが、トーガの剣才もまた尋常ではない。踏みとどまり上段からの剣をかわすと、そこから反撃に転じてみせーーようとした。既に眼前からラムネは遠く退いてしまっている。


「なんだ……?」


 ラムネの不可解な行動にトーガは唖然としていたが、突如、視界の端にカッと激光が広がるのが見えた。目を向けると修一郎の手の内から、巨大な炎の塊が解き放たれていたのだった。


「よくやった、ラムネ!」

「……時間稼ぎか」


 小癪(こしゃく)な。

 地面を(えぐ)りながら迫る火球を前に、トーガは内心、せせら笑っていた。

 超高位の魔導士相手に魔法で片をつけるつもりか。修一郎の攻撃魔法には充分な威力を感じてはいたが、超高位の魔導士が自然発生させるバリアなら、耐えられない威力ではない。

 紅蓮の炎がトーガを呑み込み、熱波が体を包んだが熱は肌まで届かなかった。薄皮のような淡い光が、トーガを包み炎を滑らしていく。衝撃は伝わるので、無傷というわけにはいかなかったが、本来受けるダメージに比べれば、無いに等しい。


「どうだ、ナツメ・シュウイチロウ……!」


 炎が消失し、塵と煙が漂う中、トーガは哄笑した。


「中途半端な魔法など、私には通用せんぞ!」

「それは、わかっている」


 背後からささやくような声がし、トーガの全身に悪寒がはしった。


 ーーナツメ・シュウイチロウ……。


 トーガは剣で凌ごうと

身を翻したが、そこまでだった。全身血だらけの修一郎が刀を高々と上段に掲げている。異様な迫力があり修一郎に圧倒され、トーガは呆然と剣が振り下ろされるのを見ているしかなかった。それでも剣を振るう仕草を見せたのは、剣の使い手としての本能かもしれない。

 すれ違う2人の間に、ラムネはきらりと光が生じたのを目にした。2人は剣を手にしたまま、ずっと同じ姿勢のままでいた。長い沈黙の後、トーガの体が揺れたかと思うと、手にした剣が落ち、やがて重い音を立てて倒れていった。

 トーガが倒れると、無数の影が消え、白い霧も霧散していき、青い空が広がる屋敷の光景へと戻っていった。


「ナツメ、やったね!」

「ああ……」

「ひどい傷。早く手当てしないと」

「見た目ほどは傷は浅い。ただ、いささか疲れた……」


 そこまで言うと、耐えかねたように修一郎は膝をついた。傷は浅いといっても毒や破傷風の問題もある。。軽く見ているわけではないが、それよりも重い疲労感や、激闘後の虚脱感が修一郎の行動を鈍くしている。


「それよりも、トーガは死んでいるのか」

「うん。息してないし、生命力も感じないよ」

「そうか」


 以前、不知火に肉体を操られた李華麗に異変を感じたように、ラムネには幽霊独特の勘というものがあるのか、命の有無がわかるようだった。修一郎は膝をついたままにじりよるようにして、トーガの死骸に近づいていった。


「シラヌイじゃ、なかったね」

「しかし、ラウールは助かった。長州との交渉もこれがきっかけになる。かまわんさ」

「……ナツメ、やっぱり太和(たいわ)に帰るの?」


 長州と聞いて思い出したらしく、ラムネが話を変えてきた。


「そうだな。自分の国の危機だからな」

「……」

「ま、すべてはハミルたちが帰ってからになるがな」


 修一郎が立ち上がると、急に屋敷の入口辺りが騒がしくなった。見ると、井上と伊藤の後に続いて、猟師や農夫といった格好の男たちが入ってくる。潜伏していた剣士たちだろうと修一郎は思った。異変を感じて、井上たちが呼んだにちがいなかった。

 男たちの中にテルペットやエルフィンド公の姿もあり、2人とも興奮した様子で、同じように鼻をふくらませていたのがおかしく思えた。


「ラムネには世話になったなあ」


 修一郎はテルペットたちに手を振り返しながら言ったが、ラムネは返答につまってしまい、ただうなだれるだけだった。


  ※  ※  ※


 トーガの屋敷を後にして、修一郎は井上らとともに馬車に揺られていた。その後の手当てで傷は治ったのだが化膿を防ぐために体中に包帯が巻かれてミイラのようだった。重い疲労感が体に堪えて修一郎は狭い馬車ではぐったりとしている。


「しかし、やはりというか、不知火ではなかったなあ」

「雰囲気は似ているから、奴と思っても仕方ないが残念だ」


 修一郎とは対照的に、井上と伊藤は陽気に騒いでいる。2人も不知火の顔をしっているから、トーガの死骸を検分させている。


「いったい奴はどこに消えたのか……」

「伊藤よ、もういいではないか。この件でラウールとの交渉がうまくいったのだ。長州が倒幕を果たせば、殿の無念も晴れるというものだ」

「確かにな。なあ、修一郎」

「……そうだな」


 修一郎は答えるのも億劫でおざなりに返事をした。

 考えることは山ほどある。だが、今は帰って一眠りしたい気分だった。ぼんやりと外を眺めていると、ある集落に差し掛かった。広場の一角に人だかりができている。輿こしのようなものにだれか横たわっているようだった。

 あれとラムネの声がした。


「あそこにキトルいるよ」


 見覚えのある村の景色だとぼんやりしているだけだったが、ラムネの言葉にそこがペルハ村だと思い出し、修一郎は馭者に急いで止めるよう言った。


「どうした、夏目」

「済まんが、知り合いがこの村におる。ちと挨拶がしたい」

「その体で、大丈夫か」

「問題ない」


 修一郎は馬車を降りると、人だかりに向かって歩いていった。広場に近づくとちょうど人だかりが散っていったところで、突然現れた修一郎たちにキトルは目を丸くしていた。特に、包帯だらけの修一郎をしげしげと見つめている。


「ナツメにラムネのお姉ちゃん、どうしてここに?包帯なんて巻いてさ。なんかあったの」

「ちと野暮用があってな。近くを通りかかったから挨拶しにきたのだ。お前こそ、どうしたんだ」

「アイツ、今朝死んじゃってさ。葬式やったんだ」

「アイツ?」

「俺が面倒みてた奴さ。ちょうど村の皆からお見送りの儀式が終わったとこだよ。良かったら顔みてやってよ。俺、コイツの体を洗うのに必要な塩水が足りなくなったから、用意しにいかなきゃいけねえんだ」


 記憶によれば、キトルは病身の父親を世話していたはずである。

 疲れてはいたが悲しんではいないように見えた。奇妙な言い方に違和感があったが、キトルがどこかに去るとたむけにと男のところへと足を向けた。修一郎の前で老婆が遺体のそばで熱心に祈りを捧げていて、ようやくそれが終わったところだった。

 修一郎が前に出るとひとりの白髪の男が薄汚い毛布にくるまれ横たわっている。元は白だったのだろうが、ところどころ茶色に変色している。


「……嘘だろ」


 白髪の男はミイラのように頬がこけていたが、その顔を目にして修一郎は自分の目を疑った。

 信じられない。

 まさか、こんなところに。


「……不知火」


 え?とラムネは途方に暮れたような顔をしてうろたえた。


「この人が?確かに白い髪してるけど、トーガより全然弱そう」

「痩せてはいるが間違いない。こいつが不知火だ」

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