楽しくお世話
ラムネ・マクベスはブラシを手にしたまま深いため息をついた。ブラシといっても一般的なブラシではなく、幅の拾いフロアブラシである。前に押し出すだけで疲れにくいのが長所なのだが、ラムネはうんざりした顔でてれてれとブラシを動かしている。
もっとも幽霊なので疲れるわけがないのだが、憮然としているのは他に理由がある。
「こら、さっさと動かさんか。水で流せ落とせんではないか」
「なんで私まで手伝わなきゃいけないのよ」
「せっかくブラシまで持てるんだ。見ているだけでは暇だろう。それに小鳥の世話は得意だと申しただろう」
「籠の鳥だけよ。こんな巨大な巣とは思ってなかったもん」
「今さらなんだ。ほれ、さっさと動かす。水が流せん」
「ふあい……」
水のはいったバケツを手にした修一郎から叱られ、ラムネはちょっぴり速度を速めた。木の虚の中だけに、剥がれた木屑や埃があっという間に溜まって外へと掃き捨てられていった。
地味な作業にうんざりしながらブラシを動かしていると、そんなラムネを嘲笑うかのようにけたたましい笑い声が飛んできた。
「ラムネ!さぼるな、さぼるな!」
「うっさいわね、“ベラム”。アンタの巣のためにやってんでしょうが」
「これ、お金のため!労働対価、働け、働け!」
「何がタイカよ、鳥のくせに生意気」
ラムネはキッと声がした方向を睨み付けた。ラムネの前には、木の枝や大きな鳥の羽根が幾重に絡みあい壁のようにそびえ立っている。高さはラムネの身長より高い。声はその上から聞こえてくる。
ラムネは睨みあげる先には、目を爛々と光らせる一匹の巨大な鳥が、身を乗り出すようにして積まれた木々の壁からラムネを見下ろしていた。
「腹減った。ラムネ、腹減った」
「わかったから、ベラムはおとなしくしてなよ」
“ベラム”と呼ばれた巨大な鳥は、不死鳥ラムトドゥクの雛である。雛とはいえ、不死鳥なだけに人語を解するし、幽霊のラムネの姿も見える。
「おうい、済んだのかあ」
巣の奥から修一郎の声がして済んだと大声で返すと、やがて水を打ち付ける音とともに、巣の外へと水が埃を洗い流して落ちていった。
「ラムネ、腹減った。ハラヘッタ!」
「はあ……」
ラムネは返事をするのも面倒になって、深々とため息をついた。
鳥の世話というものを、ラムネはもっと違ったものを想像していた。
チチッと甘えてくる小さな雛。
その姿が愛くるしくて、困りながらもついほころんでしまう自分。
ベラムも丸いからだに小さなくちばしと、愛でる要素が無いわけではない。
かつて飼っていた小鳥くらいの大きさならやかましくても「可愛いげがある」と済ませられただろうが、ここにいるベラムはラムネよりも巨大で、丸い目もぬらりと不気味な光を湛えている。しかも、けたたましく人語で騒ぐから可愛くなど微塵にも感じられなかった。
「よし、次は餌探しだ」
巣の奥から、野菜をいれるような籠を背負った修一郎が現れた。
「はあい」
「なんだ元気がないな。ここに来るまではあんなにはしゃいでいたではないか」
「だって、冒険は楽しかったんだもん」
「楽しくなくてもやるのが仕事だ。さ、いくぞ」
「……」
むっつりと押し黙るラムネを無視して、修一郎はさっさと巣から出ていった。ラムネとしては億劫だったが、修一郎に憑いているから引っ張られてしまうので、結局行かざるをえない。
二人が巣穴から出ると眩しい光が広がり、急激な変化に修一郎は何度も目をしばたたかせなくてはならなかった。やがて視界が慣れてくると、そこには人の体よりもはるかに太い木の枝や広い緑葉が修一郎たちを覆っていた。
「あーあ」
ラムネは口の中でぼやいた。
「せっかく、伝説の“ラーの神樹”に来たのになあ……」
船旅で2日、ラムトドゥク島に着いてから4日。不死鳥ラムトドゥクが棲む“ラーの神樹”はラムトドゥク山の頂上にあった。
“ラーの神樹”は傘のようにラムトドゥク山を覆い、麓からではすぐ近くのようにも思えたが、それはラーの神樹があまりに大きすぎたからで、麓からラーの神樹に着くまでには2日も要している。
そして、不死鳥ラムトドゥクに会って簡単な説明を受けると、ハミルたちはラムトドゥクとともに天空城へと発ち、修一郎たちはラムトドゥクの雛“ベラム”の世話のためにラーの神樹に残った。
ハミルたちが発って一時間とまだ間もないのだが、ラムネはもう飽きてしまっていた。
「ねえ、修一郎。この仕事するなら、養豚場でも良かったんじゃないの」
「養豚場では1週間働いても、せいぜい3シルバーくらいにしかならん。だが、これは同じ1週間で80ゴールドだ。ずいぶん割がよい」
「天空城、行きたかったなあ」
「ハミルから後で聞けばよかろう」
修一郎は周りを見渡しながら素っ気なく言った。木の枝といってもラーの神樹は頑丈で広く、石橋を歩いているような安心感がある また、畳のように大きな緑葉は防風壁の役割を果たしていて、修一郎のいるところまで届く頃には、さわやかな微風となっている。
穏やかな陽の光が葉の間から射し込み、静寂に包まれた神樹は快適だと思えた。
「そういや、ラムトドゥクて何食べるの」
「聞いとらんのか」
修一郎は呆れた。
ラムトドゥクが説明したばかりなのに。
「テヘラオオカブトムシの幼虫だ。この樹の根の下で、落ち葉を食しておるらしい」
「カブトムシ!」
カブトムシと聞いて、ラムネは目を明るく輝かせた。
「私、カブトムシ好きだよ。子どもの頃、森でよく虫とりしてたもの」
「ほう、それなら幼虫は平気なのか」
「うん。プニプニコロコロしていて、面白いよね」
「それなら助かるな」
修一郎ははっはと活達に笑い声をあげて、幹を降りていった。神樹の表皮はくぬぎのように波打つゴツゴツうねっていて、巨木なだけにうねりも大きく、一種の道や階段のようになっている。枝ほどの安心感はなかったが、鍛えた冒険者には何の苦もない容易い道のりだった。しばらくして二人は地上に降りると、修一郎は真新しい落ちたばかりの葉の上に立った。神樹の葉は地面を敷き詰めるように覆っていて、やわらかな絨毯の上に立っているような心持ちだった。
早速、手分けして葉をめくっていると「いたいた」と修一郎の嬉しそうな声があがったのを聞き、ラムネがひょいとのぞきこんだ。
「……」
目にしたものを見て、幽霊の顔がみるみるうちに蒼白となっていく。
「餌も良いからか、丸々としとるなあ」
「え」
ラムネは愕然として“化物”を見下ろしている。クリーム色した丸く膨れ上がった体から、小さく頼りない足がうごめいて地面を這っている。丸い黄土色の頭や体つきは確かにカブトムシの幼虫ではあった。
「ひいいいっっ……!」
あまりの不気味な存在に、ラムネは両目に涙を溜めて悲鳴をあげていた。
想像していたものとまるで違っている。眼下に蠢くものは立ち上がればラムネの胸の高さになるであろう幼虫ばかりだった。それがざっと30匹はいる。
「な、なによ、この化物」
「なにって、テヘラオオカブトムシの幼虫だろうが」
「これが?」
「なんだ、見たことないのか」
「テ、テヘラオオカブトムシは見たことあるよ。も、もも、もっと綺麗で、こう手のひらくらいで……」
ラムネは震えながら、指を使って胸元で輪をつくってみせた。ラムネが覚えていたのは、黄金色した美しいカブトムシである。第一、大きさがまるで違う。
「さなぎの時に中身が凝縮され、脱皮して成虫になるとそれくらいになるんだ。知らなかったか」
「大きいのは話に聞いていたけど、こんなに化物みたいなんて思わなかった」
「まあ、いい。巣まで運ぶぞ」
ところが、意外に難作業で、修一郎が幼虫を掴むと重い体をブルンブルン振るわせて抵抗した。二匹はなんとか籠にいれたが、一食六匹は食べるとラムトドゥクは説明していたことを思いだし少々ウンザリする気分だった。
「ラムネ、お前も手伝え。埒があかん」
「わ、私が?」
「人の体温を嫌うから手袋したが、わずかに体温を感じるらしい。時間が掛かるとベラムも心配だ。手伝え」
「……私の手袋は?」
「ない。幽霊なら体温ないから関係ないだろう」
「うう……」
ラムネはおそるおそる手を伸ばして幼虫の体を掴んだ。幼虫は抵抗もせず、きょとんとしたまま、宙に持ち上げられていく。
「いいぞ、さすがに幽霊だ。何も感じぬらしい」
「うええ、ゴワゴワしてる。うようよしてる。モゾモゾしてる。気持ち悪いよお」
「生前のムシの記憶とイメージで、そう感じるだけだろう。余計なものを考えるな」
「だってえ……」
うええ、うおおと泣きべそかいて呻きながら、ラムネは幼虫を籠に運んでいった。ラムネが嫌がりつつも、抵抗しないだけに作業はスムーズに進み、修一郎が三匹目に悪戦苦闘しながら籠に運ぶ頃には、ラムネも三匹運び終わっていた。
「やっと、終わったね」
「うむ、早くベラムにこの餌をやらんとな」
「だはあ」
「だから、愚痴を申すな」
幼虫六匹を巣までかついで運ぶのは修一郎である。一匹だけでも重みがあったのに六匹もと考えるだけで内心、げんなりしていたのだ。半分は自分に言い聞かせているところもあった。
背負ってみると、やはり重い。ラムネに後ろから押してもらって随分と軽くなったが、上の巣まで戻る頃には大汗かいてへとへとになっていた。
――次からは分けてやるか。
時間が掛かるが一回にこれほど疲れていては、後の仕事に響く。木の窪みに腰掛けながら、修一郎は激しく喘いでいた。
「ラムネ、食わせろ!ハラヘッタ!」
巣の上からは、ベラムが羽根をばたつかせながら騒いでいる。
「……ラムネ、ベラムに食わせてやってくれんか」
「私が?」
「ベラムも望んでおるし、悪いが、少々疲れて運べん」
「ええ!?」
「ハラヘッタ!食わせろ、食わせろ!」
喚くベラムにぐったりとしている修一郎。
お嬢様育ちとはいえ、生来の勝ち気さと従者たちを鍛えるために地縛霊となるほどお節介な性格がこの時は災いして、渋々ながらもラムネが幼虫をベラムのところまで運ぶこととなった。
「はやく!はやく!」
「はいはい……」
餌をねだるベラムはやかましかったが、上から見下ろすと小さな羽根をばたつかせる姿は雛そのもので愛嬌がある。
ほのかに心が和むのをラムネは感じていた。
――こいつ、可愛いかも。
と思ったのも束の間だった。
「ウマ、ウマ、ウマ」
ラムネは持ちやすい幼虫の頭を持っていたのだが、それがいけなかった。
ケツの方からベラムに与えたため、幼虫は口を開きながら必死にもがいて、無声音の絶叫を響かせる光景が目の前で行われることとなってしまった。
ベラムはギョムギョムギョム、と奇怪な音を立てながら巨大な幼虫はベラムに呑み込んでいく。
「ひ、ひいぃぃぃ!」
異様な光景を前にして、糸のように細い悲鳴がラムネの口からもれた。




