五十八、西越中接収
姉小路家日誌によれば、天文二十二年弥生十三日(1553年4月25日)の項に、三つのことが書かれている。一つは増山城降伏の件、二つ目は瑞泉寺降伏の件、もう一つは椎名長常との領土問題についてである。といって、次の日付が弥生十九日(1553年5月1日)であるから、全てが弥生十三日に行われたわけではないと思われる。この段は、こう書かれている。
「姉小路房綱公、砺波郡合戦の後、増山城を包囲致候。されど堅城なれば力押しにするは無用なりとて、囲みたるままに致せしが、水越勝重、俄かに神保長職を裏切りて綱をつけ、下り来たり。(略)これにより、増山城は落城し、西越中の諸城は守山城まで悉く姉小路家の治めるところとなり。また瑞泉寺は後藤帯刀、顕誓の勧告により降伏致候。その要件を書きたる覚え書きを交わし、以後、単なる寺社としての道を歩み候。要件は以下のごとし(略)。さて椎名長常、領土を定め申可候とて談判に及び、境を神通川と致し候。このため、富山城は我が手にあるも椎名長常の取る処と相成候」
合戦前後になると日付自体が曖昧になるのが、この姉小路家日誌の特徴であり悪いところでもある。おそらく、元となった資料の一つである高屋平助の日記が、戦などで忙しいと数日分を纏めて書いたことに起因するものだろ思われる。また、律令制の下では守山城以北の氷見郡も越中に属するが、能登畠山氏の影響力の強い地域であるため、能登として認識しているようである。
草太は城攻めについて思いを巡らせていた。おそらく今のままでは落ちない。ただ囲んでいるだけ、というだけであり、しかもその包囲も完全とは言い難い。抜け道、間道の類は、この城を居城とする神保長職の方が詳しいであろうし、こちらの兵が大きく損耗するであろう力押しも、兵数がそこまで違いがないため、落城まで追い込むのは難しいだろう。草太は今後の方針について決めかねていた。
まず一つは、城攻めなどせずに砺波郡を北上し海岸線までの実効支配体制を確定させてしまうことである。草太の予測によればもうすぐ瑞泉寺降伏の報が入るはずであり、そのまま砺波郡南部は支配体制を奪取できたと考えてよい。さらに海岸線までの支配については、守山城のほか、富崎城、放生津城に対して既に接収のための部隊を送るべく、支度をさせていた。特に守山城には一門衆渡辺前綱を入れ、能登畠山氏との接触を図ることとしていた。
だが、増山城である。問題は、増山城攻略がならなければ西越中を攻略したとは認められないだろう。もしそうであれば、今回の出兵の目的が達成できたとは言い難い。もちろん、飛騨本国から考えても莫大な規模の田畑を手に入れることができたという結果は結果として、戦略が全く意味がなかったというわけではないが、東に椎名氏をおき、能登、西越中を支配下に置くことで、この方面の正面を加賀方面に限定することができる、というのが今回の最終的な目標である。増山城を残したままでは、戦略が意味をなさないどころか、前線が伸び対応する兵力が増えるだけである。北砺波までを勢力下におき、支配し続けるとするならば、最悪の場合、増山城を中心とした神保長職、能登畠山氏、加賀一向宗の三方の敵と同時に戦うことになる。そうなった場合には、潔く北砺波は放棄する以外に、手はない。すべては増山城にこもる神保長職、そして能登畠山氏を打倒できるかどうかにかかっている。
弥次郎兵衛が心配しているようだが、石高が増えた場合であってもそれほどの危機感はなかった。百姓連中にしてみれば、相手が誰であれ年貢を納めさえすれば済む話なのだ。その相手が変わったからといって、どうだというのだ。精々、年貢を含めた出納管理の問題が出てくる程度の話だ。大体、まだ砺波郡を見ていないが荒れ地がやはり目立つから、今まで通りの早期の検地と七公二民一倉の制でよいだろう。問題は人手だと言っていたが、移民では確かにもう賄えない。この辺りはまだまだ考える必要がある。とはいえ、信濃からの人口流入は続いていて、飛騨で賄いきれない部分を南砺波に入れる手はずは既に整いつつある。今後の推移も見ながら、ではあるが、内政についてはそこまで心配はないだろうと踏んでいた。
それよりも増山城だ。これを攻略するためにはどうするのがよいのか。草太には全く腹案がないまま、軍議の時刻となった。
呼び出しが来て、草太とその後ろに平助が着座して軍議が始められた。出席者は常の軍議よりも随分少ない。後藤帯刀はまだ戻らず、弥次郎兵衛は井口城に残している。更に渡辺前綱は守山城などを接収するために出陣しており、三木氏の降将、平野右衛門尉は増山城正面に詰めていた。したがって、滝川一益、木下藤吉郎、服部保長の三名に草太と平助の合わせて五名がこの軍議の参加者であった。議題はもちろん、増山城攻略、これであった。勿論、その山一つ越えたところにある亀山城も攻略対象である。この二城は連携しており、一つの城と考えるべきであった。
「まずは現状を把握しよう。どの程度の兵力があの城にある」
草太がまずは口を開いた。これに対して答えたのは服部保長であった。
「分かりかねます、というのが実際のところでございます。少なくとも千数百、多ければ三千を超え四五千近く、というところでございます。将としては本城たる増山城に神保長職が、向かい合う付け城である亀山城に水越勝重が、富山城を捨ててこちらに入っているとの報告がございます」
草太にはこの報告に何か違和感があった。それが何かは分からなかったが、同じ違和感を持ったような顔をしているのは木下藤吉郎であった。
「それぁ、なんか妙じゃ。ほんに亀山城に、水越勝重がその近侍だけではなく富山城を引き払って全体で、入ったというのかや」
ひどい言葉遣いではあるが、服部保長は気にしないように答えた。
「そのように報告を受けております。また、富山城は既に空というのも、物見が確認しており、すでに接収のために渡辺前綱殿の手のものにて兵百が向かっております」
「ふむ。妙じゃのぅ」
滝川一益も何かがおかしいと思ったらしい。
「富山城までに兵を伏せている、というわけでもないようだ。支隊の数百程度を撃退してもあまり意味もない。あるいは逆侵攻をかけようにも椎名氏と内ケ島家がそれを許すはずもない。だが水越勝重はそこにいる、富山城を引き払ってな」
同じように感じているのは服部保長もであったらしく、つまりは全員が奇妙なものを感じていたのだ。草太は言った。
「兵、金銀兵糧すべてを増山城又は亀山城に集めた。奇妙なことにな。もっとも、放生津城、守山城にはもともとほとんど何もなかったようではあるが。富山城、富崎城を捨てた。捨てる必要もなく、場合によってはそちらから兵を出しての後方を遊撃することも十分に可能であるにもかかわらず」
しかも、と草太は続けた。
「しかも、時が早すぎる。合戦が行われて大勢が判明したのが払暁、われらはその日のうちに物見は出していたが、敗戦の報が入ると同時に富山城を放棄し引き上げ、その夕には富崎城の衆と合流し夜には亀山城に入っている。敗報が届いたらそうすると事前に決めてあったかのように」
そう、違和感のもとは、これだ。敗戦があってから移動の支度をしたのであれば、戦場を離れるまで半日近く時を取られたとはいえ、集合が早すぎるのだ。倉のものを纏めるだけでもそこまで時間をかけずに行うことはできない。井口城に到着したときに慌ただしく荷を運び出した跡があったが、井口城のような行政を行うための館という性格の強い城であり、備蓄などほとんどなく重要書類だけであるが、それでも大変な量だ。大敗をしてすべてを増山城に集める、という命令を発したところで、時間がおかしい。
「何やら、策があるのか、それとも……」
服部保長が言った。その言を引き取って滝川一益が続けた。
「敗報以前から金銀兵糧を纏めていたというのは、つまりはそういうことでしょうな。勝っても負けても、全ての兵および金銀兵糧を集める、そのつもりであった、と。それが指し示すのは」
「下克上、か」草太は息を吐き出した。頭の中で歯車がかちりとあった気がした。
服部保長に配下の者に加賀方面への諜報を強めるよう命じ、水越勝重がどのような手を出すか、気にしていた。
おそらく、草太の想像通りであれば今日明日中に片が付く。草太は、対応を考えざるを得なかった。
少しだけ時は遡る。姉小路軍との砺波郡合戦に敗れ、勝敗は兵家の常、と強気な姿勢を見せながらも、神保長職は平常心ではいられなかった。なにより、一向門徒衆が横から突撃してこなかった、ということは、あの土壇場で彼らが攻撃を止めたとは考えられないから、自分たちと戦っていた隊との他に別動隊がいたということだ。それも四千という数を止めうるだけの力を持った別動隊が。どうあがいても勝てぬ。この上は一度城に戻って、五千の手勢も二千程に減っていたが、集結が完了していない時点での急襲を優先させたため、自分たちが出発後に千、少なくとも五百は集まっているはずであり、それだけいれば半年は増山城に立てこもれる。その間に能登畠山氏に仲介を頼んで和睦するもよし、今回仔細ありとて動かなかった超興寺や加賀の一向衆に後方をついてもらうもよし、何とか巻き返せるはずである。少なくとも本領さえ安堵してもらえれば、降るのも一つの手だ。
そのようなことを考えながら、神保長職は増山城に入った。
ふと、兵の数が予想よりも大幅に多いことに気が付いた。半数以上が黄色いたすきをかけている。
「殿、よくぞ御無事で」
と声をかけてきたのは、水越勝重であった。富山城にいたはずであり、敗戦を知らせる使い番も出していない。合戦があっても少々のことでは動くな、という命令を出してあったはずなのだ。それだけ、あの富山城はこれから椎名氏を圧迫するためには重要なのだ。
「殿、某、勝手ではありますが物見を出し、合戦の一部始終を知り、勝手ながらこちらへ増援に参り申した」
その物言いに、神保長職はふと疑念を抱いた。
「勝重。それは本当に増援か」
悟られたか、と水越勝重は刀に手をかけた。だが神保長職は既に諦めていた。一の家臣として最重要拠点を守らせていた水越勝重にすら裏切られるくらいの器量しか、自分は持ち合わせていなかったのだ。
「よい。覚悟はできておる。向こうがどうするか分からぬがな。……広瀬宗城のことは聞いておろう。あれは旧主ではないが、首にして持っていくのがよいのか、一応は考えた方がよかろう」
広瀬宗城のこと、と聞いて、水越勝重は刀から手を放した。
「それよりも、最後に一献、付き合わぬか。姉小路に降るのは明日でもよかろう。……なに、儂は水越勝重、お主に下るよ。それだけの器量しかないのだから」
そうして、神保長職は戦国大名としての自分に見切りをつけた。
その夜、奥座敷であった。神保長職は水越勝重方の侍三名に囲まれる形で床の間を右に、水越勝重は床の間を左に、それぞれ座った。上座として床の間を背にはせぬものの、旧主を床の間を右に、つまり上座に座らせたのは、どのような心境であったのだろう。旧主という遠慮か、生贄に対する言い訳か。水越勝重には我が事ながら判断が付きかねた。
酒は、神保長職の言う通りの場所から取り出してきた。京の澄酒だという。神保長職曰く「とっておき」で、越中を統一したら飲む予定だった酒だという。先に毒味、と神保長職自らのみ、水越勝重に酌を付けた。染み入るような、上物の酒であった。
「本当ならば、越中を統一した暁に飲む酒だったのだがな。その志は、捨てた。いや、器量が足らぬゆえ諦めた、といって良い」
水越勝重の返杯を受けながら、神保長職はしみじみといった。
「勝重、お主に裏切られるようでは、それまでの器量しかなかったのだ。だから越中統一の野望は諦めた。……時に勝重、お主の志は何じゃ。……ま、儂の後ろに三人いるから、聞かせられぬかな」
「いえ、殿。勝重の野望は、殿に越中を統一していただくことにございました。しかし姉小路が力を見て、今までの当家を顧みて、さて他から手を借りて統一するということがどういうことか、とっくりと考えましてございます。それは即ち統一後も自由にはできぬということにございます。操り人形の下で越中を統一して何になりましょう。それゆえ、勝ちとあれば一向宗と縁を切っていただく、負けとなれば潔く身を引いていただく。そのつもりでござった」
そしてしばらく無言で酒を飲んでいた。ことりと盃を伏せ、神保長職は一言言った。
「無念じゃ」
月はその様子を静かに照らしていた。




