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ヒトモドキ

「整調サイド、ストップ。バウサイド、ロウ」


 漕手は、コックスのオレの指示に従い、それぞれの動きを行う。

「アリガトウ」の掛け声で、オールを水面と平行にして漕ぐのをやめる。

 艇は、緩やかに旋回し、所定のスタート地点で待機する。

 全ての艇がスタート地点に並ぶ。

 ガヤガヤしていた会場に、静寂と緊張が訪れる。

 じっと、発艇員の合図を待つ。


「アテンション・・・・」


 静かに、オールを水につける。

 オレは、そっと息を吐く。

 いよいよだ。


「GO!!」


 発艇員のスタート合図と同時にオールを動かす。


「キャッチ、ソー、キャッチ、ソー・・・キャッチ、ソー」


 オレは、必死に声を張り上げる。

 号令にあわせて、漕手はオールを動かす。


**************************



「この日、空けておいて。市民レガッタ、お前はコックスなっ!」


 幼稚園からの腐れ縁のコーヘイから唐突に言い渡されたのは1か月前。

 毎年行われる市民レガッタの大会に、卒業によって資格が失われる前に記念参加しようと思い立ったらしい。

 この大会は、バウ、2番、3番、整調の漕手4人と、コックスの舵手1人で参加することになっている。

 ちなみに、ボートは、進行方向に背を向けて漕ぐ。

 なので、方向の微調整や舵取りを行うのが、船尾で唯一進行方向を向いているコックス。

 そのコックスにオレが任命された。

 (無駄に?)行動力のあるコーヘイは、すでにコックス以外のメンバーを集めたらしい。


「ボート、全然乗ったことないし、知らないしっ!」


 焦るオレ。


「みんな初心者だから大丈夫」

「なっ!!それ、かえって大丈夫じゃないからっ!」


というオレの突っ込みを、軽く受け流して不敵な笑顔で言った。


「確かに、あそこで何人も亡くなっているらしいけど」

「げっ!」

「って、大丈夫。初心者用のボートだし、ひっくり返ることはまずないらしい。それに、大会までボートの貸し出しがあってちゃんと練習できるし」


 こうして、オレも記念参加の一人に加わった。


 1ヶ月の練習期間が始まった。

 それに気付いたのは、最初の練習のときだった。

 視界の端に感じる、澱んだ空気の気配。

 ただ、それだけ。

 何がどうという訳ではない。

 誰も何も気付かない。

 オレは、粟立つ肌を無意識にさする。


 次の練習の時には、その気配は、吹き溜まりのような負の念の塊に育っていた。

 「気配」よりは、強い「念の塊」。

 そして、「澱んだ」よりはっきりした「負」。

 背中がゾクゾクする。

 これは、一体、何だろう?

 どこまで、育つのだろうか。


 練習のたびに目にするそれは、ゆっくり着実に育つ。

 大会前日の最後の練習の時には、人と同じ大きさの影、そう、ヒトモドキになっていた。


「・・・・サミシイ、・・・・・サミシイ・・・・サミシイ・・・・」


 ヒトモドキは、ひたすら唱えている。

 切実な負の叫びを。

 しかし、それは誰にも届かない。

 誰も何も気付かない。

 誰も気付かないということは、そこに存在しないということと同じだろうか。


 大会当日を迎えた。


**************************


 大会当日ということもあり会場は、多くの人で賑わっている。

 その賑わいに紛れたのか、ヒトモドキの声は聞こえず、存在も感じない。

 ひょっとして消えてしまったのか。

 オレは、そっと、胸を撫で下ろす。


 レースが始まった。


「キャッチ、ソー、キャッチ、ソー・・・キャッチ、ソー」


 あともう少しで、ゴール。

 気が緩んだ瞬間だった。


「・・・・サミシイ、・・・・・サミシイ・・・・サミシイ・・・・」


 ゆっくりと、音もなく水面に手が突き出るのを視界の端で捉える。


「・・・・サミシイ、・・・・・サミシイ・・・・サミシイ・・・・」


 その手は、整調のコーヘイのオールを掴む。


「うわぁぁっ!」


 バランスを崩したコーヘイが水面に投げ出される。


「・・・・サミシイ、・・・・・サミシイ・・・・サミシイ・・・・」


 コーヘイが連れて行かれる!!


 オレは、夢中でコーヘイの手を掴む。

 コーヘイは、一瞬、沈んだが、すぐに浮き上がり、無事に引き揚げることができた。


 オレたちのレースは終わった。


**************************


「それにしても、ハラキリかいっ!!」

「いい感じでゴールしそうだったのになぁ」

「ハラキリなんて、練習でもしなかったのに、まさか本番でするとは・・・・」


 「ハラキリ」というのは、オールが水面にとられて、オールのハンドルに挟まることで、文字通り、お腹に食い込んでハラキリ状態になる。

 ボートではよくあること。

 みんなが、言いたい放題の中、オレは一人、口を開くことが出来ずにいた。

 声が震えそうな気がして。


 オレは確かにオールを掴む手を見た。

 でも、誰も何も見ていないし、気付いていない。

 誰も気付かないということは、何もなかったということと同じことだろうか。


「水に落ちた時、足、引っ張られたんだよな。すごい力で」


 コーヘイが、少し、おちゃらけた顔で呟く。


「マジで~!」

「でも、よく聞くよ。琵琶湖の底にいる何かが、足を引っ張るって」

「あ、それ、実は藻が絡まるからって話らしい」


 ハラキリの原因も、足を取られる原因も科学的に説明できる。

 きっと、そうなんだろう。

 誰も気付かないということは、何もなかったということと同じかもしれない。


 でも、オレは気づいてしまった。

 あの悲痛な叫びと、ヒトモドキの影を。

 なかったことにはできない。

 ヒトモドキは、今、この瞬間にもあそこで虎視眈々と狙っている。


「お前が手を引っ張ってくれて助かったよ」


と、呟いた小さな声が、普段のふてぶてしさから余りにもかけ離れていたので、コーヘイが連れて行かれると思ったら、自分の身に降りかかるよりも、ずっとずっと怖くて、震えがとまらなかったのを忘れ、思わず吹き出してしまった。

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