いつかの少年
ギルドを出てからうつむき加減にゆっくり歩く修一郎の前を、ラムネがふわふわと浮遊している。2人がいる場所はまだ裏の路地で、通りにある桶職人の家から、木槌を打つ音が小気味良いリズムで複数聞こえてくる。それ以外、辺りはひっそりとしていて、修一郎たちの他に人の通りはない。
太和を襲う国難に始まり、テルペット大臣の依頼。魔術師トーガと不知火。そして突然の縁談。
思わぬ話が次々と舞い込んで、目が眩むような思いがする。中でも、サクヤとの縁談は仇である不知火の話よりも衝撃だったと言っていい。
どちらかと言えば、サクヤは十人並みといった容姿ではあったが、朗らかで優しさがあり仕事を見ても常に誠意を感じる。感情的になるのはラムネを相手にした時くらいで、普段の優しい性格はそれ以上に美しくさせていた。普段、意識をしたことはないのだが、妻としてどうかと考えると心に温かなものを感じるのだった。
「……でさ、サクヤと結婚するの」
前を飛行するラムネの背中から、突然、素っ気ない声が飛んできた。考えを言い当てられ、修一郎はびっくりして前につんのめりそうになった。
「な、なぜサクヤとわかる」
「なんとなくわかるわよ。あの話が今日一番、動揺してたんだもの」
「……」
「まあ、相手としては悪くないんじゃない。気は優しい方だし」
「ラムネがサクヤを褒めるとは意外だな」
「だって、私は幽霊だもん。死んでいるのよ。生きている人たちのこれからまで、どうこう言える立場じゃないもの」
「……」
「さっきさ、私がハミルたちのところ行く話でたじゃない」
「悪かったな。一方的に話を進めて」
ラムネは止まって振り向いくと、いいのよと首を振った。
「私、ハミルのところに行こうと思う」
「本当か。急にどうした」
「結婚話が持ち上がっている人に、いつまでも死んでいる奴が取り憑いているわけにはいかないでしょ。いやよ、イチャイチャしている2人を見せられるの」
死んでいる。
口にしてみて、ラムネは自分の心にうずきを感じた。奇妙なもので、肉体はとっくに失われているのに疼きは胸から伝わってくる。喚き散らしたい衝動にラムネは駈られてはいたが、自分は死んだ存在と言い聞かせると、次第に衝動はおさまっていった。
ーー当たり前じゃないか。
お前は死んだ人間なんだから。
再びラムネに告げる自身の声は、どこか寂し気に聞こえた。
恋だとか結婚などもはや叶うものではない。つまらない希望やサクヤへの嫉妬など懐いても仕方がない。それより他にもっとあるはずだ。
「私もまだ見てみたい世界があるからね。縁談まで持ち込まれたナツメに、いつまでも取り憑いているわけにもいられないよ」
「今日は立て続けに起きて、考えることが多いな」
「それは、目の前の相手を倒してからでしょ」
微笑が消え厳しい表情となるラムネに、修一郎の浮かれ気味だった気分もどこかに消え去っていった。強い緊張感が心と体を引き締めていった。
「まずは魔術師トーガに勝たなきゃ。私やナツメのこれからも、すべてはそこからなんだから」
「そうだな。頑張るよ」
「生きるか死ぬかに、頑張るじゃないでしょ」
「……」
「任せろくらい言いなさい」
「そうだったな。……任せろ」
「それでよろしい」
ラムネが胸を反らして威張って言うと、互いにくすりと笑って再び歩き出した。路地を抜け、大通りにでると人の往来によるざわめきが修一郎を包んだ。気が昂っているせいか、いつもとは違った景色のように映る。
ーーケリをつけるぞ、不知火。
昂る気を闘いに向け、研ぎ澄ますようにひとつ深く息を吐き、歩き出そうとした時だった。ひときわ大きな声が町の通りに響き渡った。それは悲鳴のようだった。
「なんの騒ぎだ」
「ナツメ、あそこ!」
ラムネが指差した方向に人垣ができている。巨漢がいるらしく、毛髪が一本もないハゲ頭が人垣からにょっきり突きだしている。悲鳴はそこからしたようだった。
「あそこにいるの、靴磨きの男の子!男たちに殴られてる!」
言うなり、ラムネは颯と飛んでいった。近づいてみると、果たして男3人に靴磨きの少年が打擲されている。執拗で不敵な笑みさえこぼしている。何が原因はわからなかったが、たとえ非が少年にあったとしても男たちは悪だとラムネは断じた。
「やめなさい!」
ラムネは人垣の間をすり抜けながら、野次馬の剣士から鞘ごと抜き取り、そのままハゲ頭に向かって剣を振り上げた。
「やあっ!」
気合いとともに鞘ぐるみの剣を振り下ろすと、ボウンと後頭部から異様な音が鳴った。修一郎レベルではないにしても、鍛えた腕だけある。ハゲ頭は呆然とした顔つきだったが、白眼を向くとそのまま前のめりになって地面に倒れた。
「な、なんだ!?」
「残りぃ!」
ラムネの姿が見えない男たちには、鞘ぐるみの剣が自分に躍りかかってくるようにしか見えなかった。ラムネは前に突進すると、残る2人の胴を無いで、あっという間に倒してしまっていた。
「君、大丈夫?」
ラムネは剣を剣士に放り投げて返すと、少年のところへ飛んでいった。剣士と周りの野次馬はキョトンとしたまま、勝手に動いた剣に目を落としている。
周囲の目は剣と剣士に注がれ、誰もが少年のことなど忘れているようだった。
「ひどい怪我ね」
少年の右の頬が腫れ、鼻からは大量の血が流れている。衣服から覗く手足は擦り傷だらけだった。
「何があったの」
「いつも通り靴磨きやったら、金払わねえなんて言い出して食い下がったら、俺を張り倒してきたんだ。悔しいから噛みついたら……」
「もう大丈夫だから、その傷を治してあげるからね」
といってもラムネは魔法が使えない。生前の頃は中位魔法くらい使えたのだが、幽体となってからは何の反応もなくなってしまっている。
ラムネが修一郎を呼ぼうとすると、再び群衆から悲鳴とどよめきが生じた。
「てめえ、よくも!」
「ヒーロー気取りとはいい度胸だな!」
「お、俺はなにもしてない……!」
見ると、剣を借りた若い剣士が、倒したはずの男たちに絡まれている。倒したと思っていたが、すぐに意識を回復させてしまったらしい。ハゲ頭も顔をしかめながらゆっくりと立ち上がっている。
「この野郎、覚悟は良いか」
ハゲ頭は剣士の胸ぐらをつかむと、軽々と剣士を持ち上げてみせた。剣士は涙を両目に溜めたまま、しきりに首を振っている。帯剣し旅装姿から冒険者として来たはずだが意気地がよほど無いのだろう。剣士はろくな抵抗もせずに泣いているだけだった。
「おい、よさんか」
修一郎が2人の間に割って入り、修一郎は右手で剣士の胸ぐらをつかむハゲ頭の左手を握った。そこからぐっと軽く捩ると、ぎゃっとハゲ頭はみっともない叫び声をあげた。
「な、なにしやがる!」
「狼藉者をそのままにしてはおけんのでな。役人が来るまで大人しくしてもらおう」
「この野郎!」
ハゲ頭は残る右手を振り上げると、修一郎に殴りかかってきた。しかし、修一郎には余裕がある。左で軽く流すと、そのまま手首をつかんでから足下を崩した。ハゲ頭は前につんのめりそうになり、ようやく堪えたがそれも修一郎の狙いでしかない。修一郎は腰を沈めて体を返すと、そのまま背負い投げを放ってみせた。
「あれ」
ハゲ頭が間の抜けた声を発した。おそらく、自身の目に何が起きたのかわからなかっただろう。修一郎の投げは強烈で、ハゲ頭に状況を把握させる間も与えなかった。
「……!!」
ハゲ頭は受身もとれず、豪快に背中から叩きつけられると、息を詰まらせて声を出すことも出来ずに地面でのたうちまわっている。
修一郎はハゲ頭が立ち上がれないと見て取ると、ハゲ頭の腰から剣を鞘ごと抜いて、近くにいた1人の鳩尾を石突きで抉り、もう1人の脛を打ち付けた。
まるで嵐が吹いたようで、居合わせた者たちのほとんどが、修一郎の動きを捉えることができなかった。
「剣を返すぞ」
修一郎は脛を抱えて呻いている男に、剣を投げた。
「冒険者の中には、貴様らのような悪人を許さん者もいる。俺と違って正義感の強い者なら容赦なく斬ることもある。このまま役人の縄にかかるか、あの子への迷惑料払ってこのまま町を去るか」
「……」
「どうするつもりだ」
修一郎が目を細めると、男は隙間から覗く眼光に気圧されようだった。青ざめた顔でハゲ頭や仲間の懐から袋を抜き出し、修一郎に向かって放り投げると、仲間を起こしてから、互いに担くようにして逃げ去っていった。
直後に通りの反対方向からどっとざわめきが起き、見ると十数名のラウール兵士がどやどやと人垣を割ってようやく到着したところだった。
「貴様ら、なんの騒ぎだ!」
「そこの靴磨きをしていた少年が、悪いやつに絡まれてな……」
修一郎が隊長らしき赤ら顔の男に、簡単な事情を説明した。その後で若い剣士を始めると、周りの野次馬からも同じ証言をし出したので、兵士たちは修一郎を放免してハゲ頭を追って現場から去っていった。
「ま、迷惑料としてはこんなとこかな」
修一郎が男たちの残した袋の中身をあらためて、鼻を鳴らした。
金額にしてみれば2シルバくらいにはなる。靴磨きの小道具も幾つか壊されている。傷はある程度治せても物までは治せないし、体力まで回復させるわけではないから休養も必要なはずだった。
見逃したといってもハゲ頭たちには、逃げる時間まで保証したわけではない。捕まろうと知ったことではなかった。だが、役人が少年の面倒まで見るわけがなく、靴磨きの少年が殴られ損になるに決まっていた。
だから、男たちが捕まる前に金を出させたにすぎない。
「大丈夫か。時間は掛かるが、治してやるからな。名はなんという」
「……キトル」
「キトル。力を抜いて横になって休め」
「……うん」
修一郎はキトル少年の前で方膝をつくと、腫れ上がった顔に手をかざした。口の中で詠唱をはじめると、手のひらからあたたかな光が生じ、醜い怪我をみるみるうちに癒していく。
「ラムネ、動きは良かったが残心が足りんな。あと、不用意に他人を巻き込まないことだな」
「……ごめん」
「まあ、謝るほどでもない。注意するだけのことだ」
修一郎がラムネに訓戒めいたもの述べている間に、治癒魔法はキトルの傷を治していった。腫れがひき、流れた血も止まって乾燥している。
「これでどうかな」
「……うん。痛いとこあるけど、苦しくないから大丈夫と思う」
「そうか」
「おじさんとお姉ちゃん、すごく強いんだね。冒険者の喧嘩は何度か見たことあるけど、泥試合ばかりで演劇みたいスカッとしたの見たことねえや。お姉ちゃんの動き、誰も見えてないようだったもん」
「私、幽霊だから、それがうまくいったのかもね」
「え?」
「言ってなかったか。私、幽霊。死んでいるの。たまに君みたく見える人いるけど」
「……」
はにかむラムネに、キトルは呆気にとられいたが、隣にいる修一郎から声を掛けられてると、弾かれるように我に返った。
「スカッともいいが、お前もあの剣士みたいに、巻き込まれないようにすることだな」
「うん、そうするよ」
キトルはへへっと白い歯をのぞかせた。傷が治るにつれ、キトルも元気を取り戻しつつあるらしい。若い剣士や野次馬もいつの間にか消え、何事も無かったように、いつもの賑やかな通りに戻っている。
「それと、奴らからの迷惑料だ」
傷を治し終わると、修一郎は男たちから受け取った小銭入りの袋をキトルに渡した。
「大した金額ではないが、殴られて商売を邪魔された分としてはこんなとこだろう」
「……」
「傷は治せても体力は戻ってはおらんからな。今日は帰って体を休ませろ」
「前もけっこうな金を貰ったのに、なんかわりいな」
「前回は人助けをし、今回は不当な打擲を受けたからだ」
そこまで言うと、修一郎の中でムクリと起き上がってくるものがあった。例の説教癖である。
「だが良いか。これで金を得たことで勘違いし、人を挑発するようなことをすればそうはいかんぞ。俺は……」
「わ、わかったよ。絶対にそんなことしないからさ」
話が長くなると覚ったのか、キトルは大慌てに手を振って、修一郎の話を遮った。
「今日は大人しく帰るよ」
「そうか。家まで送るぞ」「村はそれほど遠くないし、足も問題なさそうだから大丈夫だよ」
大丈夫という言葉を証明するように、キトルは靴磨きの道具や藁を素早く片付け、ひとまとめにしたリュックを背負ってみせた。
「じゃあ、おじさん……じゃなくて、ええと……」
「ナツメだ。ナツメ・シュウイチロウ」
「私の名前はラムネ・マクベス」
「じゃあ、ナツメ、ラムネお姉ちゃん、さよなら!」
キトルは手を振って大通りを西門に向かって歩き出した。荷の方がキトルよりも大きく、体をすっかり隠してしまっている。わずかにびっこを引くものの、歩行に支障はないようだった。
「……俺が呼び捨てで、ラムネ“お姉ちゃん”か」
「何よ、そんなこと気にしてるの?ナツメ先生は意外と人物がちっちゃいのね」
「小さいとは言い過ぎだろう」
「なら、こだわりなさんな」
「む……」
修一郎としては返す言葉もない。
先生、先生と周りから呼ばれていたから、少しいい気になっていたかもしれない。「先生と呼ばれるほどバカでなし」という唄もある。これは自省しなければならぬなどと、修一郎はどうでも良いことまで反省しだしている。
「おや、先生」
「先生はよせ」
条件反射的に反応して、キッと睨み返すと痩せた中年男が立っている。
“不知火”探しを頼んでいる情報屋のクラムだった。 キョトンと修一郎を眺めている。
「どうしたんです?先生」
「うん、まあ、ちょっとあってな」
クラムも子どもを修一郎のところに通わせるようになってから、呼び方も「先生」になっている。ラムネとのやりとりの後だから、どうもむずかゆい。案の定、ラムネは傍でクスクス笑っていた。
「ところで、喧嘩があったみたいですね。ハゲ頭たち3人が兵士たちに連れてかれてましたよ」
「喧嘩じゃないな。子どもが一方的に殴られたのだ」
藁を担いだ少年だと、修一郎がクラムを促した。キトルの姿は人混みに紛れ、小さくもなっていたが、それでも十分視認できた。
「キトルという少年だが、あの男たち絡まれてな。傷は治したが、ひどい有り様だった」
「あいつ、ペルハ村の子ですよ」
クラムは目を凝らしたまま言った。大きなリュックが邪魔しているはずだが、わずかに覗く顔でわかったらしい。
「ペルハ村?」
「ほら、以前に報告したでしょ。病人世話しているガキて。あいつですよ」
「あの子がか……」
「ペルハ村に行ってないんですか?」
「話を聞く限り、労亥だとな。迂闊には近づけん。それに探している奴が、あんな子と暮らしているのも考えにくいのだ」
「そうですか。しっかりとした感じでしたからね」
クラムも病気を恐れて、直に確認したわけではない。修一郎の言い分も理解し、それ以上は何も言わなかった。遠ざかるキトルの後ろ姿を、3人は並んで眺めていた。




