2日目
1メント=133円
キーケースから玄関の鍵を取り出すと、カギ穴に差し込みガチャリと回す。
壁に掛けられたコートハンガーに上着を吊るすと、廊下を進んでリビングへと入った。
「……」
少女は家の中には入らず何故か玄関の扉の前で棒立ちになっている。見えないはずの瞳をキョロキョロと動かし、必死に今の状況を把握しようとしているらしかった。
しかしそうはいっても現在12月。少女が着ているようなボロ布でこの寒さを防げるわけもなく、既に足の指先が黒く変色しひび割れている。細い両腕で自身を抱くように震えている少女を見かねて、男は家の中へ連れて行こうと、少女の腕をつかんだ。
「ひっ、す、すいません、すいません」
手首をつかまれた少女は、なにかに必死に謝る。
男の手に伝わる震えは、決して寒さによるものだけではないようであった。
「そこは寒いだろう。中へいこう」
「い、いいんですか、入っても」
「ドアを開けてずっとそこに立たれていたらいつまでたっても家が温もらない。俺は寒がりなんだ」
「すいません」
少女は謝りながらも男に連れられて家の中へと入った。
「ん?」
そこで男は気が付いたが、少女の右手の小指には、銀色の指輪がはめられていた。奴隷が売られるとき貴金属を持っていることなどほとんどなく、男は物珍しさから少女の手を取って指輪をじっくりと見る。
「す、すいません、これは、どうしても」
「別に取りはしない。でもよく持っていられたな」
「……」
「まあいい」
扉を閉めると、男は少女の手首を離しリビングへと戻る。暖炉の火をつけ柱の時計に目をやれば現在は午前2時過ぎであった。
「お前、腹減ってるか?」
リビングの入り口で立っている少女に男は話しかける。少女は首を横に振り、空いていないという意思表示をした。
「……最後に食ったのいつだ?」
「……2日前にパンと水を。今日は水しか」
「…………」
男は無言で立ち上がり、気配を察したのか少女は男の歩く音に合わせておずおずと視線を動かす。
男が向かった先はキッチンであり、戸棚からパンを取り出すとそれを皿に乗せ、フライパンを火にかけ油を敷く。卵を落としベーコンを並べて焼くと、しばらくして美味しそうな香りが家の中に漂い始めた。
これには少女のお腹も思わずぐうと鳴る。
しばらくして、トレーに2組の皿とコップを乗せた男がリビングに入ってきた。
「こっち」
男は部屋の隅に立っている少女の手を取ると、テーブルまで連れていき椅子を引いて座らせる。自分は少女の向かいに座ると、それぞれの前に皿とコップを並べた。
テーブルの籠からナイフとフォークを取ると、食事に取り掛かる男。少女はただ無言で置かれた皿の方へ顔を向け、落ち着かない風に小刻みに震えている。
「食っていいんだぞ。これ」
少女の前にナイフとフォークを差し出す。それでも少女は手を付けようとせず、これには男もどうしたものかと困ってしまった。
男はさっさと食べ終わり、ついには完食し、しかし少女の食事は既に冷めてしまっている。遂には男自らが切り分けて食べさせるべきかと椅子から立ち上がったが、そこで少女が口を開いた。
「いいんでしょうか……、本当に」
男は椅子に座り直し口を開く。
「いいって言っただろ? 俺は自分が腹空いてて、ついでに作っただけなんだ。別に無理して食べろとは言わないが、このままじゃこの料理は捨てなくちゃならないな」
「……っ」
「ん?」
「……いいですか、いただいても。でも、私汚いです、食べ方。テーブル、汚すかもしれません」
「いいよ、別に。汚れたら拭けばいい」
そうして少女は食事に取り掛かった。
ナイフやフォークを取り落とした回数は10回を超え、パンや卵のカスでテーブルは多少汚れたが、およそ20分ほどかけて少女は完食し、そのころには始めよりも多少、少女の顔色は良くなっているように見られた。
「それじゃあ俺寝るけど、お前どこで寝るの」
「いいです、どこでも」
「ふうん……」
男は食器を片付けると、厚手の毛布を少女に手渡し寝室へと入った。
翌朝目覚めた男がリビングに入ってみれば、少女は箪笥にもたれかかり座ったまま毛布にくるまって眠っているのであった。
公営競売場ということもあり、男は今日から10日間の休暇が与えられていた。
起きたのが昼前ということもあり、男は簡単な朝食兼昼食をとり、寝ていた少女を見に行く。すると少女は既に目覚めていたようで、毛布から顔だけ出してじっと男の方を見ていた。
「眠れたか?」
「……はい」
「そうか。……お前、ちょっと臭わないか?」
「……すいません」
少女の顔が赤くなる。
けれどこれは仕方のないことである。恐らくずっと水すら浴びていないであろう少女からは異臭のようなにおいが漂っており、一晩経った今ではそれが部屋中に充満しているのだ。
「俺掃除するからお前風呂入ってこい。着替えはないから……、とりあえずこれ被っといて」
男はそう言って、白いシャツと紺のセーターを渡す。
少女を浴室まで連れていきバスタブに湯を張る。風呂の準備をしている男の背後で少女はボロ布を脱いでおり、男が振り返った時既に少女は全裸になった後であった。
余分な肉は一切ついておらず、細い胴から棒のような手足が伸びている。髪の毛も絡まって四方八方に飛び出しており、なにより目を引くのはその下半身である。
「痛くないのか、それ」
「? それとは」
「その、腹の」
「ああ」
そう言って少女は下腹部のそれを撫でる。
「……もうなんともありません。全然痛くないですから……」
「……そうか」
陰部からへその上まで伸びたそれは、少女の白い肌に似合わず赤黒い傷跡ととなって肌に張り付いている。傷の周囲の皮膚は引きつったように張っており、見ているだけで痛々しい。
既に塞がった後で少女は痛くないのであろうが、きっとこの傷を負った当時は凄まじい苦痛に襲われたはずである。
「まあ風呂入れ。……って、どこになにがあるかわかんないか」
どこに洗剤があるのかわからないであろうし、足元が見えないと滑って転ぶ危険もある。男は仕方なくズボンとシャツを捲り上げると、少女を風呂場に押し込みつつ自分も風呂場へと入った。
身体をお湯で流し、泡を立ててごしごしと洗っている間も少女は無言であり、抵抗すれば怒られると思っている節があるようである。
男は少女の全身を頭のてっぺんから足の指先まで徹底的に洗い、泡を流し終えてバスタブにつかった時には、もう少女からは洗剤のいい香りしかしなくなっていた。
バスタブにつかっている間、少女は瞳孔が開ききった瞳で、ゆらゆらと揺れる水面を見つめている。艶やかな金色の髪はバスタブを覆うように広がっており、ある種の神々しさも覚える。
風呂場の入り口に立って静かにお湯につかる少女を見て、男は小さくため息を吐いた。
「あんまり入ってるとのぼせるぞ」
そういうと、少女はゆらりと立ち上がり、手探りでバスタブのフチを探し当てると、ゆっくりとタイルに降り立つ。少女の手を取って脱衣所まで連れ出すと、用意していたバスタオルで全身を覆ってやり、あとは自分でするように言って男は脱衣所から出た。
少女が着替えている間、男は安楽椅子に腰を下ろし考えていた。
昨日の自分の判断は正しかったのか、これからどうしていくべきなのか、と。
男は、奴隷を買っていく人間をゴミだと思っていた。
文字が読み書き出来たりある程度の教養があれば、知識奴隷として、奴隷ではあるがほぼ一般人と同じ扱いを受け買われた先で家族同然の扱いを受ける奴隷もいる。
しかしノルン・メメットで取り扱うのは、ほとんどが読み書きもままならない女で、これらは労働奴隷としてこきつかわれるか、肉体奴隷として性的な欲求を果たすために使われることが大抵である。
昨日奴隷を落としたオーナーも、ノルン・メメットに何度も顔を出している常連であるし、恐らく家に何人もの奴隷がいるか、前の奴隷が使えなくなったから交換品として買いに来たのであろう。ほとんど消耗品と同じ扱いである。
そんな客たちを常日頃から見ていて、男の内に募っていくのは、ここにいる全員が屑であるというのと、その全員の中に自分も含まれているという罪悪感。
昨晩ヴィレルダからこの少女を買ったのも、そうした罪悪感を少しでも消し去るためであった。
「……」
男は給料の入った封筒を取り出す。中には札束に混じって1枚の紙が入っており、これは代金と引き換えにあの少女と共にもらった登録証である。
昨晩あの場で書いてもらったもののため文字は汚いが、簡単な体の特徴や出身地、少女の登録番号が書かれてある。下には奴隷の名前の欄があったが、そこにはなにも書かれていなかった。
一番下にはノルン・メメットの経営者のサインと、政府の認可印があり、この登録証さえあれば奴隷を所有していてもなにも言われることはない。
逆に登録証なしに奴隷を所有していれば摘発対象となってしまうのである。
「出身地……インデェラフ。年齢12、か」
インデェラフといえば隣国にある地名の一つで、数年前から発生している戦争により多くの難民が発生している。そのころからノルン・メメットに入ってくる奴隷も増え始め、あの少女も戦争が原因で奴隷となったのであろう。
「まあ、いいか」
深くは考えないことにする男。
広げていた登録証は、少女の将来にとって重要となってくる場合があるため、男は寝室の奥にある金庫に行くと、そこに仕舞い込んだ。
リビングに戻ると全裸の少女が立っており、男がいる方を見ると伏せ見がちに内腿を擦り合わせる。
「き、着替えが……、見当たらなくて、」
見当たるも何も少女は見えていないのだが、男は脱衣所まで行くと籠の中に入っていた着替えを手に取り、少女に手渡す。しかしこれでは前も後ろもわからないので、男は服を広げると、少女に着せ始めた。
「……すいません」
されるがままに服を着せられていく少女。
着せられた服は大人用のもので少女には大きすぎるものだが、男一人暮らしのこの家にこの子に合う服などあるはずもなく、今はこれで我慢してもらうしかない。
「これから出るけど、お前どうする?」
「……ここで待っています」
「そうか。家の中、好きにしてていいからな」
「……いえ、すいません」
少女は俯き、男はため息を吐いて外出の準備をする。
そうして少女を一人家に残して男は外出し、帰ってきたころにはすっかり日は沈み家の中は真っ暗になっている。
暖炉にも火はついておらず、少女は昨晩と同じように箪笥にもたれかかり毛布にくるまっていたのであった。
「……」
「おかえりなさい」
「……ああ。……寒くないのか?」
「……平気です」
「腹は? 減ってないのか?」
「………」
少女は答えないが、そこでぐうと小さく空腹を示す音が鳴る。
「夕飯にするから、暖炉に火つけて待ってろ」
男はそういうと、一人キッチンへと消えていく。
少女はそんな男の背中をただ見送るだけであった。
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