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異世界用心棒奇譚  作者: 下総 一二三
用心棒奇譚幕下ろし
27/34

少年

“アネッサの酒場”を出てから井上と伊藤と別れると、修一郎は幾分うつむき加減で大通りを歩いている。

 足どりは心なしか重く、表情も物憂(ものう)げなのは、体に残る酔いのせいだけではなかった。


 ――1年半か。


 思い返せば、もうそれだけの月日が経ったのかと、改めて驚かされる思いがある。先日、ギルド支局の代理だったサクヤも来年は学校を卒業するのだと、カムカが嬉しそうに顔をほころばせていたのを修一郎は思い出している。

“不知火”という藩の仇を追ってラウールまで流れ、これまで“冒険者”として日々暮らしてきたが、どうだったかと尋ねられれば充実した日々だったという答えが、修一郎の中に浮かんでくる。

 辛いこと苦しいこと悲しいことは確かにあったが、ひとつひとつに刺激があり、退屈など感じる時はなかった。言葉や習慣に馴染めるまでには時間が掛かったが、ラウールに来てからの日々は、あっという間だったといっていい。


 ――それに。


 修一郎の顔に、さらに暗い影が差した。

 太和(たいわ)にもたらされた国難は修一郎をひどく驚かせたが、今一つ実感がわいてこない。ひとつにはあれだけ執心(しつしん)した不知火について、敵討ちはもういいと言った井上たちの心の変化についていけない部分があったのかもしれない。


「あと半月はラウールにいる予定だ。それまでに支度しておいてくれ」


 井上たちは別れ際にそんなことを言っていたが、修一郎は返事はせず、簡単な挨拶をしただけだった。

 未曾有(みぞう)の国難を前にして、こだわっている場合ではない井上たちの言い分もわかる。しかし、その時代の空気に触れていない修一郎には、井上たちの心変わりがいささか冷たく感じ、これまでの日々がなんだったのかとかすかな反発すら(いだ)かせるものがあった。


「ねえ、ナツメ」

「ん?」

草鞋(わらじ)が脱げちゃってるよ」


 ラムネに注意されて、慌てて辺りを見渡すと、後方に(わら)で編まれた平らな物体が置いてきぼりにされてある。


「こりゃ、いかん」


 考え事をしていたせいで、いつのまにか修一郎の右足から草鞋(わらじ)が脱げてしまっていた。片足で跳びながら拾いに戻ると、草鞋の鼻緒(はなお)が切れてしまっている。太和(たいわ)を発つ時に数足持ってきたもので、最後の一足は慎重にあつかってきたつもりだったが、それもついに駄目になってしまった。


「しかし、こんな時に切れんでもな」


 ケンケンしながら通りの端に移動し、修一郎は草鞋をいじっていた。ここからカムカがいるギルドまでは近いはずで、そこまではなんとか持たせようとしたがなかなかうまく結べない。

 お嬢様育ちのラムネも直し方などわかるわけがなく、ただ修一郎を見守るだけしかできないでいた。


「……その履き物、壊れたのかい?」


 不意に声がし、見上げると一人、少年が立っていた。見覚えのある顔だと思ったが、すぐに井上たちの靴磨きをしていた少年だと思い出した。


「繋ぐ部分が切れてしまってな」

「ちょっと見せて」

「直せるのか」

「多分ね」


 少年は修一郎から草鞋を受け取ると、自分の店に戻り、束ねた(わら)から数本抜き出して、器用な手つきであっという間に直してしまった。


「はい、これで大丈夫」


 少年が渡した草鞋を履いてみると、足指の股にしっくりとはまって、切れる前よりも安心感がある。

 修一郎は感心しながら自分の草鞋に目を落としていた。


「いや……、大したもんだな」

「ドワーフにホビットやレブナン族の人たちが、似たようなの使っているからさ。時々、オレが直してんだ」

「それで、あの藁の束が置いてあったのか」

「オレみたいに直せる奴て、あまりいないらしいから、けっこう評判良いんだぜ」


 少年はニカッと大きく笑った。しかし、根が明るい性格なのだろう。少年の笑顔には屈託(くったく)がなかった。


「すまんな。これは駄賃だ」


 修一郎が渡した金額に、少年は目を丸くして自分の手のひらを見つめている。銀貨が一枚、少年の手のひらにおさまっている。


「い、1シルバーは多すぎだよ。オレ、そんなお釣りねえもん」

「ないなら、取っといてくれ。礼だ」

「……いいのかい?あとで返してくれと言っても知らねえぞ」

「構わん。ただ、皆がみんなこう気前良いとは限らんからな。思いがけない幸運は大事にせんといかんぞ」

「オジサン、村の村長や神父さんみたいなこと言うな」

「む……」


 修一郎は言葉につまって、頭を掻いた。

“冒険者”として依頼をこなす傍ら、暇があれば近所の子どもたちを文字や計算を教えるのだが、聞き分けのない子や、邪魔をする子も中にはいる。

 他の子どもの手前もあり、教える立場として訓戒を垂れないわけにもいかないから、故事や経験談なども交えた説教をするのだが、それが習い性になってしまっているらしい。


「まあ、とっておけ」

「ありがとな。オジサン!」

「これでもまだ二十代半ばだぞ……」

「まあまあ、細かいこと気にすんなって」


 少年は満面の笑みに、白い歯をにっと剥き出しにした。そして客が店先に来ているのに気がつくと、仕事だと言って軽く手を挙げた。


「じゃあな、オジサンと……そっちのお姉ちゃんも」

「え?」


 不意に呼ばれたラムネが驚きの声をあげた時には、既に店へと駈け戻っていて、来客の応対を始めていた。


「あの子……、私が見えていたんだ」


 客の靴磨きをしながら、少年がにこやかに修一郎たちへ手を振ってくる。

 ラムネはそれに応えて振り返していた。。


  ※  ※  ※


 結果的に詐欺事件ではあっても、先の「武術大会開催」の影響でラウールに訪れる冒険者の数が増え始めたらしい。その影響はギルド三番街支局にもおよび、修一郎がギルドに顔を出すと先客がいることが珍しくなくなった。

 この日もそうで、ちょうど見慣れない3人組の男が出ていくところだった。


「……最近は忙しくてねえ」

「忙しいほうが気が締まっていいだろうに。閑古鳥を聞いておるよりは体に良いと思うがな」

「わたしはのんびりマイペースな人間なんですよ。このままじゃ過労で倒れちまうか心配で……」


 カムカは深刻そうにため息をつくのだが、修一郎は内心、失笑していた。

 人が増えたと言っても、せいぜい日に4、5人といったところで、今のように雑談できる時間は充分にある。

 腰痛に悩んでいるのは確かだが、この怠惰な生活に慣れて生活ですっかり怠け癖がついてしまったらしい。少々負担が増えただけで肩がこる、休む暇もない、疲れたと愚痴をこぼす。実際の仕事の大半を娘のサクヤに任せておいてその台詞なのだから、厚顔無恥な親としか言い様がない。

 そのサクヤは奥の台所で、修一郎のためにコーヒーの用意をしに行っている。香ばしい香りが奥から漂ってくる。

 酔いが残る修一郎を見て、サクヤが気を利かせたのだ。


「……それで、今日は何の用だ」

「依頼が入ってですね。ご指名なんですよ」

「またか」

「またかはないでしょう。先生の腕を買ってのことですぜ」

「まあいい。話を先に聞こう」


 レブナンという貴族に指名され、その護衛についたが結果的に死なせてしまっている。修一郎には直接、関わりのないことであったが、“〟むざむざと依頼人や仲間を死なせてしまった後悔と痛みは今も残っている。しかし、それを口にしたことはないからカムカも知る由もなかった。

 話を先に聞くといった修一郎に、カムカは参ったといった様子で禿げた頭を掻いている。


「どうした」

「今度はラウール城の高官からなんですがね、詳しい話は向こうでするというんですよ」

「なら受けん」


 修一郎はきっぱりと言った。


「俺がスライム退治で十分という性格をオヤジも知っているだろう。こう手間を掛けておきながら、はっきりとしない依頼を受ける気にはならんな」

「でも、相手は大臣ですぜ」

「……」

「テルペットという内務大臣、ご存知ですか」

「知ってはおるがな。それでは気は乗らん。俺は元来、怠け者なんでな」


 修一郎はそのままそっぽ向いた。ラウールの銀行に起きた詐欺事件も概ね片付き、預けていた大金もすべてではなかったが9割ほど回復している。無理をしてまで依頼を受ける必要もなくなっている。ひとつには井上たちの言葉も引っ掛かっていて、億劫おっくうな気分もあった。

 カムカはじっと修一郎の横顔に目を注いでいたが、修一郎の心が動く気はないとみてか、いいでしょというため息まじりの声がした。


「先方には私から伝えときますよ。確かに内容はわからないのはありますが、せっかくのご指名なのになあ」    

「済まんな」


 ま、いいでしょと肩をすくめて依頼が記されてあるらしい書類を脇にどけた。

 カムカももう一人の怠け者なだけに、相手が消極的だとあっさり引き下がる。


「ところで、先生のお国の方たちがラウールに来ているそうですね」

「耳が早いな。俺はさっき知り合いに偶然出くわして知ったばかりなんだが、いったいどこから聞いた」

「本部の方で各支局に新聞配っているんですが、昨日の記事のひとつにちっちゃくあったんですよ。先生のの国の人だて記憶に残ってたんでね」

「なんだ」


 種を知って、修一郎は落胆らくたんした。


「意外と地獄耳なのかと見直すところだったぞ」

「やだな、先生。そんなに褒めないでくださいよ」

「オヤジなど褒めてはおらん」


 照れるカムカを突き放すように答えると、サクヤがお盆にコーヒー3つ載せて現れた。ラムネとの仲は相変わらず険悪で、顔を合わせるなり、あいさつ代わりのように「バーカ」と口で形をつくって、お互いに応酬している。


「あれ、私の分は無いの」


 ラムネが不服そうに口を尖らせたが、ラムネのボヤキを無視して修一郎の隣にやわらかく腰かけた。

 身長はさほど変わらないが、はじめてギルドに来た頃よりも仕草が随分と女性らしくなった。ラムネとの口喧嘩では相変わらず子供っぽい面を見せるのだが。


 ――こんな日々が続けば良いのにな。


 平穏と刺激がほどよく混ざり合う、充実した日常。

 しかし、それもいつかは終わりがくる。

 修一郎は暗い気分で、コーヒーに一口つけた。いつもよりコーヒーの苦みが一層増しているような気がしていた。

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