最終回
男は、キッチンの戸棚やリビングの引き出しをひっくり返すと、中身を引っ張り出して何かを探している。
ソファーには少女が座っており、下を向いていた。
「なんで早く言わないんだよ」
「……すいません」
今朝、男がリビングに来ると、昨日と同じように少女は自分の足の指を揉んでいたのだ。男は気になってみてみると、紫色に変色していたのである。
とはいっても、男にも落ち度はある。
出会った初日足の指が変色していたのは男も見ているし、昨日も少女は足を気にしていた。少女の着替えを手伝った際にも見ているので、気が付いて無視していた男も悪いのである。
「今薬探してるから待ってろな。確か軟膏があったと思うから」
「……はい」
そうして10分ほど探し続けようやく見つけたのだが、ふたを開けてみれば中身はほとんど干からびてカスカスになっている。
「…………」
「……どうしたんですか?」
薬を見て棒立ちになっている男を見て、少女が声をかける。男はすぐに我に返り、「なんでもない」というとコートと財布をもって玄関へ向かう。
「薬屋行ってくるから、暖炉にあたってまってろ」
「……わかりました」
男は出ていく。
ひとり残された少女は、三角座りで膝の上に頬を乗せ、ただぼーっと爆ぜる暖炉の炎を見つめていた。
「ただいま」
家の中へ声をかけるが、返事はない。
男の腕には小さな紙袋が抱えられており、中には新品の薬が入っている。
「塗ってやるから、ソファーにすわ、」
言いつつ男がリビングに入ると、少女は暖炉の前でコロンと横になっていた。どうやら眠ってしまったらしい。
「なんだよ、寝てるのか」
近寄ってみる男だが、そこで異変に気が付いた。
「……おい?」
少女の顔は赤らみ、全身が熱い。
全身から発汗しているらしく、呼吸も荒い。首筋に指を当てて感じる脈拍は、かなり早いものである。
「……」
男は紙袋を床に置くと、少女を抱きかかえてひとまずソファーに寝かせる。
ブラウスを脱がせると、やはり大量に汗をかいているようであった。
「――……あ、おかえりなさい……。すいません、眠ってしまって……」
目を覚ましたらしい少女が、弱々しい声で呟く。
「いいから、寝てろ。どっか痛いとこないか?」
「喉が……。あとお腹が気持ち悪いです」
「わかった」
その日から男による少女の看病が始まった。
あれから男は少女を男の寝室に移し、その日の晩には少女の発熱は39度に達し、嘔吐、のどの痛みを症状も強くなった。
さらに翌日には舌が赤くはれ、全身のかゆみを訴えるようになり、いよいよ手におえないと判断した男は、知り合いの薬師に頼んで薬を処方してもらい、それのおかげで少女は段々と快方に向かっていった。
「すいません……。迷惑かけて」
少女が横になるベッドの横では男が椅子に腰かけており、かなり疲れた感じで少女を見つめている。風呂に入っていないのか髪はぼさぼさで髭は伸びている。それでも、体調を取り戻していく少女を見て、男は嬉しそうであった。
「いいんだ、別に」
「私、病気になったら捨てられるんじゃないかと思っていました。でも違いました」
「……?」
「あなたは私にひどいことしませんし、色々してくれます。でも私からはなにもできない」
「……なにもしなくても、いい」
「え?」
「何かをしようとしなくていい。普通にこの家で暮らしていけばいいんじゃないか?」
男の言葉に少女は虚を突かれたような顔をしている。少しして口を開くと、
「……はい。ありがとうございます」
そう言ってにっこりと笑った。
その時、男と少女の目は確かに合った。
この国で奴隷は社会身分の一つである。
所有者が奴隷を殺せば殺人罪で死刑に処されるし、またその逆も当然だ。
所有者の許可があれば奴隷を奴隷の身分から解放することも可能であり、ただしそれは奴隷が未成年の場合は成人まで待たないといけない。
「20歳の誕生日おめでとう、ゼロ」
ゼロと呼ばれた女性は、嬉しそうに笑うと綺麗な金色の髪をかき上げテーブルに置かれたケーキの蝋燭の火を消しにかかる。
その向かいでは男が優しい眼差しでそれを見つめ、成長した彼女の姿をその目に焼き付けていた。
「ありがとう、ロレット。ここまで私を育ててくれて」
ロレットとは男の名前である。
2人は既に互いを名前で呼ぶ仲になっており、傍から見れば普通の父と娘である。けれど、実際にはゼロはロレットの所有物であり、ゼロはロレットの奴隷である。
しかしあれから数年かの間、ゼロの身には色々あり、その中でゼロは少しであるが視力を取り戻すことができていた。下腹部の傷も目立たなくなっているし、過去のように不自由なことばかりではなくなっていた。
「ゼロ。誕生日プレゼントではないけれど、これをやろう」
ロレットは上着のポケットから1枚の紙を取り出す。ゼロはそれを受け取り中を見ると、目を見開き、ロレットの顔を見た。
「……どういうこと?」
「そういうことだ。お前はもう私の奴隷ではない。これからは好きなように生きていい」
ゼロを迎えた時、ロレットはゼロの奴隷登録証を大切に金庫へと仕舞い込んでいた。
それは、ゼロが成人になれば登録証と引き換えに自由人としてあらゆる社会身分が保証されるからであり、つまり成人になりロレットさえ了承すればゼロは奴隷の身分から解放されるのだ。
「本当はすぐにでも解放してやりたかった。でもこの国じゃ未成年の奴隷解放は認められていない。時間がかかってすまなかった」
「……」
「……ゼロ?」
「……どうしろっていうの? これから、私はどうしたら、」
「ゼロ」
そう言って男はもう1枚紙をゼロに渡す。
「……ロレット、これって」
紙に書かれているのはゼロを正式にロレットの娘として迎えるという内容であり一番下にはゼロのフルネームを書く欄がある。
「ゼロ・ブロンダル。お前の名前だ」
そうしてゼロは奴隷ではなくなった。
晩年に際してゼロがその一生を振り返った時、自分の人生は幸福なものであったと、そう思ったのであった。
ゼロが成長する過程の話もあり、ゼロがしていた指輪もその伏線だったのですが、この物語は長く続けるものじゃないと思いカットしました。
一応、ゼロの奴隷としての働きに対してロレットが対価を支払い、そのお金でゼロが自分自身をロレットから買えば、未成年であっても奴隷からは解放されます。
しかしゼロはお金を受け取らないと思うので、成人するまで待つことになりました。
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