決闘
「緊張しているのか」
馬車から難しい表情で過ぎる景色を見つめる夏目修一郎に、向かいに座る井上が心配そうに声を掛けてきた。馬車は木立を抜け、小さな集落に差し掛かろうとしていた。ラウール近郊には人を襲う魔物といっても弱小なスライム程度で、穏やか田園風景が続いている。絨毯が敷かれたように、窓の外ではじゃがいも畑の葉がゆるやかな風でも賑やかにざわめいていた。
修一郎がトーガ征伐に向かったのは、依頼を受けてから10日後だった。テルペットから依頼を受けた翌日に、井上と伊藤を交えて改めて打ち合わせをし、トーガの動向を見極めてから、テルペットからの報せで修一郎が動く手筈となっていた。
その報せが届いたのは昨日の夜で、エルザ姫が屋敷から帰って一人きりだという。
修一郎は数刻後に井上伊藤の両名と南門で合流すると、テルペット内務大臣に手配された馬車に乗って、一路、魔術師トーガがいる屋敷へと向かっていたのだった。ベルベット領はラウール城から半日程度で、さほどの距離はない。
「少しな」
修一郎が正直に言うと、井上が大きくうなずいた。
「無理もない。相手は不知火だからな。緊張しないという方がおかしい」
「いよいよ、殿の敵討ちか……」
「2人とも、そう興奮するな」
修一郎が伊藤と井上をたしなめるように言った。
「トーガという男が不知火という話は、あくまでテルペット殿の推測だ。話を聞いた限りでは不知火に似てはいる。しかし、人違いの可能性も充分にあるんだ」
「なあに、テルペット殿の言うことだ。まず間違いあるまいて」
根が能天気な井上の発言は、修一郎には人違いでも構うものかと言っているように聞こえた。
そんな井上の隣では、伊藤も外を眺めながら唇を噛み、何度も拳で自分の膝を叩いていた。いささか興奮気味ではあったが、ふと思い出したように伊藤は修一郎に顔を向けた。
「しかし、加勢も無しで、一人で大丈夫なのか」
「かまわん。テルペット殿との打ち合わせ通りだ」
「お主の指揮下で動く、か」
「そうだ。2人には俺の指揮下で動いて、ラウール軍との伝令役をやってもらう」
「……」
「もちろん負けるつもりはないが、万が一の時は後詰めの剣士たちに頼め」
「だが、夏目だけに任せてしまうのはなあ……」
魔術士トーガの屋敷周辺は閑静な森だが、近くに小さな集落も点在する。しかし、大袈裟に軍を動かしてはトーガを愛するエルザ姫の耳にまで届き、上から下への騒ぎとなってしまう。そのため、ラウール城の精鋭の剣士たちが商人や狩人、旅の詩人や絵描き等変装し、後詰めとして配置場所に潜んでいるはずだった。
そんな時に自分たちは見守るだけ。
体に残る武士の一分がそうさせるのか、急に沈みがちになる井上と伊藤に修一郎はなにと軽く手を振ってみせた。
「本来、殿の敵討ちを命じられたのは俺だ」
「だが……」
「まあ、正直言うとだな」
言い掛ける井上を制して、修一郎が口の端を歪めた。
「お主らの腕では、アテにならんのでな」
井上と伊藤は修一郎が通っていた一刀流の道場とは別で、鑑極流を習っていたのだが、結局のところどちらも大してモノにならなかった。剣はさほどだが算術と目端が利くというのが当時からの評判だった。
「これでも武士の端くれ。せっかく助太刀しようと言っておるのに」
「まあ、怒るな。言い過ぎたことは謝る。だが、貴様らは敵討ちに来たわけではなかろう。長州藩の命でここにいるはずだ」
「……」
「ラウールとの折衝に来たのだ。ここで倒れられては、俺が長州藩に申し訳が立たん」
「そりゃまあ、そうかもしれんがな……」
井上と伊藤は憮然としながらも、納得はしたらしく一度は真っ赤になった顔面も平静に戻っていった。
「ところで、ベルベット領まではあとどれくらいかな」
修一郎が馭者に声を掛けると、はっと頭を下げた。
身なりは若い馭者ではあるが動作に無駄がなく、相当な腕前だと修一郎は思った。警護役か監視役かわからなかったが、こんなところにもただの馭者を使わないあたり、テルペットの抜け目のなさやラウールにとって重大な事案なのだろうと思った。
「現在はペルハ村ですから、およそ1時間もすればベルベット領に入ります」
「ペルハ村か……」
ペルハ村と聞いて、修一郎の脳裏にキトル少年の顔が浮かんだ。修一郎はあの事件以降、キトルとは顔を合わせるいなかった。足を少し引きずっていたからどうなったのかと思った時、修一郎は激しく首を振った。斬り合いに向かう前に感傷に浸っている場合ではない。
「どうかしたか」
「なんでもない」
訝しむ伊藤に微笑みで返したが、感傷は全てを振るい払えたわけではなく、目の端でキトルの家はどこかと探していた。
だが、どれも似たような茅葺きの家屋ばかりで、どれがキトルの家か判然としなかった。
※ ※ ※
馬車はベルベット領の村に入ると、ある屋敷に向かった。レンガ造りで他の粗末な農家と比べて造りが立派で敷地も広い。村を束ねる村長の屋敷である。ここでラウール側の責任者と最終的な打ち合わせをする手はずとなっているのだが、訪いを告げてから屋敷の奥から現れた人物に修一郎たちは驚愕させられた。
「テルペット殿自ら、ここに……?」
「ワシもおる」
テルペットの後に続いて、近衛団長を務めるエルフィンド公だった。2人とも庶民の平服に着替えていて、村に遊びに来た商家の隠居に見えなくもない。
「しばらくだ。ナツメ殿」
「エルフィンド公も、わざわざどうして」
「王直々の命令だ」
「……」
「この機を逃すなと」
目を丸くする修一郎に、エルフィンド公は厳しい表情を保ったままだった。
「相手が相手だけにな。王や我らは貴公らが考えるより、この事態を重く見ているのだ」
「月帝エルザルドよりもですか?」
いくら秘密裏にしているとはいえ、国家の中枢にいる人物が辺鄙な村まで赴くことに、いささか大袈裟すぎる気がした。もうひとつの重大事件が不意に思い浮かんで修一郎がテルペットに訊ねると、テルペットは顔をしかめて、ギルドには口外無用と言ったはずなのにと舌打ちした。
「エルザルドの件も重要だが、奴は国外にいてまだ眠りの段階にある。だがトーガは、喉元に刃に突きつけられたに等しい」
「なるほど。……で、そのトーガは今、確かに一人ですか」
「一人だ」
エルフィンド公がきっぱりと言った。
「いつもは住み込みの老婆が一人、トーガを世話している。しかし、今朝から村長から用事を作らせて作業を手伝わせている。りんご酒の製造でな。ワシらが手配した。トーガもりんご酒に目がない。喜んで行かせたそうだ」
「……」
「今回の件、村長以外は他の村の連中も知らん。こことはかなり離れた広場で、陽気にりんご酒造りに励んでいる。今、トーガの近くには我らの他には誰もおらん」
「なるほど、今が好機ですな」
「もう行くかね」
「無論。屋敷までの案内を頼みます」
テルペットが案内役が呼びつけると、修一郎は目釘を素早くあらため、井上と伊藤らとともに屋敷の外へ向かった。林の中に筋が入ったような道をしばらく歩いていたが、道が拓けて小さな川を挟んだ先には、木々に囲まれた荘厳で、石造りをした二階建ての屋敷が見えてくると、あれですと案内役が顎で示した。立派な鉄製の正門が開かれたままになっている。
「あれが魔術師トーガの屋敷です。奴の部屋は二階の右奥。いつもは橋や門に不審者を探知する仕掛けがありますが、使用人の外出にあわせてトーガが解除しております」
「なるほど。しかし、この国を狙う魔術師も、たかが使用人に随分気を遣うな」
「洗濯に食事の支度。家の掃除まで、さすがに手が回らんのでしょう」
「たしかに」
ふと、家事に追われる不知火が修一郎の脳裏に浮かび、小さく笑うと案内役も同じことを考えたのだろう。釣られたようにクスリと顔がゆるんだ。しかし、それも一瞬のことで、すぐに真顔に戻った。
「万が一失敗したら、この2人をそちらに向かわせる。そしたら、後を頼みます」
「わかりました。ご武運をお祈りいたします」
厳しい表情のまま、案内役は一礼すると、速い足取りで去っていった。案内役の姿が見えなくなると、修一郎は伊藤から竹筒の水をもらい、刀の柄に霧を吹きかけた。
「さて、いってくる」
「修一郎、俺のを持っていけ」
伊藤が修一郎を呼び止めると、自身の腰の刀を鞘ごと抜いて修一郎に差し出した。
「清麿だ。俺には勿体ないくらいの剣だ」
「良いのか、こんなもの」
「長脇差は最近の流行りだ。しっかりした武器は多いに越したことはない」
「……わかった。借りておく」
「構わん。それより死ぬなよ」
「ああ、もちろんだ」
修一郎は清麿を腰に差し直し左手で鯉口をゆるめた。いつでも抜けるように刀に手を添えたまま、あとはトーガの屋敷を見据えながら、開かれたままの門へと向かって歩き出した。周囲を探っても、人や魔力の気配はない。やがて正門に差し掛かると、素早く柱に身を寄せて敷地内を探った。綺麗に刈られた芝生にレンガ製の道があり、屋敷はその奥にある。中央には小さな噴水があった。
「誰もいないみたいね」
ここまで沈黙していたラムネが、堪えかねたように言った。
「だが、他に仕掛けがあるかもしれん。油断するなよ」
「やっぱり、あの2人も連れてこれば良かったかもね」
「戦いでは頼りにならん。助太刀なら、お前の方がずっと頼りになる」
「ま、私の方が頼りになるなら、仕方ないか」
ラムネにとっては泣きたいくらいに嬉しい言葉ではあったが、喜んでいる暇はない。軽口で済ますと、気持ちを引き締めて周囲を探った。
「お庭には誰もいないよ。行こう」
「よし」
修一郎が門柱から駆け出した時だった。突如、鉄製の門が勢いよく閉ざされ、二階の右手の窓から妖しい紅い光が発せられた。
“そこにいるのは、誰だ!”
高い声が雷鳴のように響き、二階の窓が開かれると、白髪で長身の男の姿があった。黒いローブをまとい、白い髪を腰まで垂らしたその男の手には一本の杖がある。歳は30といったところで、秀麗な顔立ちをしていた。
「あいつは……」
「あいつが不知火?」
「……いや、ちがう」
「え?」
「違う。あの男は不知火じゃないな。雰囲気は似てはいるが、全くの別人だ」
「そんな……。じゃあ、どうするの」
「これも端から想定済みだ。約束は約束。気持ちを切り替えるだけだ」
修一郎は長身の男を睨み上げたまま、素早く剣を抜いた。井上たちにも話したように、当初から想定していたことである。多少の失望はあっても、人違いだからとそれで闘志が衰えることはなかった。
既に気持ちはラウール国と長州藩に依頼された、“冒険者”夏目修一郎となっている。
「魔術師トーガ。貴様の命、貰い受ける」
「何を小癪な。娘づれの男に、この俺が倒せると思っているのか」
「あの人、私が見えている……?」
「ラムネ、この剣を使え」
修一郎はラムネに伊藤の清麿を渡した。ラムネをこの戦いに参加させるつもりはなかったのだが、ラムネの姿が見えるとわかって考えを変えた。
「気をつけろ」
「うん」
修一郎のささやきに、ラムネは緊張した面持ちで清麿を抜いた。
幽体が見える者とは精神的に波長が合い、魔法が効く場合がある。そんな話を以前、不死鳥フェニックスから聞いたことがある。精神がむき出しの状態のため、強い魔法を喰らえばひとたまりも無いという。
常に修一郎から離れないラムネを護るには、それより先に相手を倒すしかない。ラムネにもそれがわかっているから、目を剥いてトーガを見据えている。 トーガと修一郎は声を張った。
「貴様に“魔界の門”など開かせはせんよ」
「……そこまでわかっているのか。貴様、王かテルペットの刺客だな?」
「これ以上は無用」
「名前くらいは名乗れ」
「ナツメだ。夏目修一郎」
「ナツメ……。あのナツメ・シュウイチロウか」
名を聞いてトーガは一瞬、驚愕したような声を上げたがすぐにまた冷笑へと表情は戻っていった。
「世間は知らんだろうが、俺は貴様を知っているぞ。アゲハ族の化物に、フェニックスやボスゴブリンを倒した男だろう」
「……」
「面白い。やり方は卑怯だが相手にとって不足はない。そこの娘も見かけに比べて腕は立つようだな。存分に来い」 ラムネの構えから腕前を見抜いたトーガには、剣の心得もあるようだった。
冷笑がトーガから消え、把持する杖の頭部からぼっと白い炎が燃え上がったかと思うと、炎は周囲に散り、白い霧となって澄んだ空や屋敷を隠していき、やがて修一郎たちを覆っていった。
霧の向こう側でトーガの影が揺らいだかと思うと、ひとつふたつ、更にみっつよっつと増殖し、ついには影の数は数十となって、白い空を隠すほどとなっていった。
トーガの哄笑が空に響いた。
「これが我が幻影結界陣。貴様らはどこまで耐えられることができるかな?」




