死人の瞳
漆黒のガラス玉の瞳とすれ違ったら。
あなたは、止めることができますか。
脚色していますが、(半分)実話です。
あ、まただ。
オレは、恐怖で手足がすくんで身動きができなくなる。
心を落ち着かせるために、目を閉じて深呼吸をする。
1、2、3、・・・・・・・・10。
たっぷりと10まで数えた後、大丈夫と自分に言い聞かせ、ゆっくりと目を開ける。
そのことを考えないように、全く別のことで思考を満たす。
今日の夕飯、何だろう?
レポート、そろそろ取り掛からないと駄目だな。
今夜、何か面白いテレビ、やってたっけ?
なのに、コイツは、この必死な努力を水の泡にする。
「どうした?なんか、見たらいけないものを見たような顔をして」
コイツ、幼稚園からの腐れ縁のコーヘイは、軽い調子でからかうように、オレの顔を覗き込む。
きっと、ばれてるんだろうな。
何だかんだいって、すごく観察力があって、鋭いヤツだから。
オレは、どこまで話すか、少し逡巡する。
「コーヘイって、死体みたことある?」
思い切って、全てを包み隠さずさらけ出すことにする。
今まで誰にも、親にさえも、言えなかったことを。
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それは、オレが小学1年生の時のことだった。
友達の家に向かう途中、マンションの駐車場にそれはあった。
男が、大の字になって、仰向けに寝転んでいる。
その体は微動だにしない。
そして、その双眸は見開かれたまま、空を見上げている。
何やっているんだろう?
駐車場で、危ないな。
世間知らずな、まだ幼いオレは、不思議に思い、その顔を覗き込む。
空を見上げていると思ったその目は、既に何も映していない。
暗い、暗い、闇の中の漆黒のガラス玉がそこにはあった。
吸い込まれそうな、絶望的な深い闇。
すぐに、サイレンを鳴らしながら、救急車とパトカーがやってきた。
何やら、大人たちが色々としていたが(今から思えば、現場検証だったのだろう)、それは救急車に乗ることはなく、どこかに運ばれていった。
あとで、母親から、そのマンションの住人であるその人が、
将来のことについて親と言い争いになって発作的に投身自殺したことを聞いた。
オレは、その漆黒のガラス玉の瞳に囚われてしまった。
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オレは、それ以来、時折、その漆黒のガラス玉の瞳に出会うようになった。
街中で、買い物をしているとき。
電車に乗っているとき。
テレビの向こうで。
そして、いつしか気づいた。
その漆黒のガラス玉の瞳は、この世に希望を見出せず、生を諦め、放り出した人間のものだということを。
さっき、オレはまた、そのガラス玉の瞳をみてしまった。
「当駅で人身事故が発生しました。安全確認のため、しばらくお待ちください」
人身事故を伝えるアナウンスが流れる。
あの時、目を逸らさずに、声を掛けることができていたら。
恐怖を克服し、あのガラス玉の瞳としっかり向き合えていたら。
きっと違う結果になっていた。
ギシギシと、爪が手のひらに食い込む。
「自分を責めるな。お前のせいじゃない」
明後日の方向を向いて、ぼそっと小さく呟かれたその優しい言葉に、
鼻の奥がツーンと痛み、オレの視界がぼやけた。