八十八、加賀の統一
姉小路家と朝倉家の加賀侵攻と朝倉宗滴の死による朝倉家の撤兵、及び姉小路家による加賀制圧については既に述べた。加賀で残る拠点は、杉浦玄任らが籠る二曲城、鳥越城のみとなっていた。
草太は後方、西越中からの物資、兵などの輸送を命じ、また地侍の登用や国人衆の配置などを行い、加賀支配は完成に近づいていた。
この弥生二十九日には輸送部隊の最初の一団が到着した日でもあった。兵糧その他を南部へ慌ただしく運ぶ輸送隊の他、栗田彦八郎も最初の隊と共に来着した。聞けば頼んであった城は全て改修し終わり、灌漑開墾をしながら暇を持て余していたという。
「で、今度はこれか」
指さしたのは尾山御坊であった。草太が、違う、山田光教寺とその南、大聖寺城であると答えると、栗田彦八郎は少しにやりと笑って言った。
「この尾山御坊なら、ほとんど手を入れる場所がねぇ。入れるなら、大規模に改造しなければならねぇから、どうしようかと思ったよ」
草太は改めて、この尾山御坊を見て、それほどかと感心した。そして、別に寺を作ってそちらに僧たちを移し、家屋の多少の改造で武家造りにして加賀支配の中心地とする構想を思いついたのであった。
そして、適当な寺として尾山御坊の近くに能美郡にあった廃寺寸前の安国寺を移転、改築させ、瑞円たちをそちらに移すことを決めたのであった。これは、どちらかと言えば瑞円たちの希望でもあったようだ。何しろ広い尾山御坊の手入れだけでも人手が足りず、また住民たちにも敷居が高かったからであった。
「ともかくさ、現場を見てみなければ話が出来ねぇ。まずは現場を見せてくれ」
と栗田彦八郎にせっつかれ、若林長門守に地元なれば分かるだろうと聞くと、造作もないという。そこで若林長門守を案内役として栗田彦八郎に山田光教寺跡及び大聖寺城を下見をさせるとともに、勝興寺玄宗及び長続光に、再建の手伝いを命じる手紙を認めた。因みにこの時期になると、またしても草太の自筆の手紙一色になり、祐筆が再びいなくなったか、そもそも臨時の祐筆であったことがわかっている。
更にこの第一便と共に内政方の先陣として岩田九兵衛らが入り、早速現状把握から始めた。特に港湾部は、加賀及び七尾から渤海との交易船が出ていたこともあり、重視されていたようであった。既に草太は、内政についても軍事についても、報告書を基に知ることがほとんどであったため、現地で詳しく視察することはまれになっていたが、渤海を通じた明との貿易は相当の利益があるらしく、運上金もそれなりに上がるということであった。
もうよかろう、ということで田中弥左衛門、土肥但馬守も復帰させ、内政というよりも民の慰撫に勤しんでいた草太たちであったが、やはり杉浦玄任ら僧兵団の動きは気にかけており、物見は絶やさなかった。
服部保長の話によれば、忘心香を用いた忘心の法では武術は使えない上、材料を集めるのも難しいため、忘心の法を使っての戦はあれで最後であろう、という。ただし、超勝寺実照はどうも既にかけられているようであり、実質的な首魁は杉浦玄任であろう、ということであった。その上で、杉浦玄任だけは生かしておいてはなりませぬ、とくぎを刺すのを忘れなかった。
実害がないと分かった途端、農民は、というよりも人間は現金なものであった。大部分は元の農地に戻り多少荒れた田畑を整備し、多少遅れた田植えを再開したが、南部ではやはり遅すぎた地域も多く、水を抜いて今年は蕎麦を作るという村も少なくなかった。蕎麦であれば今から播いても霜が降りるまでに二度、収穫が可能であったが、田植えには既に遅すぎるからであった。草太は即座に触れを出した。今年の年貢は目方が合えば蕎麦、稗にても苦しからず、また食糧が不足した村には雑穀米を給する故遠慮なく申し出るべし、と。因みにこの雑穀米は、姉小路軍の兵糧として使われているものと同等のものであった。
この結果、草太の毎日の食事はまた蕎麦一色になるのだが、それはまた別の話である。
もっとも、あさましい人間はどこにでもいるようで、帰る村が既に消滅しているので養ってくれと騒ぐ輩はいたが、そういう者たちは適宜な村に放り込んだ。働かざる者食うべからず、というわけであった。
また、身内が根切りにあって放心状態にあるものも、無理にでも仕事をさせた。こういう時は、とにかく無心に体を動かすに限る、との元一向宗で身内が根切りで殺された経験のある長山九郎兵衛の進言を容れたものであった。確かに最初は辛そうらしいが、段々と心が落ち着くものらしく、経験者は語る、だな、と草太は思った。
そうこうしているうちに第二陣がきた。そこには意外な人物が同行していた。それは七太郎であった。
「御屋形様、壊していい城があると聞き参上仕りました」
壊していい、ではなく攻略すべき、だがな、と修正したが、七太郎の用事は、攻城用試作品の実験であった。
「いえね、どちらでもよいので。飛騨でやろうとしたらひどい勢いで太江熊八郎殿に怒られましてね。攻城戦を待っていたのでございますよ」
これまでも攻城戦は何回もあった、という言葉を飲み込んで、草太は何を持ってきたのかと聞いた。これです、と出したものは二つあった。一つは棒火矢であったが先に矢じりがつけられていた。もう一つは金属製の太く短い筒であった。
「なんだ、これは。どう使うのだ」
七太郎の説明を総合すると、棒火矢は通常のものと違い練塀などに刺さって弾ける、という触れ込みであった。かつて作ったものの、手元で破裂したらどうすると没にされたものであるという。飛んで練塀に刺さるところまでは実験したものの、練塀に刺さって爆発するかどうかは実験できていない、という。
「練塀を壊していいかと言ったら、太江熊八郎殿が怒りましてね。なので、実験はまだですが、ささって爆発する、というのがこの武器です」
もう一つは、現代で言うところの擲弾筒であった。棒火矢のようなものを打ち出すが、これは敵城の中に落ちて破裂し破片をまき散らす弾体を打ち出すもので、やはり火薬の力で斜め上に打ち出すのだという。
「これも、狙ったあたりに落とすところまでは実験できていますが、実際に爆発させた場合にどのくらいの効果があるのか実験させてくれと言ったら、やはり怒られまして」
誰だって怒るだろう、と草太は苦笑しつつも、実際に使えれば有効だろうと考えた。草太は気が付かなかったが、七太郎はこのとき、重要な部品を発明している。いや、車輪の発明に近いものではあるが、彼独自に開発したある部品を使っている。それは、導火線である。紙縒りを黒色火薬を芯にして作り、その上から麻布を巻く。これだけのことであるが、実際に作るとなると中々に難しい。途中で途切れてしまったりしやすいのである。七太郎は独自に紙に折り目を予めつけて一遍折ってから紙縒りを作る方法で、均質に燃える導火線を作ることに成功していた。
この導火線の存在こそが、遅発爆弾の命であったといっていい。
七太郎の懸命の懇願におし負ける形で、鳥越城及び二曲城攻略部隊に七太郎を同行させることとなり、どうせなら検分をするためにと称して草太も同行することとなった。こうなると軍は万全を期すべく編成され、最初は小規模部隊で様子を見る予定であったのが、渡辺前綱が一鍬衆四千を、滝川一益が鉄砲隊千を率い、木下藤吉郎の一鍬衆千が続き馬回り五百が続くという、過剰なまでの兵力が投入された。しかも服部保長が同行するといって聞かなかった。軍議の席で土肥但馬守がぼそっと
「過剰過ぎませんか」
と言ったのが印象的であった。
鳥越城の前に渡辺前綱隊が着陣し、滝川一益隊が着陣すると平野部はもう一杯であった。木下藤吉郎隊はやや後方に陣取らざるを得ず、馬回りは物見も今更ないため、若干名が草太の周りに付き従い、残りは木下藤吉郎隊の後ろに陣取った。七太郎の実験のために草太と平助、それに若干名の兵が付き従い、最前線である渡辺前綱隊に来た。
「新兵器は良いのだが、安全なんだろうな」
さあね、実験だからね、と言い、七太郎は棒火矢から試すと言った。
「うまくいけば、壁に大穴、ってぇ寸法だが、さてね。……と準備は出来ましてございます」
七太郎は、壁に大穴が明けば人が集まる。そこにもう一つの新兵器を実験してから突入をお願いします、と言った。言われなくとも渡辺前綱は兵に既に土嚢を作らせており、三間槍ではなく小太刀と、試験的に一間槍を持たせていた。
いきますよ、と七太郎が一声かけて、種火から火を落として棒火矢を筒に落とし込んだ。と同時に棒火矢が飛び、見事に壁に深々と刺さった。
終わりか、と言いかけた草太を轟音が襲った。棒火矢が当たった辺りの塀が幅一丈近く消し飛んでいた。
思ったより威力がありますな、と次を用意した。地面に置いた金属製の筒には既に火薬を詰めてあり、円筒形の物体の底に種火から火をつけて落下させた。ぽん、と独特の発射音を出して飛び、風に多少流されたものの見事に先ほどの穴の付近に落下した。何か、と僧兵が集まってきた途端に轟音が響いた。円筒形の物体が爆発し、中に詰められていた金属片が周囲に飛び散ったのだ。
実験は終了でございます、と言ったのを合図に鳥越城を渡辺前綱が力攻めに攻め、鳥越城はそれから半日で落城した。二曲城は鳥越城が落ちたのを見て、降伏してきた。
鳥越城を落城させたと同時に、超勝寺実照をはじめとする諸将は捕らえられた。ただし、杉浦玄任だけは既に何者かによって殺害されていた。城のものも誰も知らぬという。草太は何となく、なぜ服部保長がついてきたかが分かった気がした。
ただし、超勝寺実照はやはり、というか忘心の法で既に生きるしかばねであった。他人に言われるがままの操り人形でしかなく、尾山御坊近くに作られる安国寺、その一室に死ぬまで軟禁することとした。
残りの鈴木重泰、鈴木右京進、二曲右京進は国人衆として、鳥越城、二曲城と付近の数カ村をそれぞれ安堵することとされた。また、手取川上流という立地から、安国寺建築ための木材の供出を命じ、これで加賀の統一が成った。




