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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第三章、群雄割拠編
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六十一、草太という要

 弥次郎兵衛はただただ忙しかった。陪臣として岩田九兵衛ら三十人衆(最初の入国時に供回りとして入国した三十人はこう呼ばれていた)はいるうえ、その他にも手代衆あり、公家の次男、三男を雇っているにしても、それにしても忙しかった。

 まずは検地である。新たに入手した土地は古い検地台帳、つまり増山城降伏時に引き渡されたものであるが、それですら三十万石を超えるのである。更に新しい税制についても庄屋を呼んで説明しなければならない。ただし、荒れ地の具合から言えば七公二民一倉の制は受け入れられないだろうと思われた。今後の開墾による増収分が無税になるにしても、事実上の八公二民ではこの地では立ちいかない。この辺りも家中で話を詰めなければならない。

 税制は、例えば飛騨が七公二民一倉、越中が六公三民一倉とした場合にはおそらく飛騨の民は問題視するだろう。

 総じて、画一的にしすぎると部分部分ではより良い施策があることが多い。一方は荒れ地も未開拓地も多い山国、一方はある程度開拓が進んでいる平原では、有用な方法も異なるのは当然だろう。だが、検地はともかく、税制についてはまだ庄屋たちに説明するどころか、何も決まっていないのが現状である。


 といって、草案を考えるのは今回は弥次郎兵衛の仕事なのである。そこで思いついたのは、率を六公三民一倉とする代わりに賦役を課す、というものであった。村ごとに費用その他を負担する常備兵、と言ってもよい。現在の一鍬衆は半農半兵の屯田兵であり、平時には賦役も申し付けることがあるが、基本的には土地付きの兵である。今回のように外征をしたとしても、そのまま守備隊に転用するわけにもいかない。できるとしても短期間である。


 また領内の巡察も行わなければならず、西越中の現状がどうなっているのかを把握するためにはまだまだ時間も手間も必要であった。


 それよりも気がかりなのは、増山城攻略後、草太の顔が晴れないことである。原因は平助に聞いた。確かに衝撃を受けて当然であろうとは思うが、だからといって政務を止められてはかなわない。最低限度の政務だけはこなしているようだが、評定を行うことは内政の方向性を決めるのみならず今後の方針を決めるためにも、ぜひとも必要である。草太の志が日本のこんな片隅だけで終わられては、弥次郎兵衛は困るのだ。高齢ならば仕方がないにしろ、まだ若年である。日本全土、唐天竺までという壮大な気宇を失われては、困るのである。その壮大な気宇に惹かれて、城井弥太郎の下を飛び出して草太の下へ来たのだから。



 話は変わって滝川一益である。彼は軍備全体を管理していた。現在は飛騨からの兵五千五百の他、増山城降伏時に兵として残ることを希望した約千名を加え、更に小島職鎮の所領安堵とともに彼の領兵五百が越中にいるが、飛騨にはほとんど雑兵以外に兵はいない。国人衆の兵を合わせても二千も集められれば上々、という辺りでしかない。一部の兵を飛騨防衛のために戻すことも考えていた。だが、その許可は、評定を通さなければ降りない。草太に直接建白するにしても、最終決定は評定だ。


 更に、軍制についても見直すべきであった。砺波郡合戦の際に、鉄砲隊は鉄砲隊、槍隊は槍隊と分けて運用するべきだと強く思い至った。自身の建白ではあったが、混成とするのは誤りであったとさえ思っていた。それから騎馬隊の創設も視野に入れていた。草太の馬回りだけは全員騎馬隊であったが、これは使い番や物見のために必要となるためのものであり、騎馬隊として使うことを想定して作られたものではない。だが、砺波郡合戦では見事にその威力を発揮して見せた。

 新しい軍政としては、専業兵士で構成された鉄砲隊及び騎馬隊、一鍬衆及び雑兵で構成された槍隊、雑兵を中心とした輸送隊、そして特殊な技能を持った集団である医療隊という編成に再編成するべきである、と建白書に書いて提出したが、これだけ大きな話となると評定を通さなければ話が進められない。増山城降伏時のことについては、目の前で見ていた滝川一益も思うところがない訳でもないが、あの場はああするしかなかった上、いつまでも引きずれらてもたまらない。



 滝川一益の建白した軍制は、この当時の軍制としては、実は画期的なことである。国人衆以外、ほぼすべてが直轄地という非常に特異な姉小路家だからできた、とさえいえるかもしれないが、通常は例えば甲斐武田家であれば、武田家直参、馬場家、板垣家、飯富家などがそれぞれに足軽雑兵、鉄砲、騎乗武士などを抱え、それらが統合されることはほとんどない。織田家であっても状況は似たようなものであって、ただ与力としてつけられた兵を統合することがある、程度の話でしかない。だが、姉小路家は、繰り返しになるがほぼすべてが直轄領であり、全てを一元的に兵を集中運用できた。それゆえの鉄砲隊は鉄砲隊、という集中運用思想の発想であった。これが武田家であれば、馬場家の鉄砲隊と板垣家の鉄砲隊が協力することはありえても、これらが集中運用されることはそもそも想定さえできない。命令系統が異なるためだ。

 また、騎馬武士が騎兵として戦うこと自体はあり得ることだが、日本において騎兵という兵科が出てくるのは姉小路家のそれを除けば明治以降のことである。騎兵ではなく騎乗し、周辺の部下を指揮しつつ戦うか、戦場についたら下馬するのが普通なのである。だが、草太はためらいなく騎乗したまま突撃し突破して見せた。武田の騎馬隊は有名だが実際には存在しなかったといわれているが、草太の知識の中では騎馬隊が存在したことが、このためらいのない騎馬隊の突撃をさせたのであろう。

 その結果を見て、騎兵隊という兵科の能力をいち早く見抜いて見せたのは慧眼であったが、鉄砲隊と騎馬隊、いずれも恐ろしく費用がかかかるのが難点である。



 ところ変わって、守山城に詰めている渡辺前綱であった。守備命令が出ているが、連れている兵は二百余りと少ない。増派はされてくるだろうが、もし能登畠山氏の武力介入があった場合には守山城では守り切れない可能性を危惧していた。物見を多数出し、介入の有無を探らせており、今のところ静観している、というより、おそらく内部で揉めているのであろうとは予想されたが、油断は禁物である。何より、まだ接収から日がたっていない上、神保長職の子である神保長住は今、能登畠山氏に保護されていると言われている。神保長住を前面に押し立ててくる可能性は、決して小さくはない。

 果たして物見より、七尾城に兵が集結中であると急報が入った。その一報を通報するとともに、合戦の準備をさせた。籠城は、物資の関係でほとんどできない。後詰が来ることも考慮しつつ、防戦のための準備を命じたのだった。



 このことは、服部保長も諜報により探り出していた。というよりも、渡辺前綱よりも詳しく探り出していた。

 現在のところ、能登畠山氏は重臣の専横により一枚岩とは到底言えない。だが、寺島職定や菊池武勝といった氷見を領する国人衆、それに能登七人衆の内紛の状況を聞くにつけ、うまく話を転がしていけば調略にも応じうる可能性が高かった。だが、その行うべきところは建白書として残すようなことのできる種類のものでない。また、今日明日の調略というわけにもいくまい。

 おそらくは一度合戦をし、そのあとの流れで調略するというのがよかろうと考えていたが、こちらから兵を出すわけにもいかず、対応には苦慮していた。特に内紛状態を考慮するのであれば、どちら側を調略するのか、現在のままで内紛を助長させて漁夫の利を得るのか、最終的には評定で判断しなければならない。


 また、服部保長は加賀からの侵攻を危惧していた。能登へ介入している間に加賀から一向宗が越中を食い荒らした、では話が合わない。この種の、宗教と政治が混在したような部分について、利をもって考える服部保長の埒外の行動をとる場合も多く、少なくとも越中にある一向宗側の拠点安養寺城(勝興寺)への対応もある。これもまた、武力でいくのか徐々に信徒を奪う形で瑞泉寺を支援する方向に行くのか、評定で決めるべき議題であった。



 さて。草太である。未だに草太は増山城降伏時の二人の切腹の衝撃を消化しきれずにいた。平助曰く、志の果てとして彼らが選んだ道であるということであった。だが、本当にそれでよかったのだろうか。草太には全く分からなかった。志を曲げたから、志に届かなかったからといって自分の罪が重いと勝手に決めつけて、そして草太の前で切腹して見せたのである。

 それがどれほどの意味を持つのか、草太には分からない。この辺りの感覚は、草太はどこまで行っても現代人であった。戦場で数千という敵を屠る命令には何の痛痒もない。ただ死があり、それを悼むだけであった。あるいはその死の多さにおののくこともあったが、戦であるということで折り合いをつけられるようになった。ただそれで民が救われているとは中々思えなかった。

 だが、あの二人はどうなのだ。確かにあの二人は、城兵の命を救った。小島職鎮の命も、見事に救って見せた。それが彼らの志とは異なっていたとはいえ、救って見せたではないか。

 草太は悩んでいた。


 そんな中、内ケ島氏理が後詰の兵千とともに来城したとの報が入った。草太は、すぐに会うといって人払いをした。平助さえ席をはずし、増山城の一室で二人は話をした。一刻ばかり話をしていたのだろうか、何を話したのかはわからない。草太も話さないし、内ケ島氏理も内容については黙ったままだ。おそらくは二人の切腹について話をして、普段見せないような弱い姿を見せたのだろう。しかし、心なしか草太の顔が晴れており、心の中でくすぶっていたつかえが、話をすることによってとれたのかもしれない。


 出てきてすぐ、その夜に評定をすると言い、諸将を呼ぶように伝えた。むろん、内ケ島氏理もその中に入っていた。


「それでは評定を始める」

 草太が厳かに言って評定が始まった。ここしばらく評定らしい評定はしていないから、少し照れ隠しの意味でも厳かに開始を述べたのかもしれない。列席したのは、後藤帯刀、城井弥次郎兵衛、滝川一益、服部保長、木下藤吉郎、小島職鎮、平野右衛門尉、内ケ島氏理であり、越中にいる諸将としては渡辺前綱以外は全員出席していた。


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