妙な連れ添い
ラムネ・マクベスの霊が現れたのはアクバルの説明通り、草木も眠る丑三つ時、およそ午前2時の頃だった。
部屋の隅には火の灯された燭台が置かれて室内を照らす中、修一郎が椅子に腰掛けて腕組みをしたまま、静かに目を閉じていた。周りにはアクバル他従者たちが心配そうに修一郎を見守っていた。すると、閉めきったはずの室内にゆるやかな風がどこからか流れこんでくるのを修一郎は感じた。
「来ました……」
アクバルの声に誘われ修一郎が目を開けると、室内の燭台の火が小さく揺らめいている。ラムネの人物画から青白い炎が吹き荒れて一ヶ所に集まって、やがてそれは人の姿をつくりだしていった。幽霊という割にはかなりはっきりとした姿で、人物画そのままのラムネが修一郎たちの前に現れた。
「あなたが、私の相手なの?」
驚いたことに、ラムネの声はほぼ人の声と違いがない。よほど強い思念が残った幽霊らしい。そうだよとアクバルが言った。
「冒険者ギルドにお願いしてね。腕の立つ人に来てもらったんだ」
「冒険者か……」
「うむ。夏目修一郎という。よろしくな」
「ナツメ?顔立ちも私たちと違うけど異国の人なの?」
「東の果ては太和という国。神林藩馬廻役をしておった。……といってもわからんか。ま、今はラウール城の冒険者だがな」
「ふうん……」
ラムネはじろじろと修一郎を見ていたが、いいわと頷くと、隅に立てかけてある竹刀に向かって手をかざした。淡い光に包まれたかと思うと、宙に浮いてラムネの手元まで飛んでいった。
「勝負のルールは聞いているわよね」
「聞いておる。我が国のとさほど変わらんから問題ない」
「私はご覧の通り霊体。当たっても痛くないから、存分に打ち込んできなさい。こっちも遠慮しないから」
「なるほど」
修一郎は竹刀を振って、改めて感触を確かめていた。ベング木という材質で出来ており性質は竹に近い。形状も似ているが、両刃を想定しているから峰が無く、竹刀を皮でまいているくらいだろうか。
「よし、いいだろう」
竹刀を片手に把持してラムネの前に歩み寄ると、ラムネは不審な顔をした。見たところ防具もつけていない。
「あなた、防具は?」
「構わん。遠慮せず打ち込んでこい」
「……舐めたこといってくれるわね」
「腕の立つとこを見せて、お主には成仏させてやらんとな」
「それは楽しみね」
ふんと鼻で笑うとラムネはゆっくりと竹刀を構えた。堂々とした正眼で、ラムネが並々ならぬ腕前であるのが伝わってくる。修一郎も正眼に構えると張りつめた空気が室内に満ちた。
「……は、はじめ」
場の空気に圧倒されて、アクバルの強張った声がした。
アクバルははじまりの合図をかける役だけで、審判はなどはない。
打たれれば認めるというのが、前にラムネが申し出ていたことだ。
修一郎とラムネは互いに右へ右へと足を運びながら、相手の動きを探っている。
――なるほど、大した腕だ。
見た目は華奢な体つきだったが、やわらかな構えには力強さがあり、下手に攻撃を仕掛ければたちまち弾き返されてしまうだろう。修一郎は足を運びながら、剣先をわずかにずらした。
「たあ!」
誘いにのり、いきなりラムネが、手をあげて打ち込んできた。一息に間合いを詰め、繰り出す一撃も鋭かった。隙を見逃さない勘も見事な素質を感じる。
しかし、修一郎には余裕があった。竹刀をはねあげて返すと、次に小手を狙って襲ってきたが、それよりもはやくに修一郎の竹刀がラムネの胴を打っていた。竹刀はラムネの幽体を過ぎていく。
「うっ……」
言葉にし難い、唸るようなどよめきが室内に満ちた。アクバルたちは一切のことを忘れて、今目の前で繰り広げられた技法の応酬に魅入ってしまっていた。
「勝負あったな」
修一郎が告げると、ラムネは打たれた姿勢のままじっと立ちすくんでいる。
「……まだよ」
震える声でラムネが言った。
「今のは浅いわ。あんな一撃、認められません」
「ラムネ、わがままを言うのはやめなさい。ナツメ殿の一撃は素晴らしかった。負けたのをきちんと認めて……」
「お父様は黙っていて!」
怒号が室内を揺らした。
娘のすさまじい気迫に圧倒されて、アクバルは口をつぐまざるをえなかった。
「ナツメ……だっけ?まだ勝負は終わってないからね」
「わがままな幽霊だな」
修一郎は嘆息したが、予め予想と覚悟はしていたのでさほどの動揺はない。これだけ強い思念体である。少々のことで諦めるとは思っていなかった。何十番、何百番と付き合うつもりでいる。
修一郎はゆっくりと剣を正眼に直した。
「よし、次の勝負だ。かかって来い」
※ ※ ※
小手を狙ってきたラムネの竹刀を、修一郎が絡めて巻き落として決着がついた時には、今が何百番目か修一郎は数えるのも面倒になっていた。たしかにラムネは素晴らしい剣の才能があったが、修一郎はそれ以上だった。危うく一本獲られかける場面もあったが、それも序盤だけで、ラムネの剣癖を読んでしまうとあとは一方的な展開となった。だが、ラムネは執拗に食い下がってきた。修一郎も未練を残さないようにするため、手加減などはしなかった。
「どうした。これで終わりかな」
「……」
ラムネは修一郎を睨み付けたまま、竹刀を拾おうとして手を伸ばした。しかし竹刀には何の反応もない。仕方なく自ら竹刀を拾おうとしゃがんだが、ラムネの手は竹刀をすり抜けていった。
「どうした」
「……」
無言のままうずくまるラムネに修一郎が声を掛けたが反応がない。呆然と床に目を落としている。
「もう朝か」
従者のひとりが驚いた様子で言った。修一郎がうながされるように、窓に視線を向けるとカーテンの隙間から光が差し込み、鳥の囀りが聞こえてくる。
「……どうやら時間が来たようだな。勝負するならまたしてやる」
「……」
「だが、深夜はさすがに堪える。一晩休ませてからにしてくれ」
「……いいわ」
「そうか。それならまたあの時間……」
「そうじゃなくて、もう勝負は良いと言ってるの。もう十分よ」
ゆらりと立ち上がったラムネから険しい表情が消え、やわらかな微笑を浮かべていた。質感のあった身体も薄く透明になり、淡い光のように変わっている。
「私は思いっきり戦ったし、自分の限界もわかった。満足できたよ」
「そうか」
「お父様」
ラムネはアクバルに向き直った。
「これまで、私のわがままに付き合ってくれでありがとうございました」
「何を言うか。礼を言うのはこっちだ。お前がいてくれたから、私はこうやっていられた。それなのに、私は……」
「泣かないでよお父様。お父様が言った通り、お父様たちは生きているんだもの。私は死者。いつまでも過去に縛りつけておくのは良くないわ」
「……」
アクバルの涙と鼻汁で顔をべとべとにしながらも、瞳だけはまっすぐにラムネに向けていた。
「みんなもありがとう。泣き虫だけど、優しいお父様をよろしくね」
「はい……」
ハミル他従者たちは、背を丸めてむせび泣くだけで、一言返すのがやっとのようだった。
“ありがとうナツメ。あなたのおかげです”
ラムネの声は質感のあるものから、遠くからこだまするような
「達者でな、というのは幽霊に変か」
“一本でも取りたかったけどなあ”
「何を言う。取らせまいとこっちも必死だったんだぞ。それと、後家来衆に頼りないと言ったそうだが、ラムネが強すぎただけで、そんなことはないぞ」
“強すぎた、か……。最後の最後に嬉しいこと聞いちゃったな”
ラムネが呟くと、現れた時と同じように室内に風が流れた。カーテンが風で揺らぎ、間から眩しい陽光が室内に満ち、ラムネを照らした。
“ありがとう”
虚空に声を響かせながらら、微笑むラムネは照らされた光の中へと消えていった。
※ ※ ※
マクベス家を出て村を離れると、修一郎はウンと背伸びをした。ラムネが成仏したせいか、村を覆っていた空気も取り払われ、村人たちは明るい表情に戻っている。快晴もあって修一郎も気分が良く、お礼代わりと途中寄ったあのカフェで、二杯もコーヒーお代わりした。アクバルが出した報酬金のズシリとした重みや、善行をしたという気分が修一郎の心を晴れやかなものにさせていた。
「しかし、夜通しというのはさすがに疲れたな」
村を離れて数時間。ラウール城に繋がる街道に着くと、腰掛けるにちょうどいい大きさの岩を見つけると、修一郎は一休みすることにして、リュックから老僕のハミルにつくってもらったサンドイッチを取り出した。
肉やタマゴ、サラダをふんだんに挟んだサンドイッチで、空腹だった胃を満たすには十分な代物だった。
しかし、と修一郎はしきりに肩をさすり首をひねっている。気分は良いのだが、やけに肩が重く感じる。さすっている内に、ふとあることが頭に浮かんで思わず噴き出していた。
「さては、ラムネに取り憑かれたかな」
「失礼ね。あなたのはただの疲労よ」
「そうかそうか。それは悪かったな、ラムネ」
思わず詫びをいれてから、修一郎は自分の言葉に耳を疑っていた。声は女のもので、自分がラムネと確かに口にしたと思い出した時、再び女の声が頭上から響いた。
「ただの疲れなんだから、ナツメなら一晩寝たら治るわよ」
「お、お前……」
声の在処を探し、その正体を頭上に見つけて修一郎はがく然とした。そこには消えたはずのラムネ・マクベスが不機嫌そうに浮遊していたからだ。
「何故ここに。もう未練はないと言っていたではないか」
「そりゃマクベス家にはないわよ。いつまでも幽霊いたら、お嫁さんこないもの。お父様が可哀想よ。断ち切らないとね」
「だったら、あの世行けばよかろう」
「でも、私はまだ外の世界を見たことないのよ。ずうっとマクベスの村ばかりだったから、消える前に外の世界見てみたかったなあと思っていたら、あなたの背中が見えてた」
「結局、俺に取り憑いたんじゃないか」
「やあねえ、迷惑掛けるつもりないから、守護霊と思っていたよ。違いがよくわかんないけれど」
「呆れた奴だな」
修一郎は何度目かのため息をついた。
「あんまりため息つくと幸せ逃げるわよ」
「幽霊のお前に言われたくない」
「死んでるから言えるのよ」
無邪気なラムネに、修一郎の顔はますます苦いものとなる。
「……俺についてきても、さほど面白いことはないぞ」
「そんときは、他に誰か面白そうな人に取り憑くわよ」
「お前な……」
ラムネは屈託のない笑顔でいるが、感動に水を差された気がするし、ラムネのあの世での幸せを願ったことが無駄になった気がして面白くはなかった。
憮然としたまま、修一郎は残ったサンドイッチを口に頬張った。
脂がのった肉の旨味も、すっかり味が抜けてしまったような気がした。




