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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第三章、群雄割拠編
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六十二、越中評定

 増山城降伏時の二人の切腹の衝撃から未だ完全に立ち直ったわけではなかったが、草太は自分がすべきことを思い出した。軍議をし、皆を動かさなければならない。草太のところで止まっている仕事が沢山ある。一つでもこなさなければ、民を安んじることにはならない。

 そのことに内ケ島氏理と話をしている間に気が付いた草太は何とか心の中で折り合いをつけ、左右のものに軍議をすると諸将に集まるように命じた。軍議に列席したのは、後藤帯刀、城井弥次郎兵衛、滝川一益、服部保長、木下藤吉郎、小島職鎮、平野右衛門尉、内ケ島氏理であり、越中にいる諸将としては渡辺前綱以外は全員出席した。



 この軍議については、姉小路家日誌によれば、天文二十二年弥生十三日(1553年4月25日)の項に書かれているが、前後からして同日に行われたとは考えにくい。以前にも触れたと思うが、姉小路家日誌自体の底本ともいうべき重要資料が平助の日記であり、平助が日付を入れなかったか、あるいは数日分を纏めて書いた場合に、このようなことが起こった、と考えられている。

 いずれにせよ、次の日付である弥生十九日(5月1日)より前、おそらくは前夜の弥生十八日(4月30日)か十七日(4月29日)にこの軍議が行われたと考えられる。

 日誌は軍議の内容を箇条書きで述べているが、その内容を抜粋すると、

一、西越中内政の事 早々に検地仕候事、又建白の申処、結構至極に候。房綱公曰く、税は理想は全て銭で納めるべきものなれども、今は米にて納めるべく、六公三民一倉とし、また百石当て一人の常備兵の費えを銭にて納申可候事。

一、姉小路家の軍制に付、鉄砲隊、槍隊を分けて運用する事 先般より三人槍一人鉄砲を制としたが、砺波郡合戦の知見をもって、混成ではなく協業する部隊として個別に運用すべく、騎馬隊を新たに設立致可候事。又雨具に付研究させ申候事。

一、内ケ島氏理殿帰還の件 時は田植えの時期なれば、長滞陣不可。早々に帰還すべき事。また、この後詰を賞して上見城を改修の後、砺波平野南部より二万石相当を預け給い、もって西越中の守りを任せること。

一、能登内紛の事 服部保長、能登内紛の次第を披露し、能登への出兵を内紛にて戦致候後、行うべく献策致候。公、少々考えたるが、その旨了承致候。

一、加賀動静の事 服部保長、加賀動静について披露し、勝興寺の寺領ともなっている小矢部について、いかにすべきか図ったところ、公短く曰く、寺社は寺社にて、(まつりごと)軍事(いくさごと)に口を出す間敷候。寺領については瑞泉寺の例に倣候事、ただし寺格には注意すべき事を言下に申候。

一、椎名家の事 既に神通川を境として相決めたる事、再度確認致候。くれぐれも心得違いなく、無用の衝突は有間敷候。ただし、服部保長に命じて曰く、目を離さぬように、とぞ。

この七つが骨子であったようである。



 さて、ようやく評定という段になり、ほっとした諸将であった。評定をして意見を統一する。これが一つの公式な方策である。草太一人に結論を出させるのではなく、全員に諮り了承を得ることで、その後の内部での折衝が格段に楽になる場合が多くある。例えば新型銃の導入であれば、根回しするのは費用を受け持つ勘定方と制作方、それに軍備そのものを司る兵部方と多岐にわたる。そもそもの材料も今までの体制では問題があるなら材料調達方という意味での勘定方も根回しが必要であり、草太が導入に賛成したところで、ほかの部署、特に勘定方が費用に難点を示す可能性もあたった。評定で決まったとあれば、勘定方も難点を示しにくく、それだけでも随分と楽になるのであった。

 特に今回の評定は、西越中接収後最初の評定である。これからの西越中経営のための方針を決めるにあたって、非常に重要な評定であった。


 評定の冒頭、草太は一同に頭を下げた。この数日の虚脱状態を反省してのことだ。

「皆に迷惑をかけたな。すまぬ」

 そこに明るい声をかけたのは、やはり弥次郎兵衛だった。

「目の前で切腹、それも二人も、なんて慣れている方がおかしいのですよ。これも屍山血河の一部ですから、諦めて先に進みましょう。何しろ、あの二人が犠牲になっただけで、あの後西越中の大半は血が流れずに済んだのですから」

「とはいえ火種は残っているな」とは服部保長であったが、木下藤吉郎が切り返した。

「ま、それを話すのが今日の評定ですやね」


「とはいえ、まずは内政から話をしていきたいと思います。これが最も急務にて」

 弥次郎兵衛が六公三民一倉の制と賦役を、という献策をしたところ、草太が反対した。本来ならば飛騨も越中も、税率は同じであるべきだ。確かに越中は未開墾地が飛騨よりも少なく、税負担は重かろう。それに賦役といって何をさせるのだ、と。

 弥次郎兵衛が考えている賦役は雑兵であった。そういうと草太は少し妙なことを言った。

「農民たちは銭を持っているのかな」

 これには弥次郎兵衛は即答しかねたが、変わって木下藤吉郎が答えた。

「多少は持っているでしょう。村周りの商人あり、寺への寄進に銭を出すものあり、市も日を決めて立って居るところを見ると、それなりに流通はしておるでしょう。どの程度の量が、というのは分かりかねますが」

「どうせ米で取っても、一部はそのあと米商人に売って銭に変える。ならば最初から銭で集めさせたらどうだ。そうだな、五十石か百石当たりで常備兵一人分の給金を出させたとして、ざっと三千人から四千人の軍役を負担させることができる。装備他はこちらが用意する必要があるにせよ、大分、ましだろう。どうかな、この案は」

 草太はそう言って弥次郎兵衛の顔を見た。賦役の代わりに銭を取る。年貢として銭を、というのは、弥次郎兵衛の発想の範囲外であった。確かに率については検討が必要であるが、ある程度飛騨と平等に、百姓から銭を引き出すというのは悪い案ではなさそうであった。

「分かりました。銭で、というのは良い考えかと存じます。常備兵一人を百石にするか五十石にするかは、重さとして百姓に重くなりすぎない程度にするため百石辺りにするべきだと考えますが」


 この策は、言うまでもないことだが、貨幣経済の浸透という側面も持ち合わせていた。これまでも草太は、米などが足りなくなりそうだという勘定方の建白に買えばいい、と簡単に言ってきた。もちろん鉱山なり何らかの裏付けがあったからというのはその通りなのだが、草太とは見えているものが決定的に違うのだろう。しかし、それでも弥次郎兵衛は言わざるを得なかった。

「ところで御屋形様、我々はこの西越中を取るのは、一つには食料の自給自足という観点からだと考えておりました。今までは東越中や美濃から買っていましたから。それは今後も続けるのですか」

 む、という顔になった草太であったが、言われてみれば確かにそうだ。裏作に食料以外の作物を作らなければ銭はできない。あるいは三民の中から米を売るか。いずれにしろ、食料の生産という意味ではマイナスであった。だが草太は言った。

「ま、両家とのつながりもある。取引をしている間はどちらも安全、とまではいかないが、取引を通じて見えてくるものもあるだろう。継続してよいだろうよ」

 横から服部保長が口を出してきた。

「東越中も美濃も、美濃の方が濃いですが、何やらきな臭い匂いがしていますな。最低限の自給体制は、やはりお願いいたします」

 どういう意味か、という問いに、服部保長は答えた。

「勘、といわれればそれまでなのですが、まず東越中の椎名長常殿。何やら死臭が致しました。あまり長くないかと。次に美濃。道三殿が来年にも隠居するという発言をしてから、何やら奇妙な匂いですな。内紛の匂い、とでもいいますか。いずれにせよ何の根拠もなく勘でしかありませぬ」

「おめぇのこういうことの勘は、どういうわけか訳もなく当たるんだよなぁ」と滝川一益が同意し、

「いずれにせよ自給自足体制は早めにお整えくださるべきでございます」と真面目な顔で言った。

 東越中からの食料購入は、その余剰食糧を銭に変えさせることで兵糧を蓄えることができないようにする、という意味もあるので、そこまで単純な話ではないのだが、考えおく、と草太が言ってこの議題は終わった。



 次に私から、と挙手をしたのは滝川一益であった。

「以前に槍隊三名に鉄砲一名を一つの組として一つの小隊とする制度を建白いたしました、が、どうにも使い勝手がよくないようでございます。砺波郡合戦の結果、鉄砲隊は鉄砲隊、槍隊は槍隊と分け、その上の指揮の段階で連携を図るのが妥当と思われます。また、騎兵のみで編成した騎兵隊も、砺波郡合戦でその威力を十分に発揮いたしました。ですので備えの一つとして騎兵隊も創設をお願いしたいところでございます」

 鉄砲にしろ騎兵にしろ、相当な専門技術がなければならず、常備兵を充てる必要があった。末席の平野右衛門尉が控えめに言った。

「先の砺波郡合戦のことで言えば、騎馬隊は既に鉄砲隊と槍隊により崩れていたところに突入しただけ、ダメを押しただけでございます。反撃らしい反撃もなく、我らも攻撃らしい攻撃をせずただ駆け抜けただけでございます。さして戦果らしい戦果はございませぬ」

「いや、あの突入によって完全に崩れ、一向門徒衆が作戦行動をとれなくなったのは確かだ。誇っていい」とは服部保長であった。

 少なくとも鉄砲隊と槍隊とは分けるべきであり、部隊内部での連携ではなく中隊以上の指揮段階での連携を図っていくこととなった。そうなると、結局は人材の確保、ないしはいわゆる士官教育が必要となる。だが、教える側も試行錯誤なのにそれができるか、中々に難しい。

「騎馬隊についてはひとまず置くにして、鉄砲隊と槍隊を分化させ、より上位の指揮官の負担は増える。下士官の養成で急務はあるがそう簡単でなはい。が、方法は模索してくれ。それから騎馬隊だがな、今の馬回りから分化する形で一隊作成し、増員する形で馬回り以外にもう一隊試用隊として作成せよ。その運用結果を見て判断する。ダメなら各隊の士官に配備するつもりで教育を行うことを忘れぬようにな」

 草太が決を下して、軍制については一旦はここまでとなった。

 草太はぼんやりとではあったが、テレビでやっていた騎馬隊の突撃と、自身の見た騎馬隊の突撃を比べていた。前者はサラブレッドの一隊、後者はポニーの一隊なので、随分迫力は違った。それでもこの時代、この日本では充分な迫力のあるものなのであろう。


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