襲来
「あ〜、やっと終わったあ」
昼飯分の餌やりが終わると、ラムネはだあと大きく息をついた。
初日こそ巨大幼虫を呑み込む巨大雛にひいひいと悲鳴をあげていたものの、2日もすれば慣れてしまい、6日も経った今では淡々と作業をこなせるようになっていた。
「おう、終わったか」
外から巨大な葉を何枚も抱えた修一郎が戻ってきて、ラムネに声を掛けた。修一郎はベラムのだした糞の片付けをしていて、今は集めた糞を巣の外に棄てに出ていたところだった。
抱えている神樹の葉は、ベラムが用足しする場所に敷くものだ。半日ごとにまるめて棄てれば掃除の手間が随分と省ける。
「こっちも休むとしよう」
「うん、ナツメ疲れてない?」
「大丈夫だ。“神樹の水”があるからな」
再び巣の外に出て、枝の盛り上がった箇所に腰を落ち着けた。そして修一郎が神樹の葉の一部を裂いて桶の上で絞ると、大量の水が葉から流れ落ちて、あっという間に桶は満杯となった。神樹の葉は水分が豊富でしかも清涼感がある。
――さすがは神樹といったところだな。
“神樹の水”が入った竹筒を口にすると、いつも驚きと感心させられる。
神樹の水には不思議な力があって、それで顔を洗い、身体を拭いていると、身も心もサッパリとした気分になり、口にすればそれまでの重い疲れもどこかに消えてしまっているのだった。
「もう1週間かあ」
足をばたつかせながらラムネが独白した。
修一郎が飯の間、幽霊の身としては暇である。ふわふわと宙に漂って空から射し込む木漏れ日を眺めていた。
「遅いなあ」
作業に慣れたこともあり、心に余裕が出てきて、ラムネは再び天空城とハミルたちに気持ちを向けるようになった。
修一郎はラムネの呟きには答えず、神樹の葉を敷物にして、その上で火と鍋の準備をしている。鍋の中にすりつぶした団子を放り込む。神樹にはドングリが生る。ボリュームがあるので、すりつぶして鍋にくわえればそれだけで腹は満たされる。
幼虫も食べごたえがありそうだったが、体力の消耗を避けるために、ベラムの分を捕まえるだけで手一杯だった。その後、修一郎は巣の隅に柵を設け、初日に余分に幼虫を捕まえておくことで地上に降りる回数も少なくて済むようになったのだが、他にも天敵というフェニックスの襲来を考えると、長い時間、巣から離れるのは避けておきたかった。
「ねえ、ナツメ」
「うん?」
「ハミルたち、遅いね」
「相手は天空城だからな。未知の怪物や罠に手間取ることも多かろう。何か危機にあるかもしれん」
「心配じゃないの」
「ここで心配しても仕方なかろう。俺たちはベラムの世話でここに来ている。何かあれば、ラムトドゥクだけで帰ってくるさ」
「……意外と冷たいね、ナツメ」
「それが冒険者というものだ」
ラムネの責めるような視線と低い声は胸に刺さったが、修一郎は考えを改めるつもりはなかった。冒険者は輝かしい富と栄光を求める代償として、常に無惨な死が隣り合わせにある。
魔物や野盗に怯えながら地に寝、寒さや飢えに耐え凌ぎ、更なる苦難に挑む。
ハミルの明るさを見ればわかるように、苦難に挑むにはラムネが懐くような物語的な冒険への憧れが必要ではあったが、割り切りも必要だと修一郎は思っている。
ハミルの幼友達のカテラが一線を退いたのも、闘いによって受けた深い怪我が影響してだと聞いている。
「……帰ってくるまでの間、ベラムの面倒をきちんとみるのが俺たちの役目だ」
「……」
「向こうも、果たして俺たちがちゃんとやっているか心配しているだろう。だが、どうすることもできん。お互い様だ」
「……」
「ま、冒険者じゃないお前には、この感覚はわからんだろうがな」
「そうね。そんなのわかんない」
ラムネは修一郎を睨んでいたが、プイッとそっぽ向いた。
言ってから、修一郎は激しく後悔した。
怒らせるつもりなどなかったのだが、最後の一言が余計だったらしい。ラムネの薄い背中を横目に、修一郎はため息をついて鍋のものを椀に注いでいた。
汁から漂う香りが鼻腔をくすぐり、我ながら上出来だと思えたが、重い沈黙の中では味が幾らか落ちていくような気がした。
※ ※ ※
はじめに気がついたのはラムネだった。
突然、何の前触れもなく肌を刺すような悪寒がラムネの体中を駆け抜け、眠りと似た状態で、沈んでいた意識が一気に覚醒していた。
「なに……?」
急いで見渡したが、相変わらず穏やかな緑豊かで穏やかな光景が広がっている。そばで昼飯を済ませた修一郎が樹に寄りかかって眠っている姿と、巣穴からはベラムのそよ風のような寝息が聞こえてくる。
「ナツメ、起きてよナツメ」
体を揺さぶると、修一郎は目を閉じたまま呻いた。
「なんだ。さっきの件なら言い過ぎた謝るよ」
「違うよ、起きて」
「ベラムが駄々をこねたか?」
「だから違うって。近づいているの」
「ハミルたちじゃないのか」
「いや、もっと凶暴ななにか」
「……なに?」
ラムネの真剣な声に、修一郎の意識もようやく目覚めかけていた。それでも目やにがまぶたに張りついてすぐには開けられず、袖で目をぬぐわなければならなかった。目をしばたたかせながら視界が開けると、表情を強張らせたラムネが周囲を見渡している。
何かが近づいている――。
その言葉を思い出してラムネに倣い、修一郎も神経を周囲に向けたが殺気らしいものは感じられない。ベラムをはじめとした神樹に住み着く動物も静かなものだった。修一郎の経験からすれば、彼らは人間のそれより危険に対して敏感である。何かあれば彼らが騒ぐだろうに。
「気のせいではないか」
修一郎が言い掛けた時、突如泣き叫ぶような声が巣の方から響いてきた。
「来る、来る!コワイの!コワイのが来る!」
声がする方を見ると、いつの間にか目を覚ましていたベラムが激しく喚いている。まだ未熟な羽根をばたつかせ羽毛を撒き散らしている。まるで、かんしゃく玉に火がついたような騒ぎだった。
「どうしたベラム。何が来るというのだ!」
「とうさま、かあさま、あいつがあいつが来る!」
「ベラム、落ち着け」
「とうさまかあさまの敵。コワイ、コワイ敵!」
「敵だと……」
修一郎の背筋に冷たいものが流れた。
敵。
不死鳥ラムトドゥクの敵と言えば奴しかいない。
「……フェニックスか」
覚悟はしていたものの、伝説の不死鳥をいざ相手にするとなると、異様な緊張感が修一郎を襲い、身の内に震えるものを感じていた。周りでは神樹に住む他の動物たちが、血相を変えた様子で我先にと逃げ出していく。
「ラムネ、奴はどちらから来ている」
「えと……、北の方角から」
「行くぞ!」
修一郎は鐺をゆるめて、ラムネが指差した方向へと駆け出すと、ラムネは驚愕の声をあげた。
「ちょ、フェニックスとやりあう気なの!?」
「腕を買われて、ここに来たのだろうが。忘れたのか」
「マジで言ってるの。幾ら何でも無茶よ」
「なら、どこかに隠れておれ」
修一郎はずんずんと先に立って疾駆していた。素早く樹の表皮をつたって駆け登り、もっとも太い枝を選んで樹の外へと駆けていった。
もう6日。
ベラムがフェニックスを感知したように、ラムトドゥクも感知しているかもしれない。それにハミルが言うように、ゴブリンのボスと力が同じくらいなら、勝てないまでも追い返すことはできるだろう。
そこまで考えた時、不意に空が紅く染まった。
まだ日没には時間があるはずだった。だが、その紅い光はもっと強力で、肌を焼くような熱波が樹の葉を通して伝わってくる。
この葉の向こうに“奴”がいる。
「ナツメ……」
後ろから、ラムネの泣くような声がした。
「付き合わせて悪いな」
「いくら約束したからって、なんであんな強敵に向かっていくの」
「いいか、ラムネ」
肺一杯に深呼吸をした。
ひとつふたつ繰り返す内に恐怖は沈み、この先にいるだろう敵に、修一郎の神経は鋭く研ぎ澄まされていった。
「困難に立ち向かう。それが“冒険者”というものだ」
修一郎の刃が樹の葉を一閃した。
ハラリと葉が裂け落ちると、燃えるような熱波と殺気が雪崩れ込んできた。
“なんだ。人間!何故、ここに人間がいる!”
荘厳な声が修一郎たちを圧した。
鳥の輪郭をしているが、まるで太陽がそこにあるかのような錯覚が修一郎を襲っていた。
「それはこちらの台詞だ」
発した修一郎の声は、自分でも驚くほど平静だった。ラムネから見ても、この時の修一郎は悠然と佇んでいるように映っていた。
「ここはラーの神樹。不死鳥ラムトドゥクが住処」
“ぬ……”
「用がなければ帰ってもらおう。……不死鳥フェニックス!」




