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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第三章、群雄割拠編
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七十七、天文二十三年の始まり

 天文二十三年正月元旦となった。この日ばかりは武将衆の他、国人衆も交えての大評定とそのあとの宴を催すことが慣例であった。

 能登畠山の最前線である末森城に籠っている平野右衛門尉以外のすべての武将衆と内ケ島家を筆頭とする国人衆全てが、この日岡前館に参集していた。


 まずは大評定が行われた。評定は通常、全員が平等に発言権を持ち、決定のみは草太が行うという形式をとるのだが、大評定だけは国人衆には発言権はほとんどない。発言が許されるのは、草太が国人衆にも発言を許すと特に述べた場合だけであった。

 とはいえ、大抵の場合には国人衆には大まかな戦略目標を伝える程度しか大評定では伝えられないため、発言権があってもなくてもさして変わりはないのではあるが。


 だが、この天文二十三年の大評定では草太の発言により騒然となった。一人の国人が大きく反対したためである。その草太の発言はこうであった。

「今年は能登を併呑し、能登畠山家については、その位にあること自体が既に負担になっておるご様子なれば、ご本家に戻っていただくのが宜しかろう。その後、当家は加賀守護を拝命した以上、加賀一向宗を一掃しなければならない。なので加賀攻略を行う。左様心得よ」

 この発言に、一人の国人が大きく反対した。誰あろう、勝興寺玄宗であった。彼自身、国人衆という立場と共に勝興寺という寺の住職であり、その意味では一向宗という戦国大名の一武将であるともいえる。勿論、どちらをとるかといわれれば、間違いなく国人衆という立場をとるだろう。その位、野戦となれば戦力が違いすぎる、そう判断するほどの分別は、勝興寺玄宗にはあった。だが、それでも言わざるを得なかった。

「加賀守護を拝命した、それは分かりますが、加賀へ兵を向ける必要がどこにございますか。戦を起こすばかりでございます。今、加賀はうまく治められております。それを崩すのには反対でございます」

「勝興寺玄宗どのか。そなた、いま加賀が上手く治められている、そういうたな。それは誠にそう思っておるのか」

 草太が聞き返した。そうだ、としか答える以外のない勝興寺玄宗であったが、草太がふと剣気を込めて言った。

「そなたの言ううまく治まっておる国は、他の国の重臣同士の権力争いに手を貸して兵を出す、それがうまく治まっておるというのか。しかも行く先々で略奪し放題にして、それがうまく治まっておるというのか。答えい」

 これには勝興寺玄宗も初耳であった。戦には略奪狼藉はつきものとはいえ、草太がここまで怒るほどの略奪を行ったのだろうか。いや、確かに三禁(勿奪、勿殺、勿害)に代表されるように姉小路家の軍規は厳しく、一向門徒衆が他国領内で行った乱暴狼藉はおそらく草太の逆鱗に触れるものではあったのだろう。

「しかし、一向宗を禁ずるというのであれば、私は反対せざるを得ませぬ」

「信心は信心、私とて顕誓殿には随分と世話になっておるわ。ただの寺社なら、一向宗を禁ずるつもりはない。むしろ、保護してもやろうよ。ただ、世俗の力を求めたいとあれば、世俗の力は我らが領分ということを知らせるのみだ」

 そういって草太は剣気を抑えた。

「のう、勝興寺玄宗殿、そなたは確かに向こうともつながりがある。それ故に反対せざるを得ないのも、分からないではない。立場というものだろう。だから、この情報をもって向こうに走っても、私は構わないよ。彼らが信心の世界に生きるというのであれば、それに越したことはない。だが、あくまでも武家であるという立場をも持つというのであれば、こちらも武家として対応する。それだけの話なのだよ」


 勝興寺玄宗は降伏を決めた日のことを思い出していた。あの時は顕誓であったが、問答をし、それがゆえに膝を屈する気になったのだ。

「そもさん、武家とは何ぞや」

「説破、武家とは武家なり。民の信心を守るのが寺社なり。民の生活を守るのが武家なり」

「そもさん、民の信心は生活には含まれないのか」

「説破、含まれると言えば含まれるだろうて。だがそれは寺社の領分、もしいずれかの宗派が禁じられるというのであれば、それが実害がない限りは寺社の領分として抵抗しようよ。だが、それ以外は武家の領分、我らの感知すべきところではないわ」

「そもさん、民の生活がどうしても苦しく貧しければどうか」

「説破、武家の尻拭いまで寺社がやるのは、領分違いだろうて。ただ、領分違いであっても敢えて手を出すことも、当然ある話だろう。だが、勝興寺玄宗殿、今の姉小路家の治世を見て、あえて手を出すほどのものかの」

 そういって顕誓はにこりと笑った。

「民は喜んで暮らしている。楽しんで暮らしている。そして毎日一歩一歩、善に向けて歩んでいる。そういう民を見て、勝興寺玄宗殿、敢えて畑違いの領分に手を出すべきだとは、私は思わないよ」

 そういわれては、国人衆という立場をも持つという落としどころを承諾せざるを得なかった。


 草太は、勝興寺玄宗が押し黙ったのを見て、特に反対できる根拠もないのだろうと考えた。反対したという立場が必要なのだ、と。政治の世界は、そういう姿勢を見せることも必要だということは、実体験として何回も見聞きしていた。これもその一つであろうと考えたのだ。そして、草太の策は、そうやって加賀に防衛体制を敷かせることにあった。村々に分かれて住んでいる一揆の中心人物を明らかにしていく、という地道な作業は、正直に言えば費用が掛かりすぎた。防衛体制を固めさせるということは、庄屋のような中心人物を指定し特定していくという意味も持っていた。


「では、そのように決する。皆の者、励めよ」

 こう型通りに終わり、宴となった。


 宴の途中、草太は勝興寺玄宗にそっと言った。

「加賀の事、伝えようが伝えまいが、私は関知しないよ。伝えるのがおそらくは役割なのだろうが……心のままに、信心のままにすると良い」



 またこの日、七太郎の防寒具が披露されたことは既に述べた通りであった。

 現代で言うところのポンチョのような形で基本的に革製で二重になっており、間に真綿が入っているため、軽く動きやすく、それでいて、試用部隊の隊長曰く「全く寒くない、むしろ汗ばむくらいである」という程であった。また手袋は人差し指だけが指が自由に動く現代のミトン型となっており、銃の操作も問題なく用いることができた。この他、天幕に至るまで披露されたのであるが、最も画期的であったのは持ち運びが可能で枝などの木材を燃焼可能な炉であった。現代の七輪に木製の囲いが付き、囲いに手が付いているものを想像してもらえると大体正しいのだが、この手を両手で持つことで火を消さずとも持ち運ぶことができた。

 これを天幕の中で焚けば、内部は冬季でも十分に野営が可能であるという。


 これらの知識は、七太郎が発案したというよりはむしろ、山の民が元々知っていた技術を七太郎の技術で再現したものにすぎず、模倣であるという。流石に七太郎一流の技術的な追加はあるが、流石に陶芸までできるとは知らなかった。聞くと、飛騨に来てから陶芸を始めたのだという。できる知識は、何でも吸収したいので、という理由だけで陶芸を始めたにしては完成度が高い。元々素焼き位であれば焙烙玉を作るために習っていたのも素地としてあったとは思うが、それにしても器用なことだと思った。



 だが、七太郎の披露した、というべきかは分からないが、七太郎がこの日、公にしたことで最大の驚きを以て受け止められたのは、七太郎が妻をめとる、ということであった。

「御屋形様、実は、岡前館前のとある女性と、婚儀を致しとうございまして、それで一応御屋形様に許可をと」

 聞いていた皆が静まった。

「なんでぇ、俺が結婚するのが、そんなに珍しいか」

 と七太郎が言えば、一番付き合いが長いだろう滝川一益が言った。

「お前が結婚、か。あまり信じられんが……相手はお前がどういう人間か知っているのか」

「うちの飯炊きに来ているから毎日会っていて、それが縁の始まりで、なぁ」

 惚気が始まりそうだった。どうも、人の惚気話は聞いていても楽しくない。そういえば草太は異性と親しく交わった経験がない。精々、飯炊き女中の類の何人かと話をしたことがあるくらいである。

 草太は少しうらやましくなりながらも、許す、好きにせい、と言った。


 ただ、草太は知らなかった。重臣たちは密議を交わして、草太の嫁取りを画策していたことを。

 最も有力だったのは朝倉家関連の女性であったが、朝倉家には残念なことに丁度良い女性がいない。第一草太の年齢がまだ十三歳であるから焦る必要はないが、こういうことは早い方が良い。一番良いのは側仕えの女性に手を付けてもらって側室に、というのであるが、草太自身が多忙の身である。中々に難しいだろう。


 そんなこととはつゆ知らぬ草太は、七太郎をただ祝福するだけであった。



 ところでこの宴の末席には、武将衆でも国人衆でもない人物が席に連なっていた。その人物とは、後の名人越後などを輩出した中条流の中興の祖ともいえる富田勢源であった。この人物の小太刀の型を常備兵に身に着けさせるべく、特に招いたのであった。これは、城攻めを意識してのことであった。城攻めのような屋内での戦闘では、三間槍の集団戦術は使えない。使えないどころか、各所に引っかかり槍自体を捨て去るほかはない。使いやすいのは脇差、小太刀の類であった。この戦訓は建白書の形で挙げられており、小太刀の名人ということで朝倉家との交渉の中で名前が挙げられた富田勢源に白羽の矢が立ち、それにより弥次郎兵衛から沖島牛太郎を通じて、特に招聘したものであった。少なくとも雪の季節が終わるまで、可能であればそれ以降も剣術指南役として留まってもらいたいと、草太は考えていた。


 一手見せてもらいたい、と平助と立ち会ってもらった。無論、宴が始まる前のことである。

 平助は通常の木刀を、富田勢源は一尺五寸という短い小太刀の木刀を使っての勝負であった。平助は剣気を隠そうともしなかったが、富田勢源はその剣気をするりと受け流していた。草太が初めの合図を出すと同時に両者共に中段に構えた。始めは長い木刀を使う平助が優位かと見えたが、それは全くの見当違いであった。富田勢源が、ほぅ、と感嘆のため息をつき、そして

「ではこちらから」

と、つ、と前に出た。平助は一足一刀の間合いが小太刀の富田勢源よりも広い。その範囲内に入ってきたので、撃った。否、撃とうとした。落ちてくるはずの木刀は天井の梁にぶつかり、その隙に富田勢源が木刀を突き付けていた。

「勝負あり、富田勢源」

草太が言った。平助はこれでも負けが嫌いらしく、もう一本と頼み込んだ。今度は庭でという。


 庭で一間の間に立ち合い、今度は平助から仕掛けた。

 中段からの突きを撃ち、躱させて変化させて胴薙ぎを撃った。これを富田勢源は小太刀で防ぎながら前へ出、小太刀の柄で平助の小手を撃ち、一歩離れて自由になった小太刀で面を入れた。

「勝負あり、富田勢源」

 草太はまたしても富田勢源の勝ちを宣言するほかはなかった。


 宴の間、平助と富田勢源は何やら話をしていたらしかったが、何かは分からなかった。草太が近づくと、富田勢源が言った。

「この御仁、どうしても房綱殿の護衛として聞かないので。剣の道に進めば、一流になれる、その素質があるのに、勿体ない。剣を志して専心すれば、一年で私など足元にも及ばなくなるでしょうに」

 どうだ、と草太が聞くと平助は平然として答えた。

「私は草太、姉小路房綱殿の護衛、それが志でございます。匹夫たりとも志を奪うべからず、でしたか」

 それなら何も言うまい、と草太は富田勢源に、平助のことは諦めさせるのであった。


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